保護者の疑問にヤナギサワ事務主査が答えます。|第1回|小学校入学=ランドセルの「なぜ」|栁澤靖明
第1回
小学校入学=ランドセルの「なぜ」
みなさん、こんにちは。学校の事務室で働いている栁澤です。
え?! 学校に事務室なんてあったのか……、というひとも多いでしょう。まぁ、事務室がない学校もありますが、事務職員はいます。いや、事務職員もいない学校がないこともないんだけど──(迷走中)──って混乱させるわけにも、その説明をここでするわけにもいきませんから、詳細は拙著『本当の学校事務の話をしよう──ひろがる職分とこれからの公教育』をご覧いただき、学校事務について知っていただけると幸いです(ちなみに、この本は授業で教えてくれない学校のことをパパ友に伝えるつもりで書いたため、教育関係者以外でも楽しめる内容になっている、と思います)。
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それでは第1回の幕開けです。今日は、みんな大好き「ランドセル」について話したいと思います。
全国の小学校1年生は、ほぼランドセルを背負って学校に行きますね。どうしてですか? 大好きだからでしょうか? このあたりを考えていきましょう。
念のため、ランドセルというモノの説明をしておきます。
ランドセルとは「教科書や筆記用具などを入れて背中に担ぎ、学校と自宅を往復するための入れ物」です。あえて説明されなくても知っていますよね。ランドセルは、それくらい有名な学用品の地位を築き上げました。
また、入学説明会の資料にも「持ち物:ランドセル」と書かれてしまうほど、「教科書や筆記用具などを入れて背中に担ぎ、学校と自宅を往復する入れ物」は学校指定されていることが多いです。もちろん、荷物を運ぶための入れ物は必要だし、両手がフリーになる状態で登校することも安全対策としては効果が高いと思います。
でも、それはランドセルだけが実現できることじゃないですよね……?
入学前の健康診断(いわゆる就学時健康診断)や、入学前の説明会(いわゆる新入生保護者説明会)のとき、すでに入れ物は「ランドセル」と縛られている場合もあります。しかし、そのとき、「なぜランドセル縛り?」と疑問に思う保護者は少ない、いやゼロといってもいいかもしれません。なぜならば、この状態があたりまえだからです。あたりまえすぎて疑問を抱かない状況を日本社会や学校がつくりあげてしまっているからです。
しかも、ランドセル商戦は早いんです。就学時健康診断や新入生保護者説明会を待っていたら、お気に入りのランドセルは手に入らないでしょう。ちまたでは「ラン活」と称されるくらいに、ランドセル購入活動には本気が必要です。このような〈時期の矛盾〉をクリアしないかぎり、日本からランドセルはなくならないと思います。
もうひとつ、社会現象からも理由を指摘できます。
わたしも学齢期にある子どもの保護者です。もちろん──と言ってしまいますが──ランドセルを買いました。いや、買ってもらったというのが正しいですね。あるランドセルメーカーの調べによれば、ランドセルの購入は祖父母から提案されることが多いそうです。
「来年は〇〇ちゃんも小学生だな~、そうだ、今度ランドセルを見に行かないか? 入学祝に買ってやるから遊びにきなよ~」っていう流れを自然に醸しだし、入学を祝いたい(孫に会いたい)祖父母の楽しみになっているんだろうと思います。多分にもれず、わが家も祖父母に買ってもらいました。この現象は、上に指摘した〈時期の矛盾〉よりもクリアが難しそうな〈善意の祖父母〉問題ですね(笑)。
あ、念のため申し上げておきますが、わたしは「日本からランドセルをなくす会」の会長をしているわけではなく、学校指定品(学校が「ランドセル」のみを指定する行為=「ランドセル縛り」)のあり方を見直す必要性について訴えているのです。メーカーさん、気を悪くしないでくださいませ<m(__)m>。
わたしは『隠れ教育費──公立小中学校でかかるお金を徹底検証』という本で、費用面から教育活動をみていきました。その本にも書きましたが、ランドセルではなく「ランリック©」や「ナップランド」という入れ物を使っている学校があります。両方ともランドセルをスマートに改良したような仕様で、ランドセルよりも耐久性などは劣りそうですが、軽くて安いのが特徴です。
そう、選択肢はいろいろ想定できるのです。
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一応書いておくと、ランドセルなどの学校で使用するモノを国が定めた法律はないし、憲法を含めて各種法令を探してもありません。絶対にない! と自信をもっていえます。もちろん、教育委員会でもありません。ランドセルと指定しているのは各学校なんです。
おそらく、母の日=カーネーション、バレンタインデー=チョコなどのように〈小学校=ランドセル〉という定着が少しずつされてきたんでしょうか。母の日にガーベラやユリを送っても嫌がられることはないでしょうし、バレンタインデーにはチョコよりビールをもらえるほうがわたしはうれしいです(笑)。同じように、かならずしも固定的にとらえる必要がないのであれば、その縛りを少しずつゆるめていく方法も検討できると思います。
少しずつ、ではなく、だれかがドッカーン! と意見をしてもいいんですが、ここまで書いてきたように〈時期の矛盾〉と〈善意の祖父母〉問題があるため、それはかんたんではありません。基本的にランドセルを買いかえることはないし、入学前に購入したら卒業までは使えます。そのため、ランドセル問題って保護者の当事者意識が芽生えづらくなり、改革に至らないようにも思えます。
何度も書きましたが、ランドセルを廃止したいのではなく、縛りをゆるめていくこと、それが今回の主題です。
あえて書くなら、縛っているのは学校です。学校の責任者である校長が「学校のあたりまえをやめよう」とすればやめられる、「あたりまえとされていること」は多いです。じっさいに現役校長が書いた、ほぼ同名の著書はメチャクチャ売れましたね。だからといって校長室に乗り込むことはオススメしません(笑)。校内で話しやすい教職員と話題にしていくだけでも、その話題が職員室に広がり、改善に向かうこともあります。
この問題は、ランドセル以外にも指定される意味がないモノ(靴下や下着の色など)まで波及しているのが現実です。学校を画一的教育施設化させないためにも、学校指定品の意義や効果などを保護者同士で話題にしていくことから始めませんか?
わたしもこの連載をとおして話題提供に努めたいと思います。
栁澤靖明(やなぎさわ・やすあき)
埼玉県の公立小中学校(小・7年、中・12年)で事務職員として勤務。「事務職員の仕事を事務室の外に開く」をモットーに、事務室だより『でんしょ鳩』などで、教職員・保護者・子ども・地域へ情報を発信し、就学支援制度の周知や保護者負担金の撤廃に向けて取り組む。ライフワークとして、「教育の機会均等・無償性」「子どもの権利」「PTA活動」などを研究。おもな著書に『学校徴収金は絶対に減らせます。』(学事出版、2019年)、『本当の学校事務の話をしよう』(太郎次郎社エディタス、2016年、日本教育事務学会「学術研究賞」)、共著に『隠れ教育費』(太郎次郎社エディタス、2019年、日本教育事務学会「研究奨励賞」)など。