【特別寄稿】ゆえに僕たちは希望を語る──『世界でいちばん観られている旅 NAS DAILY』に寄せて|関口竜平

ゆえに僕たちは希望を語る 関口竜平

本屋lighthouseの灯台守(店主)・関口竜平さんに、ヌサイア・”NAS”・ヤシン『世界でいちばん観られている旅 NAS DAILY』(太郎次郎社エディタス刊)の書評エッセイを寄稿いただきました。

ゆえに僕たちは希望を語る
『世界でいちばん観られている旅 NAS DAILY』に寄せて

関口竜平

小屋を建てて本屋をはじめました」と言うとだいたいの人が驚くのだけど、当の本人は「やってみると意外となんとかなるものですよ」くらいにしか思っていなかったりする。もちろん「素人が独学で小屋を建てた」ということそのものはすごいと思うし、それをやり遂げた自分に対する自信みたいなものはたしかにあるのだけど、だからといってこれはほかのだれにもできない(あるいはできる人はごく少数の)ことだとはまったく思ってないし、じっさいにそうなのだ。

 やってみるとなんとかなる。これに尽きる。だからだまされたと思ってやってみればいいと思う。

 おそらくNAS─『世界でいちばん観られている旅 NAS DAILY』の著者も同じようなことを言う気がする。1000日間で64か国を旅して、毎日1分の動画をつくる。これだけでも常人にはできそうもないことだけど、その結果もさらにすごい。フォロワーが数千万人で数十億回の再生回数という数字的なことはもちろん、訪れた国の政治家を巻き込んだり、各地の住民とイベントを開催したり、あるいは、そういった大きくてわかりやすい成果以外も各地で残しているのだろう。

 その詳細は本書を読むか、彼のFacebookまたはYouTubeを観てもらえばはっきりとわかるのでここでページを割くことはしないが、まあ本当にすごい。パッションとパワーがあふれすぎている。というかほぼ同い年じゃないですか。彼が旅をしていたのは2016年の10月から2019年の1月。24歳から27歳あたりのころ。僕はそのときJAPANのMAKUHARIでKOYAを建ててました。スケールが違う。

 でも、NASはきっとこう言うはず。「Ryohei! きみだってすごいことをやっているよ!」と。そして僕らは意気投合し、動画「NAS DAILY」で、「この世界のだいたいのことはやってみると意外となんとかなるんだ。彼がすごかったから小屋が建てられたんじゃない。小屋はだれでも建てられる(ほら、よく見るといろんなところに穴が空いてるし、寸法が合ってないところもたくさんある! でも小屋は“立って”いる! なんてこった!)。彼は、やろうと思ったことをやっただけ、そしてそれをやり続けただけなんだ」みたいな紹介をされるのだ。そんなところまで想像ができてしまう。

 と、ここまで読むと、僕たちがただの「ポジティブおばけ」のように思われるかもしれないが、本質はそうではない。あるいは、そこではない。

 もしこの文章を読んで、そしてNASのこの本を読んでそのポジティブさが鼻についたのなら、なぜ僕たちはポジティブなのか(もしくはポジティブに見えるのか)を考えてみてほしい。なぜなら僕も本書を読んだときそう思ったからだ。なんだこのポジティブおばけは!?と。しかしそこで終わらずに考えてほしい。なぜNASはポジティブなのか。あるいは、ポジティブに見えるようにふるまっているのか。そこに彼の目的(のひとつ)があるように思えるのだ。

 NASはつねに物事の「いいところ」を見ようとしているし、希望を語る。たとえばわかりやすいところでいうと、彼は日本にも数回訪れていて、そのたびに日本は素晴らしい国だと思ってくれているようだ。個人的にはまったくそうは思えないのだけど、彼はそう言う。しっかり褒めてくれる。すっかり“反日”思想に染まってしまった僕からすると、「いやいやNAS、そんなに無理して褒めようとしなくてもいいって。人権無視、差別やヘイトが横行するヤバい国だと言ってくれよ。そうやって褒められると逆に居心地が悪いぜ」と言ってしまいたくなる。

 だけど、だからといって彼がそういった現実から目を背けているかというと、まったくそうではない。むしろすべてを見据えたうえで、あえて「希望を語っている」のだと思う(その証拠に、本書掲載の日本に関するエピソードをよく読むと、いくつか皮肉のような箇所があるし、ほかの国においても負の側面にまったく言及しないなんてことはない)。NASは能天気に希望を語っているのではない。意思をもって希望を語っている。その意思とはなんなのだろうか。

