[往復書簡]国籍のゆらぎ、たしかなわたし【第三期】|第4回|「しょうがない」で終わらせない(サヘル・ローズ)|サヘル・ローズ+木下理仁

[往復書簡]国籍のゆらぎ、たしかなわたし【第三期】 サヘル・ローズ+木下理仁 じぶんの国籍とどうつきあっていけばいいだろう。 「わたし」と「国籍」の関係のあり方を対話のなかから考える。

自分の国籍とどうつきあっていけばいいだろう。 「わたし」と「国籍」の関係のあり方を対話のなかから考える。

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[往復書簡/第三期]第4回
「しょうがない」で終わらせない
サヘル・ローズ


木下兄さんへ

 と、思わず「お兄ちゃん」のように感じてしまいました。木下さんこそ、毎回温かい、息をするコトバたちで手紙を紡いでくださって、私は読んでいて身近に感じてますよ。本当、手紙っていいですね。対話も二行で簡潔にすんでしまう時代、相手に自分の心の音色が伝わってるかさえもわからずにいます。

 コロナ以降はZOOMやオンライン上で進む対話が多くなりましたよね。便利かもしれませんが、私は苦手でね、相手がいて、相手の息づかいや目の動き、ちょっとした仕草から読みとれる心情が存在しているのを感じたいタイプなんです。

 不思議ですよね、文明・技術が発展すればするほど「肌質のない対話」が増えてしまった。それに対応できる人もいますし、置き去りにされていく人もいる。でも、木下さんと始めた手紙のおかげで、「自分の言葉」を外に羽ばたかせられます。本当にありがとう。そして『マイスモールランド』も観てくださって、素晴らしい感想までくださって、とてもうれしい(プリントして部屋に飾っちゃう)。

 うん、私も『マイスモールランド』の脚本をいただいたときに、主人公のさっちゃんと自分を何度も重ねてしまって……私、制服さえ着れたらサーリヤを演じたかったなんて思ったほどです。でもね、うれしかったです。日本映画が新しく飛び込んでくれた大事なテーマ。そして、いまの時代に悲しいほどマッチしてしまっている現実。世の中には「美しい真実」と「悲しい真実」って存在しますね。この難民という問題は今後、さらに大きくなっていく気がします。

 木下さんがおっしゃるように、いま世界中で起きている戦争、内戦、迫害、差別は、いたるところであります。報道されていないだけで、現在進行形なんですよね。忘れ去られた人びとがどれほどいるか。

 もちろん、日本国内でも生活が困窮しています。いまを生きるのにも精一杯な人びとは大勢いらっしゃいます。物価の高騰に歯止めがかからず、でも日本の賃金はまったく上がっていない。国民に政府は何を求めているのだろうか? 私はね、日本の皆さんの忍耐力にいつも驚かされます。

 目上の方と政治の話をすると、ときたま「しょうがない」という言葉を耳にします。この言葉は『マイスモールランド』の台詞にもありました。本当にそうかな? それは未来を担う次の世代に残してしまう負の遺産ではないかな?

 私は日本で生活をするなかで、本当に多くの出会いによって生かされてきました。出会った方々は、「しょうがない」ではなく「おかしいことはおかしいと言いなさい」と私に教えてくれた。そういう大人がいて本当によかった。

 もちろん、意見を持つということには怖さもある。かならずしも自分の考えを受け入れてくれる人ばかりが世の中にいるわけじゃない。どんな人にも自分の世界観があり、それがその人の「居場所」にもなっている。そう、いまの時代に必要なことは、「無関心」スイッチを、どう「関心」スイッチへと入れ替えるか。

 きっと私の周りにいてくれる仲間は同じ意思を持っていて、「サヘルの言うとおりだ」と私の言葉を尊重してくれます。それはいいことでもあり、本当は怖いことでもあります。なぜかというと、新しい視点を見落とす要因にもなりますし、自分の「正義を振りかざしてしまう」恐れがあるからです。だからこそ「仲間内」で終わってしまわないように、新たな層を「巻き込む力」を私は身につけたいです。その巻き込む力を得るためには、「打たれ強くなる」というのも私の人生の大きな課題。

 考えが異なるなかで、どうしても理解しあえないことも生じます。それがときに「亀裂」になることも。その亀裂から新しい芽が生まれることもありますが、そのまま放置されてしまうこともあります。だからこそ、私は「表現する世界」を選んだのかもしれません。

 木下さん、私はね、何もできないの。特別な何かを持ってもいない。でもね、唯一「伝えたい」という芯はだれにも負けない自信はあります。だからこそ「サヘル電波塔」になっていくと決心したんです。そのためにはネームバリューが必要でしょう? そのためにサヘル・ローズとして生きているのかもしれない。

「出会った責任」があって、それは、活動の一環で旅をしていくなかで出会った多くの「声とまなざし」。

 祖国を突如破壊され居場所を奪われた瞳。食べるものや住む家、はく靴がなくても、「政治家になって腐敗した国を建て直すんだ」と語る小さな瞳。国をもたず何処へいっても迫害される瞳。

 その眼差しは時に強く、時に悲しみを抱きながらコチラをみつめてくる。

 そして、世界を。

 しかし残念ながらその多くは、年月とともに世界から、メディアから「かき消されていく」。

 私はとても微力で、いまはまだ小さな電波塔です。それでもできる表現のツールを通していきたい。

「映画」や「音楽」、「食」や「コトバ」はいいきっかけかもしれません。趣味のなかから学ぶことができれば、難民問題も世界情勢も、より身近になっていくかもしれませんよね。

 正直、まだまだ「異国の地で起きている遠い出来事」で止まっている。でもね、戦争の余波は遅れてきていますし、私たちが「加担」してない戦争なんてない。どこかで「無意識」のうちに私たちはかかわっています。それが、眼に見えない「人間の戦争」。そして、人間の怖さは「慣れ」という感情だとも思っています。木下さんも感じませんか? 日々の報道に「慣れてしまう」自分たちがいる瞬間を。

 いま、木下さんに手紙を書きながら、目の前には親子が手をつないで歩いていく。この「平和」そうに見える景色は、「当たりまえの光景」ではないはず。そもそも光景という言葉のなかに宿る「光」という漢字に、私は違和感を感じています。この世界は「光」を見失いつつあるように思えてね。

 そんな同じことが歴史のなかでくり返され、私たちはどう「おかしい」と言いつづけるのか? どう「しょうがない」で終わらせないか? いま、一人ひとりの行動も試されている気がしています。「何かをしようとするよりも、何が必要なのかを考える」、そんな課題を突きつけられている気がしています。個人的には夏休みの宿題にしようかな。

P.S. ね、木下さん。「いま、幸せ?」と聞かれたら、なんて答えますか?

 

サヘル・ローズ(さへる・ろーず)
俳優。1985年イラン生まれ。8歳で来日。日本語を小学校の校長先生から学ぶ。舞台『恭しき娼婦』では主演を務め、主演映画『冷たい床』では、ミラノ国際映画祭で最優秀主演女優賞を受賞するなど、映画や舞台・俳優としても活動の幅を広げている。また、第9回若者力大賞を受賞。国際人権団体NGOの「すべての子どもに家庭(かてい)を」の活動では親善大使を務めた。個人的にも支援活動を続け、公私にわたる福祉活動が評価され、2020年にはアメリカで人権活動家賞も受賞。今後も、世界に目を向け活動していくことが目標。