アイドルとのつきあいかた│第6回│オタク社会の行動原理│ロマン優光

アイドルとのつきあいかた ロマン優光 ろまん ゆうこう 〈不健全な疑似恋愛関係〉から〈健全な共犯関係へ〉──これからのアイドルとオタクの関係性を考察します。

〈不健全な疑似恋愛関係〉から〈健全な共犯関係へ〉──これからのアイドルとオタクの関係性を考察します。

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第6回
オタク社会の行動原理

オタク社会の
ヒエラルキー

 人が集まる場所には「社会」というものが形成されるわけだが、アイドル現場もまた例外ではない。現場に行くことによって、日常で過ごしている「社会」とはまた別の「社会」をオタクは過ごす。

 すべてのオタクはアイドルの前ではたんなるオタクにすぎない。社会的な地位のもつ意味合いはすべて剥奪され、大学教授だろうが、企業の重役だろうが、ただの高校生だろうが、実家住まいの40代無職だろうが、一律オタクという意味が与えられる。その結果、年齢・職業・思想などがすべてバラバラの人びとが対等の立場で交流し、日常では出会わないような人どうしで飲みにいったりしながら、社会を形成していく。

 そう聞くと、平等でヒエラルキーのない素晴らしい空間のように思えるかもしれない。しかし、じっさいには日常のヒエラルキーを決めているのとは別のルールによってヒエラルキーが決まる、あるいは決めようとする人間がいる社会でもある。そして、そこには金力・体力・知力・容姿・派閥形成力など、さまざまな要素が介入してくる。また、アイドルをめぐる価値観も多様であり、ある価値観をもつ界隈ではヒエラルキーが下だとされる者が、別の価値観のもとではヒエラルキーが上の人間だとみなされている場合もある。

 たとえば、アイドルと繋がることを目的としている界隈と、アイドルのライブを楽しむことを目的としている界隈が同じ現場にいたとする。実際にアイドルと繋がったオタクがいたなら、前者にとっては上位の存在であるだろう。しかし、繋がったメンバーが辞めたりすることでグループの存亡に影響を与えるような行為をする者は、後者にとっては許されざる存在、下の下の存在だと認識されるだろう。沸くことをよしとする者。文化的に観賞することをよしとする者。ひとつの現場でTO(トップ・オタクの略)だとほかのオタクに認識されることを目標とする者。複数の現場で楽しんでいくことを目的としている者。そういう価値観が交錯しているのがアイドル現場であり、ひとつの価値観で統一されているわけではないし、いさかいもある。オタクはみんな仲がいいというのは幻想でしかない。

 いろんな価値観の集団や個人が、それぞれの思惑を胸に現場で活動し、なんとなく形成されているのがオタクの「社会」である。ただ、それぞれの欲望にプリミティブに直結しているため、日常社会よりはある意味シンプルである。


対バンが
生み出す交流

 オタクどうしの交流というと、同じ現場に通う仲がいいオタク集団をふつうは考えるだろう。それはべつに間違っているわけではない。ひとつの現場で形成された集団が、別のアイドルの現場に集団ごと移動していく例もよく見られる。そういった集団は、集団内でひとつの社会が形成されているわけであり、それを形成しているそれぞれの人間にとって、その関係性はひじょうに重要なものだ。アイドル現場に訪れるモチベーションとして、「アイドル現場にいる俺たち」が重要な意味をもっている人たちであろう。そこには、同一の価値観で結ばれた濃厚な関係性が存在する。

 しかし、一方では、ひとつの現場で「集団」であるかのように見えていた集まりが、その現場がなくなってしまうと、それぞれ別の現場に散っていく例も珍しくはない。個々の理由や趣味性によって、たまたま同じ現場にいた人たちが、おのおのの欲望に従って、それぞれの欲求にあった新しい現場におもむいていく。対アイドルをアイドルオタクとしての活動の中心に据えて行動するという価値観で考えるならば、ひじょうに健全な動きである。こういった個人がそれぞれのオタ活をしながら、別の現場でまたいっしょに定着することになったり、複数のアイドルが出演するイベントでたがいの通っているアイドルが共演したときに交流をもったりしながら、付かず離れずで良好な関係性を保っていくことになる。たがいの職業や家庭の事情まで把握している集団もあれば、何度となく顔をあわせ何度も飲みにいってるのに本名すら知らない関係性もある。その濃淡もさまざまだ。

