他人と生きるための社会学キーワード|第3回(第3期)|スピリチュアリティ──宗教の個人化と失われたもの|平野直子

リレー連載 他人と生きるための社会学キーワード 毎号、ひとつのキーワードから「問題を考えつづける」ための視点を伝えます。社会学者から若い人へのメッセージ

毎回、ひとつのキーワードから「問題を考えつづける」ための視点を伝えます。社会学者から若い人へのメッセージ。

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スピリチュアリティ
宗教の個人化と失われたもの

平野直子

 21世紀の日本では「スピリチュアル」というカタカナ言葉がよく使われている。たとえば占いやパワースポット、見えない存在(「霊」など)を信じることなど、不思議なことや超常現象を含むことが「スピリチュアル」と呼ばれたりする。また、この世を超える事物(「生まれ変わり」や神仏の存在など)が出てきたり、心や精神、人生などについて語ったりするのを、「スピリチュアルだ」と表現する人もいるだろう。

 一方、タイトルの「スピリチュアリティ」という言葉は、おもに宗教や福祉の研究者によって、21世紀に入ったころから使われてきたものだ。「スピリチュアル」と似ているし、実際、上のような「スピリチュアル」な事物について論ずるときにも使われるのだが、研究者が「スピリチュアリティ」と言うときには独特の含みがある。「かつて宗教のなかにあったものが、バラバラになって、個人個人が自由にそれらを利用している」という状況への関心である。背景には、20世紀の後半から宗教のなかにあった考え方や言葉、シンボル、儀式や心身にはたらきかける技法(お遍路のような巡礼や、坐禅のような身体技法など)が、もとの宗教全体や信者の集団から切り離され、集団に属さない個人に利用されたり、体験されたりするようになっているという事実がある。

 かつて宗教の世界観や考え方は、信者の集団(地域コミュニティと重なるものもあれば、自発的に参加する団体もある)のなかで共有されるものだった。その世界観や考え方は、信じる人たちの生活全体をおおって、この世を超える存在と自分、あるいは自分の生活につながりを感じさせ、何を行なうか・行なわないかという行為の選択に影響を与えてきた。また、儀式や日常の「おつとめ」などは、ほかの信者たちとともに行なうことで、人を集団につなぎなおし、またその宗教の世界観や考え方のリアリティを強化してきた。

 しかし現在、特定の宗教に深くコミットすることなく、自分だけで聖書や経典、過去の宗教者の言葉を自分で読んだり、宗教的なルーツをもつ身体技法(ヨガなど)をやってみたりするのが普通になっている。文化庁が毎年発行する『宗教年鑑』では日本の宗教法人数は年々減少し(参照1)、社会調査では「信仰を持っている」とする人は伸び悩み、将来的には減少することが見込まれている(参照2)。その一方で、特定の宗教に深くコミットすることなく、「自己を超えた何かとのつながり」(伊藤雅之による「スピリチュアリティ」の定義。伊藤〔2021: 3〕より)を体験していく人が増えていると、現代宗教研究では論じられる。

 では現在、人びとはどのように「スピリチュアリティ」を体験しているのか。ここには「マーケット」、つまりサービスや商品の売り買いが大きな役割を果たしている。スピリチュアルな本やグッズを購入するにしろ、ヨガや瞑想などのセミナーを受講するにしろ、それは興味のある人が必要な分の「コンテンツ」を、対価を払って入手し、利用するというかたちになる。それらスピリチュアルなコンテンツが、目に見えない大きな力や霊、魂といったこの世を超えた存在に言及していたり、長く続く宗教的伝統にふれさせてくれることで、消費者は「自己を超えたものへのつながり」を感じることができる。またスピリチュアリティを論じる研究者は、利用するのは個人単位であっても、同じような実践を行なう人のあいだには、ゆるやかに共有される世界観や共通の経験、語彙があると指摘する。そこに注目すれば、従来の宗教とは違う、新しい「共同性」が生まれていると見ることもできる。

 こうした「宗教からスピリチュアリティへ」という変化について、現代日本社会ではたいていの人は、「集団にとらわれることなく、宗教の考え方や実践に自由にふれることができるようになったのは、よいことなのではないか」と思うのではないだろうか。宗教団体が起こす事件がニュースを騒がせ、社会問題となっている現状では、そのような感覚はとくに強いだろう。

 もともと社会科学では、近代化・産業化がすすむなかで宗教が影響力を弱めていくことは長く当然視されていたし(「世俗化」)、個々人が自分だけの「宗教」にかわる何かを、自分で選んでつくり上げるようになっているということも、1960年代にはすでに指摘されていた。また大きく見れば、地域コミュニティや職場、家族などあらゆる集団の拘束が弱くなり、個人化していく社会のなかでは、宗教がスピリチュアリティへとってかわられていくというのも必然的な流れととれる。なにより個人のレベルでいえば、マーケットからスピリチュアルなコンテンツを選んで利用できるのは、利便性と自由度が上がった好ましい状況だろう。

