[往復書簡]国籍のゆらぎ、たしかなわたし|第5回|国籍は区別にとどまらない「障壁」(安田菜津紀)|安田菜津紀+木下理仁

[往復書簡]国籍のゆらぎ、たしかなわたし 安田菜津紀+木下理仁 じぶんの国籍とどうつきあっていけばいいだろう。 「わたし」と「国籍」の関係のあり方を対話のなかから考える。

自分の国籍とどうつきあっていけばいいだろう。 「わたし」と「国籍」の関係のあり方を対話のなかから考える。

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[往復書簡]第5回
国籍は区別にとどまらない「障壁」
安田菜津紀


 木下さんへ

 お返事ありがとうございます。国籍差別と、民族や出自の差別、たしかにかならずしも重なるものばかりではないと思います。ただ、両者は複雑にからみあっているとも感じます。

 たとえば私の父は、私が幼いころに日本国籍を取得していますが、私がメディアに出るといまだに「おまえの父親は“帰化人”だろう」ということを、ネガティブな意味でネットに書き込んでくる人たちがいます。国会議員のなかにも、「どの議員が過去に帰化した人間なのか、明確にしておくべき」と、差別的な意味で主張する人さえいます。たとえ日本国籍を取得しても、出自が違う人間は仲間ではない……結局、あらゆる差別をなくしていかないかぎり、国籍はたんなる「区別」ではなくなってしまうのだと思います。

 そして先日、「日本国籍であるか否か」によって、命の線引きがなされてしまうような法案が審議されていました。木下さんもご存知の、入管法政府案です。多くの批判の声があがり、今国会での成立見送りになったものの、また同様の法案が出てこないともかぎりません。

 学校に行けなくなったり、仕事を失ったり、パートナーと離婚したり、さまざまな理由で日本に在留する資格を失い、出身国への送還の令書を受けた人たちは、その「送還準備」として入管施設に収容される、という建前になっていますが、実態はどうでしょう。

 施設に拘束するのに、裁判所など司法の介在はいっさいありません。収容・解放は入管の権限で、それもブラックボックスのなかで物事が決められていきます。収容期間の上限はなく、何年ものあいだ、施設に閉じ込められたままの人もいるため、この状態じたいが拷問にあたると、国際機関からたびたび指摘を受けてきました。私がインタビューをした人たちのなかにも、奥さんが妊娠していたり、小さなお子さんたちがいながらも、長期に収容されてしまっていた人たちがいました。以前であれば、そうしたことが考慮され、施設の外に出られたり、在留許可を得られたりすることがありましたが、近年はそれが厳しくなっています。とくに、東京五輪の開催が決まってからは。

 こうした実態について、昨年には国連人権理事会の「てきこうきん作業部会」が、国際法違反であるという意見を示しています。

 最初の手紙に書かせてもらったとおり、私の父は事実上の無国籍状態でした。それでも日本に暮らす資格を得て、やがて日本国籍を取得することになりますが、時代が時代なら、あるいは仕組みが少し違っていたら、あの収容施設に収容されていたのは、私の父だったかもしれません。引き裂かれている親子は、私たちだったかもしれません。

 ところが、先日まで審議されていた法案では、指摘された国際法違反状態の仕組みはそのままに、入管の権限をさらに強めていこうとしていました。退去強制令書が出された人たちの9割以上は、送還に応じていますが、残りの人びとは、帰れば命の危険があったり、生活の基盤のすべてが日本にあったり、家族がいたりと、帰れない事情を抱えた人たちです。そうした人たちが送還を拒んだ場合、なんと刑事罰の対象にしていくというものだったのです。

 さらに、難民申請中は強制送還されない、というルールも変えようとしていました。法案によると、難民申請が2回却下されてしまった場合は、それ以降、送還の対象になりえてしまうのです。日本の難民認定率は、2019年で0.4%、2020年で1.2%です。どんなに命に危険が迫っていても、認定を受けられたら「ミラクル」というこの社会で、複数回申請をせざるをえない状況があるにもかかわらず、彼らを送り返してしまおうというものだったのです。

 相手が外国人であれば何をしてもいいかのような法律が、審議入りしてしまったこと自体に危機感を抱いています。日本国籍以外の人間は、入管施設で人権を踏みにじられようと、国に帰されて命に危険がおよんでも、知らぬ存ぜぬ、なのでしょうか。「国籍」が、命の選別に直結するようなことが、あってはならないはずです。

 3月6日、スリランカ出身のラトナヤケ・リヤナゲ・ウィシュマ・サンダマリさんが、名古屋出入国在留管理局の収容施設で亡くなったことは、木下さんもニュースでご覧になってご存知だと思います。英語講師を夢見て来日後、学校に通えなくなり、2020年8月から施設に収容されていました。

 亡くなる直前には歩けないほど衰弱し、嘔吐してしまうため面会中もバケツを持っていたと、支援団体などが指摘していますが、それでも、点滴などの措置は最後まで受けられなかったようです。

 先日、ウィシュマさんの遺品である、和英辞典を写真に撮らせてもらいました。分厚い辞書のページには、付箋がびっしりとはられていました。開いてみると、細かな字での書き込みや、マーカーでいくつも線をひいたあとがあり、熱心に勉強していたことがうかがえました。ふと、辞書のなかで目にとまったのが、彼女が線を引いていた例文でした。「君は生きがいを感じているか」という例文に、黄色いマーカーがひかれていたのです。彼女はこの文章を、どんな思いで見つめていたのでしょうか。

 そして、ウィシュマさんが亡くなったニュースは、いまも入管の収容施設にだれかが収容されてしまっているご家族、そしてお子さんたちにとって、気が気でないものだったでしょう。そしてさらに彼らが恐れなければならないのは、収容施設内の家族の安否だけではありません。日本で生まれ、日本で育った子どもたちでさえ、「国籍国」に強制送還される恐れがあるのです。

 先の手紙で木下さんは、外国につながる子どもたちの教育を受ける権利や、子どもの権利条約について書いてくださっていましたね。

 日本の児童福祉法にも、子どもの権利条約などを反映して、子どもたちが「愛され、保護される権利」が明記されています。そこに「日本国民の子ども」とは書かれていません。本来であれば日本政府は、国籍に関係なく子どもたちの権利、保護について責任を負うはずです。

 ところが、外国ルーツの人びとと長年向きあってきた弁護士さんはこう語ります。「入管は、子どもたちの在留許可を求める裁判になると、子どもたちについて責任を負うのは第一に親、第二に国籍国だ、というんです」。だから日本政府は責任がない、と。

 木下さんは手紙の最後に、国籍をいくつも選べるようになったらいいな、ということを書いてくださっていましたね。私の友人も複数のパスポートを持っていて、移動がよりスムーズになるよう、入国する国によって使いわけています。「いいな」と思いつつ、本来、人には移動する自由があるはずだ、という考えに最後は行きつきます。国籍が「障壁」にならないために、私たちには何が求められているのでしょうか。

 

安田菜津紀(やすだ・なつき)
1987年神奈川県生まれ。NPO法人Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル/D4P)所属フォトジャーナリスト。同団体の副代表。16歳のとき、「国境なき子どもたち」友情のレポーターとしてカンボジアで貧困にさらされる子どもたちを取材。現在、東南アジア、中東、アフリカ、日本国内で難民や貧困、災害の取材を進める。東日本大震災以降は陸前高田市を中心に、被災地を記録し続けている。著書に『写真で伝える仕事 -世界の子どもたちと向き合って-』(日本写真企画)、ほか。上智大学卒。現在、TBSテレビ『サンデーモーニング』にコメンテーターとして出演中。