他人と生きるための社会学キーワード|第1回(第3期)|原発に関する探究学習──教科書が議題化しないこと|小原明恵

リレー連載 他人と生きるための社会学キーワード 毎号、ひとつのキーワードから「問題を考えつづける」ための視点を伝えます。社会学者から若い人へのメッセージ

毎回、ひとつのキーワードから「問題を考えつづける」ための視点を伝えます。社会学者から若い人へのメッセージ。

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原発に関する探究学習
教科書が議題化しないこと

小原明恵

 2011年に東京電力福島第一原子力発電所(原発)の事故(以下、3.11と呼ぶ)が甚大な被害を引き起こし、日本は原子力政策の見直しを余儀なくされた。それから10年以上が経過した2022年末、政府はエネルギーの安定供給とカーボンニュートラル実現のために、3.11以降の原子力政策を転換し、原発再稼働の促進、次世代革新炉の開発、原発運転期間の実質的延長の容認など、原発を活用する方針を打ち出した。この政府方針の転換は議論を呼んだが、そもそも私たちは原発について何をどう知っているのだろうか。

 私たちが知っている原発に関する知識は新聞やテレビ、インターネット上の言説の影響を強く受けていることが考えられるが、ここでは、もうひとつ大きな影響を与えていると思われる、学校教育で伝達される原発に関する知識について検討してみたい。学校教育は次世代に、原発に関するどのような知識を伝え、どのように原発について考えさせているのだろうか。

 このことを検討するために、教科書の原発に関する記述内容が、3.11の前後でどのように変わったかを見ていきたい。教科書においては、原発の学習は頻繁に探究学習のテーマとされた。探究学習とは、生徒が自由に調べたり、議論したりすることを通じて、課題を深く考えさせる学習のことである。暗記主義的な学習から脱却するために、国の教育政策は探究学習を推進してきた。今回筆者が調査したのは、高校公民科の「現代社会」という科目の教科書である。「現代社会」は1982年度から実施され、2021年度までで廃止された科目である。政治、経済、国際社会、青年期の問題、倫理などについて学習する科目で、原発に関する学習も含み、探究学習を積極的に取り入れてきた特徴をもつ。筆者は、教科書が改訂された年に採択占有率上位5位に入った教科書を調べ、多くの高校生に使われている教科書の内容に迫った。

 それでは、調査結果を説明しよう。3.11が起こる以前の教科書のなかには、原発の是非を考えさせる探究学習課題を提示するものがあった。たとえば、2003年度から使用された東京書籍が発行する教科書は、つぎのような課題を提示した。

ディベートをしてみよう
テーマ「日本は今後、原子力発電所を増設すべきだ」

〇肯定側立論

1.少ない燃料から、大量のエネルギーを得ることができ、価格も安い。

2.二酸化炭素、窒素酸化物などの、地球温暖化の原因となる物質を出さない。

3.原料のウランは、政治的に安定した地域から輸入されており、価格も安定している。

4.使用済み燃料を、再度利用でき、資源の少ない日本に適している。

5.電力の需要は増加しており、化石燃料はこれ以上ふやせず、他の代替エネルギーもすぐにはじゅうぶんな供給が期待できない。

〇否定側立論

1.今まで、ひんぱんに事故が起こり、地域住民に被害をおよぼし、また環境を汚染してきた。

2.原子燃料は、放射能の半減期が長く、長期間にわたり毒性の高い物質を地球に残すことになる。

3.原子炉の解体、放射性廃棄物の管理費用は膨大なもので、これを算入すると、発電コストは、他のものに比べてかなり高いものになる。

4.夏のピーク時を除けば火力、水力発電の稼働率は低い。省エネルギーを進めれば電力需要をふやさないことができる。

5.欧州諸国では原発廃止の動きが強まっている。

(東京書籍『現代社会』2003年、17頁)

 別の会社が発行する2007年度から使用された教科書にも、「日本は、今後も原子力発電の開発をすすめるべきか」というディベートの課題が提示された。原子力発電について、いくつかの教科書は高校生にどのような政策をとるべきかを、ディベート形式で考えさせていたのである。

 ただし、これらのディベートのテーマ設定には2つの特徴があった。1つは、「今後」の原発政策をどうすべきかを考えさせているという点である。今後に目を向けさせることによって、これまでの日本の原発政策の是非は問われにくくなる。もう1つは、原発を縮小すべきである、あるいは、廃止すべきであるという主張を軸にせず、推進すべきという主張に対する是非を考えさせているという点である。推進すべきという主張を軸に肯定派と否定派に分かれることにより、かならず「原発を推進すべき」という主張を取り扱うことになる。

