[往復書簡]国籍のゆらぎ、たしかなわたし【第一期】|最終回|偏見をなくしていくために(木下理仁)|安田菜津紀+木下理仁

[往復書簡]国籍のゆらぎ、たしかなわたし 安田菜津紀+木下理仁 じぶんの国籍とどうつきあっていけばいいだろう。 「わたし」と「国籍」の関係のあり方を対話のなかから考える。

自分の国籍とどうつきあっていけばいいだろう。 「わたし」と「国籍」の関係のあり方を対話のなかから考える。

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[往復書簡/第一期]最終回
偏見をなくしていくために
木下理仁


 

 安田菜津紀さんへ

 こんにちは。3回目のお便り、ありがとうございました。

 国籍を理由に「線引き」がなされることに対する安田さんの強い憤りといらだちが伝わってきました。

 入管の収容施設で亡くなったウィシュマ・ラトナヤケさんのこと、本当に悲しいです。ぼくは昔、スリランカに住んでいたことがあるので、スリランカ出身と聞いただけで、ただの「外国人」とは違う、よりリアルな存在として迫ってきます。日本に憧れて来て、日本語も一生懸命勉強して、日本の子どもたちに英語を教える楽しく充実した日々を夢見ていた彼女に、日本という国は、そんな仕打ちしかできないのかと悲しくなります。

 ウィシュマさんの事件がきっかけとなって、というのは、とても皮肉で悲しいことですが、今回の「入管法改悪を止めよう!」という人びとの声はとても大きくなり、ついに法案がとり下げられましたね。安田さんをはじめ、ウィシュマさんや家族の方々の気持ちに寄り添いながら、この問題を訴えつづけたジャーナリストのみなさんが果たした役割も、とても大きかったと思います。

 そして今回、日本の難民受け入れのあり方、とくに欧米諸国と比較したときの認定率の低さにも、多くの人が関心を寄せました。

 難民条約の第1条は、難民を「人種、宗教、国籍もしくは特定の社会的集団の構成員であることまたは政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために、国籍国の外にいる者であって、その国籍国の保護を受けられない者またはそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まない者」と定義していますが、日本は、難民認定の審査にあたって、この定義を字義どおりに非常に厳密に解釈し、しかも、難民に該当するかどうかを難民申請をする本人が日本語の書類を整えて証明しなければならないという、極端に高いハードルを設けています。何もかも捨てて、身ひとつで命からがら国を脱出してきた人に、軍事政権に反対する民主化運動組織のメンバーだったとか、政府に弾圧を受けたとかいうことを、客観的に明らかにできる証拠を見せろと言っても、それはかなり無理があります。自分が軍隊に拘束されて拷問を受けているところの写真を撮って持っている人などいないでしょうから。

 かつて国連の難民高等弁務官をつとめた緒方貞子さんは、難民条約に規定された難民の定義を厳格に当てはめようとして、ほんらい救うべき難民が見過ごされるようなことがあってはならない。かりにいわゆる難民性の低い外国人の入国を認めることになったとしても、もう少し柔軟に難民認定をおこなうべきだという趣旨のことをおっしゃっていましたが、ぼくもそう思います。

 以前、移民・難民問題について学ぶ英国の教育現場を見学にいったことがあります。あるとき、キリスト教の教会で開かれた学習会で、司会の若い男性が開口一番、「イエス・キリストも難民でした」と言うのを聞いて、はっとしたのを憶えています。もといた場所を追われてきた人がいたら、それがどんな人であれ、まずは救いの手を差し伸べるべきだという、難民保護の根底にある感覚は、もしかしたらキリスト教の「愛」の精神からきているのかもしれない。日本人はその感覚を共有していないから「難民」への理解が進まないのかもしれないと思ったりしました。

 また、カナダで制作された『ラスト・チャンス──LGBTたちの行方』という映画を見たときは、カナダに受け入れられた難民に自治体の担当者が在留許可証を手渡すときに、「Welcome to your country.」と言う場面が強く印象に残りました。「ここはもう、あなたの国ですよ」「ほかのカナダ人とまったく同じ権利をもって暮らせますよ」いうメッセージがとても素敵だなと思うと同時に、こういう感覚をもつことのできる日本人がどれほどいるだろうかと考えさせられました。

 ところで、ウィシュマさんの事件をきっかけに、入管の収容施設の人権を無視したひどい実態も多くの人の知るところとなりました。ぼくは、これにかぎらず日本では、なんらかの理由で身柄を拘束された人が、とたんにあたりまえの人間としての扱いをされなくなり、まわりの「見る目」もそのように変わってしまう傾向があるのではないか、とくに外国人に対してはそうじゃないか、と感じています。

