本だけ売ってメシが食えるか|第6回|お金のかけどころ|小国貴司

本だけ売ってメシが食えるか 小国貴司 新刊書店員から独立して古書店「BOOKS青いカバ」を開店して5年。「本」という商品を売る仕事の持続可能性を考える。

新刊書店員から独立して古書店「BOOKS青いカバ」を開店して6年。「本」という商品を売る仕事の持続可能性を考える。

第6回
お金のかけどころ

人の習慣をつくる棚

 古本屋の均一台は、新刊書店でいうと「雑誌」と同じ扱いになると思っている。

 ご存知のとおり雑誌は基本的には毎日何かしらの新しい号が発売されるので、売り場が昨日と同じ、ということはない。また雑誌があるおかげで、週1回、月1回は本屋に行く、つまりその人の生活パターンに本屋の存在を組み込むことができる。町の新刊書店の雑誌棚同様、店外に出す均一台も、古本屋において変わる頻度が高い棚だ。

 店内は本の入荷に合わせて変わっていくので、必然的に高いもの=その本屋が安売りしたくないと思っている本が残りがちで、古本屋の真価はその本をどうやって売るかにかかっているともいえる。

 しかし、均一台はその真逆である。とにかく量が売れてくれないといけない。1冊1冊は100円でも、いちどに10冊買ってくれれば、1000円の売上になる。僕としては広くはない均一台で、どうやったら10冊買ってもらえるか、をいつも考えている。

 100円で売っている以上、原則原価は100円以下ということになる。100円なら売れると思った本の買取価格は、マックスでも80円くらいになるし、古本の買取は、仕入れたものがすべて現金化できるわけではないから、当然のことながら、ふつうの小売と同じようにロスの可能性もふくんだ価格になる。

 新刊と違うのは、新刊はどんなものであれ原価割れをおこす心配がないのに対して、古書はもちろん原価割れするものもある。新刊は万引きをのぞけば、返品すれば原価は担保されているからだ。古本は、そうはいかない。自分が1000円で売れると思ったものでも、100円ですら売れないこともあるし、「まぁ厳しいだろうな」というものが、やっぱり売れなかった、ということはよくある (残念ながら逆は少ない)。

 なので買取のときの査定金額というのは、「商品価値」と同時に、「これはうちの店ならぜったいに売れる」という自信も加味される。むしろ買取価格の古本屋ごとの違いというのは、この「自信」の差が大きいのではないだろうか。

 そして、ブックオフなどの新古書店は、この「自信」の強弱を排除し、徹底して相場にこだわったところに新しさがあったように思う。もしあなたのまわりに、あなたの価値観(何をおもしろいと思うか)が似ている本屋があったなら、それはブックオフより強い。しかし、そうでないならば、ブックオフほど適正な売場はないのかもしれない。おもしろくはないけど。

 あなたがうちのお店に買取品を持ってきたとして、もしいくばくかでも値段がついたのなら、僕がうちの店で少なくとも100円ならば売れるだろうと思ったということだ。逆に値段がつかないと言われた場合、それは100円でも売れないだろうと判断されたということだ。

 ただし勘違いしないでほしいのは、べつに本の価値を判断しているわけではなく、あくまでうちのお店で売れるか売れないか「商品価値」を判断しているにすぎない。なので「がっかりしないでほしい」というのは、たぶん古本屋共通の想いにちがいない。

 それてきたので、話を均一台にもどす。均一台は、新刊書店の雑誌売り場と同じように、古本屋にとってその人の行動パターンに影響を及ぼす可能性が高い売り場だ。開店と同時に、雑誌売り場で立ち読みをする人が多いように、毎日かならず決まった時間に均一台を冷やかすお客さんがいる。このとき「あー、この人の行動パターンに組み込まれているなぁ」と思うし、急にぱったり来なくなったりすると「あれ?」と心配になったりもする。

 まぁ、毎日毎日来ても1冊も買わないという人もいて、そういうときは「なんで来るんだよ!」という気分にはなる。ひょっとしたらこれは、新刊書店での毎日毎日数時間週刊誌を立ち読みして、表紙にめくり跡をつけて帰るだけの人にいだくイライラに近いだろうか。

