すばらしきニッポン政界語│最終回│特別講座「整備文」│イアン・アーシー

今日も国会では、政治家たちの摩訶不思議なことばが飛び交う。
「政界語」研究の第一人者(自称)を講師役に、話題の悶絶教材を味わいつくす。

今日も国会では、政治家たちの摩訶不思議なことばが飛び交う。
「政界語」研究の第一人者(自称)を講師役に、話題の悶絶教材を味わいつくす。


最終回
特別講座「整備文」


 今回で本連載は最終回。特別講座として、政界語と親戚関係にある「整備文」をとりあげます。以下、イアン・アーシー著『政・官・財おえらがたの国語塾』(中央公論社、1996年)から一部を抜粋して掲載します。


役人と「整備」の微妙な関係

 官僚になるには、まずあの難しい国家公務員試験に受からなければなりません。私は公務員試験を受けたこともない、受けるつもりもない、外人だから受ける資格もない、万一受けたとしても見事に落ちる自信だけはあります。だから、受験対策について何もアドバイスすることはできません。

 でも、公務員試験に合格しただけでは役人は務まりません。

 官界で使われている独特な日本語も習得しないとだめなのです。

 役所書類は読みにくくてたまりません。しかし、単に役人は文章が下手だから読みにくいんだと思ったら大間違いです。いい大学を卒業した優秀な人たちばかりだから、日本語を書く力が不足しているとは到底考えられません。

 実は、わかりにくい、堅苦しい、入り組んでいる文章を書くのは官僚の仕事のうちなのです。簡単に言いたいことを言ってしまえば、「何だ! 役人はこの程度のことしかやっていないのか」とばれてしまい、官僚としての威厳が著しく傷つきます。難解な文章を書くことによって、「さすが日本の官僚」と、何をやっているのか今いちわからないけど、とにかく「彼らじゃないと絶対にできないことをやっているだろうな」と思われ、逆に貫禄が付きます。

 それから、役人の書いた文章は役人にしかわからないから、お互いに失業してしまう心配はありません。

 ただ文章を難しく書けばいいようなもんじゃありません。役所書類をよく読めば、不思議なことに気がつきます。内容がどんなんでも、全く同じ書き方になっているし、限られた語彙がいろんな意味で何回も登場します。

 つまり、役所文章は決まりのある、統一された文体なのです。

 この文体の最大の特徴は、ある単語がいやになるほど出てくることです。では、その単語とは何でしょう。

 ヒントとして、役所書類からの引用文を二つご紹介しましょう。


(一)平成元年度は運動場整備、平成2年度公園、駐車場整備を2ヶ年で整備する。(地方自治政策研究会『全国ふるさと創生一億円データブック』平成元年、263頁)

(二)農村活性化住環境整備事業(農地及び農業集落の整備と一体的に新規宅地予定地の創出及び周辺の環境整備を実施)、水環境整備事業(水路、ダム等の農業水利施設の保全・管理又は整備と一体的に親水空間等の整備を実施)、集落環境整備事業(農業生産基盤の整備と一体的な生活環境の整備及び都市と農村の交流促進のための条件整備を実施)及び農村広域生活環境整備事業(広域的に生活環境整備の迫加投資を行い、快適な農村空間の整備を実施)を実施した。(農林水産省『農林水産省年表』平成6年度、146-147頁)


 そうです。貴国の役人は「整備」がやたら好きなのです。

『広辞苑』によると、「整備」は(字の通り)「ととのえそなえること。すぐ使えるように準備をととのえること」という意味だそうですが、政府機関が出す書類の中での使用範囲ははるかに広く、破壊以外の動作をほとんどカバーしています。官界では、何をやっても「整備」と呼びたがるのです。

「整備新幹線」と言ったら「建設」が遅々として進まない新・新幹線のことを指していますが、「海底ケーブルの整備」は明らかに海の底にケーブルを「敷く」ことですし、「史跡の整備」とはお寺やお城を「修復する」ことで、「農地の整備」は田畑を「作る」ことを意味します。「街路樹の整備」ときたら木を道端に「植える」ことだとしか思えません。

 日本は「平和国家」を自称しますが、防衛庁が進めている「防衛力の整備」は世界屈指の軍事予算を手に恐ろしい武器をいっぱい「買う」ことです。

「パソコンの整備」はパソコンを事務所かどこかに「入れる」意味で、「データの整備」は資料を「まとめる」意味でしょうが、国土庁の言う「国土画像情報の整備」は意外と具体的で、カラー空中写真を「撮る」、というようなことです。

「計画の整備」は計画を「立てる」ことですし、「対策の整備」は対策を「打ち出す」ことです。「就業機会の整備」は簡単にいえば働き口を「増やす」程度の意味でしょう。「体制の整備」といえば誰が何を担当するかを決めて「組織づくり」をすることですし、「制度の整備」とは制度を「設ける」ことになるでしょう。また、「法整備」は法律を「定めたり直したりする」、ということです。

 ここで一つご訂正いたします。さきほど「整備」が破壊以外の動作をほとんどカバーしていると述べましたが、よく調べたら、破壊の意味まで含めているようです。

 例えば、「海岸の整備」。

 これは海辺をコンクリートで覆うということで、要するに「破壊」そのものです。

 ところで、すでにコンクリートで覆われた海岸の割合は「海岸の整備率」と言われているようで、「流域の整備」とは川の周りを同じような目にあわせることでしょう。

「整備」は具体的に何を指しているのか特定できない場合だってあります。「道路整備」と言えば新しい道を作るという意味かもしれません。でも、事情によっては、古い道を修理したり広くしたりすることだとも考えられます。または両方かもしれません。はっきリしないのが「整備」のすばらしさ。