 複数の演者が出演するライブのことを、アイドルの世界でも対バンと呼ぶ。対バンのバンはバンドから来ているもので、もともとはバンド界隈で使われていた用語が、アイドルがライブハウスで活動することが多くなったあたりから流用されて使われるようになったものだろう。対バンライブといっても、規模によって意味合いが異なる。フェス的な意味合いの大規模なものや、あるていど以上動員のあるものどうしが共演する特別なイベントとしての色のあるもの。地下・地底アイドルの大半は、単独で利益が生み出せるライブが恒常的におこなえるような動員規模ではなく、複数のアイドルがブッキングされるかたちでライブがおこなわれる。日常的におこなわれている地下・地底アイドルのライブの大半がそういう小規模な対バンライブである。

 そういう小規模な対バンライブもライブの企画者ごとに出演者の傾向がある。一定の音楽的方向性や活動の方向性が重なるものが集められている場合もあれば、たんに動員数が同じような小規模グループを集めただけのライブもある。後者は寄せ集め的な企画であり、企画としての明確なカラーがないのだが、そういう企画に出るのはデビューまもないか、明確な方向性・戦略性があまり感じられないグループが多く、キャリアを積んで自分たちの方向性にあった対バンイベントに出ていくであろうグループをのぞけば、わりと均質な手触りであって、そこに集まるオタクにもなんとなく独特な傾向があったりもする。

 けっきょくのところ、同じ企画に出ている対バンのアイドルも観にいくオタクの嗜好にあるていどあうものが出演している場合が多いし、対バンのオタクとも嗜好が近い場合も多い。そういうライブに通っていくと、同じアイドルの現場に通っていたわけではないが、よく対バンになるアイドルのオタクの人と顔をよく合わせることで仲よくなるということもある。そういう複数のアイドルのオタクどうしが交流することで、一定の界隈めいたものが形成されている場合もある。また、企画じたいがコンセプチュアルである場合は、どこのアイドルのオタクという括りではなく、その企画に行けば自分の嗜好にあったアイドルを複数観たり、新しく知ることができるということで、その企画じたいのオタクめいた括りで界隈が成立する場合もある。


同じ出演者でも
企画で客層が変わる

 こういった界隈の形成は、ひとつのアイドルに忠誠をつくすようなオタクではないタイプの、ほかのジャンルの音楽ファンに近い(あくまで近いだけであり、演者に対する精神的な距離感の問題がある以上同じではない)スタンスでライブに通っているようなタイプのオタクによってなされるものであろう。こういったオタクがひとつのアイドルに集中して通うことがないかというとべつにそういうこともないわけで、飛び抜けて気に入るグループがあれば、そこに集中することもある。そういったオタクを多くとり入れるような求心力をもったグループもときたま出現するし、大きな集団になる場合もあるが、そのグループが解散したり、メンバーや方向性が変わることで、集団はバラけていき、おのおのが好きなところに散っていく。そして、オタクの面子が多少入れ替わりながら、同じような嗜好の者どうしが緩やかな交流をもちつつ、集まったり、離れたりをくり返していく。

 企画じたいにオタクがつく場合(まあ、レアなケースではある)もあるという話にふれたが、都内の地下レベルの話で、同じ演者がライブをおこなってもライブハウスによって現れるオタクの面子が違ってくるという場合もある。それはどういうことなのか?

