[往復書簡]国籍のゆらぎ、たしかなわたし【第三期】|第1回|「カテゴリー」って、なんだろう?(木下理仁)|サヘル・ローズ+木下理仁

[往復書簡]国籍のゆらぎ、たしかなわたし【第三期】 サヘル・ローズ+木下理仁 じぶんの国籍とどうつきあっていけばいいだろう。 「わたし」と「国籍」の関係のあり方を対話のなかから考える。

自分の国籍とどうつきあっていけばいいだろう。 「わたし」と「国籍」の関係のあり方を対話のなかから考える。

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[往復書簡/第三期]第1回
「カテゴリー」って、なんだろう?
木下理仁


サヘル・ローズさんへ

 こんにちは。お元気ですか。サヘルさんとこうして「手紙」のやりとりができることになり、とてもうれしいです。今回の申し出を受けてくださったこと、とても感謝しています。

 サヘルさんがテレビで活躍している様子は以前からよく見ていました。そして、生まれ故郷のイランを訪ねたあなたに同行したドキュメンタリー番組では、養護施設で育ったあなたが、8歳になるころ、養母のフローラさんと二人で日本に来たこと。その後も、たくさんの苦労を重ねながら生きてきたことを知りました。

 そして去年2月、パソコンの画面越しでしたが、あなたのお話を聞かせていただきました。ぼくがかかわった「ボーダレス・カフェ from カナガワ」というオンライン・ワークショップに、あなたがゲストとして来てくださったときのことです。あのときは、ネットの調子がわるく、パソコンの音声が聞きとりづらいなどのトラブルがあったにもかかわらず、あなたはいやな顔ひとつせず、写真を見せながらいろんな話を聞かせてくれて、高校生の質問にもしっかり耳を傾けて、真っ正面から真剣に答えてくださいました。

 あのときあなたに見せてもらった中学時代の遠足の写真が忘れられません。おおぜいの生徒といっしょに山道を歩きながら、青い体操着を着たあなたがカメラに向かって笑顔でピースをしている写真。でもじつは、そのころ学校でひどいいじめに遭っていて、心のなかでは「早く家に帰りたい」と思っていたこと。皆といっしょに過ごす夜のことを考えてとても憂鬱だったこと。だから、その人が笑顔だからといって、心のなかまでハッピーだと思ってはいけないと語ったあなたのことば。

 でも、あなたはフローラさんの愛に支えられて、一時は「死にたい」とさえ思った辛さを乗り越えることができた。本当に、乗り越えることができてよかった。生きているからこそ、あなたはいま、こうして多くの人にメッセージを伝え、勇気を与えることができているのだから。あのときの参加者の感想にも「サヘルさん、生きててくれてありがとう」ということばがありましたね。

 ところで、この「手紙」を書くにあたって、あなたがインタビューに答えた記事をネットで見ていたら、こんなことばを見つけました。

「私は、何人(なにじん)かと聞かれれば、『地球人』と答えます。無国籍でいい。どこにも所属していない、ただの人間でいいです。だれかのつくったカテゴリーにはまる必要はないと思う」

「だれかのつくったカテゴリー」に自分を当てはめようとしなくていいというのは、ぼくも『国籍の?(ハテナ)がわかる本』に同じようなことを書いたので、すごく共感します。世の中にあるすべてのものが既存の「カテゴリー」にうまく当てはまるわけじゃない。そこに疑問をもっていい、疑問をもつべきだと思います。

 でも、世の中には、いろいろな「カテゴリー」をもとに決められているルールがたくさんあります。日本に来る、あるいは日本に住んでいる「外国人」に関してもそうです。どこの国籍を持っているか、どんなビザや在留資格を持っているか。この国籍ならビザが要らないとか、この在留資格の人は週に28時間までしか働いてはいけないとか。

 そしてまた、「カテゴリー」を理由にした偏見や差別もあります。「〇〇人だから、きっとこうだろう」とか、「〇〇人のくせに……」とか。その人のことをまったく知らないのに、カテゴリーだけで決めつけているのです。

 サヘルさんがいつも「わたしよりもっともっとつらい思いをしている子どもたちがいる」といって心をいためている、「難民」というカテゴリーに属する人たちに対する偏見もそうです。

 外国から日本に来て、難民申請を出す人は、年間数千~1万人。ところが、そのうち難民認定を受けられる人は40人ほどしかいません。ある世論調査の結果を見ると、難民の受け入れについては「慎重に」すべき、その理由として「受け入れる人の中に、犯罪者などが混ざっていた場合には、治安が悪化する心配があるから」と考えている人が多いことがわかります。

 ずっとまえから思っているのですが、日本語の「難民」という言葉もよくないですよね。なにか「難」をもっている人、その人自身に何か問題があるような感じも与えてしまうので。実際は、必死の思いで「難」から逃げてきて、助けを求めている人たちです。英語のrefugee(難民)の語源を調べてみると、「逃れる」という意味はあっても、「難」とか「問題」という意味はないようです。「難民」に代わる何かいい日本語をつくれないものでしょうか。「緊急に助けを必要としている人」「安心できる場所を求めている人」のようなニュアンスを盛り込むことができたら、少しは受けとめ方も変わるような気がするのですが。

 でも、難民認定を受けることによって、日本で「定住者」という在留資格を得て、安心して暮らせるようになる人たちもいます。まさに難民という「カテゴリー」があることによって命が助かるわけです。

「難民」以外にも、自分があるカテゴリーに属することによって、落ち着く、安心する、と感じる人もいると思います。ある人にとってはネガティブなイメージをもつカテゴリーが、別の人にとっては、自分の存在を確かなものにしてくれる拠りどころのようなものになることがある。カテゴリーって、ややこしいですね。

 カテゴリーって、なんだろう? 世の中にあるいろんなカテゴリーと、ぼくらはどうつきあえばいいのでしょうか。

 サヘルさんが最近、気になっている「カテゴリー」はなんですか?

 先日、サヘルさんの『言葉の花束』(講談社)という新しい本を買いました。目次を見て、もしかしたら、この本のなかにも、いろんな「カテゴリー」や「枠」にとらわれるつらさと、そこから自由になるためのヒントが書かれているんじゃないかなと想像しています。読んだらまた感想を書いて送ります。

 だんだん暖かくなってきました。たくさんの花が咲く季節、サヘルさんも元気でお過ごしください。

【サヘルさんとの往復書簡記事一覧】

 

木下理仁(きのした・よしひと)
ファシリテーター/コーディネーター。かながわ開発教育センター(K-DEC)理事・事務局長、東海大学国際学部国際学科非常勤講師。1980年代の終わりに青年海外協力隊の活動でスリランカへ。帰国後、かながわ国際交流財団で16年間、国際交流のイベントや講座の企画・運営を担当。その後、東京外国語大学・国際理解教育専門員、逗子市の市民協働コーディネーターなどを経て、現職。神奈川県を中心に、学校、市民講座、教員研修、自治体職員研修などで「多文化共生」「国際協力」「まちづくり」をテーマにワークショップを行っている。1961年生まれ。趣味は落語。著書に『国籍の?(ハテナ)がわかる本』(太郎次郎社エディタス)など。