 そのイライラもふくめて「均一台は雑誌売場と同じだ」といえるのかもしれない。

什器じゅうきの出す雰囲気は侮れない

 新刊書店では、店の一等地には、だいたい売れている本、新しい本、売りたい本、が並ぶ。それは平台のような大きな台のこともあるし、かつて働いていたリブロ池袋本店の顔は、アーチ型の面陳列が大量に並ぶ壁だった。

 そのような場所をつくるときには「見渡せば現在の出版が一通り概観できる」を目標にしていた。つまりいま売れている本があり、これから売れるであろう本があり、このキーワードが現在のトレンドなのか、ということがわかる棚であること。大きな書店では、まずはそれが求められる。

 では、自分のお店、10坪程度のお店にとって、その役割はなんなのか?

 もちろん、そんな小さなお店で「出版のいま」を表現するなんて不可能である。できることは、できたとしても自分が思う「出版のいま」でしかない。つまりそれは「売りたい本」とかぎりなく近くなる。

「え? それって、どんな本屋でも同じじゃないの?」と思う人もいるかもしれないが、この商売、そんなにかんたんなものではない。大きな本屋であればあるほど、担当者の意思よりも出版社からの情報や世の中の流れを知らなければ売上はつくれない。古い業界でもあるので、そこにさまざまな思惑が絡むときもある。それらをバランスしながら、棚に自分の「思い」を込めていくこと。それが一流の本屋だ。

 いっぽうで小さなお店では、否応もなく「店主が売りたいもの」にあふれた棚になる。それはある意味「本好き」以外のお客さんを捨てることでもある。本に興味がない人には、古本屋なんて入店のハードルが高いに決まっている。そんなお店でつくる一等地はどんなものが考えられるのか。

 自分が見つけたその機能は単純だった。「お金がかかってそう!」な棚である。前回、「唯一お金を注ぎ込もうと思っていた」と書いた絵本を入れる木の什器のことだ。

 ぜったいに店の中に1か所、お金がかかってそうな場所は必要だった。「お金がかかってそう」というのは大事なことで、それはほかの部分の「ふつう」を帳消しにしてくれる。

 うちの店は、よくよく見ると、棚は中古だし、本は山積みだし、いってみれば「荒れている」。でも、店の一等地にある什器は、木製で手づくりの立派なものだ。この什器の出す雰囲気は大事で「きれいな本ばかりですね」とよく言われる。(もちろん並べる本はクリーニングをしているが、特段きれいな本ばかりを置いているわけではない)

 木製の什器の上に並ぶ本は、なんとなく大事な本、読んでおいたほうがよいと思わせるし、その棚の前に立つ人のテンションをほんの少しだけ上げる効果がある。そのような場所には、やはりそれなりのお金をかけなくてはならないのだ。

 店の内装費の半分は、この棚にかけようと思い、いろいろな什器を考えた。できればコマ割りになっていて、そのスペースをこまめに変えることができる場所、をつくりたいと思った。

 最終的に選んだ本棚を、内装を手がけてくれた方に伝えると「これならおれつくれるよ」と言われ、結果的には希望をいろいろ話してつくってもらった。コマ割りの棚でできれば本の判型に合わせて棚板を変えられるスペースがほしい、大きな平台がほしい、足下には大判の本を置きたい、絵本を置く棚は面陳ができる什器を入れたい、などなど。このような人に出会える幸運は、コントロールできるものではないが、それでもある種のラッキーは開業時の必要なことではある。

 では、開業からもうすぐ7年のいま、この場所はじゅうぶんに用途をはたしているのか? それはまた次回、ということで。

 

小国貴司(おくに・たかし)
1980年生まれ。リブロ店長、本店アシスタント・マネージャーを経て、独立。2017年1月、駒込にて古書とセレクトされた新刊を取り扱う書店「BOOKS青いカバ」を開店。

BOOKS青いカバ