 ディベートを行うためには、原発のメリットとデメリットの把握が必要になる。3.11以前に、多くの教科書が言及した原発のメリットは、地球温暖化や大気汚染を起こしにくいこと、エネルギーを安定的に供給可能であること、大量のエネルギーを供給可能であることであった。多くの教科書が言及したデメリットは、放射性廃棄物の処理・処分の問題、事故が多いことや事故が起こった場合の被害が大きいこと、安全性や安全管理に問題があることであった。反対に、ほとんど記述されなかったこととしては、人体に対する放射線リスク、住民の反対運動、原発と核兵器との関連を挙げることができる。

 メディアによる「反原発」言説を分析した日高勝之によると、3.11以前の新聞は、原発を地域の問題として処理して普遍的に原発の是非を問わない傾向があったという(下記ブックガイド①)。しかし、3.11以前の教科書は新聞とは逆に、住民の反対運動にほぼ触れず、原発を地域の問題として扱わなかった。そして、発電技術としてのメリット・デメリットに論点を集中させることで、普遍的に原発の是非を考えさせていた。

 ところが3.11によって、私たちは放射線が農作物や人体に与える影響や、原発が地域につくられた政治的経緯についても目を向けるようになった。教育現場においては、原発のメリット・デメリットを両論併記するような見解を是とできない声があったという(三石初雄「『高リスク社会』の中で価値選択的課題にどのように向き合うか」『社会科教育研究』119号、13-23頁、2013年)。これまで教科書が原発のメリット・デメリットとして挙げてきた論点だけでは不十分なのではないかという疑いが生じたのである。

 こうした変化を受け、3.11以後の教科書は人びとが新たに認知するようになった論点を組み入れて、原発の是非をディベートすることを続けたのであろうか? いや、そうはならなかった。もちろん3.11については記述され、安全性の問題はより多くの教科書で言及されるようになった。しかし、3.11以前に存在した原発の是非を考えるディベートは、筆者が調査した教科書からはなくなった。かわりに登場したのは、つぎのような課題である。

追究してみよう

1.世界のおもな国々が、一次エネルギーをどのように得ているか調べてみよう。

2.原子力発電と風力などの再生エネルギーによる発電の長所・短所を比較し、整理してみよう。

3.将来にわたって持続的にエネルギーを利用するにはどうしたらよいか、さまざまな観点から考えてみよう。

(東京書籍『現代社会』2013年、184頁。下線は引用者による)

 原発を単体で議題化せず、下線部のようにエネルギー政策全般をどうすべきか考えさせる課題に変化したことがわかる。この傾向は他の会社の教科書にも当てはまる。3.11を契機に教科書が示してきた原発に関する論点の正当性が疑われそうになったとき、教科書は原発の是非を生徒に考えさせること自体をやめたのである。

 本来、探究学習とは、生徒に多角的な情報にアクセスし、自由に議論することを求める学習である。ところが、教科書が示した原発に関する知識は発電技術としての論点に絞られており、多角的な情報とは言い難かった。また、教科書が示した探究学習の課題は、一見、生徒に自由に考えさせているように見えるものの、じつは議題化しない点があることも明らかになった。もし生徒が探究学習において、教育をおこなう側が提示した論争問題に関する論点や知識を批判的に吟味することなく調査や発表に活用するならば、生徒自身が能動的に知識を使っているだけに、暗記主義的な学習以上に論点の正当性を深く内面化してしまうことも懸念される。学校教育が原子力政策をはじめとする論争問題を多角的に検討できる次世代を育成できるように、私たちは探究学習の内容を注意深く見ていく必要があるだろう。


■ブックガイド──その先を知りたい人へ
① 日高勝之『「反原発」のメディア・言説史──3.11以後の変容』岩波書店、2021年.
② ダイアナ・E・ヘス『教室における政治的中立性──論争問題を扱うために』渡部竜也・岩崎圭祐・井上昌善監訳、春風社、2021年.

*編集部注──この記事についてのご意見・感想をお寄せください。執筆者にお届けします(下にコメント欄があります。なお、コメントは外部に表示されません)

 

小原明恵(こばる・あきえ)
筑波大学教学マネジメント室助教。専門分野:教育社会学、公民科の教科書研究。
主要著作:
「教科書会社の意思決定が教科書のページ分量に与える影響──高等学校『現代社会』教科書における『政治・経済』分野の重点化を事例として」単著、『日本高校教育学会年報』第23号、2016年
「現代女子大学の自己認識に関する一試論──学長メッセージの内容分析」共著、『名古屋高等教育研究』第17号、2017年
「論争的問題を扱う探究学習に関する学校知識の構造──高校教科書における原子力発電に関する記述の内容分析」単著、『社会学年誌』第63号、2022年

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