アイドルとのつきあいかた│第9回│運営になるオタクたち│ロマン優光

アイドルとのつきあいかた ロマン優光 ろまん ゆうこう 〈不健全な疑似恋愛関係〉から〈健全な共犯関係へ〉──これからのアイドルとオタクの関係性を考察します。

〈不健全な疑似恋愛関係〉から〈健全な共犯関係へ〉──これからのアイドルとオタクの関係性を考察します。

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第9回
運営になるオタクたち

オタク自身の
理想をもとめて

 どんなジャンルの音楽であれ、熱心にライブを見に通うようになったり、作品にのめり込むように聞きこんでいるうちに、自分が演者側に立ちたくなってしまう客側の人間というのが生じてくる。

 これは自然な心理であるといってもいいだろう。単純にステージの上で輝いている演者のように自分も輝いてみたいという心理もあれば、ステージや作品に自分が救われたという想いをした人のなかには、自分がほかの人を救う立場になりたいという使命感めいたものにかられて演者になろうと決意する人もいる。音楽じたいに強く惹かれている人ならば、自分もあのような音楽をつくってみたいと思うこともある。どれかひとつが動機になるというよりは、人によって割合はさまざまだが、それらの動機が複雑に絡み合って、演者側への道へと繋がっていくわけだ。

 バンドであったり、ラッパーやHIPHOPやその他のクラブミュージックのトラックメイカーに憧れているのなら、ストレートに話は進む。バンドに憧れたらバンドを始めればいいし、ラッパーに憧れたらラッパーをめざせばいい、トラックメイカーになりたければ機材やソフトを手にいれて曲をつくりはじめればいいだけのことだ。原則的には老若男女問わず、それらになることは可能であるし、とにかく始めればいいだけのことではある。

 しかし、これがアイドルとなると話は違ってくる。この連載は女性アイドルのオタクについて言及していくものなので、そこに限定して考えていくわけだが、どんなにアイドルが好きで憧れていても、すべてのオタクがアイドルになれるわけではないのだ。女性アイドルに憧れて女性アイドルになることができるのは、現状では原則的には女性だけだからである。

 そう、アイドルオタクの過半数を占めるであろう男性オタクはどんなに憧れようともアイドルには原則的になれない。ここで原則的と書いたのは、現時点において男性として戸籍上は登録されているオタクのなかには性自認が女性である人もいるかもしれないし、ヘテロ男性であっても女装子ユニットみたいなかたちで「女性」アイドル枠で活動できる可能性はあるからである。とはいえ、いわゆる女オタがアイドルになる可能性とくらべたら微々たるものであろう。

 このように、あらかじめアイドルそのものになる条件を剥奪されている男性オタクが演者側に回りたければどうすればいいのか? アイドルが好きで好きでたまらず、脳内には理想のアイドルのコンセプトがグルグル回っているというのに自分はアイドルになることができないオタクはどうしたら、その理想を現実化することができるのか?

 その答えはひとつ、運営になることである。

 まあ、これはアイドルという存在、その文化が好きでたまらないオタクが運営になるという場合のひじょうに美しいかたちの例であって、べつに理想に燃えて運営をめざすわけでもなく、運営になってしまうオタクもいる。そこもふくめて考えていかなければならない。また、女オタがかならずしもアイドルをめざすかというと、そういうわけでもなく、そういった例も考察していく必要はあるだろう。また、運営ではなくイベンターをめざすオタクもいるのだが、それについても考えていきたい。


アイドル運営の
3つの類型

 アイドル運営をめざすオタクについて考える前に、アイドル運営じたいについて、どのようなタイプに分類することができるか考えてみよう。

 大まかに分けるなら、①芸能事務所系と、②ミュージシャンなどのクリエイター系やそういった業界にいた人間が直接的に運営に携わるタイプ、③アイドル運営をやりたくて運営を始めるタイプに分けられる。所属タレントの活動形態のひとつとしてアイドルを運営しているタイプと、自分の作品や表現をアイドルをとおして世間に流通させるために運営しているタイプ、アイドル運営であることじたいに意味を見いだしているタイプという違いがあると言いかえてもいいかもしれない。

