きらわれ虫の真実│第14回│ハエ——曲芸師のピカレスクロマン│谷本雄治

きらわれ虫の真実 谷本雄治 大切な家庭菜園に招かれざる客がやってきたら? 虫と対話するナチュラリストが、彼らの生態と意外な魅力を紹介し、ほどよいつきあい方を提案します。

大切な家庭菜園に招かれざる客がやってきたら? 虫と対話するナチュラリストが、彼らの生態と意外な魅力を紹介し、ほどよいつきあい方を提案します。

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第14回
ハエ——曲芸師のピカレスクロマン


ハエ。よく見ると毛だらけだ
ハエ。よく見ると毛だらけだ

【虫の履歴書】見かけ上は2枚ばねの昆虫で、すぐれた飛行能力をもつ。後ろばねは変化して「平均棍へいきんこん」となり、からだの傾きや回転を検知。ホバリングや猛スピードでの方向転換などをらくらくこなし、アクロバティックな飛び方をする。国内だけで約3000種が知られ、人間生活に対して功罪をあわせもつ。


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 蝿帳を最後に見たのはいつだろう。昭和なのは確かだが、いつまで使っていたのか思い出せない。わが家では方形のガーゼ製折り畳み傘のようなものがちゃぶ台の料理を覆い、ハエの侵入を防いでいた。

 拒むだけでなく、積極的にハエを捕える小道具もいろいろあった。蝿たたきや蝿とりリボン、一度入ったら二度と出られない蝿とり瓶、長さ1メートルほどの細型フラスコみたいなガラスの蝿とり棒⋯⋯。いまにして思えば、遊びごころたっぷりの製品が多かった。

 壁といわず天井といわず、ハエはどこにでも平気でとまる。それができるのは、あしの先に「褥盤じょくばん」という毛のようなものがあるからだ。そこから出る粘液で、ぺたんと接地する。ところが、その能力を逆手に取って天井のハエを捕獲するのが蝿とり棒だ。そのあたりの知恵のぶつかりあいが、ハエとのつきあいをおもしろくしていた。

 ハエ全体の95%は自然界に生息するそうだから、家庭に侵入するのはほんの一部ということになる。その少数派がバイキンを運び、嫌われる原因のひとつになっている。イエバエは早ければ10日で成虫になり、一度に50〜150個の卵を産む。1匹のメスは生涯に4〜6回産卵するから、環境によってはハエだらけになる可能性も大きいわけだ。

 こんな話がある。売り棚に、うまそうなぼたもちがあった。それを買おうとして客が手を伸ばすと、あんこが一瞬に消滅したそうな。あんこだと思っていたのは、先客である大量のハエだったというわけである。

 それも、いまは昔。家庭でハエを見る機会は激減した。個性的な蝿とり具を試したくても、昭和人の昔話を聞くしかないという、ありがたくも悲しい時代になっている。

 そのかわりというのか、チョウバエはまだ目にする。ビル内のトイレや台所などの水まわりでうろちょろする小型のハエだ。それだって清掃をしっかりして換気をよくすれば、気にならないていどには防げる。そう考えると、屋内に出没するハエはそれほど気にしなくていいように思う。

チョウバエ。ハエよりも蚊やユスリカに近い虫に分類される

チョウバエ。ハエよりも蚊やユスリカに近い虫に分類される

 現代人にとってより身近なのは、庭の草花や家庭菜園で目にするハエだろう。野菜を育てたことがあれば、葉っぱに描かれた字にも絵にも見えるものを見た覚えがあるだろう。その制作者は、「ジカキムシ」「エカキムシ」とよばれるハモグリバエだ。

 ハモグリバエがすみつくと見栄えが悪くなるだけでなく、光合成がじゃまされて生育不良や収穫量の減少を招く。葉を透かして見える道すじにはところどころに黒いふんがあり、別のところでは幼虫が見つかる。