 しかし「社会」のレベルではどうだろうか。宗教が個人で体験されるスピリチュアリティにかわっていくなかで、失われるものの心配をまったくしなくてもいいのだろうか。

 このように問うと、たいてい「かつての宗教の集まりがつくっていた、生身の人どうしがともに過ごす機会や時間が失われる」とか、「(スピリチュアルなコンテンツの供給者と顧客のような)ビジネスライクなものではない、深い人間関係が失われる」といった答えが返ってくる。たしかに、宗教団体が従来、継続的で安定した社会関係をつくる場となってきたことは事実である。そこで宗教研究のなかでも、宗教の社会に対するはたらきとして、この社会関係を育んで社会にプラスの影響を与えるはたらき、つまりソーシャル・キャピタル(社会関係資本)の醸成ということがしばしば注目されてきた(参照3)。そうであれば、宗教が弱まっていくことのデメリットのひとつは、このような社会関係が育まれる場が(現代社会の他のさまざまな個人化の事例とおなじように)、社会からひとつ失われるということになる。

 ただそれだけのことならば、ほかに新しく「つながり」が生まれる場をつくれば解決できるのであって(現代ではそれが難しいにせよ)、その新しい「つながり」は宗教と関係のないものでもよさそうだ。しかし宗教が社会から失われるということのデメリットは、本当にそれだけで語りつくせるものだろうか。

 ここではもうひとつの可能性を指摘したい。社会関係資本論における重要著作『孤独なボウリング』を著したパットナムは、アメリカ社会において「信仰のコミュニティ」が、「社会関係資本の蓄積において、唯一最大の重要性を持」ってきたとひじょうに高く評価しているが、その理由は、たんにそれが「安定した人間の関わりを作るから」というだけではない。それが「道徳的価値を繰り返し説き、愛他主義を奨励」する集まりだからだ。

 言い換えると、宗教の集まりは、「人はどうあるべきか」「他者に対して何をすべきか」についての言説にもとづいているところに、他の集まりにはない大きな特徴がある。とくにキリスト教や仏教のような、地域を超える普遍性をもつ宗教の世界観においては、人間はそのへんの石ころなどとは異なる、神や仏によって特別につくられた、恵まれた存在であるとされる。この考え方のもとでは、だれであれ人が悲惨で苦しい目にあったまま放置されているようなことがあれば、それは世界のあり方として間違っているとみなされる。そして、自分がその解決にかかわるのは神や仏の御心にかなうことなので、積極的に行なっていこうと動機づけがなされる。宗教は歴史上、福祉や社会活動のような活動を行なってきたが、そこには宗教のこのような特質が反映されている(なおこのような考え方は、伝統宗教だけでなく新宗教のなかにもしばしばみられる)。

 パットナムは「信仰のコミュニティ」が、たんに参加する人が相互にメリットを得るだけのものではなく、人が他者へ、社会へとかかわっていくための窓口になっていると見なしている。それは上のように、宗教が他者に対して積極的にかかわっていく動機づけを与える集まりであることによる。

 今後、社会から宗教の存在が消えていくということは、「人はモノのように扱われてよいものではない、他者を苦しみのなかに放置してはいけない」と確信をもって人に説き、他者の支援を強く動機づける存在が見えなくなるということにならないだろうか。あるいはもう消えているのか。それに代わるものは、どこに見出しうるのか。スピリチュアリティによる「ゆるやかなつながり」は、こうした動機づけを与えるものになるだろうか。今後ますます「宗教なき世」となることが予想される日本社会で、こうしたことをあらためて考えておく必要はないのかということを、ここで問うておきたい。


■参考文献・ブックガイド──その先を知りたい人へ
参照1: 文化庁宗務課「宗教統計調査の主な結果」、2022年
参照2: 小林利行「日本人の宗教的意識や行動はどう変わったか」『放送研究と調査』2019年4月号、52-72頁
参照3: 櫻井義秀「ソーシャル・キャピタル論の射程と宗教」『宗教と社会貢献』1、 27-51頁、2011年
伊藤雅之『現代スピリチュアリティ文化論──ヨーガ、マインドフルネスからポジティブ心理学まで』明石書店、2021年
ロバート・D・パットナム『孤独なボウリング──米国コミュニティの崩壊と再生』柏書房、2000(2006)年

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平野直子(ひらの・なおこ)
早稲田大学非常勤講師。早稲田大学大学院文学研究科社会学専攻博士後期課程単位取得退学。専門分野:宗教社会学。
主要著作:
『宗教と社会のフロンティア』共著、勁草書房、2012年
『共生の社会学』共著、太郎次郎社エディタス、2016年
『つながりをリノベーションする時代』共著、弘文堂、2016年
『近現代日本の民間精神療法』共著、国書刊行会、2019年

 

 

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