 一見、仕事として利益優先でおこなっている系とアイドルに対する理想のためにおこなっている系に別れているようにもみえるが、そう単純な話でもない。これら3つが完全に分化しているわけでもない。

 芸能事務所系であっても、アイドルじたいのあり方についての異常に高いこだわりがある場合もある。芸能事務所に所属しながら、マネタイズはほかの活動でおこない、個人的な趣味性の高い表現活動をアイドルでやろうとしている運営もいる。ミュージシャン系の運営でも、自分がやっていた音楽とは関係ない売れそうなことしかやらない運営もいる。アイドルをやるためだけに運営を始めたとしても、べつにアイドルとしての表現にはこだわりがぜんぜん感じられない運営も珍しくはない(これについては後述する)。

 アイドル運営には、お金が好きな人、楽曲が好きな人、女の子が好きな人がいるということがいわれている。この場合の楽曲は単純に曲ということだけではなく、表現と言いかえることができるだろう。女の子が好きというのに関していえば、アイドルという存在が好きなのか、従順な若い女が好きなのか、というふたつの好きがあり、その違いがアイドル運営としてのあり方に大きく作用する。運営としての出自に加味して、これらの要素が絡んでくる(単純にどれかひとつがモチベーションであるわけでもなく、そこにはグラデーションがあるだろう)ことで、それぞれの運営スタイルが決まってくる。

 オタクが運営になるということに関してもいくつかの道筋がある。

 芸能事務所や音楽事務所に勤めていたり、就職したアイドルオタクが、そこの業務として始める場合。夢みるアドレセンスの運営などはこのパターンだろう。ミュージシャン・クリエイター系にも自己の表現活動の一環としてアイドル運営を始めたような場合だけではなく、めろん畑a go goの運営をはじめとして自身がアイドルオタクであった場合も多い。

 彼らのような場合は、事務所のなかの人間が始める場合は会社の資本やマネジメントのノウハウやコネクション、ミュージシャン・クリエイター系であれば楽曲などのコンテンツ製作能力が最初から備わっており、アイドル運営を始めるにあたって最初から武器を持っている。それにくらべれば、そういう職種にもついておらず、製作経験もないオタクはそういった点で苦労をしいられることになる。


一筋縄ではいかない
素人オタクの運営

 完全に素人のオタクあがり運営について、そんなに大変なのに運営になるくらいアイドルが好きなのだから、アイドルというものに対して情熱と高い見識をもっているだろうと思う人は多いだろうが、かならずしもそうではない。アイドルに関して知識をもっているのはまちがいないし、知識があることは運営をするにあたって有利に働くことはまちがいない。まちがいないのだが、知識だけで考察をすることができてなければ、べつにその知識は役には立たないし、アイドルに対する理解も低いままなのだ。

 情熱に関しては、たいていの人はもっている。ただ、どういうアイドルをつくりたいといったビジョンもないままにアイドル運営を始める人間も珍しくはない。「アイドル運営になって、ほかのオタクに偉そうにしたい」といったレベルのモチベーションでアイドル運営を始めてしまう人間も珍しいわけではないのである。そういったところは短期間で活動が終わるし、御披露目するまえになくなってしまうようなひどい例もある。

 また、アイドルオタクではあるが、本質的な部分ではアイドルという存在が好きというわけではなく、結局のところ従順な若い女の子が好きで、そういう女の子(それはたんにキャラクター上のイメージであったり、接触という業務で客に対してそのように振る舞うしかないからだったりするからなのだが)に接することができるという理由からオタクをやっているタイプの人が運営を始めてしまう場合もある。若い女性に近づく、あわよくば自分のものにするために運営をやろうとしているだけなので、かならずといっていいくらい問題が起こるし、これまた短期間の活動や活動する以前に終わってしまうことも珍しくない。