葉のなかのハモグリバエの幼虫。ふんを残しながら葉を食べすすむ

葉のなかのハモグリバエの幼虫。ふんを残しながら葉を食べすすむ

小松菜の葉にとまっていたハモグリバエの成虫。ナモグリバエと思われる

小松菜の葉にとまっていたハモグリバエの成虫。ナモグリバエと思われる

 菜っぱ類で見るナモグリバエのように葉のなかで蛹になる種もあるが、土にもぐって蛹になるタイプが圧倒的に多数派だ。しかも葉のなかにいる時間は思ったよりも短く、25度以上あれば約3日で土にもぐる。そして蛹になり、つぎの葉もぐり作戦を画策するのだ。

 農薬を使えばいいが、家庭菜園では散布を望まない人が多い。それどころか、農薬を連続使用すると薬剤抵抗性がつき、農薬の効かないハモグリバエが出現する。その一方で天敵を殺すことにもなり、ハモグリバエを喜ばせる。そうなっては元も子もない。

 いちばんのオススメは、寄生されていない苗を選び、植えた時点で目の細かい網をかけておくことだ。それで侵入は防げる。

 とはいえ、被害が出てはじめて気づくことが多いのもまた事実。そこで、究極の化学物質不使用農薬「テデトール」の出番となる。幼虫や蛹を、手袋でもはめた手でプチプチとつぶすのだ。あるいはアブラムシ対策も兼ねて、黄色の粘着板をぶら下げるのもいい。

 「そうはいってもなあ」とつぶやきたくなるぼくのようなズボラ菜園主は、いつか訪れる自然界の寄生バチに期待しよう。

 ことほどさように、ハエは悪者という意識がしみついている。ところが近年は、ハエにだっていいところはあるとばかりに、厄介視するのではなく、利用してやろうという動きも出ている。

 たとえば授粉作業の手伝いだ。深刻な人手不足やミツバチの減少などから、ハエに授粉の代行を頼む。イチゴやマンゴーの栽培園でじっさいに使った人によると、ハエだと気にしなければかなりの成果が上がるという。

ハエはバイキンを運ぶ悪いヤツ。とはいえ一部は、植物の授粉係も引き受けている

ハエはバイキンを運ぶ悪いヤツ。とはいえ一部は、植物の授粉係も引き受けている

 糖尿病患者に、ハエの幼虫を使う治療法もある。心理的なダメージはあるだろうが、抗菌物質を有し殺菌効果も期待できるというウジ虫の働きに賭け、足の切断を免れたという報告は少なくない。

ミミズの死骸に群がるキンバエの一種の集団。自然界では分解者の一翼を担っている

ミミズの死骸に群がるキンバエの一種の集団。自然界では分解者の一翼を担っている


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希少超越種:キンバエ、クロバエなどは俗に「ギンバエ」とよばれるが、正式名ではない。これぞ銀色というハエが見つかれば大発見だ。サングラスをかけた「横浜銀蝿」という音楽バンドが一世を風靡した。クロバエ科には、よく似た風体のツマグロキンバエがいる。

スリット入りのサングラスをかけたようなツマグロキンバエ。見かけによらず、花を愛するようだ

スリット入りのサングラスをかけたようなツマグロキンバエ。見かけによらず、花を愛するようだ

 

谷本雄治(たにもと・ゆうじ)
プチ生物研究家・作家。1953年、名古屋市生まれ。田畑や雑木林の周辺に出没し、虫をはじめとする、てのひらサイズの身近な生きものとの対話を試みている。肩書きの「プチ」は、対象の大きさと、研究もどきをたしなむという意味から。家庭菜園ではミニトマト、ナスなどに加えて「悪魔の爪」ツノゴマの栽培に挑戦し、趣味的な〝養蚕ごっこ〟も楽しむ。著書に、『週末ナチュラリストのすすめ』(岩波科学ライブラリー)、『天の蚕が夢をつむぐ 大島紬ものがたり』(フレーベル館)、『ちいさな虫のおくりもの アリスの心とファーブルの目』(文研出版)など多数。自由研究っぽい飼育・観察をもとにした、児童向け作品も多い。