本だけ売ってメシが食えるか|第2回|あの奇跡のような本屋|小国貴司

本だけ売ってメシが食えるか 小国貴司 新刊書店員から独立して古書店「BOOKS青いカバ」を開店して5年。「本」という商品を売る仕事の持続可能性を考える。

新刊書店員から独立して古書店「BOOKS青いカバ」を開店して6年。「本」という商品を売る仕事の持続可能性を考える。

第2回
あの奇跡のような本屋

迷いを悟らせてはならない

 BOOKS青いカバを開く前に、古本屋で修業をしていたのか? という質問をたまにされる。答えとしては、イエスでもありノーでもある。いわゆる神保町の老舗古書店での修業経験はない。しかし、学生時代に「新古書店」でアルバイトをしていたことはある。

「新古書店」というのは、ブックオフに代表されるような「新しいもの、きれいなものを高く買う」というスタイルの古本屋のことだ。本の価値を長い目で見極めて、それに値付けをしていくような古書店とはまったく違う価値観で商売をしているので、新古書店と呼ばれるようになった。

 出始めのころは、古書店からは白い目で見られていたようだ。今でも嫌いな人は多いだろう。なので、そこでアルバイトをしていた、というのは、ひょっとしたら古本屋を開くための王道からは、少し外れた経歴かもしれない。いや、正直にいうと、やっぱり老舗の古書店でがっつり修業していた方がたには、やっぱり言いづらい⋯⋯

 でも、自分としては、なにかのジャンルの専門書店を目指しているわけではなかったので、これはこれで良かったのかな、と思っている。古書店にとって、もっとも大事で、そして胆力と体力がいる仕事、買取は老舗でも新古書店でも経験できるからだ(ちなみに新刊書と古書を併売するお店を「新古書店」と言う人も多いが、それとは違う)。

 新刊書店と古本屋の境目は、だんだんと無くっているとはいえ、お客様から買取をしている、そしてその本を値付けして売る、という行為は、普通の新刊書店で働いている人たちからすると、かなり「怖い」ことであるようだ。定価販売と正味はあらかじめ決まっているという新刊書の世界において、自分で仕入れ値と売り値を決める、しかも目の前のお客さんに買取価格を伝えるなんて、あり得ない。もし「安い」とか言われたら、怒鳴られたらどうしよう⋯⋯という気持ちは、わからなくはない。

 なので、古本屋を開くからには、どこか古本屋で修業をしなくてはならない、と思ってしまうのもうなずける。かくいう自分も、もし学生時代に「新古書店」でアルバイトをしていなければ、不安で仕方がなかっただろう。

 僕がアルバイトしていたのは「ブックアイランド」という今は無き新古書店チェーンのひとつだった。ブックアイランドは、チェーン店とはいえ、フランチャイズのお店が多く、ある程度のマニュアルはあるものの、オーナーによる裁量が大きく、ブックオフのようなアルバイトでも誰でも、どのお店でも買取価格はひとつ、というスタイルとは違い、査定する店や人によって「ムラ」が出てくる買取のスタイルだった。良く言えば自由で幅のある買取ができ、悪く言えばいいかげんな買取だったとも言える。

 買取の時に一番大事なことは「迷わない」だと思っている。いや「迷いを悟らせない」と言いかえることもできる。

 古書店で働いていると、体感的には 新刊書店で働いているときの、10倍くらいの本を目にすることができる。よくもまぁこれだけの本が出版されたものだと思う。もちろんその本の1冊1冊の相場が頭に入っているわけがない(自分の場合は)。なので、必然的に「よく見る本か否か」が最初のふるいになる。そこでざっくりと本を仕分けるのだ。

 もちろんよく見る本は、いつでも買える本なので、査定は低くなる。とはいうものの、よく見る本はその後「よく売れる本」か否かに分類されるわけで、このフィルターが何重にもかかって、査定を進めていく。

 なので、査定結果には、迷いがまったくない、といえば嘘になる。が、それを悟らせてはいけないのだ。これは、新古書店でのアルバイトの時の手痛い失敗から学んだことの一つだ。

 あるお客さんがいくつかのゲームを売りに来た(新古書店なので、最新のゲームの買取もしていた)。本なら当時から興味があるので、ある程度の予測はつくものの、ゲームはあまりわからない。しかも、運の悪いことに、それを売るに来たのは、見るからにその筋の人と思われる強面の男性。まだ20歳そこそこで、社会経験もない好青年には、最悪のシチュエーション。案の定、こちらの査定額を伝える声の自信のなさが、相手にバレて、金額を伝えると一言。

