他人と生きるための社会学キーワード|第9回|愛国コスプレ──「らしさ」を求める現代「保守」運動|平野直子

リレー連載 他人と生きるための社会学キーワード 毎号、ひとつのキーワードから「問題を考えつづける」ための視点を伝えます。社会学者から若い人へのメッセージ

毎回、ひとつのキーワードから「問題を考えつづける」ための視点を伝えます。社会学者から若い人へのメッセージ。

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愛国コスプレ
「らしさ」を求める現代「保守」運動

平野直子

 「コスプレ」といえば、マンガやアニメ、映画といった創作作品の登場人物に扮装して楽しむ趣味活動のことで、わが国に定着したサブカルチャーのひとつだ。では、「愛国コスプレ」とはどういうことだろうか。よく使われる言葉というわけではないので、とまどう読者も多いかもしれないが、これは近年の「保守」運動をおこなう人びとの特徴をよく表している。

 コスプレは「二次創作」の一種である。コスプレイヤーは原典のキャラクターを再現することに挑み、イベントやSNSで披露する。出来栄えはファンのコミュニティで競いあわれ、共有されて楽しまれる。ただし、コスプレイヤーたちは、原典のキャラクターをただ忠実に再現しようとするだけではない。自分たちが扮するキャラクターを、好みの背景や構図のなかで写真に収め、「原典には描かれていないが、いかにもその世界らしい、もしかしたらあったかもしれないシーン」をつくりだす。コスプレはたんなる真似ではなく、クリエイティブな趣味活動だ。

 21世紀日本で「保守」を標榜する活動を「コスプレ」のこのような特徴になぞらえたのは、近現代史研究者の辻田真佐憲である。辻田(2018)が具体的に「愛国コスプレ」と指摘したのは、「教育勅語」を現代の教育現場に復活させようという活動であった。そうした活動は、たんに戦前の教育を再現しようというのではなく、「保守」を名乗る人びとが自分たちのサークル内で「いかに自分が保守らしいか」を競いあうゲームなのだとされる。「教育勅語」はそのゲームのなかの記号(同じ競技や遊びに参加している人のあいだでのみ価値や意味がある、コマや札、しるし)のひとつで、これを積極的に利用する姿勢を見せることで、仲間うちで「保守派」としての認知や高い評価が得られるということだ。

 現代日本で「保守」を掲げる人びとは、戦後日本社会が抱えるたくさんの問題を乗り越えるために、「戦前の日本の良かったところ」を復活させようという主張や運動をする。教育現場に「教育勅語」を復活させようという運動もそのひとつだ。「教育勅語」には現代に通じるよいこと(たとえば「家族や友だちと仲よくしよう」「学業や仕事をよくして能力を高め、世の中の役に立とう」と読めること)も書いてあるので、資料としてそれを使うことに問題はないと、彼らは主張する。

 しかし教育勅語という文書を全体としてみれば、天皇と国民が神話の時代から精神的に一体だという神話的前提がまずあり、さらに「忠義」や「孝行」といった上位のものを敬い従うことを徳目としてすすめ、個人が全体に奉仕することを称揚している。上の論考で辻田が言うように、「戦前の日本」への評価を抜きにしたとしても、個人が尊重されることは当然と考える大半の現代日本人には受け入れがたいものだ。

 それをあえて現代社会(とくに教育の領域)で復活させるためには、教育勅語という文書全体の内容や、戦前日本社会のどういう文脈・環境で使われていたかといったことを無視して、たんなる「よいことも書いてある文書」とアピールせざるをえない。

 しかし、ここで疑問が湧いてくる。「教育勅語の復活」を目指す人びとは、「教育勅語」という文書それ自体に価値を感じているのではないのだろうか。戦後国会において名指しで批判され、効力を失ったことを確認する決議(1948年6月19日衆議院本会議「教育勅語等排除に関する戦後の国会決議」等)がなされているような文書を、あえていまの社会に「復活」させたいという人たちは、その文書の唯一無二の特徴(神話とのかかわりや、文書全体に示された価値観)を評価し、大切に思っているのではないのだろうか。しかしよく目に入るのは、「復活」に積極的な人びとが、その唯一無二の部分にあえて触れなかったり、自由な使い方や解釈をする例である。彼らはなぜ、それでよしとするのだろうか。

 「教育勅語」の「保守」における自由な使い方といえば、2017年のいわゆる「森友問題」において話題となった、学校法人森友学園の幼稚園(塚本幼稚園)における園児の「教育勅語」が挙げられる。そこでは幼稚園の日常活動のなかで教育勅語の暗唱がおこなわれていたことが注目された。

 しかし、幼稚園児が無邪気に「教育勅語」を暗唱する光景が「戦前の復活」であるのかといえば、「教育勅語」の歴史を知る人は首をかしげるだろう。戦前の初等教育における「教育勅語」は、式次第が厳格に定められた儀式で「奉読」される「聖なる」もので、幼稚園児たちの日常生活のなかで無邪気に唱えられるような「俗」なものではない。しかし、この幼稚園活動での「教育勅語」暗唱が、「保守」の人びとから批判されたという例はほとんどきかない。

