他人と生きるための社会学キーワード|第9回(第3期)|「女性の社会進出」──「男性」はどこにいるのか|笹野悦子

リレー連載 他人と生きるための社会学キーワード 毎号、ひとつのキーワードから「問題を考えつづける」ための視点を伝えます。社会学者から若い人へのメッセージ

毎回、ひとつのキーワードから「問題を考えつづける」ための視点を伝えます。社会学者から若い人へのメッセージ。

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「女性の社会進出」
「男性」はどこにいるのか

笹野悦子

「女性の社会進出」がはかばかしく進まないと言われつづけて久しい。たとえば毎年世界経済フォーラムが発表する「ジェンダーギャップ指数」のランキング順位が低迷しつづけているが、ジェンダー格差が大きく女性差別が解消しない状況が「女性の社会進出が阻まれている」と表現されたりする。

 おもに女性の労働市場参加を含意する「女性の社会進出」という表現は1980年頃から流布しはじめた。この40年間に女性の労働市場参入は進んだ。2022年には女性労働者は3000万人を超え、1984年から約1000万人増加し、現在では労働者の45%ほどを占める。だが、雇用形態を見ると、非正規雇用者は同じ40年間に400万人強から1400万人に増加しており、この間の増加者数と等しい。女性労働者の54%は非正規雇用で働いている。また、賃金格差も男性を100とした場合77.9にとどまり、課長以上の管理職比率は1割に達せず(「帝国データバンク」)、議会を見ても衆議院、地方議会の女性議員比率は1割程度である。ざっと概観すると、働く女性の数は増加したものの不安定で低賃金、仕事の裁量の幅は小さく、議会においてもごく小さな数でしかない。仕事の裁量権は削がれ社会全体や組織の在り方を決めていく力になりえず、大きなジェンダー格差のなかで生きているのだ。

 ただ、このように女性は補助的な力になりがちであるという事象を「女性の社会進出」という言葉で「女性」特有の課題とするかぎり、男性たちは自分たちとは別の人びとの問題であると認識して、観客席に座って応援する側に立つだろう。

 考えてみると、「女性の社会進出」とは不思議な表現だ。そもそも女性は、女性も、つねにすでに「社会」で生活を営んでいる。進出すると目される「社会」は男性を標準とした「社会」、とりわけ上述した労働市場や政治の意思決定にかかわる「社会」である。

 このような「社会」、言い換えれば、再生産労働はすべて妻=母に任せて職場での労働に専念する「男性」を標準とした労働市場や議会に当の「妻=母」である女性が「社会進出」するのはきわめて困難である。いったん離職したのちのやり直しのしにくい雇用慣行や、就業継続しても育休復帰後に「母の育児」との両立を配慮される結果、マミートラックに乗った「母の働き方」を選択させられてしまう。

 この罠については企業単位で経営戦略としてダイバーシティを生かす雇用の在り方が見直され、女性の戦力化を図る試みがある。組織全体で見た場合に属性や価値意識、目標が同じ者ばかりの集団は脆弱であり、その見直しとして多様性の導入が試みはじめられているのだ。

 ここでひとつの事例として、資生堂の行なった働き方改革の試みをジャーナリスト・石塚由紀夫のレポートをもとに検討したい。資生堂は女性従業員の多い企業で、もともと国に先立って育休制度を設けるなど手厚い両立支援を実施してきた。その企業が2013年に百貨店などで働く育休復帰後に両立支援を受けている美容部員に対してもできるだけ夕方や週末の繁忙時間帯のシフトに入るよう、できるだけ両立支援を受けずに働くことを目指せる改革を開始した。ねらいは育休復帰後に販売スキルや知識を停滞させず将来のキャリア形成につなげることにあった。この改革は、当時は一部に育児支援に逆行するという批判を呼び、「資生堂ショック」と銘打った議論も巻き起こした。