「もっと高いよなぁ?」

もう逃げ帰りたいと思った。が、店には自分ひとり。300円(!)だけ上乗せすると、また一言。

「それだけか?」

 好青年VSヤクザ、だ。

 さすがにヤバいと思った好青年は、極めてにこやかに「これ以上は僕には無理なんです。オーナーが帰ってきたら相談します!」と言い切ると、ヤクザはあっけなく帰っていった。

 今思えば、ヤクザは、たぶん300円じゃ納得しないし、そもそもそんなことではすごまない。なので、どうってことのないシチュエーションなのだが、当時の小国好青年にとっては、敗北感が大きな買取だった。

 なぜあそこですごまれたのか、何度も考えて得た結論は「自信のなさを見抜かせない」か「出来るだけ多くの相場を身に付ける」というふたつだった。将来古本屋をやるには、この二つの「技術」を高めていかなくては、と思ったのだ。

 世の中の古本屋さんが、どんなにニコニコしていても腹の底では何を考えているのかわからない、ある種のすごみを感じさせるのも、このふたつの技術を日々磨いている結果なのかもしれない。それは、どんなシチュエーションのどんな相手にでも、スッと対応できる、古物商特有の身のこなし、ともいえる。

多様な人の居場所だった「ブックアイランド」

 当時アルバイトをしていた「ブックアイランド」では、売れ筋のコミックの高価買取をしていた。それだけではなく、先にふれたゲームやCDも高価買取の表を店内に張り出し、人気商品を買いそろえていた。

 当時の人気コミックは『ワンピース』と『ナルト』。どれも200円以上で買い取っていた記憶がある。それらの買取は2週間に1回くらい更新される「高価買取表」に基づいて作業をすればよかったので、それを見落としさえしなければ、今日入った新人でもできるようになっていた。

 よく最新のコミックを売りに来るOさんという人がいた。年のころは50代くらいだろうか、いつも野球帽を被っていて、自転車の荷台にコミックの入った段ボールを乗せ、最新のコミックとなぜかいつも全巻そろいのピカピカの名作コミックを売りにくる。しゃべると訛りが少しあって語尾が必ず「~だぞい。」と言っていた(ちなみにOさん以外でそんなになまっている人に近所では会ったことがない)。

 ふだんは何をしている人なのか、店のスタッフは誰も知らない。「家が地主の富豪らしい」とか「いや、あれはどこかで万引きしたものを持ってきて、それを売って生活しているんだ」とか、どれもそれらしい噂はあったが、当然Oさんに向かって「ふだん何をしてるんですか?」と聞いた者はなく、オーナーでさえよくわからない雰囲気だった。

 本を買っていくことはなく、売りにくるだけ。しかも、週に何度かくることもあった。生活のために盗品を売りに来るにしては、持って来ている漫画を読んでいるような口ぶりの時もあるし、新刊では揃わないような漫画のセットものを持ってくることも多かった。かといって、どれもがどれもピカピカで、なおかつ、漫画が好きそうなのに、店では一切買わないというのは、なんとなく怪しい。けっきょく、僕も、Oさんが悪いことをしている人なのか、それとも本当に富豪なのか、よくわからないままだった。

 ふだんはその訛りのせいもあってか、純朴そうなイメージを与えるOさんだが、買取の査定のときは眼光が鋭くなる。なぜかこちらの買取価格を熟知していて、査定が終わって、何がいくらかを説明している最中に、なにかこちらにミスがあると「これは○○円のはずだぞい」とダメ出しがはいる。新人のころは、どうしても細かい買取表を見落としてしまうこともあり、中には「Oさんの買取はしたくない」という人もいた。

 こちらよりも買取価格を熟知しているのだから、たしかに面倒な相手ではある訳だが、でも、やはりバイトとはいえ「プロ」としては、高価買取表を見落とすこちらが100パーセント悪い。逆に言うと、もしこちらが何かミスをしたら、それを必ず指摘してくれるわけだから、これほどありがたい買取はない、と僕は思っていた。

 Oさんは買取査定が終わった後、ミスをしないようになってしばらくたったスタッフには、表にある自販機から缶コーヒーを買ってくれたりする。それはなんだか一人前と認めてもらえたような気がしてうれしいものでもあった。

 Oさんの場合は、「盗品かもしれない」コミックを売りに来ていたわけだが(ちなみに自分は盗品ではないと思っていたし、今でもそう思っている)、明らかに盗品を売りに来る悪いやつもいた。それは地元の悪ガキどもだった。