 さて、「マニュアルの整備」とは、次のどれを意味するでしょう。

 ①説明書を初めから書く
 ②すでにある説明書を書き直す
 ③説明書をよそから手に入れる
 ④その他

 知るすべもありません。

 役人が「整備」を口にしたら、一つだけ確信できることがあります。それは「整備」費は必ずあなたの血税で賄われていることです。

 というわけで、「整備」はさまざまな意味に変わることができ、頭を悩まして具体的な表現を考えつく必要をなくすから非常に便利な言葉です。便利なだけにとどまらず、変幻自在なのです。「体制の整備」はもう出てきましたが、「整備の体制」も忘れてはなりません。「整備基準」もあれば逆に「基準整備」もあります。

「整備」の種類は実にバラエティに富んでいます。「体系的な整備」「効率的な整備」「先行的な整備」「適切な整備」「調和のとれた整備」——まさに無尽蔵です。何と「風格のある、国民に親しまれる施設整備」まであります。

 国民に付けがまわってくるんだから、親しまないと損でしょう。

「整備」は他の語彙と多彩な交友関係を持っています。「整備充実」「整備改善」「整備育成」「開発整備」「収集整備」「振興整備」「保護、整備、創造」——言葉の世界では、顔が本当に広いようです。

「環境」と特に仲がよくて、両者の付き合いがあらゆる分野にわたっています。「余暇環境の整備」「執務環境の整備」「通勤環境の整備」「資金調達環境の整備」「海上交通環境の整備」云々。「インフラ整備のための環境整備」のように、重複しても差し支えありません。

 これらをひっくるめて言いたいとき、「諸環境の整備」と言えばいいのです。

「基盤の整備」は「環境の整備」に次ぐ人気者です——「観測基盤の整備」「情報・通信基盤の整備」「研究開発基盤の整備」。

 両方を融合して「環境基盤の整備」とも言えます。

 読者の想像力を刺激するような「整備」もあります。「地下の情報整備」と聞いて、マフィアが秘密情報を盗むことだと思ってしまうのは私一人でしょうか。実際は、国土庁がやっている土壌などについての調査に過ぎませんが。

 そして建設省の言う「せせらぎの整備」になりますと、牧歌的なぐらいです。

 以上、いってみれば「整備尽くし」の形で「整備」のさまざまな顔を追ってきました。役人の書く文章を特徴づける言葉なわけですが、実は昔の日本にも、一つの言葉に特徴づけられた文体がありました。その言葉はそのまま文体の名前になってしまったほどです。

 候文そうろうぶん

 候文は「何々候何々候」の繰り返しで、「官を尊び候ひて民をいやしみ候」のように、「候」という、「ございます」程度の意味の助動詞がしつこいほど出てきます。役所書類も同じように何々整備何々整備」の連続だから、その文体のことを候文にあやかって「整備文せいびぶん」と名付けましょう。

 当然、候文と整備文はこのちょっとくどいところを除いては全く異質のものです。第一、日本の文学史に残る名作の中に候文で書かれたものもありますが、整備文で書かれたものは一つもありません。

 これからもないでしょう。

 整備文の由来についてはまだ不明な点が多いのですが、時間の有り余っている役人が暇潰しに、同じ書類のなかで「整備」を何回使えるかを競ったことに始まったのではないかと考えられます。

 整備文は官僚自身はもちろんのこと、官僚の下で働くありとあらゆる組織も使わなければいけないという不文律があるようです。

 例えば、財界人や学識経験者からなるいわゆる審議会。

 特定の省庁に所属して、民間人の立場から助言をしたり知恵を貸すという形をとるものです。でも、本当は、官僚が意のままに動かしていて、自分の決めた方針を外部の人間が考え出したかのように見せ掛けるための「隠れみの」とよく言われます。役所側が審議会の事務局をやっている場合も多いから、審議会の名で出される報告書や答申も実は官僚の手がかなり入っていることは間違いありません。そしてやはり、その文章が典型的な整備文になっているのです。

 官僚がこれほどまでに日本社会で羽振りを利かしているだけに、整備文もやはり、現代日本語に測り知れない影響を及ぼしているのです。政治家も新聞も会社の役員も「整備」を連発する今日この頃です。

 だから、整備文の基礎知識は官僚になって日本の未来を担いたい若人に限らず、日本人なら欠かせないものとなっています。それなのに、整備文は文部省の指導要領にも盛り込まれていませんし、国語の入試問題にも登場しませんし、その教科書すら本屋で見当たりません。

 整備文教育の環境整備が手付かず状態なわけです。そこで、官僚でも日本人でもないこの私が、おこがましくも、整備文の基本を以下に「『霞が関ことば』入門講座」という形でまとめさせていただきました。


(以上、イアン・アーシー著『政・官・財おえらがたの国語塾』〈中央公論社、1996年〉より。※本特別講座は『ニッポン政界語読本』には収録されていません)


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イアン・アーシー
カナダ人のフリー翻訳家、ことばオタク。1962年生まれ。1984年から3年間、日本の中学校で英会話講師を務めるとともに、日本語を独学で習得。現在、日本在住。翻訳のかたわら、古文書解読などの研究にいそしむ。漢字に目がなく、永遠の日本語学習者を自覚。古代ギリシア語オタクでもある。趣味は史跡巡り、筋トレ、スキンヘッドの手入れ。著書に、『怪しい日本語研究室』(新潮文庫)、『政・官・財(おえらがた)の国語塾』『マスコミ無責任文法』(ともに中央公論新社)がある。本書は20年ぶりの著書となる。