[往復書簡]国籍のゆらぎ、たしかなわたし【第六期】|第5回|揺さぶられることを楽しみながら(木下理仁)|金迅野+木下理仁

 

[往復書簡/第六期]第5回
揺さぶられることを楽しみながら
木下理仁


きむ しんさんへ

 お便りありがとうございます。

 言われてみれば、そうですね。「当事者」ということばに、ぼくは「 」を付けていました。

 あまり深く考えずにそうしたのですが、なんとなく、そうしないと気持ちがわるかったのです。なぜだろう? と考えてみると、たぶん、「ここでは、とりあえず便宜的に『当事者』と呼びますが……」といった「仮置き」のようなニュアンスをもたせたかったからではないかと思います。

「当事者」と呼ばれる人も、もしかしたら、かならずしもそう呼ばれたいとは思っていないかもしれない。自分が特定のカテゴリーに入れられることに居心地のわるさを感じる人もいるんじゃないだろうか。また、あるときはそうかもしれないが、時と場合によっては、「当事者」の枠から外れたところに自分がいると感じることもあるかもしれない。「昔はそうだったかもしれないが、いまはちょっと違う」という人もいるだろう。アイデンティティというのは、ひとつではなかったり、変化したり、揺らいだり、もしかしたら相手によって使い分けたりもするものなんじゃないか。

 そんなふうに、ぼくが“なんとなく”感じていたことを、キムさんは、しっかり言語化して見せてくれた気がします。だれかを「当事者」と呼ぶことによって理解した気でいる「非・当事者」(と自分のことを思っている人)は、ことによるとかなり乱暴なことをしているのかもしれません。

 そしてまた、「われわれ」ということばも似たところがありますね。

 自分となにかしら違うところのある人たちと、自分と同じ(だと思っている)人たちとのあいだに「線」を引いて、線のこっち側にいる人間を「われわれ」と呼び、向こう側にいる人間を「彼ら」とか「あの人たち」と呼んでいるのでしょうが、そこで線引きできると思っているのは、じつは自分(あるいは自分たち)だけかもしれない。その「線」もまた揺らぐものだということに、気づく必要がある。その「線」が絶対的なものだと思い込んでいるから、“向こう岸”に向かって石を投げたりする。それがまさに、偏見や差別、傲慢や暴力ではないかと思います。

 ところで、半年ほどまえのことですが、埼玉県のわらび市で、トルコから来たクルド人の青年の話を聞く機会がありました。幼いころ、家族で日本に来て、何度も難民申請をしているのですが、いまだに認められず、「仮放免」※1 の立場で暮らしている20代の若者です。

 仮放免では、就労が認められないだけでなく、健康保険にも入れないので、ケガをしたり病気になったりすると、たいへんです。ちょっとした風邪で医者に行って薬をもらうだけで何万円もかかるので、市販の薬だけで我慢せざるをえない。工事現場で五寸釘を踏みぬいたときは、塩水を満たしたバケツに足を突っ込んで、自分で釘を抜いたというすさまじい話もありました。

 それでも、インフルエンザにかかって高熱が何日も続いたときは、とうとう耐えきれなくなって、看病をしていた日本人のガールフレンドに「ごめん。うつしてもいい?」と言って、彼女の前で大きなくしゃみをして、インフルエンザにかかった彼女が医者に行ってもらってきた薬をふたりで分けあったという話を聞きました。

 子どものころから日本で暮らし、日本の公立小学校、中学校に通って勉強し、ネイティブ(日本人)とまったく変わらない流ちょうな日本語で日々の生活を送っているにもかかわらず、どうして彼がそんな思いをしなければならないのか。目の前にいる彼は、とても明るくて優しい、健康的で魅力的な好青年です。話を聞いているうちに、こっちのほうがだんだんつらくなってきました。

 日本国籍を持っているかどうか、どんな在留資格を持っているかによって「線引き」され、多くの制約の下で不自由な暮らしを余儀なくされている人たちがいる。それは、「しかたがない」ことなのか? 「ここは日本なんだから」「日本人じゃないんだから」といって、直ちに「しかたがない」と結論づけてしまっていいのだろうか。

 それにつけても、いま、気がかりなのは、彼らクルド人に対するヘイトスピーチや、ネット上にあふれる差別的・攻撃的な物言いの多さです。「偽装難民」「日本から出て行け」などなど。

 たしかに、夜中に騒音をまきちらしながら車で走りまわる迷惑な若者が、何人かいたのかもしれない。でも、それがクルド人だとわかると、すべてのクルド人が悪者にされてしまう。そして、正規の在留資格を持っていないことを理由に、すべての権利と人格を否定するような攻撃がくり返される。

 ちょっとでも相手に非がある部分を見つけると、徹底的に罵詈雑言を浴びせる。彼らが指摘する「非」とは、日本の政府が「線引き」をした、その外側にいるというだけのことなのに。

 今年、入管法(出入国管理及び難民認定法)が変わって、難民申請が3回目になると、原則、もといた国に強制送還されることになりました。2回目までにすべての難民を適正に審査し保護することができればいいのですが、実際にはそれができていない現実があります。法律だから、どこかで「線引き」はせざるをえない。しかし、国による規制が厳しくなると、「ほら、やっぱりそうじゃないか」「われわれの主張のほうが正しいんだ」とばかりに、さらに激しく外国人を攻撃する人びとがいます。自分たちがやっていることにお墨付きを得たかのように。

 政府が引いた「線」の外側にいることだけを根拠に、何の疑問ももたずに相手を責め立てる人を見ると、ぼくは、政府が決めたことに無批判に従う危うさと「痛みのセンサー」の欠落を感じます。

