他人と生きるための社会学キーワード|第3回|子育ての社会化──「保育園落ちた」が問いかけたもの|丹治恭子

リレー連載 他人と生きるための社会学キーワード 毎号、ひとつのキーワードから「問題を考えつづける」ための視点を伝えます。社会学者から若い人へのメッセージ

毎回、とつのキーワードから「問題を考えつづける」ための視点を伝えます。社会学者から若い人へのメッセージ。

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子育ての社会化
「保育園落ちた」が問いかけたもの

丹治恭子

 「保育園落ちた日本死ね」。これは、保育所入園に落選した母親とされる人物が、2016年2月に匿名ブログに綴った文章のタイトルである。そこには、「どうすんだよ会社やめなくちゃならねーだろ」といった育児休業から職場復帰ができない状況への嘆きに加え、政府ならびに少子化対策への批判が述べられている。このブログは、その辛辣で率直な表現が耳目を集めただけでなく、子育て中の母親たちが直面する課題を端的に表したものであったことから、多くの人びとの関心を引いた。インターネットを中心に同じ境遇の女性から賛同の声が寄せられ、新聞やテレビ等のさまざまなメディアにとりあげられた。さらには国会においても議論の対象となり、2016年のユーキャン新語・流行語大賞のトップテンに入る社会現象ともなった。

 このブログが批判の対象としているのは、第3次安倍晋三改造内閣が掲げた女性労働政策と1990年代から日本政府が取り組んでいる少子化対策である。まず、女性労働については、保育所に落選したために職場復帰ができないことに触れ、「どうすんだよ私活躍出来ねーじゃねーか」と記している。保育所の拡充や出産・育休後の復職支援等を通じて女性が活躍する社会をめざすとする「一億総活躍社会」が実現できていない状況に批判の矛先を向けているのである。また、少子化対策についても、「何が少子化だよクソ。子供産んだはいいけど希望通りに保育園に預けるのほぼ無理だからwって言ってて子供産むやつなんかいねーよ」と苦言を呈している。さらに、「保育園増やせないなら児童手当20万にしろよ。金があれば子供産むってやつがゴマンといるんだから取り敢えず金出すか子供にかかる費用全てを無償にしろよ」と保育所の代替として、費用面での支援の増加を提案している。これらは、直接的な経済支援が薄く、保育所増設や子育て支援を中心としてきた少子化対策を鋭く批判するものといえる。

 ただ、こうした保育所の増設を求める動きや保育所への入所に向けた「保活」が社会問題にまで発展したのは、ごく最近の現象である。高度経済成長期には、サラリーマンの父親と専業主婦の母親という性別役割分業を前提とした異性のカップルと子どもからなる家族像(近代家族)が自明視され、そこから外れた家族は例外とみなされていた。そのため、保育所は保護者の就労や家庭の事情で子どもの世話ができない特別な家庭の子どもが「やむをえず」通う施設とされていた。そうした状況下で働く母親たちは「ポストの数ほど保育所を」というスローガンのもとで保育所設置を求める運動に取り組んだが、当時の政府は働く母親たちを支援するよりもむしろ、乳幼児の養育は本来家庭で行うべきとする「家庭保育原則」を掲げ、保育所の設置を阻む保育所抑制策をとった。保育所への入所をあきらめ、泣く泣く会社を辞める母親たちは過去にもいたが、その存在は例外的に扱われ、社会問題化もされなかった。この点をふまえると、2010年代において保育所落選に対する怒りが共有されたこと自体が、その背後にある家族像や働く女性像の変化を示唆するものであったといえる。

