[往復書簡]国籍のゆらぎ、たしかなわたし【第四期】|第3回|ぶつかる相手がいるか、向き合う「問い」があるか(木下理仁)|朴英二+木下理仁

[往復書簡]国籍のゆらぎ、たしかなわたし【第四期】 朴英二+木下理仁 じぶんの国籍とどうつきあっていけばいいだろう。 「わたし」と「国籍」の関係のあり方を対話のなかから考える。

自分の国籍とどうつきあっていけばいいだろう。 「わたし」と「国籍」の関係のあり方を対話のなかから考える。

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[往復書簡/第四期]第3回
ぶつかる相手がいるか、向き合う「問い」があるか
木下理仁


朴英二(ぱく・よんい)さんへ

 こんにちは。お元気ですか。新しい年が始まりました。英二さんにとってますます充実した1年になりますように。

 先日のお便り、ありがとうございました。英二さんらしいことばがいくつもあり、いいなぁーと思いながら、何度も読み返しました。

浅く表面的な関係では現れることはなくとも深い関係になれば生まれる葛藤

 本当にそうだと思います。おたがいに気を遣って、というより、遠慮して、いや、もしかしたら何かを怖がって? あるところから先には踏み込まない関係なら波風は立たないけれど、そこから一歩踏み込もうとすると、とたんに葛藤が生じる。でも、その葛藤を避けていては、いつまでも次のステージには進めない。

 ぼくは大学で「多文化共生」というテーマで授業をしていますが、学生たちの「踏み込まない」態度にもどかしさを感じることがしばしばあります。

 その授業で学生に課している最終レポートは、日本に長く住んでいる「外国人」にインタビューをして、「多文化共生」へ向けての課題と展望をまとめるというものですが、その事前準備として、2人ひと組になってインタビューの練習をしてもらうことがあります。相手を一方的に質問攻めにするのではなく、お互いにとっていい時間にすることを意識しながら、その人がもつ多面性を探っていきます。

 人は、たいてい2つ以上の「顔」を持っていて、場面によってそれを使い分けている。バイト先では学校にいるときとは違うニックネームで呼ばれ、ちょっと違うキャラを演じているかもしれないし、実家の親と電話で話すときは急に「方言丸出し」になる人もいるかもしれない。相手の「A面」と「B面」(もしかしたら「C面」もあるかもしれない)、異なる側面を知ることを意識しながら話を聞いてみよう、と。

 授業のなかでやることなので、2人で20分程度。1人が話す時間はわずか10分なのですが、授業の終わりに学生が書いたコメントシートを見ると、「自分のことをこんなに人に話したのは初めてだった」「ちゃんと話を聞いてもらえて、うれしかった」という感想が多くて驚かされます。「みんなも2つの顔を使い分けていることを知って安心した」というのもありました。

 かれらはいつも自分の「A面」だけを見せながら生きていて、「B面」を人に見せることはほとんどないのでしょう。と同時に、そこに踏み込んでくる相手と出会うこともなかったということなのだと思います。

 最近の若い人は、と、つい言いそうになりますが、もしかしたら、これは大人であっても同じかもしれません。ぼくらの世代も、若いころは「林檎かじりながら語り明かした」(!?)かもしれないけれど、最近は表面的な付き合いしかしていないのではないか。世代の違いというよりも、これはもしかしたら、いまの「時代」なのかもしれない。そのほうがらくだから。人とぶつかるのは体力、気力がいって疲れるし、つい避けてしまっているのではないか。

 英二さんのお父さんが日本人だという話は、昔、ちらっと聞いたことがありましたが、「時事問題などで父とよく討論したりぶつかったり」したというのは、すごく意味のあることだったんだろうと思います。親子でも、いや、あまりにも近くにいる親子だからこそ、面倒くさいのもあって、たがいに遠慮して、ちゃんと話さず、本当は大事なことを後回しにしてしまいがちですが、スルーしないであえて言葉にするからこそ、次へ進むことができるのではないでしょうか。

 親子であれ、友達であれ、「ぶつかる相手」がいるというのは、幸せなことだと思うのです。

(ルーツ、アイデンティティは)1か0で区分するものではなく、グラデーションのように繋がっている

 グラデーションという表現は言い得て妙だと思いました。「あなたのルーツは?」「あなたのアイデンティティは?」とひとつのわかりやすい答えを相手に求めるのは、じつは乱暴なことなのかもしれません。

 日本人の場合、「お前は何者か」と人から問われることはめったにありませんが、たとえば朝鮮学校に行ってみると、そこにいる子どもたちは、つねにそれを問われ、「自分は何者か」という「問い」と向き合いながら生きているのを感じます。

 朝鮮学校の文化祭に日本の大学生といっしょに行ったことが何度かありますが、かれらが皆、異口同音に口にするのが、「朝鮮学校の生徒はしっかりしてる」ということばです。「自分より年下だなんて、信じられない」と。

 否応なしに突き付けられ、向き合わざるを得ない「問い」。それがつねにあるから、朝鮮学校の子どもたちは逞しく育つのかもしれませんね。英二さんの映画に出てくる朝鮮学校の子どもたちを見ても、同じことを感じます。

 ところで、「(ぼくの)多様性に対する寛容な考え方、生き方はどんな経験を経てそれに至ったのか?」という英二さんの質問ですが⋯⋯。

 子どもの頃、親の仕事の関係で何度も転校し、そのたびに「マイノリティ」の心細さを経験したことから、相手のこと(文化)がわかるまで様子を見るという態度が身についたのかもしれませんが、もうひとつ、自分の考えに自信がないから、というのもありそうな気がします。

 どこで読んだか定かでないのですが、太宰治の言葉に「私は議論をすると必ず負ける。相手の自己肯定のすさまじさに負けてしまうのだ」というのがあり、学生時代にこれを見たとき、まさに我が意を得たりという気がしたのを憶えています。

 ぼくは、自分に疑問をもたない人が苦手です。問答無用でその人の考えを押し付けられると、気持ちが萎えてしまいます。自分の常識が世界の常識ではない。当たり前だと思っていることも、本当はそうではないのかもしれない。そういうふうに考えてくれたら、わかりあうきっかけもつかみやすくなるのになと思うのです。

 自分の当たり前を疑うって、大事なことだと思います。

 ぼくが書く文章に「もしかしたら」とか、「かもしれない」「ような気がする」という表現が多いのも、自信のなさの表れかもしれませんね(ほら、また使った<笑>)。

 ただ、本当は、もっと自信をもって、全力で人を愛することができたら素晴らしいだろうと思うのです。どうすればそんな人になれるのでしょう。

 英二さんの「ルーツ」と「アイデンティティ」の話、楽しみにしています。

 

木下理仁(きのした・よしひと)
ファシリテーター/コーディネーター。かながわ開発教育センター(K-DEC)理事・事務局長、東海大学国際学部国際学科非常勤講師。1980年代の終わりに青年海外協力隊の活動でスリランカへ。帰国後、かながわ国際交流財団で16年間、国際交流のイベントや講座の企画・運営を担当。その後、東京外国語大学・国際理解教育専門員、逗子市の市民協働コーディネーターなどを経て、現職。神奈川県を中心に、学校、市民講座、教員研修、自治体職員研修などで「多文化共生」「国際協力」「まちづくり」をテーマにワークショップを行っている。1961年生まれ。趣味は落語。著書に『国籍の?(ハテナ)がわかる本』(太郎次郎社エディタス)など。