ほんのさわり|『限界ニュータウン──荒廃する超郊外の分譲地』|吉川祐介

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『限界ニュータウン──荒廃する超郊外の分譲地』
プロローグから
吉川祐介

超郊外の限界ニュータウン

不便でも安く住める地を求めて

 2017年の春、僕は数年にわたって交際を続けていた妻との入籍を機に、それまで暮らしていた東京・江東区の貸家をひき払い、千葉県のやちまた市に転入することにした。八街を選んだ理由は、20代のころに千葉市で暮らしていた経験があり、八街をふくむ千葉県の北東部・北総エリアは首都圏のなかでも地価が安い地域であるとの事前知識があったという、ただそれだけの理由である。
 東京で暮らしていたころの僕たち夫婦は、ふたりそろってとくに秀でた経験や職歴もなければ、職業スキルを向上させるための努力もしておらず、親しい知り合いもないまま、世間から孤立したようにほそぼそと暮らしていて、資産や貯えと呼べるようなものもまったくなかった。築50年近い下町の路地裏の古家に住みながら、現場労働で生計を立てていた僕たちでは、このまま東京で暮らしつづけたところで、車1台の所有すらままならず、古くて狭い貸家を借りつづけることしかできない。田舎の生活が不便で大変なことは経験上わかっていたが、かといってわが家は、利便性が高く、なおかつ快適な住宅を選べるような階層ではないことも自覚していた。
 とりわけ接客をはじめとした対人の応対が得意ではなかった妻は、サービス業の求人ばかりの近所では満足な勤め先も決められず、わざわざ派遣社員として千葉県の湾岸エリアにある物流倉庫などに電車とバスで通勤することも少なくなかった。ところが物流倉庫というものは、自家用車でしか通勤できないような交通の不便な立地のものが少なくない。それであるなら、自家用車の維持も大変な都内の貸家に住んで、仕事の選択肢が限られるよりは、たとえ不便でも、交通量も少なく運転も容易な郊外に住み、自家用車の通勤を前提として職探しをしたほうがよいと判断したためでもある。
 そうした事情もあって、通常であれば多くの人が住まい選びのさいに重視するはずの、交通利便性や立地などはあえて度外視して、夫婦ふたりの車2台が駐車でき、なおかつ賃料が安い貸家、という条件で、八街市内の畑のなかに切り拓かれた分譲地の一画にある、1991年築の3LDKで賃料5万8千円の貸家を借りることになった。
 僕たちには、自治体の移住パンフレットに登場するさわやかな若夫婦が語るような、田舎でチャレンジしたいとか起業したいとか、そんなポジティブな動機があったわけではなく、どうせ裕福になれないのなら、人も少ない小さな田舎町で、可能であれば将来、安い土地や中古住宅を手に入れ、ふたりで静かに生きていこうと考えただけのことなのである。
 ところが、この移住を契機に今日にいたるまで、僕と妻のふたりは、当初は自分たちもまったく想像していなかった、果てしない物件めぐりの日々を続けることになる。

