[往復書簡]国籍のゆらぎ、たしかなわたし【第五期】|第2回|国籍っていったいなんなのでしょうか(長谷川留理華)|長谷川留理華+木下理仁

[往復書簡]国籍のゆらぎ、たしかなわたし【第五期】 長谷川留理華+木下理仁 じぶんの国籍とどうつきあっていけばいいだろう。 「わたし」と「国籍」の関係のあり方を対話のなかから考える。

自分の国籍とどうつきあっていけばいいだろう。 「わたし」と「国籍」の関係のあり方を対話のなかから考える。

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[往復書簡/第五期]第2回
国籍っていったいなんなのでしょうか
長谷川留理華


木下理仁 様

 はじめまして。長谷川留理華と申します。このたびは、お手紙を書くというすてきな機会をくださり、心から感謝しております。

 木下さんの書かれた『国籍の?(ハテナ)がわかる本』『難民の?(ハテナ)がわかる本』両方読ませていただきました。ふだん忙しく本を読むのが億劫になってた私でさえもスイスイ読め、つぎのページが気になり早く読み終えてしまいました。

 お手紙でも、おっしゃっられていたとおり、両方の本のテーマが私に関わる内容で、久しぶりに本の読む楽しさがよみがえりました。

 私は、ミャンマー西部のラカイン州に生まれ、3歳まで暮らしていました。

 ミャンマーで1988年に全国的に暴動が起き、その「88運動」に参加した先生方がつぎつぎ逮捕されました。私の父は学校で先生を務めていたロヒンギャ民族でした。それゆえ、指名手配になりました。そのため、海外へ逃亡しました。

 その後、母と子どもだけ残された村で軍の圧力や迫害に耐えられず、首都へ移住しました。

 まだ幼い私にはなぜ家に父がいないのか? なぜ軍の人が家に頻繁にきて家を散らかしていくのか? なぜ暮らす場所が変わったのか? わからない事ばかりでした。

 首都のヤンゴンに引っ越しても身をひそめるように親戚の家を転々として暮らしていました。

 母はイスラム教徒に義務づけられているヒジャブもつけず、ロヒンギャと悟られないようにできるだけカモフラージュして暮らしていました。

 家族が離ればなれでも、父の夢は子どもたちにほかの子と変わらない教育をうけさせることでした。その夢をかなえるために、母は私たち兄弟を入学させるのに多額の賄賂を払い手続きをしました。

 やっとの思いで入学させても、学校の先生からは日々「カラー」と呼ばれ、友達ができては離れて行く毎日でした(「カラー」とはインドからの違法住民を侮辱するときに使う言葉です)。

 子どもというのは、とても純粋です。見た目や肌色ではなく仲良くしてくれていました。

 どうして私だけ? 私の何がダメなのか? なぜいつも私だけ? 国籍が何かもわからない。この国に先祖代々生まれ生きて、父も母もこの地に生まれ、私もこの地に生まれ、この地でずっと生活していて。私はこの国の人。ミャンマーの人。ミャンマー人。

 それが当たりまえだと思ってました。

 12歳の時に国民カードの申請をしにいくと入口で「あなたは申請できない」と言われました。みんな申請できてるのに、なぜ私だけ? 理由も意味もわからないまま家に帰り、母に話すと、母は「私たちはロヒンギャだから、国民カードは発行してくれないし、国民としても認めてくれないんだよ」と重い口を開いて説明してくれました。はじめて、国籍とは何か? を考えました。

 この国の人ではない。でもこの国に12年間暮らしていて、この国の言葉しかわからないし。これから先もこの国に死ぬまで暮らすかもしれないのに。国民ではない? ここの国籍ではない? なぜ? どうすれば国籍がもらえるのか? 12歳の私にはわかるわけもなく。

 この話は、もちろん父の耳にも伝わり、「国民カードがもらえなかったら将来が暗い。こんな国でどうやって生活をしていくのか?」と言っていたのはよく覚えています。

 当時、父は日本で定住者の在留資格を得たばかりで、家族を日本に呼び寄せることができることから、私たちを日本に呼び寄せることを決めたそうです。

 木下さんからの手紙で、《日本人が経験しそうな状況に例えることができるでしょうか?》と質問がありましたが、どうでしょう? 日本は自由で、東京だともっと自由で、だれがどんなファッションをしていても、人目を気にすることなく生活している私なので、たとえが難しいです。

 私は、外出時は露出無く、ヒジャブを身につけています。ヒジャブをしているから一目では抵抗があるかもしれない。そこは、やはり「知る」ことからはじまるのではないでしょうか?

 改めて、国籍とはなんですか? 私、長谷川留理華の国籍とはなんでしょう? ミャンマー西部のラカイン州に生まれ、首都のヤンゴンに移住し、ずっと自分はミャンマー国籍だと思っていた矢先にミャンマーの国民ではないと言われ。それをきっかけに父のいる日本に移住し、10数年無国籍者として生き、無国籍ゆえにやりたいことやなりたいことを諦め、現在はロヒンギャ民族の現状をみなさんに伝える活動をする日本国籍の女性として生きています。

 

長谷川留理華(はせがわ・るりか)
ミャンマー北西のラカイン州(アラカン)に生まれる。1992年、首都ヤンゴンに家族とともに移る。身の安全のためロヒンギャ民族であることを公にせずに生活。2001年、たび重なる迫害や差別に限界を感じ家族とともに来日。2013年、日本人となる。現在は、在日ビルマ・ロヒンギャ協会、無国籍ネットワークの運営委員。ロヒンギャ語の翻訳等の業務を行うかたわら、早稲田大学、立教大学、上智大学、獨協大学等で講演。NHK ETV、YOUTUBEの報道チャンネル等の番組に出演して自分の体験した社会問題を広く伝える活動を行っている。