 まず、ライブハウスごとにおこなわれる企画の傾向がある、ということがある。鹿鳴館や以前の巣鴨獅子王でおこなわれる企画はラウド系のものが多かったり、以前の新宿motionではいわゆるサブカル系や音楽的にオルタナティブな方向性をもっているグループが出演する企画が多かった。秋葉原のtwin boxでは現在進行形のオーソドックスなタイプのアイドルが出演している企画が多いし、古いタイプの地下アイドルを継承したタイプの演者が大半をしめる企画が多い小屋も存在する。

 ライブハウスじたいが企画することで、ライブハウスじたいの好みが出ている場合もあるし、初期の段階でその箱でおこなわれた企画の傾向を見て、同じような志向の企画者が「あそこでならやらせてもらえる」というふうに集まってくることで、箱のカラーが定着していった場合もある。

 ひとつのアイドルが複数の要素をもっている場合も当然あるわけで、さまざまなタイプの企画に呼ばれることがあるのも当然だ。オタクの側からすると、お金は有意義に使いたいもので、どうせ観にいくなら対バンがよい日のほうがいいわけだ。その「よい」という価値観もさまざまで、オタクによって観たいアイドルの傾向も違ってくる。そうなると企画のカラーが関係してくるわけで、企画じたいとライブハウスの傾向ががっちり一致している場合、対バンで選ぼうとすると、企画で選んでいることと同じになり、結果として特定のライブハウスに訪れることになってしまう。

 もうひとつ考えられるのが、職場や住居からの交通の利便性だ。平日のライブの場合、交通の利便性は重要な問題になる。仕事が終わってから出番にまにあうか。職場から行きやすいか。出番が終わったあとに帰りやすいか。都内の東側にあるライブハウスと西側にあるライブハウスとでは条件がぜんぜん違ってくる人もいるわけで、そこが反映されていることもある。

 世の中、全通(すべての現場に通うこと)できるような条件をもっているオタクばかりではない。金銭的なことばかりではなく、仕事の拘束時間や地理的な問題などいろいろとかかわってくるものだ。特殊なケースではあるが、それぞれ行ける曜日や時間帯が仕事の都合で限られているため、 SNS上やほかのオタクの話で存在は認識しているものの、 同じアイドルのオタクどうしなのに面識がないというようなケースもある。とはいえ、そういうオタクたちも生誕や周年という大きな節目では、それぞれが無理をしてでも会場を訪れ、同じ場に一堂に会するわけだが。


「同じ子が好き」に
純化された関係

 企画といえば、似たような内容の企画でも、企画ごとに来るオタクの顔ぶれが違ってくる場合もある。たとえば、出演するアイドルのなかに動員が伸びているアイドルがいる場合。一方の企画はそれまで出ていた規模が小さいアイドルが出るような企画で、一方はそれまでより規模が大きなアイドルが出るような企画。面子的には半分くらい被っているのに、片方にしか行かないオタクは存在する。本当に新しいものを探して掘っていくようなタイプや、少人数の現場が好きなオタクは後者を敬遠しがちだ。逆に、あるていど以上人気がないと受け入れられなかったり、ある種の権威づけがなされないと観ないタイプもいるわけで、そちらは前者には行かない。

 オタクによって好む現場規模も違うし、ゼロから発掘することを好むタイプもいれば、評価があるていど定まってから観にいくことを好むものもおり、自然と住みわけがなされているということだ。

 また、企画者じたいが原因である場合もある。企画者がメンバーを個人的に食事に誘ったり、運営がいない演者に対して失礼な言動やパワハラめいた発言をするといった話が出回っている企画があると、そのメンバーやそのメンバーが属するグループのオタク、そういうことをされた演者のオタクは観にいかなくなるのは当然のことだろう。自分の推しには直接被害はなくても、不快感から行かなくなる人もいる。一方でそういう話を知らないオタク、自分の推しグループにはなんの被害もないということで問題視しないオタクもいる。演者サイドもそういう事情を知らなければふつうに出るだろうし、自分のところに被害がなかったり、厚遇されていたりすれば出演することもあるだろう。演者が出演するかぎりは、企画は存続する。そういう感じで、似たような面子で内容のよい企画をやっているのに特定の界隈のオタクが寄りつかない企画が存在することになるのである。

