[往復書簡]国籍のゆらぎ、たしかなわたし【第三期】|第3回|気づいた人が伝えることから(木下理仁)|サヘル・ローズ+木下理仁

[往復書簡]国籍のゆらぎ、たしかなわたし【第三期】 サヘル・ローズ+木下理仁 じぶんの国籍とどうつきあっていけばいいだろう。 「わたし」と「国籍」の関係のあり方を対話のなかから考える。

自分の国籍とどうつきあっていけばいいだろう。 「わたし」と「国籍」の関係のあり方を対話のなかから考える。

初回から読む

【第一期×安田菜津紀】初回から読む

【第二期×サンドラ・へフェリン】初回から読む

 

[往復書簡/第三期]第3回
気づいた人が伝えることから
木下理仁


さっちゃんへ

 こんにちは。木下です。お手紙ありがとう。

 あなたはすごいなあ。ぼくのような、ほとんど面識のない相手にも、ありのままの自分を見せて、すっと距離を詰めることができるんですね。自分の気持ちをそのまま文字であらわそうとしている、まるで詩のような文章を読んで、本当にピュアな人なんだなあと思いました。

 さっちゃん。

 そういえば、あなたも出演した映画『マイスモールランド』の主人公、高校3年生の女の子のニックネームも、「さっちゃん」でしたね。

 映画のさっちゃんは、幼いころ日本に来た難民申請中のクルド人。だけど、学校の友だちといるときやバイト先では「ドイツ人」ということにしている。バドミントンの部活をやめてコンビニでアルバイトをしていることは、父親には内緒にしている。本当のことを言うと、相手を戸惑わせたり、心配させたり、話がこじれて面倒なことになったりするとわかっているから。もしかしたら、相手の態度が急に変わって悲しい思いをすることになるかもしれない。それが怖いという気持ちもあるかもしれない。

 そんな姿を見ながら、さっちゃんが(あなたのことです。ややこしいな<笑>)子どものころ、養母のフローラさんの前では、仲のよい友だちがいて、学校の成績も優秀で、とても明るい学校生活を送っているかのように演じていたという話を思い出し、そのまんま重なって見えて、胸が苦しくなりました。まさに、同じ「さっちゃん」なんですね。じつは日本には、そういう「さっちゃん」がたくさんいるのかもしれません。

 いろんなマイナスが考えられるから、だったら黙っていたほうがいい。そう思ってしまうのは、無理のないことだと思います。ひとつひとつ、どの「嘘」にも頷ける理由があって、他人が無理やり「嘘をつくな」「本当のことを言え」と迫ることはできない。それを強いるのは、とても酷だと思います。

 ちなみに、この「嘘」という字、よくできてると思いませんか。口から出る「虚ろ」なことば。わかっていながら、そんな虚ろなことばを口にするときの心の「虚し」さ。

「外に向けては器用なのに、自分自身に向けては不器用」って、繊細で優しい人ほどそうかもしれない。せつないですね。

 人が「自分らしく生きる」ためには何が必要か。

「ねばならない」より「〇〇したい」を大事にすること、と言いたいところですが、それが簡単ではない人もいますよね。自分の気の持ちようだけではどうにもならない事情を抱えている人に向かって、「気にするな」「大丈夫」「がんばれ」と言うのは、とても無責任で乱暴なことかもしれない。何かを隠して、つらい思いを抱えながら「本当の自分ではない自分」を演じている人が、自分の力でその「壁」を突き崩すのは、ものすごくエネルギーのいる、たいへんなことだと思うから。

 だとしたら、人が自分らしく生きるために必要なことは?