 人気コミックもゲームも高く買ううちの店に、ある日なぜかメダルゲーム機が設置された。ただでさえ、コミックが立ち読みできるようなお店で、小中学生がたむろしやすい場所なのに、そんなゲーム機があったら、夜遅くまで悪ガキのたまり場になるに決まっている。オーナー自身が、なぜかそういう悪ガキどもに愛着があるようで、積極的にその子たちの「居場所」を作っているようでもあった。いまでいう「サードプレイス」としての本屋、というやつだ。僕もそういう子たちは嫌いではないほうだったので、レジのなかで作業をしながら、そいつらの他愛もない話を聞くのは好きだった。

 ただ、盗品となれば話は別だ。未成年の買取に必須の保護者の承諾証を偽造してくる奴は、抜き打ちで電話をかけたり、つき返したりもした。ある時は、店内のメダルゲームをやってるときに、そのグループのひとりが「○○(新刊書店の名前)でコミック盗ってくる。」と言っていたのを聞き、「お前からは、本の買取をしない。」と宣言したこともある。

 しかし、難しいのは、突き放すのは簡単だが、ほんとうにそこから追い出すようなことをしないことだった。追い出されてしまったら、きっとグループのなかでの居場所、それはどんなものであれ個人が「努力」をして手に入れたもののはずで、それすらも失うことになる。「学校」という狭い社会で生きていかなければならない彼らにとって、それはいちばん重要なもののひとつだろう。

 その「悪ガキ」グループの中でも、中学生にしては目立って背が高く、リーダーのような存在の男の子がいた。仲間と仲良く話していても、どことなく距離をとっている(とられている?)ような感じがして、少し孤独そうだった。

 どんな小さな子の集団でも、与えられた役割は、なんとなくその子の雰囲気をかたちづくるもので、ひょうきんなやつは、店で働いているスタッフ(ここでいえば僕)に緊張はしつつも積極的に話しかけてきたりするが、リーダーはすでに大人びた雰囲気を醸し出していた。そのリーダーからは何度か買取もしたことがあり、そのときは必ずひとりで売りにきた。ちゃんと保護者の同意書も持ってきて、そのあたりの筋を通すのもリーダーらしかった。

 ある日、珍しくそのリーダーが閉店の23時までひとりでいることがあり、いっしょに帰ったことがあった。帰り道で、自分の大学のことを聞くので、いろいろ話しているうちに、兄弟の話になった。その子には、お兄ちゃんがいるらしく、東大に通っているらしい。勉強ができる兄と比較され、その子自身は、勉強ができない訳でもないのに、親に反抗してしまう。そうこうしているうちに、親も(父親もどうも相当優秀な人のよう)その子を案じて知り合いのお寺に預けてしまう。

「じゃあ今はお寺にいるの?」

「そう。」

「まじか。お寺の暮らしってどうなの? やっぱ雑巾がけとかするの?」

「まぁ、たまにするけど、別に修行しているわけでもないし。けっこう自由。」

 みたいな話をしながら、「悪さをした子をお寺に預けるって、やっぱエリートはちがうなー。」と内心感心していた。

 本人も、親や兄が嫌いなわけでも自分が勉強が苦手なわけでもないのは良くわかっていて、何かのアドバイスを求めているのでもない。ただただ、話を聞いて欲しかっただけなんだろうと思う。自分のまわりにいる「悪ガキ」のことも冷静に見ていて、彼らが大人たちに利用されて、そのまま社会の裏側の仕事をしなくてはならないことにならないよう、危うい一線を越えないように考えているようだった。

 その後も、何度かいっしょに帰ったり、ご飯を食べに行ったりもした。でも、それも僕がお店を辞めてからは、当然のことだが、会うこともなくなった。

 Oさんのような少し「変な」お客さんや、「悪ガキ」たちのような集団は、ふつうの本屋で居場所を作ることはない。彼らが主流の客筋になったとき、店の雰囲気は万人に入りやすい店ではなくなってしまうからだ。もし主流になってしまったら、最悪の場合は、近づいてはいけない店になるかもしれない。

 僕が働いていた「ブックアイランド」は、僕が辞めた数年後に店を閉じてしまうのだが、その遠因のひとつには、おそらく彼らの存在もあったであろうことは、いま自分で商売をやっていてよくわかる。お客さんが店を選ぶように、店もまたお客さんを選ばざるを得ないからだ。

 いま彼らのような存在は、どんな本屋に行っているのだろう。ときどき、そんなことを考える。あのどんな人でも、純文学を探しにでも、メダルゲームをやりにでも、何かしらを目当てに来ることができた、あの奇跡のような本屋をやる余裕がいまの自分にない以上、僕にはただ本を売ることしかできないな、と思っている。

 

小国貴司(おくに・たかし)
1980年生まれ。リブロ店長、本店アシスタント・マネージャーを経て、独立。2017年1月、駒込にて古書とセレクトされた新刊を取り扱う書店「BOOKS青いカバ」を開店。

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