ほんのさわり|『難民の?(ハテナ)がわかる本』から|木下理仁

お目見え本や旬の話題から、〝ほんのさわり〟をご紹介。不定期更新です。

難民って、なに?
『難民の ?(ハテナ)がわかる本』から

木下理仁

*2023年3月刊行の『難民の?(ハテナ)がわかる本』から、一部を抜粋してご紹介します。
(イラスト©︎山中正大)

■ はじめに──ヌールとアラ

「みなさん、聞こえますか。アサドの攻撃でグータの町が破壊されています。子どもたちも殺されそうです。お願いです、助けてください。手おくれになるまえに」
 その日、ツイッターで送られてきた30秒の動画に世界中の人が思わず息をのんだ。

 おびえた表情で抱きあっているふたりの女の子。年上の子がふるえる声で必死に訴えている背後から、ドーン、ドーンという激しい砲撃の音が聞こえる。この子たちがだれなのか、グータという町がどこにあるのか、そんなことは知らなくても、とにかくたいへんなことが起きていることだけはわかる。この子たちの命が危ない!

 このメッセージが送られたのは2018年2月19日。ふたりは、シリア・アラブ共和国の首都ダマスカスの郊外、東グータ地区に住む姉妹だった。
 頭に白い布を巻いた姉の名前はヌール、12歳。毛糸の赤い帽子をかぶった妹はアラ、8歳。お母さんに習った英語で、スマホで自撮りした動画とメッセージを投稿していた。
 シリアでは、2011年に始まった内戦が激しさを増し、アサド大統領率いる政府軍が市街地にまで爆撃をおこなったために、一般市民が巻きこまれて、多くの犠牲者が出ていた。
 ヌールとアラのふたりは、このあとも自宅マンションが戦闘機による爆撃を受けるなど、何度も危ない目にあい、「投稿がなくなったときは死んだと思ってください」と、悲痛な声を上げていたが、なんとか国境をこえて隣国トルコに逃れ、4月には「私たちは元気です」というメッセージを送ってきた【*】

 彼女たちのように、命の危険を感じてよその国に逃れた人のことを「難民」という。
 世界ではいま、1億人もの人びとが難民や避難民となっている。いったいなぜ、そんなことになるのだろう。そもそも「難民」って、なに? 難民の人たちに必要なものは? 日本は難民とどのようにかかわっている?
 この本を手にとってくれたきみと、「難民」をめぐるいろいろな「?(ハテナ)」について、いっしょに考えていきたい。

【*】ヌールとアラは、その後もツイッターでメッセージを発信しつづけている。
 https://twitter.com/Noor_and_Alaa

■ 難民って、なに?

 ナチスドイツの時代に生きたユダヤ人のなかには、外国に逃れて生きのびた人たちもいた。
 ドイツからアメリカに移り住んだ科学者、アインシュタイン博士もそのひとりだ。博士の相対性理論は、その後の科学の発展や宇宙開発などに大きな役割を果たした【*】

 政府から迫害を受けるなど、身の危険を感じて自分の国から逃げだした人のことを「難民」という。アインシュタイン博士と同じように、ドイツや、ドイツに支配されたオランダ、ベルギー、ポーランド、オーストリアなどからほかの国に逃げた多くのユダヤ人も、難民だった。

「自国の政府に追われて逃げだす」というと、なんだかヤバい人みたいに聞こえるかもしれないけれど、ドロボウのような犯罪者とは違う。自分の命や尊厳、人間として当然の権利を守るため、やむをえず脱出するという選択をした人たちだ。そのままじっとしていたら、逮捕されて拷問を受け、最悪の場合、殺されていたかもしれない。

 難民になる理由はさまざまだ。
 特定の宗教の信者だからという理由で、あるいは、人種や民族が違うからという理由で迫害を受ける場合もあるし、戦争や内戦によって家を失い、命の危険を感じて国外に逃れる人もいる。

 また、自分の国の政府の考え方を批判したために、警察や軍隊に捕まって拷問を受けるような国もあるし、同性愛者だという理由で、あるいは、女性が男性と同じように学校に行ったり職業についたりするだけで、迫害を受ける国もある。
 そんな状況から逃れるために、自分の国を出て保護を求める人は、みんな、難民なんだ。

【*】アルベルト・アインシュタイン(1879 ─1955年)──理論物理学者。「論理は、きみをA地点からB地点へと導いてくれる。想像力は、きみをどこへでも連れていってくれる」「人生は自転車に乗るのに似ている。進むのをやめたら倒れてしまう」など、数々の名言でも知られる。

