[往復書簡]国籍のゆらぎ、たしかなわたし【第一期】|第1回|国籍制度からこぼれ落ちていた父(安田菜津紀)|安田菜津紀+木下理仁

[往復書簡]国籍のゆらぎ、たしかなわたし 安田菜津紀+木下理仁 じぶんの国籍とどうつきあっていけばいいだろう。 「わたし」と「国籍」の関係のあり方を対話のなかから考える。

自分の国籍とどうつきあっていけばいいだろう。 「わたし」と「国籍」の関係のあり方を対話のなかから考える。

 

[往復書簡]第1回
国籍制度からこぼれ落ちていた父
安田菜津紀


 木下さん、こんにちは。冷えこむ日々が続いていますが、お元気にお過ごしでしょうか? こうしてお手紙を書けることを、うれしく思います。木下さんが書かれた『国籍のハテナがわかる本』は、折に触れて読ませてもらっています。わかりやすい解説はもちろんのこと、「あなたはどう思う?」と、ページをめくるごとに、読み手に深い問いかけをくれる、私にとって大切な一冊です。

 じつは先日、「安田さんにとって国籍とはなんですか?」と尋ねられたことがあり、その問いに対してうまく答えることができませんでした。「国」という概念があまりにも壮大なもので、自分の体の感覚に、うまく落としこめずにいたのかもしれません。

 この国籍というものが、アイデンティティと密接に結びついている方々もいるでしょう。私自身も、蔑ろにしようと思っているわけではありません。ただ、ひとつ言えることは、この巨大な「ワク」からこぼれ落ちてしまっている人たち、あるいはこの「ワク」に息苦しさや違和感をもっている人たちも、この世界でともに生きている、ということだと思います。

 私が中学2年生のときに、突如父が亡くなりました。その後、私は海外渡航の機会を得て、パスポートを取得するために、自分の戸籍を見ることになります。そこではじめて、父が在日コリアンだったことを知りました。

 木下さんはすでにくわしく知っていらっしゃることだと思いますが、朝鮮半島出身者は、日本の植民地時代には「日本人」とされていたものの、終戦から数年後、こんどは一方的に日本国籍を奪われ、特定の国籍をもたない「朝鮮人」として扱われることになりましたね。さらに朝鮮半島は南北ふたつの国に引き裂かれていきました。1965年、日本は南側の韓国とのみ国交を結び、そのさいに韓国籍を取得した人たちがいます。父のかつての国籍も、「韓国」となっていました。

 なぜ父は、自分のルーツを隠してきたのか。わずかに残された書類や、父が母に残した言葉を頼りに、それを探る旅をいま、続けています。そのなかで、わかったことがあります。

 父の歩みをたどろうと、韓国領事館で「除籍謄本」の交付を試みたことがありました(韓国では戸籍制度が2008年に廃止されていますね)。ところが、父の痕跡は韓国側にはありませんでした。在日コリアンの方々のなかには、日本側の書類上、「韓国籍」という表記になっていても、韓国側に届け出をしていないケースがあるそうです。父がそれをわかっていたのか、それともだれかを頼って表記を変更したために、韓国側に自身の登録がないことに気づかなかったのか、いまはもう直接尋ねることはできません。少し複雑な話ではありますが、制度と制度の狭間で、なにかしらの手違いがあったのかもしれません。

 こうなった場合、父は事実上の「無国籍」状態だったことになります。私が生まれたあと、日本国籍を取得するさい、ひじょうに時間がかかったのはこのためだったそうです。

 父がこうして「宙ぶらりん」の状態だったことを知って以来、ますます「国籍とはなにか」といったことが、自分のなかでわからなくなっていきました。私は日本国籍者として生きてきて、海外に取材に出向くときは、日本のパスポートを携えていきます。ただ、「日本人」という言葉を無批判に使いつづけることに、時折違和感を覚えることがあります。それは、私のなかにたしかに生きている、異なるルーツをもつ父のことを、覆い隠してしまうような気がするからです。けれども学生時代、在日コリアンのコミュニティでずっと生きてきた方から、「あなたは日本人だよ」と投げかけられた言葉が、小さな棘のように心のどこかに引っかかりつづけています。

 こうして、どの「ワク」から見ても、自分が「他者」に思えてくることがあります。もしかするとそんな揺れ動きは、些細なことに見えるかもしれません。けれども自分のルーツとは、もっとも大切な背骨のような軸であり、同時に、もっとも心の柔らかな部分に触れるものなのかもしれません。

 残念ながらネット上でも路上でも、差別やヘイトの言葉は量産されつづけています。そんな言動の端々に、「純粋な日本人」という言葉が表れることがあります。『国籍の?がわかる本』にも、同様のことを書いていらっしゃいましたが、そもそも「日本人」とはだれのことを指すのでしょうか?

 日本国籍の人?(日本国籍でも日本でほとんど過ごしたことがない、もしくは日本語を話さない人もいる……) 日本語話者?(外国籍でも流暢に話す人もいる……) 日本在住の人?(暮らしていてもルーツやアイデンティティは多様……)

 こう考えていくと、「純粋な日本人」という言葉が、実体のないもののように思えるのです。けれどもそれがまるで絶対的な線引きであるかのように語られたとき、その裏でだれかが排斥されたり、否定されたりすることになるのではないでしょうか。

 なんだかお手紙というよりも、木下さんへの人生相談のようですね……! あらためて伺いたいのですが、木下さんにとっての「国籍」とはなんでしょうか……? そして、ご自身が「国籍」について考えるようになったきっかけはなんだったのでしょうか……?

 2021年、はじまったばかりですが、ともにぜひ、素敵な1年としていきましょう。お返事、お待ちしております。

 

安田菜津紀(やすだ・なつき)
1987年神奈川県生まれ。NPO法人Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル/D4P)所属フォトジャーナリスト。同団体の副代表。16歳のとき、「国境なき子どもたち」友情のレポーターとしてカンボジアで貧困にさらされる子どもたちを取材。現在、東南アジア、中東、アフリカ、日本国内で難民や貧困、災害の取材を進める。東日本大震災以降は陸前高田市を中心に、被災地を記録し続けている。著書に『写真で伝える仕事 -世界の子どもたちと向き合って-』(日本写真企画)、ほか。上智大学卒。現在、TBSテレビ『サンデーモーニング』にコメンテーターとして出演中。