他人と生きるための社会学キーワード|第10回(第3期)|居場所──居場所がほしい?|小山田建太

リレー連載 他人と生きるための社会学キーワード 毎号、ひとつのキーワードから「問題を考えつづける」ための視点を伝えます。社会学者から若い人へのメッセージ

毎回、ひとつのキーワードから「問題を考えつづける」ための視点を伝えます。社会学者から若い人へのメッセージ。

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居場所
居場所がほしい?

小山田建太

 

 あなたには、「居場所」と呼べるような場所があるだろうか。ここで本稿が考えたい「居場所」とは、私たち自身が「居たい」と思い、かつ「居てもいいんだな」と思えるような場所である(阿比留 2022)。昨今ではSNSなどの発達にともなって、私たちの居場所は物理的な空間にとどまらずバーチャルな空間にも広がっている。また居心地がよい時間とは、他者との人間関係のうちにも、自分ひとりだけで過ごす時間のうちにも、それぞれに見出されうる。このような観点から現代の私たちにとっての居場所の具体例を考えるとすれば、「家庭」や「学校」、「職場」、「地域」、または「自分の部屋」や「インターネット空間」などが挙げられるだろう。

 加えて、もし私たちがこれらの居場所の存在を数多く実感できているのだとすれば、日々の生活にもいっそうの張り合いが出てくるのではないだろうか。この点について内閣府の「子供・若者インデックスボードver.3.1」によれば、上述した6つの居場所の存在を数多く実感できる子ども・若者ほど、自己肯定感やチャレンジ精神、今の充実感、そして将来への希望などが高くなるのだという。さらにこのような子ども・若者は、もし自身に困ったことが生じるさいにはなんらかの支援機関や相談相手を頼ろうとする傾向も強く、想定外のリスクに対処する意識や能力も身につけているようである。

 なお居場所の存在が社会生活に重要な意味をもたらすという事実は、子ども・若者のみならずあらゆる世代の人びとにも当てはまるだろう。これまで多くの先行事例や先行研究が確認してきたことは、互恵的な関係性に埋め込まれている個人は相対的に生活満足度が高く、健康状態が良好であり、職業生活なども安定的であるという結果である。すなわち現代社会に生きる私たちにとっては、多くの居場所を有するほどそれらからさまざまな便益を引き出すことができ、したがって自分の居場所があることは多くの人にとって歓迎したいことであるだろう。

 しかしながら一方で、新しい居場所を開拓したりそれらを維持したりすることは、私たちに大変な労力をも要する。なぜなら、そのような居場所を構成する相手がだれであれ、その居場所が居場所たりえるためには、「居たいな」とか「居てもいいんだな」といった感情をおたがいが持ちつづけられる必要があるためである。その意味では、私たちが当初(これまで)は居場所だと思った(思っていた)関係性やコミュニティが、居場所でなかった(でなくなる)ということもままある。またそういった場面において私たちは、居心地の悪い場所や自分が傷つけられそうな場所から退出する自由も持っている(居続けなければならない“事情”があるなら話は別だが)。したがっておたがいにとっての大切な居場所を守るために重要となるのは、おたがいが種々の好意的なコミットメントを示しあうことであり、ひいてはそのような居場所を構成するメンバー──たとえば友人やパートナーなどに対しては、おたがいの感情的な結びつきをときどき(あるいは頻繁に)確かめたくもなる。居場所を持つということは、大変なことなのかもしれない。

 さて前段のように言い表せば、「そんなに大変なら、もう新しい居場所はいらない」と考えることもあるかもしれないが、そのように新しい居場所を求めない姿勢さえ、それは各人の自由である。新しい居場所がもたらす豊かさに期待できなかったり、または自身が傷つきやすい状態にあったりなどすれば、自分の時間を優先することも大切である。場合によっては、「自分の部屋」に象徴される自分だけの居場所にしばらく固執するなどのことも考えられよう。このように私たち一人ひとりが居場所を求めようとする態度や感覚には、大きな個人差が見られておかしくない。

 ただしこのような理解をふまえても、さらに次のような疑問が生じる。すなわち、そうは言ってもやっぱり居場所がほしかったり、密かに寂しさや心細さを募らせていたりするような人は本当にいないのだろうか、という疑問である。事実、コロナウイルスのパンデミックなども経験しつづける日本社会では孤独・孤立の問題がよりいっそう顕在化しており、2021年2月にはこれらの問題解決に取り組む「孤独・孤立対策担当室」(以下、同担当室)が内閣官房に設置されている。ここでの「孤独」とは「主観的概念であり、ひとりぼっちと感じる精神的な状態を指し」、また「孤立」とは「客観的概念であり、社会とのつながりや助けのない又は少ない状態を指」している(内閣官房孤独・孤立対策担当室、2021年、『孤独・孤立対策の重点計画』)。そして同担当室はこのような視座から、「望まない孤独」と「孤立」の解消や、多様な「居場所づくり」などといった重点計画を掲げている。

 なお同担当室が上記の問題の解決策として据えるのは、一義的にはさまざまな支援施策である。これらの施策をとおして、あらゆる当事者・家族などの実態やニーズに応じた具体的な取り組みが推進されている(ちなみに若者支援については、本連載「若者支援」に詳しい)。

 しかしながらそのうえで悩ましいのは、私たちがこれらの支援を受けるためにはほとんどの場合、自身のニーズや主訴を表明することが求められるという点である。すなわち同担当室の言葉を借りれば、「孤独・孤立に至っていても『他人や制度に頼りたくない、迷惑をかけたくない』あるいは『他人に知られたくない』等の『ためらい』や『恥じらい』の感情により支援を受けていない方がいる」可能性が考えられるのである。そのような人びとは、なかなか専門機関・施設につながることが難しくなってしまう。

 最後に、このような実状をも鑑みて、以下の2点について言及したい。第一に、「居場所がほしい」とか「孤独である」といったメッセージをだれもが気負わずに表明するということが、より当たりまえになればよいと考える。たとえば「居場所はいらない」というメッセージに比較すれば、「居場所がほしい」と率直に伝えることはどことなく気恥ずかしい。けれども同担当室が指摘するように、そもそも「孤独・孤立は人生の中で誰にでも起こりうるもの」である。また客観的には「孤立」せずとも、「居場所」がなくて「孤独」な場合だってある。どのような立場にある人でも、「居場所がほしい」ことや「孤独である」というメッセージをいつでも自ら伝えられる社会であるとよい。

 第二に、身近な生活圏において聞こえるそのようなメッセージに対しては、私たち一人ひとりにも応答できる余地がありそうである。人の孤独感とは、かならずしも専門機関・施設だけが解消するものではない。自らが信頼できる関係性やコミュニティにあれば、おのずとその孤独感が解消されることもある。そう考えれば、居場所を持つことはそれほど大変なことではないのかもしれない。


■ブックガイド──その先を知りたい人へ
阿比留久美『孤独と居場所の社会学――なんでもない“わたし”で生きるには』大和書房、2022年

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小山田建太(おやまだ・けんた)
常磐大学人間科学部教育学科助教。筑波大学大学院博士課程人間総合科学研究科教育基礎学専攻在学中。専門分野:教育社会学、共生社会学、福祉社会学、若者支援。
主要著作:
『教育社会学』(共著)、ミネルヴァ書房、2018年
「準市場における事業評価の影響の検討」『日本教育政策学会年報』第26巻、2019年
「公的若者支援施策における支援の意義に関する考察」『社会政策』第14巻第3号、2023年

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