 このような例は、現代日本で「保守」を掲げる人びとの活動が、たんなる「戦前の事物の復活」よりもう少し複雑なことであるのを示している。上で「保守」を掲げる人びとの活動の特徴を、〝戦後日本社会が抱えるたくさんの問題を乗り越えるために、「戦前の日本の良かったところ」を復活させようという主張〟だと表現した。つまり、彼らはたんに過去に戻ろうとしているのではなく、彼らが「戦後日本の問題」だと考えること(たとえば、個人をなにより尊重したりすること)から、いまの日本を「救済」するプログラムのために動いていると見たほうがよい(この詳細は、平野直子「現代「保守」言説における救済の物語」2016年 を参照されたい)。

 このプログラムは、「保守」を標榜する人びとにより広く共有されている「敗戦と占領により伝統日本の美徳が失われ、それが現代日本社会の問題を引き起こしている」という物語に基づいている。そのため実際に彼らが社会の「救済」のためにおこなう活動の多くは、「敗戦により否定された事物をできるだけ多く、現代の社会に呼び戻す」ことになる。

 このときの重点は、かならずしも戦前の社会の価値観や体制を忠実に再現することにはない。「救済のプログラム」は過去に戻るためのものではなく、(彼らなりの理想の)未来をつくるものだからだ。そこで実際に活発におこなわれるのは、細切れに再現した事物や記号をできるだけ多く現代社会の事物のなかにはめこみ、局所的に「戦後日本っぽくない」光景を創りだすことだ。その結果できてくるものは、少し歴史の知識のある者からすれば滑稽だったり、ちぐはぐだったり、ときにはグロテスクにも感じられるものとなり、知識の欠如として笑われたり恐れられたりする。しかし上述のプログラムに取り組む者どうしの仲間うちでは、現代社会の問題に意欲的に取り組んでいる証とみなされ、批判どころか賞賛の対象になる。

 「戦前らしさ」をもつ記号を自由に用いて、原典にはないがあったかもしれない(あってほしい)光景を創作し、仲間うちで共有する。辻田により「愛国コスプレ」と表現された状況は、このようにして現れる。

 現代「保守」運動のコスプレ的な性格は、たとえば新元号をめぐる動きなどにもみられた。
 戦後、元号に法的な位置づけが与えられたのは、「保守」運動の大きな成果(元号法制化運動)であった。2019年の天皇の譲位にさいしてふたたび元号が注目されたが、グローバル化が進む現代の社会システム全体をみれば、公的な場面での元号の利用は合理的とはいえない。たとえば情報インフラなどに携わる人びとは、改元に対応するため多大なコストと時間をかけさせられた。その一方、「保守」を掲げる人びとは、「天皇の代替わり」「新元号公表」「即位」の三つが同時になることにこだわりをみせたり、新元号を「漢籍ではなく日本独自の書物から」とることを提案したりしていた。

 歴史をみれば、たしかに天皇の即位と改元は深く結びついているが、そもそも元号のあり方は明治以来、大きく変わっている(「一世一元」)。また、これまで多くの元号が漢籍を出典としてきたが、それが「日本らしさ」という点で問題化されたことはない。「保守」がこだわりをみせる元号の「より日本的」なあり方というのは、明治以前の元号のあり方とも、明治以後のあり方とも完全にはマッチしない。しかし「元号」「天皇」という記号にあえてこだわってみせ、場合によっては新たな「日本らしさ」(彼らのなかでのみ通用する)をつけ加えよと声を上げつづけることで、「戦後日本らしくないもの」が現代社会のなかにねじ込まれている光景をつくり上げる。またその活動によって、仲間うちでの結束を強めることができる。

 ここでいう「救済のプログラム」をどう評価するかということ(とくにその歴史認識が事実として正しいのかという点)は、もちろん詳細に論じられなければならない。しかし、現代日本社会に生きる者にとってまず問題なのは、上述の「プログラム」を知る人のあいだでしか理解できない内向きの活動が、結果として現代日本の多くの人の生活環境に影響を与えてしまっていることだ。21世紀になり、加速度的に多様性と流動性を増す日本社会で、このような裏づけのない内向きの感情や論理で物事が決まっていくことは、彼らの「救済」の意図に反して、社会の不安定さを増す結果にならないだろうか。


■ブックガイド──その先を知りたい人へ
辻田真佐憲 2018「愛国コスプレ化する「教育勅語」擁護論を斬る。150年の教育史を視野に骨太の議論を」文春オンライン(2019.3.15取得)
教育史学会編 2017『教育勅語の何が問題か』岩波ブックレットNo.974

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平野直子(ひらの・なおこ)
早稲田大学非常勤講師。早稲田大学大学院文学研究科社会学専攻博士後期課程単位取得退学。専門分野:宗教社会学。
主要著作:
『宗教と社会のフロンティア』共著、勁草書房、2012年
『共生の社会学』共著、太郎次郎社エディタス、2016年
『つながりをリノベーションする時代』共著、弘文堂、2016年
『近現代日本の民間精神療法』共著、国書刊行会、2019年

 

 

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