[往復書簡]国籍のゆらぎ、たしかなわたし【第五期】|第5回|「ディテール」を伝えることの意味(木下理仁)|長谷川留理華+木下理仁

[往復書簡]国籍のゆらぎ、たしかなわたし【第五期】 長谷川留理華+木下理仁 じぶんの国籍とどうつきあっていけばいいだろう。 「わたし」と「国籍」の関係のあり方を対話のなかから考える。

自分の国籍とどうつきあっていけばいいだろう。 「わたし」と「国籍」の関係のあり方を対話のなかから考える。

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[往復書簡/第五期]第5回
「ディテール」を伝えることの意味
木下理仁


長谷川留理華さんへ

 こんにちは。二度目のお便りを受け取りました。ぼくの面倒な質問に、とても丁寧に、具体的に答えてくださって、ありがとうございます。

「マイナンバーカードは外国人、日本人差別なく発行されるのでとてもいい」「かんたんに自分を証明できる」という意見は初めて聞きました。これまで、マイナンバーカードのことをそういうふうにとらえたことがなかったので、正直、新鮮でした。ぼくはとにかく「なんだかうさんくさい」「どうしてそんなものがいるのだろう?」「国に管理されるのはごめんだ」とばかり思っていたので。

 そして、いちばん印象的だったのが、この部分です。

道ばたで警官に身分証明を求められた場合、国民カードの提示は義務づけられています。常時携帯してないと、いくら罰金とかは決まっておりません。決まりの規則がないからこそ怖いものだと感じております。そのとき、そのときで対応が異なるため、気持ちのなかにひそむ恐怖も異なります。

 これは怖いですね。本当にいやですね。たまたま捕まった警官のそのときの気分しだいで、どうにでも好きなように扱われてしまう可能性があるということですよね。

 日本の法律では、「~した者は、二年の懲役又は三十万円の罰金に処する」のように、刑罰を設けるときにはかならず「上限」が決められていますが、それがないということは、どんなにひどい扱いを受けても「それはおかしい」と抗議するための根拠がないということですよね。

 もしかしたら、それこそが、弱い立場にある人が感じる「恐怖」の本質かもしれません。「いつ、何をされるかわからない」「自分がどうなるかわからない」という恐怖。

「最悪でも、国家権力によってこれ以上の不利益を被ることはない」「いざとなれば、法律が自分を守ってくれる」と思えるのが法治国家で、そうでなければ無法地帯と同じことになってしまいます。

 弱い立場にある人を守る法律、というのを考えたときに思い出したのが、もうずいぶんまえの話ですが、オーストラリアの多文化主義政策を学ぶツアーに行ったときのことです。現地でわれわれを迎えてくれた大学の先生から、オーストラリアでは「差別禁止法」が重要な役割をはたしているという話を聞きました。

 たとえば、ニューサウスウェールズ州では、1977年に差別禁止法ができ、人種、年齢、性別、身体的障害、同性愛者であることなどを理由とした差別をすべて禁止。その法律の実効性を保障するために「差別防止局」(Anti-Discrimination Board)が設置されて、差別に関する苦情や相談を受け付け、問題を解決するための調査や調停をおこない、マイノリティに対して適切なサービスを提供するよう政府や企業に勧告をおこなったりしている。さらに、差別防止局による調停がうまくいかない場合には、同じく差別禁止法に基づいて設置された機会均等審判所(Equal Opportunity Tribunal)で裁判がおこなわれるという話でした。

 驚くことに、オーストラリアでこうした政策が進められたのは、もう50年近くもまえのことなのです。

 いっぽう、日本では、2016年になってようやく「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律」(ヘイトスピーチ解消法)ができましたが、その中身は「ヘイトスピーチのない社会をつくらなければならない」「そのために、国や地方自治体は、相談を受け付け、教育や啓発活動を行う」というだけで、そうした行為をおこなった者への罰則があるわけではないため、これがヘイトスピーチをはじめとする差別の解消にどれほど効果があるのか疑問だという意見も聞かれます。

 その後、2020年に神奈川県川崎市で全国で初めて刑事罰の規定を盛り込んだ「川崎市差別のない人権尊重のまちづくり条例」ができ、そうした動きは、いま、じょじょに広がりつつありますが、オーストラリアとくらべるとずいぶんと遅いなあと思います。

 ただ、そんなオーストラリアでも、人の心のなかまで法律で規制することはできないという、こんな話もありました。

 アジア系やアフリカ系の移民も、就職にさいして差別されず、仕事を得ることはできるかもしれないが、職場の同僚がその人たちに好意的に接するとはかぎらない。先住民族アボリジニの人たちも、どこでも好きな町で家を借りることができるけれど、近所の人たちはかれらに話しかけようとはしないかもしれない。真に公正な社会をつくるためには、「教育」と「共に暮らすこと」が不可欠だと。

 差別をなくすための法制度や仕組みづくりは必要だけれど、それだけではじゅうぶんではない。留理華さんは、大事なものは何だと思いますか。

 ぼくは今回、留理華さんのお手紙を読んで、「差別」とか「迫害」という大きくくくった言い方ではなく、たとえば、国民カードにどんな情報が載っていて、どんなときに、どのように使われるのかといった、具体的なディテール(細部)を伝えること、それを知ることが大事だと感じました。自分がじっさいに経験したことがないと、「政府による迫害」というだけでは、そこまでリアルにイメージすることは、なかなか難しいので。

 最近、ゲームやアトラクション、博物館などで、VR(仮想現実)やイマーシブ(没入型)と呼ばれる、あたかも自分がその場にいて、それを体験しているかのように見ることができるしかけが流行っていますが、社会問題を伝える場合にも、それに似たリアルな伝え方の工夫をするといいのかもしれません。

 ロヒンギャとして生まれ、ミャンマーから日本に逃れ、日本国籍を取り、日本で家族と共に生活するようになった留理華さんのなかには、多くの日本人がなかなか想像もできない、たくさんの「リアリティ」があると思います。大学で講演をしたり、テレビやネットの報道番組などの場で活動している留理華さんには、そのリアリティ、そのディテールを伝える大事な役目があると、ぼくは思います。これからもいろいろな場所で活躍されることを期待しています。

 だんだん寒くなってきましたが、からだに気をつけて元気でお過ごしください。

 

木下理仁(きのした・よしひと)
ファシリテーター/コーディネーター。かながわ開発教育センター(K-DEC)理事・事務局長、東海大学国際学部国際学科非常勤講師。1980年代の終わりに青年海外協力隊の活動でスリランカへ。帰国後、かながわ国際交流財団で16年間、国際交流のイベントや講座の企画・運営を担当。その後、東京外国語大学・国際理解教育専門員、逗子市の市民協働コーディネーターなどを経て、現職。神奈川県を中心に、学校、市民講座、教員研修、自治体職員研修などで「多文化共生」「国際協力」「まちづくり」をテーマにワークショップを行っている。1961年生まれ。趣味は落語。著書に『難民の?(ハテナ)がわかる本』『国籍の?(ハテナ)がわかる本』(ともに太郎次郎社エディタス)など。