 じつは、いま、ぼくの外国籍の友人が、ある犯罪にかかわったという疑いをかけられ、もう2年以上も拘置所にいるのです。地裁、高裁で有罪判決が出てしまい、いまは裁判のやり直しを求める手続きを進めているところです。

 有名なIT企業で20人の部下を指導する立場で働いていた彼が、わざわざそんな犯罪を犯すなど、とても考えにくいのですが、一審では、通訳もいいかげんで、はっきりした証拠もないまま、「……と推察される」というだけで20年もの懲役刑が言い渡されました。検察も裁判官もはじめから彼が犯人だと決めてかかっていたのではないかと勘繰りたくなります。それは彼が日本人ではないから?

 このまま刑が確定したら、彼が自由の身になったときには60歳を超えてしまいます。もう働き盛りとは言えません。体力も気力も落ちていることでしょう。新しい人生のスタートを切るにはつらい年齢です。不公正な裁判の結果、人生の大事な時間が20年も奪われてしまうとしたら、「運がわるかった」では済ませられない、ほんとうに恐ろしいことです。

 彼はいま、極度に劣悪な環境で暮らしています。剥き出しの便器と洗面台のある4じょうの広さの暗い部屋。窓があっても外は見えない。外の空気を吸えるのは、週に2、3度、拘置所の屋上──二重の金網に囲まれ、仕切られた狭い場所に出たときだけ。つねにひとりで、面会に来る人以外のだれかとおしゃべりをすることもない。これでよく精神状態がおかしくならないなと思います。以前はがっちりした体格だった彼が、いまは20キロも痩せて、生きているのがやっとという感じです。

 彼のことがあってから、あまり表に出ないだけで、こういう人がじつは日本のあちこちにいるのではないかと考えるようになりました。

 彼の場合はまだ、日本語で話し、日本語で文章を書くことができるので、家族だけでなく日本人の友人も面会にいって話をしたり手紙のやりとりをしたりできますが、日本語がわからず、だれひとりことばの通じる人のいない拘置所や刑務所で、たったひとりでつらい日々を送っている外国人もいるかもしれません。それがもし冤罪で、それがもし、外国人に対する先入観や偏見によって引き起こされたものだったとしたら、ものすごく深刻な問題だと思います。

 そして、一度疑いをかけられる立場になると、直接関係のない他人までが、その人を悪人と決めつけて見る風潮が、日本にはあると思います。それは、警察をはじめとする「権力」がまちがったことをするはずがないという、「公」に対する強い信頼からきているのかもしれませんが、「権力」をもつ側がつねに正しいと考えるのは危険です。現に今回のウィシュマさんの事件では、入管職員の人権を無視したひどい対応が明らかになっているのですから。そうした人権感覚が変わらないかぎり、いつまでも問題は残りつづけるのではないでしょうか。

 国籍が「障壁」にならないために、私たちには何が求められているのだろうかと、安田さんは訊ねてくださいましたね。ぼくは、国籍を障壁にしてしまういちばん根本的な原因は、人びとのなかにある「偏見」ではないかと思っています。いつか、すべての偏見がなくなったとき、国籍は、必要なときにだけ使う、ただの「分類記号」でしかなくなるのではないでしょうか。だとすれば、まずは、「偏見」をなくすための小さな取り組みを地道に続けていくしかないだろうと思います。

 安田さんはジャーナリストとして、多くの人の意識に働きかける、とても大事な役割を担っていると思います。世の中の「偏見」をなくしていくために、これからも元気でご活躍ください。

[編集部より]安田菜津紀さんとの往復書簡は今回で終了となります。8月より、あらたにサンドラ・ヘフェリンさんと木下理仁さんの往復書簡がはじまります。お楽しみに!

 

木下理仁(きのした・よしひと)
ファシリテーター/コーディネーター。かながわ開発教育センター(K-DEC)理事・事務局長、東海大学教養学部国際学科非常勤講師。1980年代の終わりに青年海外協力隊の活動でスリランカへ。帰国後、かながわ国際交流財団で16年間、国際交流のイベントや講座の企画・運営を担当。その後、東京外国語大学・国際理解教育専門員、逗子市の市民協働コーディネーターなどを経て、現職。神奈川県を中心に、学校、市民講座、教員研修、自治体職員研修などで「多文化共生」「国際協力」「まちづくり」をテーマにワークショップを行っている。1961年生まれ。趣味は落語。著書に『国籍の?(ハテナ)がわかる本』(太郎次郎社エディタス)など。