 印象的なエピソードがひとつある。彼が母国イスラエルに“帰省”して、いつもどおり動画を撮っていたときのことだ。撮影中のNASに興味をもった男がひとり近づいてきて、ふたりは会話をする。流れのなかでNASはみずからがパレスチナ系イスラエル人であることを明かす。するとユダヤ人である男はそれを信じない。アラブ人がこんなに知的なはずはない、と。その後も丁寧に対話を試みるNASだが、そこに男の妹(15歳)がやってきて言う。「アラブ人はみんなテロリストよ!」。強く激しい偏見=悪意をぶつけられたNASは動画を編集しながら考える。そのうち、彼のなかに芽生えた怒りは薄まっていく。「かれらにとってはそれが常識なんだ。なぜなら、それがかれらの知るすべてだから」と。そして「憎しみにとらわれた人びとに(中略)もっと声を届ける必要がある」と結論づけ、「すべてのアラブ人がテロリストじゃないし、すべてのユダヤ人が悪人じゃないことを伝える必要がある」と決意する。そしてこう締める。「こんど路地で出会ったときには、たいくつな天気の話でもできるように」と。

 NASは絶望を知っているのだろう。少なくとも僕よりは。そしてこの“平和な”日本に生まれ、危機感もなく生活をしている多くの人たちよりは。彼が生まれた国、育った環境、送ってきた人生は、つねにすぐそばに絶望=死があるものだったし、いまもそれは変わらない。自国の政府を批判すると“反日”と呼ばれ、そのことに違和感どころか関心すら向けない(そもそも何が起きているのかすらわかっていないし、わかろうとも思っていない)人間がマジョリティーの国で生きている僕たちとは、見えているもの/見てきたものが違う。彼のポジティブさは、絶望によって裏づけされている。

 だから、そのことを理解しないまま本書を読んだり動画を観たりすると、表層的な「すごい」だけを感じ、つまり彼の人生を「消費」して楽しむだけのものになってしまうかもしれない。その「すごい」は明らかに他人事で、きっと明日には忘れている類のものだ。「世界にはすごい人がいるもんだね。自分にはできっこないし、無縁のものだと思うけど」で終わってしまう、「遠い世界の物語」としてしか彼の人生を捉えられない能天気さとでも言おうか。とにかく、そういう消費の仕方をされてしまう恐れが、彼の動画と本書にはある。

 あるいは、物事を真剣に考え、この社会の腐敗に怒りを覚えている人たちにとっては、彼のポジティブさは表層的に過ぎるように思えるかもしれない。たとえば「みんなちがってみんないい!」「男とか女とかそういうことは関係なく、人として扱うってことだよね!」みたいなことを軽々しく言い、それだけでこの社会にあるジェンダー問題をすべて解決した気になってしまう人間のように見えるかもしれない。

 でもNASはそんなことわかっている。というより、身をもって知っている。そういう表層的な理解(もどき)に傷つけられたことも数えきれないほどあるはずだ。でもだからこそ、そんなかれらまで巻き込まないと世界を変えられないことも知っているのだろう。希望を語るだけでは世界は変わらないが、希望を語らねば人びとはついてこない。少なくとも、「自分にもできるかもしれない」と思えなければ、人は1歩を踏み出せない。

 ゆえにNASは希望を語る。ポジティブにふるまう。僕ができたことはきみにだってできる。そして世界を変えることは、だれにだってできることだ。なぜかって? その答えはこの世界を旅すればわかることさ。こんなにも多くの希望がこの世界にはあふれている。それが答えだろう? 世界を変えることがひと握りのすごい人間にしかできないことだったとしたら、世界はとっくに滅びているはずだからね。─というようなことを、彼はいつだって本気で言うだろう。

 だから、あなたもだまされたと思ってやってみればいい。やってみれば、意外となんとかなるのだから。




■ヌサイア・”NAS”・ヤシン『世界でいちばん観られている旅 NAS DAILY』
(有北雅彦訳、2021年8月、太郎次郎社エディタス刊)

 60秒─それはメキシコに対する偏見を消し去り、イスラエルで人種も宗教も超えたホームパーティを企画し、シリア難民の移住を助け、日本で親友を作るのに必要な時間。世界各地への旅を1分間の動画にまとめて毎日Facebookに投稿する「NAS DAILY」。イスラエルで生まれ育ったパレスチナ人というルーツをもつ著者が、行動力とSNSを武器に「世界は変えられる」ことを証明しようとした1000日間・64か国の旅の記録。

全世界4000万人が注視する旅動画「NAS DAILY」の実像と魅力に迫る待望の邦訳、好評発売中。

 

関口竜平(せきぐち・りょうへい)
1993年2月26日生まれ。千葉市幕張にて「本屋lighthouse」をのらりくらりと運営中。20歳あたりから卵・乳製品アレルギー持ち。将来の夢はまちのへんなおじさん。あと草野球の首位打者。

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