 そういう人がいる、と気づいた人、知った人が、「こういう人もいるんだよ」と、まわりに伝えていくしかないんじゃないかと、ぼくは思います。さっちゃんや川和田恵真監督をはじめとする関係者のみなさんが『マイスモールランド』という映画をつくり、多くの人に見てもらおうとがんばっているように。

 がんばらなくてはいけないのは、本人よりも、その問題に気づいたまわりの人たち。そして、当事者が安心して、ありのままの「自分」でいられるような関係性や環境ができたときにはじめて、「大丈夫だよ」「いっしょに行こう」と言えるんじゃないかと思います。

 ところで、「ロシアとウクライナの状況を見ていて、自分達を見てるようだ。ただ大きく違うのは、私たちの事は、世界は同じように関心を持ってもらえなかった」という、さっちゃんのお友だちのことば、すごく胸が痛いです。

 じつは、日本政府がウクライナからの「避難民」の受け入れを決めて就労も可能なビザを発給し、その人たちが暮らす地域の自治体がアパートを提供したり、生活費を援助したり、日本語教室に招いたりしているというニュースを、ぼくは、どこか冷めた目で見ていました。日本で難民申請をしても認められず、5年も10年も待たされている人たちが大勢いるのに、どうしてウクライナの人だけ?という大きな疑問を感じていたからです。もちろん、ウクライナの人たちは助けるべきです。でも、それができるなら、ほかの国から来た難民も受け入れるべきじゃないの? シリア、アフガニスタン、ミャンマー、クルド、アフリカの国々など。そういう国から助けを求めてやってきた人には冷たいのに、どうしてウクライナの人にだけそんなに親切にできるの? その違いは、なに?

 ウクライナの惨状があまりにもひどいから? たしかに目を覆いたくなるほどひどい。でも、日本であまり報じられていないだけで、ほかの国にも悲惨な状況はあると思います。先進国から来た人は受け入れるけど貧しい途上国の人は受け入れたくない? イスラム教徒に対して抵抗感がある? まさか、白人かそうでないかの違い?

 いろいろ考えているうちに、これはひとつには、「戦争」と「内戦」の違いなんじゃないか、ということに気がつきました。

 ウクライナから逃げてくる人たちは、ロシアが始めた「戦争」の被害者。第二次大戦中、B29による空襲で家を焼かれて逃げまどった日本人の姿と重なって見えるので、「助けたい」と思う。でも、ほかの国の「難民」は、多くの場合、自国の「内戦」や「紛争」が原因。ということは、自分たちの責任じゃないか、という意識がどこかで働いているんじゃないだろうか。

 何もわるいことをしていない人間が自国の政府から迫害を受けるなんて、考えられない。仮にそうだとしても、それは、そういう政府を選んだ自分たちがわるいんじゃないか。また、内戦が起きるのも、そもそも、国民がしっかりしていないからじゃないか。どこかにそんな意識が潜んでいるような気がするのです。

 善良な市民が逮捕されたり拷問を受けたりする。自国の政府から迫害を受ける、というのが、日本人にはピンとこないのかもしれません。

 仮に、ウクライナで起きたのが「内戦」で、そこから逃げてきた人がいたとしたら……。もしかしたら、今回のように受け入れようとはしなかったかもしれません。

 何もわるいことをしていないのに政府から迫害を受けるはずがない、と思えるのは、幸せなことかもしれませんが、世界にはそうではない国がたくさんあるということを、日本人はもっと知る必要があると思います。ウクライナの「避難民」の受け入れを機に日本でも「難民」への理解が進んだかというと、まだそうは言えない。まだまだ知らないといけないこと、考えないといけないことがあると思います。

『マイスモールランド』は、そういうことを考えるきっかけとして、とても良い映画だと思います。たくさんの人が見てくれるといいですね。ぼくもいま、ぼくの周りにいる人たちに「見てみて」と伝えているところです。

 

木下理仁(きのした・よしひと)
ファシリテーター/コーディネーター。かながわ開発教育センター(K-DEC)理事・事務局長、東海大学国際学部国際学科非常勤講師。1980年代の終わりに青年海外協力隊の活動でスリランカへ。帰国後、かながわ国際交流財団で16年間、国際交流のイベントや講座の企画・運営を担当。その後、東京外国語大学・国際理解教育専門員、逗子市の市民協働コーディネーターなどを経て、現職。神奈川県を中心に、学校、市民講座、教員研修、自治体職員研修などで「多文化共生」「国際協力」「まちづくり」をテーマにワークショップを行っている。1961年生まれ。趣味は落語。著書に『国籍の?(ハテナ)がわかる本』(太郎次郎社エディタス)など。