他人と生きるための社会学キーワード|第4回(第3期)|「戦後」──じつは不変でも普遍でもない時代|岡本智周

リレー連載 他人と生きるための社会学キーワード 毎号、ひとつのキーワードから「問題を考えつづける」ための視点を伝えます。社会学者から若い人へのメッセージ

毎回、ひとつのキーワードから「問題を考えつづける」ための視点を伝えます。社会学者から若い人へのメッセージ。

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「戦後」
じつは不変でも普遍でもない時代

岡本智周

「もはや『戦後』ではない。」――1956年(昭和31年)に発行された『経済白書』には、こんな表現が登場した。当時の日本の経済状況を説明し、これからの経済政策の方向性を示すなかで使われたフレーズであり、流行語にもなった。

 1956年にこのような言葉があったことを聞くとき、現在の私たちはどんなことを考えるだろうか。

「そうは言っても、その後も『戦後』は続いているではないか」と思うだろう。「これから経済状況がよくなっていくため、『敗戦直後』の状態とは違うのだと、当時の人たちが区切りをつけたかったのだろう」とも思うかもしれない。現在まで引き続く「戦後」という時代のなかで、それまでとはひとつ違う段階に進み、よりよい状況が始まったのだという理解をするのが一般的だろう。

 実際、高校の日本史の教科書を見ると、そのあたりのことが次のように説明されている。

 1955~57(昭和30~32)年に「神武景気」と呼ばれる大型景気を迎え、経済企画庁は1956(昭和31)年度の『経済白書』で「もはや戦後ではない」と記した。日本経済は復興から技術革新による経済成長へと舵を切り、1961(昭和36)年から1970(昭和45)年のあいだ、年平均10%をこえる成長をとげ、1968(昭和43)年には資本主義諸国の中でアメリカにつぐ世界第2位の国民総生産(GNP)を実現した。(山川出版社『日本史探究 詳説日本史』2023年版、346頁)

 1950年代の半ばから日本経済は高い成長率を示すようになり、その後20年弱にわたる高度経済成長期を迎えることが示されている。この説明のなかで、1956年の『経済白書』のこの言葉は、成長の時代の開始を宣言し、社会を鼓舞する言葉として位置づけられていると解釈できるだろう。

 だが、しばしば指摘されるように、1956年の『経済白書』の原文のなかでは、この言葉はそれとは違った意味を帯びていた。少し長くなるが『経済白書』の当該の部分を引用してみよう。ここには1956年時点の状況認識が示されている。

 戦後日本経済の回復の速かさには誠に万人の意表外にでるものがあった。それは日本国民の勤勉な努力によって培われ、世界情勢の好都合によって育まれた。
 しかし敗戦によって落ち込んだ谷が深かったという事実そのものが、その谷からはい上がるスピードを速からしめたという事情も忘れることはできない。経済の浮揚力には事欠かなかった。経済政策としては、ただ浮き揚る過程で国際収支の悪化やインフレの壁に突き当るのを避けることに努めれば良かった。消費者は常にもっと多くものを買おうと心掛け、企業者は常にもっと多く投資しようと待ち構えていた。いまや経済の回復による浮揚力はほぼ使い尽された。なるほど、貧乏な日本のこと故、世界の他の国々にくらべれば、消費や投資の潜在需要はまだ高いかもしれないが、戦後の一時期にくらべれば、その欲望の熾烈さは明かに減少した。もはや「戦後」ではない。われわれはいまや異った事態に当面しようとしている。回復を通じての成長は終った。(42頁、太字・下線は引用者による)

 現在の観点からすると「おや?」と首を傾げるところだ。1956年の時点では、第二次世界大戦後の敗戦直後の時期はむしろ好景気だったと捉えられているのである。敗戦後の復興の時代には国内需要が大きくあり、それが経済を浮揚させる力になっていた。だがその需要がなくなれば必然的に経済の伸びは鈍化する。それゆえ今後は経済的に厳しい局面に入るだろう――その意味での「もはや『戦後』ではない」だったわけである。

 1956年の『経済白書』の言葉は、高度経済成長の開始を宣言するものではなかった。私たちはその後の歴史を知ってしまっているので、つい現在から見えるものを過去にあてがって、ことの成り行きを解釈してしまう。それは、当時の人びとがその先の未来をわかって生きていると考えてしまうことに等しい。だが、過去のその時点では、どのような未来がその先に現れるのかは不可知である。人びとがその時点で発する言葉を予言のように解釈してしまうことは、認識の誤謬だといえる。そうした倒叙は、その先に何が起こるかを知っている現在の私たちの思考によってしか可能にならないものだ。

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 加えて、私たちが思う「戦後」の時間についても捉えなおすことができるだろう。私たちがこれほどにも揺るぎないものとして「戦後」という時代区分を採用しつづけているのは、第二次世界大戦の敗戦がそれほどにも重大な社会の転換点だったからだ。もちろん「戦後」の時間のなかでも大小の社会変動が積み重なっていることを私たちは知っている。それを知ったうえで、「戦後」という区分でもって私たちは、「戦前」の社会状況に対する断絶と、それ以後の状況の連続性の重要性を常に表明していることになる。

