きらわれ虫の真実│第2回│蚊——時差出勤のドラキュラ│谷本雄治

※冒頭以外の写真は小さくしてあります。写真をクリックすると拡大されますので、抵抗のない方はどうぞごらんください
第2回
蚊——時差出勤のドラキュラ
【虫の履歴書】双翅目カ科の昆虫。双翅目はハエ目とも呼ぶので、蚊なのにハエの一員ということになる。世界に三千数百種、日本だけで100種を超す蚊が知られる。人間の血を求めるのは、そのうちの約20種。病原体を媒介する蚊もいることから、衛生害虫として警戒される。
・・・・・・・・・・
家庭菜園のまねごとをしている。タネをまいても発芽しないことはしょっちゅうだし、どんな野菜もまともに収穫できたためしがない万年素人だ。
そのかわり、害虫に裏切られたことは一度もない。毎年、忘れずにやってくる。だから、フツーの害虫には慣れっこなのだが、蚊だけは例外だ。難渋し、泣かされる。
完全変態の昆虫である蚊は、卵から成虫になるまでに、幼虫とさなぎの時期がある。羽化するまで水は必要だが、孵化して10日ほどで飛びたつため、そのあいだだけでいい。成虫は1か月ほど生きるという。
成長が早いだけでなく、生意気にも幼虫とさなぎに特別な呼び名がある。幼虫は「ボウフラ」、さなぎは「オニボウフラ」だ。
毛もじゃで細長いボウフラは漫画家・赤塚不二夫描くところのケムンパスに似て、愛嬌がある。3回脱皮し、2本の呼吸角が鬼の角を思わせるオニボウフラに変身する。
蚊の幼虫、ボウフラ
蚊のさなぎ、オニボウフラ。頭でっかちで、なかなかカッコいい。ずっと、このままでいてくれるといいのにな
オニボウフラは、さなぎなのに活発に動くのが特徴だ。田んぼで集団ダンスを見たことがあるが、いずれ吸血鬼と化す蚊だとわかっていてもおもしろくて、見飽きない。
田んぼで見つけた黒っぽい虫の群れ。盛んに動いている
近づいて見たら、頭には角が生えていた。なんと、オニボウフラのダンス会場だったのだ!
驚くことに、ボウフラが蚊のコドモだということを知らない高校生が多いとか。「孑孑」という文字を見るだけで体がムズムズするぼくとは、住む世界が違うようである(「そういうオマエの住む世界のほうがヘンだろ」という声が聞こえたような……)。
そんな生徒に蚊の絵を描かせれば、4枚ばねになる。双翅目というくらいだから、はねは2枚でなければならない。後ろばねに当たる2枚は退化して、飛ぶときにバランスをとる平均棍という器官になっている。
だからといって、現代の若者を非難する資格はぼくにない。夏休みには虫かごを手に、黒と白のしま模様の蚊を追いかけていたのだから、似たり寄ったりである。俗に「ヤブカ」と呼ぶ、ヒトスジシマカだった。
夜には蚊帳を吊り、蚊とり線香をたくのが、かつての夏の風物詩だった。それでなんとなく、蚊は夜に活動すると思いがちだ。
ところがじっさいには、種類によって異なる。アカイエカは夜行性で、ヤブカは昼行性。ハマダラカは明け方・夕方を好む薄暮活動性の蚊とされている。同じような蚊に見えても、みごとな時差出勤体制を構築しているのだ。
蚊が寄りつく要素は二酸化炭素である息とにおい、体温だという。10メートルも先から二酸化炭素を検知して体臭や汗に気づき、その熱源が体温だと確かめてから針を刺す。もっとも「針」と呼ぶのは便宜上で、ほんとうは吸血鬼もびっくりの複雑な道具とやり方がある。
まずは、くち先にあるのこぎりのようなものでヒトの皮膚を切り裂く。そして血を吸う態勢を整えてから、麻酔成分をふくむ唾液を送りこんで、血が固まるのを防ぐ。ヒトの体はその唾液に抗う反応を起こし、結果的にかゆいと感じるようである。
ヤブカ。吸血鬼よ、ぼくの血でよければ、存分に吸いたまえ……
吸血昆虫の蚊だが、血を吸うのはメスだけだ。オスは、甘露といわれるアブラムシの出す甘い汁や花の蜜などをえさにする。
できれば蚊の弁護などしたくないのだが、メスだって最初からヒトを襲うつもりで生まれてはいない。交尾してお産が近づくと血が騒ぐのか、にわかにヒト恋しくなるというしだいだ。子孫を残すのが最重要の使命だから、タンパク質や脂質がいっぱいあるヒトの血に栄養を求めるのは、悔しいが、理にかなう。
血を吸ったら、おしっこをして余分な水分を排出し、体重が2倍になっても吸いつづける。相手にそうと気づかれずに血を吸うのだから、なかなかのテクニシャンではある。
だが、ヒトも負けてはいない。蚊のやりくちをまねて、細いのに強い針、刺しても痛くない針を開発した。蚊もヒトもスゴい!
何はともあれ、蚊との接触はできるだけ避けたい。そのためには白っぽいシャツを着て肌の露出を抑え、蚊が嫌うハッカ・ヒノキ油由来の虫よけスプレーなどを使う。汗をかいたらすぐに拭きとる習慣も身につけたい。
高校生の発見として話題になった、足の裏の常在菌を除菌シートで拭う方法もある。個人差もあるのか、残念ながら、ぼくには効果が実感できなかった。ただし防げたという声も多いので、一度は試してみたい対策だ。
それらとあわせて実践したいのは、昔ながらのボウフラ追放作戦である。小まめに除草し、植木鉢の受け皿、古いタイヤ、水を張ってほったらかしのバケツなどをとり除く。雨どいや排水溝のつまりもなくす。清掃をしっかりすれば、ボウフラの発生源は確実に減る。
池や水槽ではメダカや魚を飼おう。意外なところでは、カブトエビがボウフラを好む。
カブトエビ。ボウフラが大好物の古代生物だ。ジュラ紀には蚊がいたそうだから、もしかして伝統の味?
・・・・・・・・・・
蚊の母:ガガンボは蚊にそっくりであしが長い、体長数センチの巨大な虫だ。蚊の親戚筋にあたり、「蚊の母」が語源とされる。だが、血は求めない。同じく名前に「蚊」とつくユスリカも刺すことはなく、幼虫は「赤虫」として釣りや観賞魚のえさになる。見た目で判断してはいけない〝蚊〟仲間である。
蚊の母に見立てられたガガンボ。蚊では見にくい、はねが退化したマッチ棒の頭のような平均棍もよく見える
花びらにとまったユスリカ。吸蜜はしなかった
ユスリカの仲間の幼虫、赤虫
谷本雄治(たにもと・ゆうじ)
プチ生物研究家・作家。1953年、名古屋市生まれ。田畑や雑木林の周辺に出没し、虫をはじめとする、てのひらサイズの身近な生きものとの対話を試みている。肩書きの「プチ」は、対象の大きさと、研究もどきをたしなむという意味から。家庭菜園ではミニトマト、ナスなどに加えて「悪魔の爪」ツノゴマの栽培に挑戦し、趣味的な〝養蚕ごっこ〟も楽しむ。おもな著書に『週末ナチュラリストのすすめ』(岩波科学ライブラリー)、『土をつくる生きものたち』(岩崎書店)、『ケンさん、イチゴの虫をこらしめる』(フレーベル館)などがある。自由研究っぽい飼育・観察をもとにした、児童向け作品も多い。