 キムさんの「手紙」にあった、共感の核(痛みの経験)と「痛みのセンサー」の話、なるほど、そうかもしれないなあと思いながら読みました。

 ぼくの「痛みのセンサー」の根っこのところに、自分自身の「痛み」があるのは、たしかにそのとおりだと思います。子どものころから自分が経験したり、家族や親しい友人など、ごく身近な人が抱える問題として見てきた、つらいことや悲しいこと。それに状況にある人の話には、「センサー」がよく働きます。自分が経験したことの意味をより深く考えれば、センサーの感度も上がるかもしれません。

 しかし、一方で、自分の経験から話は、相手の痛みを具体的にイメージするのが難しい。だからこそ、自分に足りないセンサーを補うために、自分とは違う生き方をしてきた他者と出会い、話を聞かなくてはいけないのだと思います。自分とは違う経験をしてきた人に共感できれば、新しいセンサーを身につけることも可能かもしれない。はじめは“とってつけた”ようなセンサーであっても、その「痛み」のことを意識しつづけていれば、いつかは自分のものになるかもしれない。

 前述のクルドの人たちのことに関して言えば、マスコミなどで問題が報じられたあと、「じかに会って話をしてみたい」と、その地域のクルド人が中心となって安全を守るためにおこなわれている夜の見回りや、日本語学習のボランティア活動に参加する日本人が増えたというニュースも目にしました。見知らぬ他人が流す情報をみにするのではなく、現場に足を運び、自分の目で見て、直接、話をしてから判断しようとする人がいることに希望を感じます。

 先日、あるところで難民問題について学ぶセミナーの企画について話し合ったとき、ひとりの若者が「マイノリティにかかわる問題は、専門家に説明してもらうより、個人の話を聞いたほうが、一気に解像度が上がる」と言っていました。

「解像度が上がる」というのは、デジタル・ネイティブらしい上手い表現だなと思いましたが、たしかにそのとおりです。それが仮にたったひとりであったとしても、だれかと出会って、生身の人間のリアリティにふれることには、とても大きな意味があります。本を読むなどして勉強するのは、そのあとでもかまわない。

 昔、ぼくらが神奈川県国際交流協会で仕事を始めたころ、『함께(ハムケ)ともに』というパンフレットがありました※2 。県内に暮らす在日韓国・朝鮮人の人びとの歴史と、偏見や差別の問題を子どもたちに伝えるために神奈川県が出した啓発冊子です。

 そのなかに「『きみがとなりにいてラッキーだったよ』たがいにそういいたいから。」というページがあります。そこには「目をあけて 手を伸ばして 足を運んで 心をひらいて 見ること 聞くこと 知ること 感じること 考えること 話し合うこと そして友だちになること それからケンカすること なんでもいい できることから始めよう。」と書かれています。

 結局、それなんだと思います。そのパンフレットが作られてから30年以上経ちましたが、いまも同じなんじゃないでしょうか。

 ぼくが、たまたま同じ職場でキムさんと出会えたことは、本当に「ラッキー」でした。キムさんと出会わなければ、気づかなかったこと、知らなかったこと、「痛み」を感じないまま素通りしてしまったであろうことが、本当にたくさんあるので。

 昔、キムさんに言われたことばを、もうひとつ、思い出しました。

「頭のいい人には、わからない」

 頭ではなく、からだを動かさないと、他者の痛みを本当に理解することはできない。本で読んだり、ネットで流れてくる情報を見るだけでは、気づけないことがある。本当に大事なことは、自分のからだで感じてはじめてわかるものなのかもしれません。

 最近、家でパソコンに向かっている生活に慣れてしまったせいか、外に出かけて人に会うのをおっくうに感じることも多いのですが、いろんな人と出会い、自分のなかにあるなにかが揺さぶられることでこそ人生は豊かになると信じ、むしろ揺さぶられることを楽しむくらいの気持ちのゆとりをもって、もう少しがんばりたいと思います。

 キムさんも元気でご活躍ください。


※1 日本への滞在が認められなかった外国人が、出国するまでのあいだ、入管の施設に収容されず、特別に外部で暮らすことを許されている状態。就労が認められず、生活している地域から他の都道府県に移動することもできない。

※2 神奈川県渉外部国際交流課企画・発行。神奈川県内に暮らす在日韓国・朝鮮人の生活実態調査をふまえて、在日の人びとの歴史と、偏見や差別の問題を子どもたちに伝えるために作られた啓発冊子。1992年には内容を充実させたものが、同じタイトルの書籍として出版された(明石書店)

 

木下理仁(きのした・よしひと)
ファシリテーター/コーディネーター。かながわ開発教育センター(K-DEC)理事・事務局長、東海大学国際学部国際学科非常勤講師。1980年代の終わりに青年海外協力隊の活動でスリランカへ。帰国後、かながわ国際交流財団で16年間、国際交流のイベントや講座の企画・運営を担当。その後、東京外国語大学・国際理解教育専門員、逗子市の市民協働コーディネーターなどを経て、現職。神奈川県を中心に、学校、市民講座、教員研修、自治体職員研修などで「多文化共生」「国際協力」「まちづくり」をテーマにワークショップを行っている。1961年生まれ。趣味は落語。著書に『チョコレートを食べたことがないカカオ農園の子どもにきみはチョコレートをあげるか?』(旬報社)、『難民の?(ハテナ)がわかる本』『国籍の?(ハテナ)がわかる本』(ともに太郎次郎社エディタス)など。