[往復書簡]国籍のゆらぎ、たしかなわたし【第二期】|第2回|ひっくり返したい「見た目」の思い込み (サンドラ・ヘフェリン)|サンドラ・へフェリン+木下理仁

[往復書簡]国籍のゆらぎ、たしかなわたし【第二期】 サンドラ・へフェリン+木下理仁 じぶんの国籍とどうつきあっていけばいいだろう。 「わたし」と「国籍」の関係のあり方を対話のなかから考える。

自分の国籍とどうつきあっていけばいいだろう。 「わたし」と「国籍」の関係のあり方を対話のなかから考える。

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[往復書簡/第二期]第2回
ひっくり返したい「見た目」の思い込み
サンドラ・ヘフェリン


 

木下理仁さんへ

 お便りをいただきありがとうございます。このたび木下さんと「往復書簡」ができることをうれしく思います。木下さんのご著書『国籍の?(ハテナ)がわかる本』(太郎次郎社エディタス)を読ませていただきました。日本人の母とドイツ人の父のあいだに生まれ、ドイツと日本という異なる文化の狭間で育ちましたので、共感できることばかりでした。

 ご著書のなかでとくに興味深かったのは19ページに書かれている、「○○人であるために重要なこと」として、日本では50%の人が「生まれた国」がとても重要だと答えたのに対し、オーストラリア、オランダ、ドイツでは生まれた国が大事だと答えたのは20%以下であり、スウエーデンでは8%だということです。

 私は両親の仕事の関係で、イギリスのロンドンで生まれました。ただ、ロンドンには少しのあいだしかいませんでしたので、私にロンドンの記憶はなく、英語が得意だということもありません。1歳から22歳になるまでドイツのミュンヘンで過ごしましたので、私はプロフィールに「ドイツ出身」と書いています。

 ところが、私がプロフィールに書いた「ドイツ出身」が、新聞や雑誌の編集部で「ドイツ生まれ」に書きかえられ、そのまま印刷されてしまうということが何度かありました。おそらく多くの日本人は「ドイツ出身ということは、ドイツ生まれにちがいない」と考えるのでしょう。

 以前はプロフィールに「ロンドン生まれ」と書いていました。ところが、そうすると、私がイギリス出身だと勘ちがいした人から「英語やイギリス関係の仕事のオファーが来てしまう」という問題が生じていました。私は両親の仕事の関係からロンドンで生まれたものの、ロンドンの記憶はなく、しつこいようですが英語は苦手です。

 だからここ数年は、「ロンドン」は伏せて、プロフィールに「ドイツ出身」とだけ書いてきました。ところが、そうすると「ドイツ生まれ」と誤記されてしまう確率が高くなり……という、なんだか八方ふさがりのような状態になってしまっています。でもおかげで、日本の人が「生まれた場所にこだわる」ことがよく理解できました。

 ここから書くことは「出羽守でわのかみ」と言われてもしかたありません。日本の人が「生まれた場所」にこだわるにもかかわらず、日本のパスポートには「本籍地」の記載はあるものの、「出生地」の記載がないのがとても不思議です。

 ドイツをふくむ欧米のパスポートには「出生地」が記載されています。ドイツで育ったけれど、親の赴任先のインドネシアのジャカルタで生まれたドイツ人男性がいます。その人のドイツのパスポートには「出生地ジャカルタ」と書かれています。でも、ドイツ人は彼を「ジャカルタ出身」と見なすことはありません。ドイツの感覚だと「生まれた場所はあくまでも生まれた場所」であり、それ以上でもそれ以下でもありません。生まれた場所がインドネシアだからといって、「インドネシア出身」だと思われたり、「インドネシア人」と見なされることはまずありません。そんなところにも日本とドイツの「感覚の違い」があると感じます。

 ところで、お手紙のなかに、木下さんと生徒たちのワークショップのことが書かれていましたね。ワークショップ「ちがいのちがい」のなかで、「あってもよいちがい」と「なくすべきちがい」について生徒にカードに書いてもらい、いっしょに考えるとのこと。「私だったらどんなカードをつくるのだろう?」と考えてみると……私は「見た目」に関するカードをつくると思います。