 女性従業員たちの職業キャリア育成を進めるうえの盲点のひとつが、夫不在の議論の進め方である。どのように働きつづけ育児・家事と両立するのかの問題が、母(妻)だけの問題になっている。実際は夫と妻の家事・育児配分の見直しが必要であるが、そこはきわめて私的な領域のことでもあり、企業からは介入できず手つかずであった。資生堂はあえてこの部分を取り上げて夫婦の話し合いをうながした。他企業でも、たとえば復帰にあたって夫婦同伴のセミナーを実施するといった、女性の職業キャリア育成にパートナー間の対話を組み込んだ同様の試みが行なわれている。夫婦それぞれが今後のライフプラン、キャリアプラン、家族のプランを未来年表に書き込み、それを実現するために必要な協力を話し合う。石塚はひとりの夫のもらした「妻の会社での立場を初めて知った。(中略)妻の仕事への想いを知る貴重な機会になった」という感想を紹介している。また、改革を推進した当時の執行役員・関根近子の「家庭のなかで家事・育児分担をちゃんと話し合っているのか。夫の協力を得る努力をしているのか。これから先、日本企業は女性活躍を本気で推進していくためには避けて通れない課題だ」という言葉も引用される。

 これらの夫婦間の対話をめぐる率直な感想を通じて気づくのは、まず自分が気づいていなかったことを知るインパクトである。次いで、他者化された相手をより深く知るための対話を継続することで関係性を更新していく可能性である。マイノリティ、差別研究者のキム・ジヘは「自分には何の不便もない構造物や制度が、だれかにとっては障壁になる瞬間、私たちは自分が享受する特権を発見する」と述べる。マジョリティの立場にいる人はマイノリティがそれを申し立てるまで障壁となる制度に気がついていない。夫たちは妻たちの前に何が障壁として立ちふさがっているのか知りえないし、それ以前に妻がどんな職業キャリアを育てていきたいのか知らないのかもしれない。

 このようなパートナー間の対話は、異性の夫婦の場合は同時にジェンダー規範の更新でもある。女の子のなかには「女性」として育てられ、素直で出しゃばらないことを是とする規範に沿う場合もある。その場合はたとえ夫という親密な相手であっても、自分より高年齢・高収入で職階も上位、なにより男性である相手に率直に自分の職業キャリア形成プランを話すことに気後れを感じることもあるかもしれない。この序列づけられたジェンダー関係を平等なものに更新していく端緒を諸企業の試みは担っているといえる。対話を始めるお膳立てである。

 もちろん企業戦略、成長戦略を目的としたダイバーシティ経営に対してはマイノリティの包摂の手段化という批判もあるし、そのような批判をないがしろにしてはならない。だが、そうではあっても、女性たちの地位向上、組織や社会全体での意思決定への参画を目指すその過程において、平等な対話の継続が組み込まれた引例の方法は示唆に富むものである。

 さて、この話は男性にとって何を意味するだろう。「女性の社会進出」はこのように男性の協力なしにはなしえないが、男性にとってはパートナーとの関係を見直す過程で家族や地域社会における新たな関係性を拓くものになる。人びとの構成する社会において不可欠のものでありながら、従来は生産性のなさゆえに不可視化されてきたケアを担う家族や地域社会における関係性である。「女性の社会進出」ばかりが強調され、「女性」の問題として特化してきたのではあるが、この問題の解決は男性にとっても「社会」進出をうながすものであるといえよう。

 日本の女性の地位の低さを解決し、平等性に支えられた社会を実現するためには個々の女性の活躍をうながすだけではなく、女性たちの地位向上を阻む障壁をつくっている社会が変わらねばならない。そしてその社会は自然現象のようにいつか変わる偶然性にゆだねられそれを待ち受けるものではなく、メンバー間の実践によってつねに更新されつづけていく。ささやかな営みではあるが、パートナーという他者との対話を通じて自らの不知を知ることから始めなければならないし、見いだされた障壁を超えるために対話を続けなければならないだろう。小さな実践の先に、ともに生きる社会を構築しうるのではないだろうか。


■ブックガイド──その先を知りたい人へ
石塚由紀夫『資生堂インパクト──子育てを聖域にしない経営』日本経済新聞出版社、2016年
キム・ジヘ『差別はたいてい悪意のない人がする──見えない排除に気づくための10章』大月書店、2021年

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笹野悦子(ささの・えつこ)
早稲田大学ほか非常勤講師。早稲田大学大学院文学研究科社会学専攻博士後期課程単位取得退学。専門分野:社会学、ジェンダー研究、家族研究。
主要著作:
『共生と希望の教育学』共著、筑波大学出版会、2011年
『ジェンダーが拓く共生社会』共著、論創社、2013年
『共生の社会学』共著、太郎次郎社エディタス、2016年
『教育社会学』共著、ミネルヴァ書房、2018年

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