[往復書簡]国籍のゆらぎ、たしかなわたし【第四期】|第1回|国籍とルーツとアイデンティティと(木下理仁)|朴英二+木下理仁

[往復書簡]国籍のゆらぎ、たしかなわたし【第四期】 朴英二+木下理仁 じぶんの国籍とどうつきあっていけばいいだろう。 「わたし」と「国籍」の関係のあり方を対話のなかから考える。

自分の国籍とどうつきあっていけばいいだろう。 「わたし」と「国籍」の関係のあり方を対話のなかから考える。

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[往復書簡/第四期]第1回
国籍とルーツとアイデンティティと
木下理仁


朴英二(ぱく・よんい)さんへ

 こんにちは。ご無沙汰していますが、お元気ですか。今回は、この「往復書簡」の相手を引き受けてくださって、ありがとうございます。

 たまたま同じ時期に「あーすフェスタかながわ」というイベントの運営に携わった縁で英二さんと出会って、もう20年ほどになりますが、英二さんが2010年に作った短編映画『まとう』には、本当にお世話になっています。大学の授業や市民団体主催のセミナーなどで、これまでにもう10回以上、参加者といっしょにこの映画を見て、いろんなことを考え、語り合ってきました。英二さんにゲストとして来てもらっていっしょに話をしたことも何度かありますね。

 朝鮮学校に通う智絵(ちえ)と仲良くなった友美(ともみ)が、高校の文化祭のファッション・ショーのために、智絵の学校の制服であるチマ・チョゴリを借りる。そして、何の気なしにそれをそのまま着て帰ったときに気づいた、自分を見る周囲の人たちの「目」。

 道を歩いているとき、すれ違いざまにぶつかってきた男から、「てめえ、朝鮮人か」「とっとと国(くに)帰ったほうがいいんじゃねえのか」という言葉を浴びせられる。電車のなかで、二人の中年女性が自分のほうを見て、何やらささやき合っている。ひげ面の若い男が、憎しみを込めた目で見ている、ような気がする。

 そして、「事件」が起きる。

 ・・・・・・

 朝鮮学校の制服を着ているだけで、こんなにも身構え、緊張していなければならないなんて。

 そういえば、先日、NHKの『バリバラというTV番組で朝鮮学校のことが紹介されていましたが、若い女性の先生が、高校までチマ・チョゴリを着て学校に通っていたけれど、日本の大学に入って私服を着て通学するようになったら、だれも自分のことを見ないので驚いたという話をしていました。子どものころからつねに「見られている」ことを感じていたのですね。そのプレッシャーはたいへんなものだろうと思います。

『まとう』の話にもどります。

 チマ・チョゴリを着るのはあぶないからやめたほうがいい。「こわくないの?」「どうして?」と智絵に迫る友美に、智絵は「守らなきゃいけないものがあるから」と答える。

友美「何を? 国籍とか民族とか? それだって、チマ・チョゴリを着ないと守れないような、たかがそんなものじゃない」

智絵「ちょっと待って! たかがって何よ! 私たちにとっては……」

友美「私たち? たちって、結局、日本人の私にはわからないって、そう思ってるんでしょ。そうやって狭い価値観のなかで生きていけばいいのよ」

智絵「わかったようなこと言わないで!」

友美「過去を引きずって、過去に縛られて。それが狭いって言ってるのよ」

智絵「過去じゃない! ……私たちは、ただ堂々と生きたいだけ」

友美「それなら、どうして日本にいるのよ」

智絵「……そうだね」

友美「……」

 智絵が言った「守らなきゃいけないもの」とは? 「私たち」とは?

 また、「そうだね」と言ったときの智絵の気持ちは?

ワークショップでそれを参加者に問いかけると、いろんな意見が出ます。

「朝鮮人としての誇り」「アイデンティティ」「ここに自分がいることの確認」……。また、「悔しさ」「悲しさ」「やるせなさ」「歯がゆさ」……。

 どのことばも、それぞれ頷けるところはあるのですが、ぼくがいつも感じるのは、どんなことばを使ったとしても、それをひと言で言い表すことの難しさです。かんたんにことばにはできない。すくなくとも一つの「単語」で表すことはできないな、と。

「過去じゃない!」と、友美のことばに反発して上げた叫びにも、在日として、朝鮮学校の生徒として生きてきた智絵が、ずっと考えてきたことが背景にあって、強い思いが込められているのだろうと思います。この差別と闘わざるをえない状況は、けっして過去のものなんかじゃない、いま、目の前にある現実なのだと。

 けれども、「それなら、どうして日本にいるのよ」と言われて、力なく「そうだね」と答えてしまう智絵。それは、もしかしたら友美に対してではなく、自分自身の心のなかに向かって発せられたことばなのかもしれない。在日朝鮮人がなぜ日本にいるのか、いまだに知られていない現実の壁。「国に帰れ」と言われても、かんたんに帰ることなどできない複雑な事情。そして、もしかしたら、そこが自分の「祖国」なのかどうか、智絵自身も確信はもてずにいるのかもしれない……。

 朝鮮学校に通う子どもたちの国籍は、「朝鮮」「韓国」「日本」といろいろですが、あの子たちのなかで、「国籍」と「ルーツ」と「アイデンティティ」は、どういう関係にあるのでしょうね。「朝鮮」というのは、「朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)」籍というわけではなく、正確には「国籍」でもないので、またちょっと複雑なんじゃないかとも思いますが。

「ルーツ」はとても大事なものだけれど、「国籍」には、そこまでのこだわりはもっていないようにも思うのですが、じっさいのところは、どうなのでしょう? また、さほどのこだわりをもっていなかったとしても、いざ、「朝鮮」籍の人が「韓国」や「日本」の国籍をとるとなると、また話は別だという気もします。国籍を変えた方が何かと都合がいいとか得だとかいう前に、とても大きなものと引き換えにしなければならないような感覚もあるのではないでしょうか。

 英二さんの場合は、どうですか? 英二さんにとって、「国籍」と「ルーツ」と「アイデンティティ」は、どんな関係にあるのでしょうか。

 正直、心のどこかに「こんなこと、聞いてもいいのかな?」という遠慮があって、いままで聞かずにきましたし、じっさい、答えにくいこともあるかもしれませんが、よかったらご返事ください。お待ちしています。

 

木下理仁(きのした・よしひと)
ファシリテーター/コーディネーター。かながわ開発教育センター(K-DEC)理事・事務局長、東海大学国際学部国際学科非常勤講師。1980年代の終わりに青年海外協力隊の活動でスリランカへ。帰国後、かながわ国際交流財団で16年間、国際交流のイベントや講座の企画・運営を担当。その後、東京外国語大学・国際理解教育専門員、逗子市の市民協働コーディネーターなどを経て、現職。神奈川県を中心に、学校、市民講座、教員研修、自治体職員研修などで「多文化共生」「国際協力」「まちづくり」をテーマにワークショップを行っている。1961年生まれ。趣味は落語。著書に『国籍の?(ハテナ)がわかる本』(太郎次郎社エディタス)など。