 何年かまえに私は銀行口座をつくろうと、地元の信用金庫を訪れました。日本のパスポート、保険証や印鑑を窓口で見せました。記入用紙に漏れはなかったのですが、窓口の女性は私の顔を見るやいなや、「なぜ口座をつくろうと思うのか」「貴女の住所であれば、もっと近い○○信用金庫(ライバル店)があるのではないか」「最近は口座をつくって売りとばしちゃう悪い人がいるのよね」などと語り、いっこうに口座をつくらせてくれる気配がありません。私はそれでも粘りました。そして口座はつくれたものの、なぜ銀行員が私に対してそういう反応をしたのかと考えたとき、私の「外国人ふうの見た目」が挙げられると思いました。身分証明書や書類を確認するまえに、「外国人ふうの顔」が目に入り、違和感をもったのだと想像します。

 区役所では、印鑑証明を発行する窓口に並んでいたら、途中で職員に呼びとめられ、在留カードの窓口に案内されそうになったことがありました。「私の容姿が外国人ふうであるがために、相手が勘ちがいしてしまう」ことはよくあるのです。

 あまり自慢できることではありませんが、さきほど書いたとおり、私は英語が苦手です。ところが、日本人と外国人がいるセミナーや勉強会に参加するさい、こちらがうっかりしていると、入り口で「英語の資料」を渡されてしまうことがあります。だから「ぜったいに日本語の資料を手に入れてやる」と、私は入り口でいつも気が張っているのです。

 日本人に日本語で話しかけると、英語で返事が返ってくる、なんていうのもよくある話です。きっと私の「話す言語」よりも「外国人ふうの見た目」のインパクトのほうが強いのでしょう。

 このように私は「見た目で判断されること」にモヤモヤしていましたが、何年かまえに東京でおこなわれたある会合に参加したときのこと。ある人から英語で話しかけられました。「あー、また見た目で判断されて英語で話しかけられた」と怒りかけたのですが……相手はシンガポール人でした。つまり、私はシンガポール人を「見た目」で日本人だと勘ちがいしてしまい、じっさいにはその人が日本語を話せないにもかかわらず、「英語で話しかけられたこと」に怒るところでした。「見た目で判断されること」にあれだけ敏感になっていたはずなのに、あろうことか自分自身も「相手を見た目で判断」してしまいました。

 自戒をこめて、「相手がどこの国の人であるか、相手が何語を話すかについて、人は『見た目』で判断しがち」というカードをつくりたいと思います。もちろん、「なくすべきちがい」としてです。

 今回は「見た目」に焦点を当ててみました。もしよろしければ、つぎのお手紙では木下さんと「国籍」や「二重国籍」に関するお話もしてみたいと考えております。木下さんも『国籍の?(ハテナ)がわかる本』のなかで、国籍について書かれていましたね。

 ところで、ずっと気になっていたことなので、最後はこの話で締めます。いただいたお手紙のなかで木下さんは『フランス人は10着しか服を持たない』(大和書房)についてふれていましたね。「フランス人はおしゃれである」という「日本人」の思い込みを逆手にとったタイトルだと書かれていましたが、じつは私はフランス人がちょっぴりうらやましいのです。

 もしも「○○人は10着しか服を持たない」の○○の部分に、私の出身の「ドイツ」を入れてみると……「ドイツ人は10着しか服を持たない」となります。でも、まったくおしゃれなタイトルだと感じないのはなぜでしょう。きっと多くの人が節約術の本だと思うにちがいありません。日本のなかの「ドイツ」のイメージは「節約」や「堅実」なのでしょうね。あながちまちがってはいないですけど……。

 本のタイトルに「フランス」と入れるだけでいっきにオシャレな本ができあがるだなんて、やっぱりうらやましいのです。

 初めてお手紙を差し上げたのに、いろんな方面に話が飛んでしまいごめんなさい。でも、これからも手紙をとおして木下さんといろんなお話ができることを楽しみにしております。

 いまだに残暑が続いております。木下さんも夏バテなどされませんようくれぐれもお体を大切になさってください。

 

サンドラ・ヘフェリン(さんどら・へふぇりん)
エッセイスト。ドイツ・ミュンヘン出身。日本語とドイツ語の両方が母国語。自身が日独ハーフであることから、「ハーフ」にまつわる問題に興味を持ち、「多文化共生」をテーマに執筆活動をしている。ホームページ「ハーフを考えよう!」 著書に『ハーフが美人なんて妄想ですから‼』(中公新書ラクレ)、『体育会系 日本を蝕む病』(光文社新書)、『なぜ外国人女性は前髪を作らないのか』(中央公論新社)など。