現役の住宅地が朽ちている

 物件めぐりとは、当初はあくまで僕たち夫婦がふたりで暮らすための、中古物件の純然たる見学であった。移住後ただちに中古住宅の購入を希望していたわけではなかったが、たとえ数百万円であったとしても、わが家にとっては重い負担になるはずで、ましてや利便性の低い地域の物件ともなれば、通常以上に念入りな下調べが必要であると考えたのだ。
 インターネットの物件サイトに表示される情報を、とりあえず間髪入れず安直に「価格の安い順」に並べなおし、500万円以下の住宅をチェックする。検索エリアには千葉県北東部の自治体の大半を指定したが、表示される物件の多くは、八街市、富里市、さん市、とうがね市、横芝光町、そしていまは成田市に吸収合併された旧しもうさ町、旧たいえい町の住宅であった。
 格安物件の情報を見るのはたやすいことだが、まさか買う気もないのに取り扱い業者に問い合わせて案内してもらうわけにもいかないので、物件の下見は、広告の情報から所在地を特定し、勝手に現地におもむいて外観を見学することがほとんどだった。広告によっては所在地が公開されていないものもあったが、物件情報に記載された町名、建物の方角、外観写真などから、グーグルマップの航空写真やストリートビューを駆使し、やはり勝手に特定して現地に赴くことも少なくなかった。
 無断見学なのでもちろん内覧はできないが、もともと千葉県北東部の格安物件には、古い建売住宅や、いまふうにいえば規格品のローコスト住宅が多いため、率直にいって内装はどれも大差ない。広告の写真を見れば十分で、もとからあまり内覧を重視していなかった。そもそも数百万円の予算では、内装や設備にぜいたくをいえるような立場ではないというのもある。
 こうして、貸家に住みながら、休日を使って、将来の安住の地を探すべく物件めぐりを本格的に開始させたわけであるが、価格の安さだけを唯一絶対の条件として訪問した先の住宅地で、僕は奇妙な光景をつぎつぎと目にすることになる。そこに広がる光景は、一般的な田舎暮らしのイメージはいうにおよばず、郊外住宅地のイメージからもおよそかけ離れたものであった。
 区画割りの形跡や家屋の配置模様から、そこがたしかに分譲地であることはわかるのだが、家屋はわずかに建つだけで、大半の区画が空き地の分譲地。
 ほとんど管理もされず、もはや雑木林と化しつつある荒れた宅地。
 広大な畑のど真ん中や、うっそうとした杉林のあいだの細道の奥深くなど、意味不明なニーズに応えて開発された、常識はずれの立地。
 鉄道駅どころか、路線バスすら来ない交通空白地帯に建つファミリー住宅。
 人や車の往来もほとんどないような茂みの奥にひっそりと立つ、問い合わせがあるのかも疑わしい「売地」の看板。
 空き地や路上に投棄されたゴミや廃車。舗装がはがれ、陥没してボロボロになった私道。
 築30年にも満たないと思われるのに、すでにツタがからみつき、雑草に埋もれてしまった空き家の数々⋯⋯。
格安物件を求めてきた僕の目の前に広がっていたのは、安住の地どころか、遠くない将来、住宅地としての存続も危ぶまれることは想像に難くない、「限界集落」ならぬ「限界ニュータウン」そのものであったのだ。
 世の中には廃墟や廃村を好んで見学する人も多く、個人的な趣味でいえば、僕も廃墟などを見物するのが嫌いではない。だが、それは野次馬的視点であるからこそのんきに楽しんでいられるのであり、自分自身が住まいを確保するための住宅地となれば、話はまったく異なる。
 都市部から遠く離れた寒村のように、住民が減って空き家が増えているという単純な事象ではない。たしかにいま現在も物件サイトに掲載されている売家や売地がそこにありながら、そのすぐわきで、家屋のみならず住宅団地そのものがちはじめている。住環境が崩壊の危機を迎えながらも、なおも現役の住宅地として利用されている実態がある。それがごく一部の例外的な事例ではないということに気づくていどに物件めぐりを重ねた時点で、これは安かろう悪かろうのひとことで片づけられるレベルの話ではないと確信するにいたったのだ。