 このようなレベルの低すぎる例はおいておくとしても、オタクあがりの運営がアイドルに対する見識が高い場合が多いのかは疑問が残る。それはその運営がオタクとしてやってきた活動と密接にかかわっている。

 接触にしか興味がないオタクが運営になっても、接触のシステムやレギュレーションに関しては一家言あり、メンバー選びに関しても一般的にオタク好きがするような人材を選ぶ傾向もあったり、オタクが快適な接触空間をつくることができるかもしれないが、それについてしか興味がないので、ステージや楽曲についてはひじょうに微妙なものをつくってしまうことがある。これは極端な例だが、オタクあがりの運営は結局のところ、オタクとしての自分が快適なものをつくろうとするわけで、オタクとしての自分の活動のあり方に、運営するアイドルが大きく作用されてしまうのだ。

 沸ける現場が好きな人は沸けるアイドルをつくる。楽曲派(ロリコンの隠語としてではなく本来の意味で)が好きな人は楽曲派アイドルをつくろうとする。好みによって理想のアイドルは違うし、人それぞれではあるが、漠然とそういうものが好きなだけで、そこに独自のセンスとこだわりがないタイプのオタクは、アイドルを作ったというだけにとどまって、凡庸なものをつくりがちだ。アイドルグループを運営しているという喜びだけで終始してしまうのかもしれない。

 どんなに漫画が好きで何千冊と漫画を読んでいようとも、漠然と「面白かった!」と思っているだけで、何が面白いのか、何で面白いのかといったところまで考えれない人は漫画を書いたとしても、漫画を書いたという事実が残るだけで、面白い漫画を書ける可能性は低いだろう。それと同じだ。面白いアイドルグループをつくるオタクは、オタクとしての独自のセンスと強いこだわりをもったオタクである。

 ただ、独自のセンスと強いこだわりをもったオタクがつくったアイドルが成功するかというと、やはりかならずしもそうではないのである。


情熱だけでは
続かない

 アイドル楽曲を好む人のなかには、不安定な歌声、はっきりいうと歌が下手なことを好む人がいる。しかし、それはグループの場合、たくさんの歌声のなかのひとつとしてバランスのなかで成立するものだ。アイドルグループのメンバーのなかには歌メンやダンスメンといわれるような、ルックスで人気を得るタイプというより、歌の上手さやダンスの上手さでグループに貢献するような立場のメンバーがいる場合がある。ちゃんと上手く歌えるメンバーがいることで歌全体が安定し、不安定な歌声のよさが逆に際立つのだ。

 あるグループの話だが、ルックスもよくてキャラクターも面白い子だが歌が壊滅的に下手なメンバーがひとりしか残ってない状態になっていたところに新メンバーが一人入ることになった。ルックス面を重視して加入させられたようにも見えず、とくにダンスが協調されているグループではなかったので、なんとなく歌が弱いのでそこを補強できる感じの歌メンなのだろうというふうにオタクが思っていたところ、実際のステージ上では元のメンバーと違ったタイプの不安定な歌声が披露され、驚くことになった。

 たしかに面白かったのだが、違ったタイプの不安定な歌声が同時に存在するというのはひじょうに落ち着かないものがあり、一般的には受けないだろうものであった。運営が楽曲製作を依頼している面子を見ても、実際の楽曲クオリティから見ても、音楽面でのこだわりがひじょうに強いタイプであり、歌声に無頓着なわけでは絶対にない。

 よくよく考えてみると、そこの運営が好きだったグループというのは不安定な歌声の子が効果的に貢献していたグループであり、たまたま歌が下手なメンバー集まったのではなく、意図的に入れたものだと思われる。そう考えるなら、あのメンバーは運営的には歌メンだったのかもしれない。そういえば、その後に入ったメンバーもとくに歌がうまいタイプはいなかった。こだわりの強さゆえに独自の面白さをもったものをつくれたが、それゆえに一般性が失われた例ではないだろうか。