 現場の規模が大きければ、それぞれのオタクの小集団も同じような方向性や趣味嗜好で形成しやすい。推し被り(同じメンバーを推すこと)どうしで集まったり、推し被りを敵視するタイプの他推しどうしで集まったりすることもある(不思議なことに推されているメンバーごとに、推し被りで仲よくつるむことを好む傾向が強いところと、他推しと行動する傾向が強いところがあったりする)。

 沸きたい派。地蔵(ライブ中に沸いたりせずにじっとしていること、あるいはそういうオタク)。隠語でいうところの「楽曲派」(ロリコン)。ピンチケ(若年層をさす言葉ではあるが、基本的に騒々しく軽薄なタイプの若年層がイメージされやすい)。女オタオタ(アイドルのライブに来る女性オタクに下心を持って必要以上に絡んでいこうとするオタク、あるいはその行為)。アイドル一筋のオタク。サブカル趣味の強いオタク。カメコ(撮影をオタ活のメインにしているオタク。語源はカメラ小僧)。そういった趣味嗜好が複雑にからみあい、サブカル趣味どうしで沸く・沸かないで仲が悪かったり、サブカル地蔵と沸くアイドル一筋が「楽曲派」として集団を形成したりするのがアイドル現場でもある。

 現場によっては価値観の違うものどうしがたがいの信仰を否定するかのように嫌いあい、ネットでたたきあったり、現場で示威行動をしたりすることもある(新規が大量に入ってくると、敵対していたようなものどうしが奇妙に連帯して新規に対抗することもある)。アイドル側が「うちのファンはみんな仲がいい」と言いがちなのとは裏腹に、オタクどうしはべつに一枚岩ではないのだ。

 しかし、小規模な現場になると、そういうことはなくなっていく。そういうことをして人が減ったりしたら、現場が維持できないというのもあるだろう。まあ、狭い空間で少人数で顔をいつも合わせていたら、角を突き合わせる気にはふつうはならないし、円滑にやっていくためにコミュニケーションをとるようになるというのはふつうのことである。コミュニケーションをとってみれば、そこまで嫌な人も世の中あまりいないので相手を受け入れるようになるし、そうなると他人のアイドル感や推し方に自然と寛容になっていく。個人的に反りが合わないものどうしであるとか、たんにふつうにいやな人なので嫌われてる人もいるが、たいていの人はたがいに円満な関係性をとることになる。少なくとも、積極的に敵対姿勢を示すことは減っていく。

 すべてのオタクがアイドルのまえではたんなるオタクにすぎないという原理があろうとも、大きな現場では趣味嗜好や方向性、 たとえばアイドル観であったり、ライブでのあり方、アイドル以外の趣味のような、そのアイドルが好きであるという以外の要因によって自然と交遊関係が定まっていくものだ。しかし、小規模になればなるほど、そういった要素でたがいを選択するということは無理になっていく。

 そうなると、グループの方向性に引かれるところの強いサブカルチャーや音楽に造詣が深い初老の男性と、ライブでさわぐのが大好きな元気な中年と、そういうものにはなんの興味もないたんにその子が好きになってしまったおとなしい青年がライブ後にいっしょに飲みにいくような光景も生まれてくる。そこにいるのは、同じアイドルが好きだということ以外にその場にいる理由の共通点がない者たちだ。好きのあり方ですらまったく違っている者と、同じものが好きであるという一点のみで話をせざるをえない。ある意味で純化された空間である。

 

ロマン優光(ろまん・ゆうこう)
1972年高知県生まれ。ソロパンクユニット「プンクボイ」で音楽デビューしたのち、友人であった掟ポルシェとともに、ニューウェイヴバンド「ロマンポルシェ。」を結成。ディレイ担当。WEBサイト「ブッチNEWS」でコラム「ロマン優光のさよなら、くまさん」を隔週連載中。
著書に『90年代サブカルの呪い』『SNSは権力に忠実なバカだらけ』『間違ったサブカルで「マウンティング」してくるすべてのクズどもに』『日本人の99.9%はバカ』(いずれもコア新書)、『音楽家残酷物語』(ひよこ書房)。