他人と生きるための社会学キーワード|第10回|アンラーン|長 創一朗

リレー連載 他人と生きるための社会学キーワード 毎号、ひとつのキーワードから「問題を考えつづける」ための視点を伝えます。社会学者から若い人へのメッセージ

ひとつのキーワードから「問題を考えつづける」ための視点を伝えます。社会学者から若い人へのメッセージ。

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アンラーン
他者と共に生きるために、学ぶことより必要なこと

長 創一朗

 私たちにとって学ぶこと(learning)は必要不可欠である、ということに異論を唱える人はいないだろう。私たちがある行動や判断をするさいには、自分の記憶や知識を頼りにするからという原理的な理由もあれば、現在の社会においては、より多くのことを学んでいることは有能である証拠として考えられるため、学ぶ能力(≒学力)があることやそれを証明するとされる学歴を得るためといった理由も考えられる。

 今回キーワードとして提示するのは、この学ぶ(learn)ことに、動作の反転や取り消しを意味する接頭辞“un”が付いたアンラーン(unlearn)である。一見、学ぶことを否定し、学ばないことを勧めているように思われるかもしれないが、そうではない。現代社会においてアンラーン(unlearn)は、学ぶこと以上に重要な概念である。

 learn(学ぶ)に対してunlearnは、どのように訳したらよいか。一般的には、「学び返し」や「学び捨てる(学習棄却)」と訳されることが多い。lock(施錠する)に対するunlock(解錠する)をイメージするとわかりやすい。哲学者の鶴見俊輔は、ヘレン・ケラーとの会話で、「自分は大学でたくさんlearnしたが、そのあとunlearnしなければならなかった」と彼女が述べたことに対して、unlearnという言葉に、型どおりのセーターを編み、それをもとの毛糸に戻してから、自分の体型の必要にあわせて編み直すという情景を思い浮かべたと述懐している。そして鶴見はunlearnに「学びほぐす」という訳語を当てた。このようにunlearnは、いったん学んできたことがらを使えるようにするために解体する行為を指す(鶴見俊輔『教育再定義への試み』岩波書店、1999年)。

 なぜ、このunlearnが重要となってきているのか。これまでの日本社会では、学校は社会に出る(≒就職する)ためのいわば予備校のような位置づけとして、社会に出たさいに必要となる知識を事前に学んでおくことに焦点が当てられていた。しかし、世界規模の問題が私たち一人ひとりに影響を与えるグローバル社会においては、専門家が生みだした解決策(知識)だけを学んでいてはまにあわず、一人ひとりが知識や知恵を持ち寄り、主体的に答えをつくりだすことが必要となってきている。このような社会の変化を受けて、現在の学校教育には、「何を知っているか」だけではなく、それを使って「何ができるか」「いかに問題を解決できるか」が求められるようになってきており、そのような資質・能力を育成することが学校教育の目標とされている(国立教育政策研究所『国研ライブラリー 資質・能力[理論編]』東洋館出版社、2016年)。この資質・能力の説明にunlearnという言葉そのものは使われていないが、前述の鶴見の述懐のように、一度学んだことを使えるようにするために解体し再構成するというunlearnの発想を見出すことができる。

 さらに一歩進んで、学校や社会で学んだことが現実の問題に対処できないだけでなく、むしろ現実の社会で問題を生じさせることもある。その問題の解決のさいにもunlearnは必要である。例を示そう。

 東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長(当時)が、臨時評議会の場で「女性がたくさん入っている会議は時間がかかる」という女性蔑視発言をしたことに対して責任をとり、辞任したことは記憶に新しい。森は辞任を表明したさいに、老害・年寄りは下がれと言われたことに不快感を示したが、批判の中心は年齢ではなく、社会の変化にともなって自身の古い価値観をアップデートできていないことにあった。この「価値観をアップデートする」とは、近年さかんに言われるようになった言葉である。NewsPicksは2018年に「さよなら、おっさん」というキャンペーンをおこない、年齢や性別ではなく、日本の凝り固まった価値観やルールを「おっさん」と呼び、そのアップデートを呼びかけた。

 森や「おっさん」は価値観のアップデート(新しく学ぶこと)で十分だっただろうか。インド出身の思想家ガヤトリ・チャクラヴォルティ・スピヴァクは、西洋の学問的モデルが「第三世界」女性を平然と無視できる特権に意義を申し立てるなかで、「私たち自身の損失として私たちの特権を学びつつ解体するアンラーン」と主張した(スティーブン・モートン、本橋哲也訳『現代思想ガイドブック ガヤトリ・チャクラヴォルティ・スピヴァク』青土社、2005年)。森や「おっさん」の例で言えば、彼らが古い「おっさん」的価値観を新しい価値観にアップデートする(新しく学ぶ)まえに、古い「おっさん」的な価値観を成り立たせていた「おっさん」的な社会のシステムや、彼らがそれに適応した(学んだ)ことによって得た特権を自覚し、それをunlearnすることが必要だったのではないか。たしかに、「おっさん」的な価値観が別の価値観に変わったとしても、彼らが特権的な立場を維持したまま新しい価値観を押しつけていたのでは根本的な解決にはつながらない。

 今後ますます社会の変化が激しくなっていくなかで、自分とはさまざまな点で異なる人と共に生きていくことは避けられない。そのさい、これまで自分が学んだこと/学んでしまっていることが通用しないばかりか、むしろ害を生じさせる場合も出てくるだろう。自分が学んだこと/学んでしまったことを、学んだことで得られた自分の立場(特権)も含めて一度相対化し、他者とのかかわりのなかで組み直していくこと、すなわちunlearnすることは、私たちにとって必要不可欠な概念となっている。


■ブックガイド──その先を知りたい人へ
国立教育政策研究所編『国研ライブラリー 資質・能力[理論編]』東洋館出版社、2016年
イヴァン・イリッチ著、東洋・小澤周三訳『脱学校の社会』東京創元社、1977年
千葉雅也『勉強の哲学――来たるべきバカのために』文藝春秋、2017年

 

長 創一朗(ちょう・そういちろう)
新潟大学教育・学生支援機構教育プログラム支援センター特任助教。筑波大学大学院人間総合科学研究科博士課程ヒューマン・ケア科学専攻在籍中。専門分野:教育社会学、共生社会学。
主要著作:
『教育社会学』共著、ミネルヴァ書房、2018年
「共生社会・歴史認識・配分原理・社会的諦観に関わる社会意識の分析――学歴と年齢製の観点による2018年調査データの検討」共著、筑波大学大学院人間総合科学研究科ヒューマン・ケア科学専攻共生教育学分野、2019年