 そして2010年代にみられるようになった、従来は家族が担うものとされてきた育児を家族から解き放ち、公的な仕組みによって支えようとする現象のことを「子育ての社会化」と呼ぶ。とくに少子化が社会問題化した2000年代以降は、子育ての担い手を家族以外へと外部化しようとする「子育ての社会化」が政策的に掲げられ、少子化対策としての長時間保育や子育て支援が実施されるようになった。平成17年版国民生活白書では、「子育てが家族の責任だけで行われるのではなく、社会全体によって取り組む、『子育ての社会化』が重要」と明示された。高度経済成長期における家族のあり方の反省・転換によって、子育ても大きくその姿を変えたのである。

 これらの社会変化のなかで、「子育ての社会化」の考え方を是認する動きと、従来の家族による子育てへと回帰しようとする動きが共にみられるようになっている。

 「子育ての社会化」の進行とみられる現象は二つある。一つは、少子化対策の政策として行われた乳児保育の充実や保育所数の増加によって、1990年代中盤から保育所利用者数が一貫して増加していることである。ここからは、家庭での母親による子育てを是とする近代家族の母性神話や3歳児神話にとらわれない新しいかたちの子育ての姿が拡がりつつある様子がみてとれる。また「子育ての社会化」ととらえられるもう一つの動きは、2019年から実施された幼児教育・保育の無償化である。これは、3~5歳のすべての子どもたちの幼稚園・保育所・認定こども園の費用と、0~2歳児の住民税非課税世帯の費用を無償化するというものである。子育て世代への経済的な支援である幼児教育・保育の無償化は少子化対策のひとつであると同時に、専業主婦家庭の子どもが通う幼稚園/共働きやシングル家庭の子どもが通う保育所、といった施設の違いを問わず、すべての子育て家庭を同等に支援するものであるという点で、「子育ての社会化」に結びつくものであるといえる。

 その一方で、従来の規範や「神話」を支持し、近代家族へと回帰しようとする動きもみられる。たとえば、2006年の新教育基本法には、「家庭教育」に関する事項が新たに設けられ、父母その他の保護者が、子どもの教育の「第一義的責任を有する」ことが明示された。また、少子化対策の関連政策内で用いられてきた「次世代育成支援」や「社会の責任」といった文言の前提には、親の子育ての責任を強調する戦略が存在していたことも指摘されている。加えて、2017年には家庭教育の重要性を強調する「家庭教育支援法」案が国会に提出される動きがみられた。この法案の未定稿段階では、基本理念の第二条二項に「子に国家及び社会の形成者として必要な資質が備わるようにする」といった文言が含まれるなど、家庭教育に関する国家主義的な考え方が示されている。

 このように、1990年代以降、「子育ての社会化」が是認されつつ否定されるといった二つの動きが同時に生じている。冒頭に示したブログの筆者が、従来の家族規範を超えた働く母親でありながら、子どもを保育所に入園させることができないのは、こうした「子育ての社会化」をめぐる動きのあいだで、「母親」である筆者にしわ寄せがいく状況が生み出されているためと考えられる。さらに述べると、高度経済成長期の保育所増設を求める運動から50年近くが経過した2010年代後半においても、冒頭のブログが母親によって書かれることこそが、「子育ての担い手=母親」という構図が共有されている証といえるのかもしれない。


■ブックガイド──その先を知りたい人へ
本田由紀・伊藤公雄編著『国家がなぜ家族に干渉するのか』青弓社、2017年
松木洋人『子育て支援の社会学』新泉社、2013年
上野千鶴子『ケアの社会学』太田出版、2011年

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丹治恭子(たんじ・きょうこ)
立正大学仏教学部准教授。筑波大学大学院博士課程人間総合科学研究科ヒューマン・ケア科学専攻修了。博士(ヒューマン・ケア科学)。専門分野:教育社会学、幼児教育・保育学、ジェンダー論。
主要著作:
『共生と希望の教育学』共著、筑波大学出版会、2011年
『ケアの始まる場所』共著、ナカニシヤ出版、2015年
『共生の社会学』共編著、太郎次郎社エディタス、2016年
『教育社会学』共著、ミネルヴァ書房、2018年

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