「戦後教育」や「戦後民主主義」という言葉も、そうした意味合いで用いられる表現だろう。それらの言葉は、「戦前・戦中」との大きな断絶を前提とし、かつ1945年以降の一貫性をもったものとして教育や民主主義を捉えることを可能にしている。あたかも変わらない教育や民主主義が頑として存在しているように捉えながら、私たちはそれらを擁護したり、批判したりしているのである。

 だが、「戦後」も80年になろうとしている。その時間のなかに含まれるものも一枚岩ではなくなっている。「戦後」の理念を絶やそうとする力がつねに作用してきたことに、私たちはもう少し意識的であってもよいのではないだろうか。1956年当時の「もはや『戦後』ではない」という言葉が、1945年からおよそ10年続いてきた時間にくさびを打ち込む明確な意図をもった言葉だったことに、自覚的であってもよいのではないだろうか。先にみた『経済白書』の引用部分は、次のように続いている。

 新しきものの摂取は常に抵抗を伴う。経済社会の遅れた部面は、一時的には近代化によってかえってその矛盾が激成されるごとくに感ずるかもしれない。しかし長期的には中小企業、労働、農業などの各部面が抱く諸矛盾は経済の発展によってのみ吸収される。近代化が国民経済の進むべき唯一の方向とするならば、その遂行に伴う負担は国民相互にその力に応じて分け合わねばならない。
 近代化――トランスフォーメーション――とは、自らを改造する過程である。その手術は苦痛なしにはすまされない。(42-43頁)

 もはや終戦直後のような好景気は望めないため、今後の景気浮揚のための新機軸を主張するのがこの文章なのである。そして相応の負担を国民に求める文章でもある。この『経済白書』の執筆担当者・とうすけ は、「神武景気」「なべ底不況」といった状況を表す言葉や、「技術革新」といった訳語の生みの親であり、キャッチコピーを提案する才に長けた人物であった。この『経済白書』で呼びかけられた「近代化」とは、具体的には、原子力とオートメーションによる「技術革新」であったとされる。「戦後」を終わらせたい意図がここにはやはりあるのであり、現に東海村に初めて原子の火が灯ったのはその翌年の1957年であった。

「もはや戦後ではない」という流行語に関しては当時、社会生活の面での戦争の痕が回復されないまま、置き去りされたように表現されることに対する反発があった。また、戦後の民主的な社会づくりが道半ばの状態であること、むしろ逆もどりしている面があることへの批判も強くなされていた。

「戦後教育」「戦後民主主義」にかかわるところでは、この時期にはさまざまな政治的な力が加えられている。たとえば1951年以降の愛国心教育の強調、知識重視の学力観の復活、1954年の「教育二法」の成立、1955年の「うれうべき教科書の問題」キャンペーン、1958年の学習指導要領の官報告示、道徳教育の特設、学校教員に対する勤務評定制度の実施、等々である。

 1947年の教育基本法に基づいて整備されてきたことは、1950年代半ばには大きく変質してしまっているのである。その断絶に気づかぬふりをしたまま「戦後」を延長させて考えること、あたかも80年近く「戦後教育」「戦後民主主義」が続いていると考えることは、いささか欺瞞的であろう。

 オリジナルの「戦後」と、1950年代半ば以降のいわば「戦後後」のあいだには、現在を生きる人間が見落としているものが想像以上に多くある。意識してふり返っておかなければ忘れてしまいかねないその当時の状況がある。とりわけ教育や民主主義について考える際には、「戦後」と「戦後後」とが地続きではないことに気づいておくことは重要だろう。断絶の時期に何が起こっていたのか――「戦後」を終わらせるということがどう意味づけられていたのか――は、私たちが現在の社会を正当に理解しようとするためにも不可欠の要素なのである。


■ブックガイド──その先を知りたい人へ
青地正史『もはや戦後ではない──経済白書の男・後藤譽之助』日本経済評論社、2015年.
女たちの現在を問う会『銃後史ノート戦後篇④ もはや戦後ではない? 1956.1─1958.12』インパクト出版会、1988年.
権赫泰・車承棋編『〈戦後〉の誕生──戦後日本と「朝鮮」の境界』中野宣子訳、中野敏男解説、新泉社、2017年.

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岡本智周(おかもと・ともちか)
早稲田大学文学学術院教授。専門分野:教育社会学、共生社会学、歴史社会学。
主要著作:
『共生社会とナショナルヒストリー』勁草書房、2013年
『「ゆとり」批判はどうつくられたのか』共著、太郎次郎社エディタス、2014年
『共生の社会学』共編著、太郎次郎社エディタス、2016年
『教育と社会』共著、学文社、2021年
「歴史教育の高大接続の現状と課題──社会科教育と社会科学教育の接続として考える」『共生教育学研究』第10巻、2022年

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