探訪記への予想外の反響

 そこで僕は、物件めぐりを続けるかたわら、訪問した分譲地や住宅団地の現況と問題点を紹介するブログ、「限界ニュータウン探訪記」を立ち上げることにした。千葉県北東部のこうした荒れた分譲地にかんする情報は、不動産会社の物件広告を除けば、インターネットで検索してもほとんどなかった。不動産広告はその性質上、デメリットを強調するものではない。問題点を指摘しているものは、わずかに大学教授による論文や特定の書籍に散見されるていどであり、情報のとぼしさは当初からの悩みの種であった。
 また、投機型分譲地にかぎらず、郊外部よりさらに利便性に劣る立地の住宅団地や分譲地の総称も、「超郊外住宅地」「遠郊外住宅地」「限界住宅地」「限界ニュータウン」などさまざまで、確立されていなかった。僕は、ネット上の記事でときおり目にしていた「限界ニュータウン」という単語を採用したが、正直、タイトルについて深い考えがあったわけではない。めざしていたのはタイトルのインパクトではなく、おそらく宅地として利用するにはさまざまな問題が噴出するであろう分譲地の事例を、ひとつのケーススタディとして紹介することによって課題を広く共有し、じっさいにそこに住んでいる人や、僕と同じように、予算が限られていて住まいの選択の余地が少ない人たちとのあいだで、情報交換や解決策を模索できるサイトをつくりたかったのである。
 ところが、ブログ開設後、10本以上の記事を投稿しても、アクセスはただの1件もない状態が続いた。いま思えば、なんの広報もしていなかったのだからあたりまえの話であるし、僕自身、そもそも題材がきわめて限られた地域の話題なので、アクセスが大きく伸びるはずもないことは最初からわかっていた。だが、それにしても、だれも読んでいないのではさすがにモチベーションが保てないので、それまで利用する機会がなかったTwitterのアカウントをつくり、ブログ記事の取材や執筆のもようをお知らせすることにした。
 すると、アカウント作成から1週間ほど経過したところで、予想もしなかった大きな反響をいただくことになった。それ以上に予想外だったのは読者層だった。ブログについてコメントをもらったり、それがきっかけでフォローをしてくれたりした人の多くは、当初想定していた、じっさいに限界ニュータウンに暮らす人たちではなく、不動産賃貸業に関心をもつ投資家や、都市問題や地理を専攻する研究者や学生、公共交通機関のあり方に関心をもつ人など多岐にわたっており、僕が考えていた以上に、千葉県北東部の限界ニュータウンの現状は、広範にわたって衝撃を与えるものであったことがうかがえた。
「はてなブックマーク」上でも、もともと「ローカル・タウン情報」カテゴリとして開設した僕のブログは、なぜか「政治」「社会問題」などまったく別ジャンルのタグがつけられてブックマークされており、開設当初はほんとうにただ見たままのことを書いていたブログの方向性も、また僕自身の生活も、「限界ニュータウン」とのかかわりを機に、まったく想像もしなかった展開を迎えていくことになった。

現在進行形の都市問題のひとつとして

 僕が今日まで訪問した分譲地の数は、はたしてどれほどの数になるだろうか。ブログの記事数を見ても、少なくとも百か所はまちがいなく超えているはずだ。だが、開発許可のいらない小規模開発がほとんどだった北総台地では、分譲地に分譲地を継ぎたすような無計画な宅地開発がくり返されており、そんな旧分譲地群をいまあらためて歩いてみても、開発時期や開発業者ごとに識別し、正確な数をカウントするのはきわめて困難である。
 届け出もされておらず、残された記録もない。好き勝手に山や田畑を切り拓いて乱売した当時の開発業者は、いまやそのほとんどが消滅し、昭和の遺物と化した「限界分譲地」の全容は、地元自治体ですら把握しきれていない。ずさんな違反造成のために建築確認もとれないような分譲地は、立ち入る者もなく原野に還りはじめており、地域社会からも忘れられ、だれからも顧みられることもなく、膨大な量の登記情報に埋もれてしまっている。
 それがそのまま消滅するのなら、むしろ問題は少ないのだが、困ったことに(地価の安さのみを動機に移住した僕も人のことはいえないが)、なまじ首都圏の片隅に位置するばっかりに、安ければ安いなりに地元の不動産市場で低空飛行を続けながら、いまでも住宅地としてかろうじて利用されつづけている。それはつまり、過ぎ去った時代の遺物として黙殺するのではなく、現在進行形の都市問題のひとつとして、正面から限界分譲地に向きあわなくてはならないということだ。予想もしないかたちで深入りすることになってしまった「限界ニュータウン」での暮らしのあり方を、今後も模索していきたいと考えている。

2022年9月30日発売の新刊より、プロローグ部分を公開しました。つづきは書籍にてごらんください。




 

吉川祐介(よしかわ・ゆうすけ)
1981年、静岡市生まれ。ブロガー。千葉県横芝光町在住。2017年にブログ「URBANSPRAWL──限界ニュータウン探訪記」を開設。千葉県北東部の限界分譲地をたずね歩き、調査を重ねてブログに記事を執筆してきた。2022年よりYouTubeチャンネル「資産価値ZERO──限界ニュータウン探訪記」を開始し、ブログと並行して動画配信もおこなっている。「プレジデントオンライン」「楽待不動産投資新聞」にコラムを連載中。