■ 難民を支援する活動がある

 難民の支援では、世界各国の民間の国際協力団体(NGO)が大きな役割を果たしている。
「国境なき医師団」というフランスのNGOは、けがや病気で困っている人たちを支援する。医師や看護師など、医療の専門家が現地へとんでいく。「国境なき」という名前には、「世界中どこへでも行く」「国家権力などから独立して、中立・公平な立場で活動する」という意味がこめられている。
 また、「Save the Children(セーブ・ザ・チルドレン)」という英国で生まれたNGOは、難民の子どもたちのためにさまざまな支援活動をおこなっているし、米国で生まれた「CARE(ケア)」という団体は、とくに女性や女の子を守り支えることに力を入れている。

 日本にも、難民支援をおこなうNGOがある。
 海外の難民キャンプなどで支援活動をおこなうNGOのひとつが、「難民を助ける会(AAR)」だ。紛争や自然災害によって祖国を追われた人びとのために、緊急支援だけでなく、長期の避難生活を支援する活動もしている。
 また、日本に来た難民の人たちを支援するNGOもいくつかあり、そのひとつが「難民支援協会(JAR)」だ。JARでは、祖国を追われた人たちが日本で難民として認められ、安心して暮らしていけるよう、さまざまな支援をおこなっている。
 たとえば、難民申請する人の事情をくわしくきいて、入管に提出する書類をつくる。カウンセリングを通じて、その人のもつ力を引き出しながら、必要な支援を見きわめる。最低限の身のまわりのものだけを持って国を出てきた人には衣類や食料を提供したり、その日、寝る場所のない人にはシェルター(一時滞在施設)を提供したりする。さらには、日本の難民受け入れのあり方を改善していくよう、政府に対する働きかけもしている。

 アフリカのコンゴ民主共和国出身のシャバニさん(30代)も、JARの支援を受けたひとりだ。身におぼえのないことで逮捕され、拷問を受け、妻と子どもを残して日本に逃れてきた。
 来日を手引きしたブローカーからJARのことを聞き、ネットで住所を調べて事務所を訪ねた。日本に来てからの宿代や交通費、ブローカーへの支払いで、そのときの所持金は3000円ほどしかなかったという。
 JARのシェルターに空きがなかったため、シャバニさんは、部屋が空くまでの3週間、ネットカフェや24時間営業のファーストフード店などを転々とした。
「あんな生活はしたことがなかった。からだもきつかったが、気持ちのほうがもっときつかった」とシャバニさんは言う。
 その後、JARのシェルターに入居し、就労が許可されるまでの半年間を、外務省の保護費(1日1600円)でなんとか食いつないだ。
 いまは仕事が決まり、生活は落ち着いている。
「日本に来たばかりで働けなかったときは苦しかった。ただ寝て、起きる。そのくり返し。よけいなことばかり考えてしまう。だから、仕事があることはとても重要」
「難民=物乞いのイメージを持っている人もいると感じる。難民自身が問題じゃないのに、誤解されていると思う」
「ほんとうは支援を受けたかったわけじゃない。自分はこれまで自分の力で働いて稼いできた。だれかにお金をもらう、面倒をみてもらうことは望んでいない」
 そうシャバニさんは語る。
 彼が来日して2年がたつが、難民申請の結果はまだ出ていない。将来の展望が見えず、会えない娘のことを考えると胸が苦しくなるという。(シャバニさんの話は難民支援協会のウェブサイトより

 こうしたNGOの活動には、専門スタッフのほかにも、多くのボランティアがかかわっている。難民問題に関心をもったら、NGOの活動をネットで調べてみよう。ぼくらにも、難民の人たちのために何かできることがあるかもしれない。

 

木下理仁(きのした・よしひと)
青年海外協力隊(スリランカ)、かながわ国際交流財団職員、東京外国語大学ボランティア・コーディネーターなどをへて、現在は、かながわ開発教育センター(K-DEC)事務局長、東海大学国際学部非常勤講師、オンライン・ワークショップ「TAKOトーク」のコーディネーターとして活動中。趣味は落語。
著書に『難民の?(ハテナ)がわかる本』『国籍の?(ハテナ)がわかる本』(ともに太郎次郎社エディタス)、『SDGs 時代の学びづくり──地域から世界とつながる開発教育』(明石書店、共著)などがある。