 また別のグループの話になる。個性的で面白いメンバーが揃ったグループであったのだが、ひじょうにメンタルが不安定な人が多く、そういう人たちを集めて安定した運営するのは当然ながら難しいわけで、メンバー間の仲違い、ライブ欠席からの突然の脱退、たびたびの入院といったようなことが起こった結果、空中分解状態に。 面白くて「ひどい」ものをやろうとしていたのがグループコンセプトや演出からもうかがえ、 ほかの条件で選んだ結果、偶然そういう子が多かったのではなく、そういう子をわざわざ選んでしまったのだろう。

 運営は、オタ芸のテンプレやフォーマットからズラした、ありえなすぎてつい笑ってしまうような「ひどい」フロアーの使い方や「ひどい」コールをしてくる面白いオタクだった人で、あの人がつくるであろうタイプの「ひどい」面白さを重視したようなグループだった。彼がオタクとして通ってたグループは、ひじょうに個性的なコンセプトと楽曲をもち、メンバーにひじょうに個性的で面白いメンタルが不安定なメンバーのいるグループだったのだが、彼女のことが大好きなひじょうにしっかりとした人格者タイプのメンバーがいることでグループ内のバランスが成り立っていて、そういうメンバーなしに、しかも複数のそういうタイプを集めてもバランスが悪すぎるのである。これも、オタクとしてのこだわりを重視しすぎてしまった例のような気がする。

 アイドルに対して漠然としたレベルの考察しかないままに情熱だけで運営を始めても、多くの場合は凡庸なものしかできない。かといって、とことんアイドルを考察することで生まれたセンスとこだわりをもとに理想のアイドルをつくろうとしても、急進的にことを進めすぎてひじょうに偏ったものができてしまい、上手く活動することができない場合もある。オタクのこだわりというものは、表現に対するこだわりというより自分がなにで快楽を感じるかにたいするこだわりである場合が多く、それ以外の部分が抜けることで、バランスが悪いものになりがちだ。

 オタクあがりの運営だけの話でないが、運営の極端なこだわりによって生まれるものは個性的で面白いものであることは多く、個人的にはひじょうに好きなものである場合は多いのだけれど、世間一般の考えるようなアイドルとしての成功をおさめる可能性は低いわけで、メンバーがそのような方向性のグループであると認識したうえで楽しく活動できているかどうかは大きな問題になるだろう。それでも漠然としているタイプよりは、こだわりが強すぎるタイプのほうが突出したものをつくることはあるわけで、それが何かの拍子に注目を集める可能性がないわけではない。

 神様のいたずらめいた偶然がなければ、あるていど以上の注目をあつめられるグループをつくれるのは、アイドルは売れなければならないという方向でこだわりをもっているオタクであったり、たまたまセンスとこだわりの方向性が世間と乖離している部分が少ないオタクであるか、強いこだわりをもちながらも客観性をもってバランスよく配置することができるオタクなのだろう。あるていどのバランスのよさや客観性は必要なのである。

 この項は次回も続くことになる。 

 

ロマン優光(ろまん・ゆうこう)
1972年高知県生まれ。ソロパンクユニット「プンクボイ」で音楽デビューしたのち、友人であった掟ポルシェとともに、ニューウェイヴバンド「ロマンポルシェ。」を結成。ディレイ担当。WEBサイト「ブッチNEWS」でコラム「ロマン優光のさよなら、くまさん」を隔週連載中。
著書に『90年代サブカルの呪い』『SNSは権力に忠実なバカだらけ』『間違ったサブカルで「マウンティング」してくるすべてのクズどもに』『日本人の99.9%はバカ』(いずれもコア新書)、『音楽家残酷物語』(ひよこ書房)。