アイドルとのつきあいかた│特別書き下ろし│日本のアイドルはみな〝未成熟〟か│ロマン優光

アイドルとのつきあいかた ロマン優光 ろまん ゆうこう 〈不健全な疑似恋愛関係〉から〈健全な共犯関係へ〉──これからのアイドルとオタクの関係性を考察します。

〈不健全な疑似恋愛関係〉から〈健全な共犯関係へ〉──これからのアイドルとオタクの関係性を考察します。

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特別書き下ろし
日本のアイドルはみな〝未成熟〟か

 2021年12月に終了した本連載を大幅に書き下ろしを加えて書籍化し、2023年3月31日に発売します。その刊行をまえに、特別書き下ろしを掲載します。

 

ひと口に語れない
日本の音楽性

 昨今、日本のアイドルをKポップと比較し、楽曲の質や歌唱・ダンスのスキルが低い、そのようなものが国内で喜ばれているのは未成熟なものが喜ばれる土壌があるからだという粗雑な議論を見かけることが増えた。

 未成熟なものを喜ぶというのは、日本のアイドルオタクのロリコン性のあらわれであるというふうに結論づけられることが多い。また、オタクはアイドルの成長ストーリーにとらわれており、成熟した大人に興味がないという説も導きだされている。

 そんなオタクたちの需要にあわせた日本のアイドルに比べて、世界標準をめざすKポップは優れているという話なわけだが、それはほんとうなのか?

 日本のアイドル楽曲(Jポップ全般に見られる問題でもある)は欧米の文化圏を中心とした世界規準のダンス・ミュージックとしては、一般的にKポップと比べてレベルが低いといわれたら、その通りだろう。

 まずは音づくりの問題がある。日本で制作される商業音楽のほとんどは低音が出ていない。それは日本の住宅環境の問題もあるだろうし、ダンス・ミュージックというものが生活のなかに密着していないという問題もあるだろう。日本の商業音楽の主流は、カラオケで歌われることが想定された進化のしかただったのだと思う。また、それゆえにユーザーが真似できるレベルでの歌唱力しか求められてこなかったというのもあるだろう。

 また、ダンスのスキルの低さという指摘もダンスじたいが表現の主役である文化が根付いてないことによるものだろう。

 そういった規準で評価するならば、一般的にレベルが低いという評価は正しいものかもしれない。

 だが、それはあくまでヒットチャートのメインを占める、アフロ・アメリカンの文化をルーツとするダンス・ミュージックを規準とした場合である。世界的なレベルで商業的な成功をする音楽としてはということだ。ただ、音楽的な評価の規準というのはひとつだけではない。

 完成された商業音楽が存在する一方で、さまざまなかたちの音楽が存在する。そのなかには、そういった商業音楽とはまたべつの快楽原則によって支えられている音楽もある。ラウド・ミュージック、ハードコア・パンク、ブラックメタル、グラインドコア、ノイズ・ミュージック、フォーク・ミュージックなどなど。そういった音楽がヒットチャートの上位にあがらないからといって音楽的に劣っているわけではないのは言うまでもない。

 日本のメジャーなレコード会社から出される音楽はひじょうにコントロールされたものになりがちであり、ロックにしても耳あたりのよい音づくりになるよう手が加えられてきた歴史がある。90年代末くらいからのメロコア、オルタナブーム以降改善されてきたとはいえ、その傾向はいまだにあるように感じる。

 70年代末期からはじまるパンク、ニューウェイブといった音楽は自主制作、インディーズ・レーベルからのリリースが多く、そこではメジャーレーベルではおこなわない大胆な音づくり、予算がないゆえの音質の悪さ、知識がないゆえの失敗などが多く発生し、それじたいが音楽の魅力を増すはたらきがあった。世界的な動きであり、日本でもアンダーグランドでそういった動きは連動していた。 

 パンク(そこから派生したニューウェイブ)、ハードコア・パンク、ノイズ、ブラックメタル、アンダーグランドのフォーク・ミュージックの魅力のひとつは演者のその人らしさ、身体性が直接反映されるかのような生々しさにある。それは芸能としてスキルの完成とはまた違う価値観であるが、初期衝動的なものが尊ばれてはいても、かならずしも未成熟が喜ばれているというわけではない。

 

〝未成熟〟と
〝アマチュアリズム〟

  日本のアイドルの話に戻ろう。70年代からはじまる(厳密にいえばアイドル的な存在はそれ以前からあるのだが、現在に繋がる意味で)日本のアイドル楽曲の歴史というのはひじょうに商業的なものであった。つまり、人気があるタレント、人気が出そうなタレントのノベルティーソング、いわばグッズ的なものとして制作されていたものだ。演者の資質と制作陣の音楽的才能の幸福な出会いによって「音楽」として評価に値するものが生まれることもあったが、演者の音楽的才能によってレコードレビューが決まるわけではない世界である。

 本来の日本の商業音楽の規準ではメジャーレーベルからリリースされないような、歌唱技術が低かったり、素人感溢れる歌声が音源として刻まれることになる。70年代の浅田美代子の楽曲、80年代の吉沢秋江の楽曲を聴いてもらえば、なんとなく伝わると思う。

 そういったアマチュアリズムに溢れる歌声に一部の好事家が引き寄せられることになる。そういった人たちのなかにはフォーク・ミュージック、パンク、ニューウェイブと同じようなアマチュアリズムをそこに感じていた人も多かった。

 アイドルという枠組みがあれば、音楽性がなんでも、あるていどは売れるというシステムを利用して、制作陣が遊び心をふまえて一般的ではない楽曲を制作する場合もある。宍戸留美の初期作、チェキッ娘内のユニット・ METAMOなどがその例としてあげられるし、BABYMETALなどは商業的な成功をおさめた最たる例だろう。

 また、ハロプロは定期的に奇妙としかいいようのない楽曲を制作しつづけている。また、2000年代後半から10年代初頭に活動していた地下アイドル・Chu!☆Lipsの楽曲のなかにも、地下アイドルブーム以降に生まれるような独自性(偶発的な要因が高いと思われる)の高い楽曲が見られる。

 10年代の地下アイドルブームでは、低予算とアイドルポップスの定型に不馴れなクリエイターというふたつの要因により、偶発的にいままでにないアイドルポップスが多数生まれることになる。10年代前半に活動した地下アイドル・ねがいごとの楽曲はその好例である。

 また、BiSの成功(1stアルバムはエモロックの傑作揃いである)以降に「アイドルという枠組みがあれば、音楽性がなんでも、あるていどは売れるというシステム」に気づいたクリエイターたちが地下アイドル業界に参入し、オルタナティブな音楽性の楽曲が多数生産されることになる。個人的なことを言わせてもらえば、既存のジャンルの音楽性をそのまま踏襲しているもの、それがちゃんとできているものより、何かしらの要因でバグが生まれたもののほうが好みではあるが。

 長々と述べてきたが、演者の歌声により、その人の身体性が浮き彫りになる表現、オルタナティブな音楽表現といったものを求めて日本のアイドルポップスを聴いているオタクもいるという話である。

 商業的成功はあくまで評価基準のひとつにしかすぎない。また、音楽の領域は多彩なものであり、スキルだけでは決められない世界だ。そこを単純化して音楽としての優劣を決めるのは浅はかでしかない。

 ただ、表現としてのアマチュアリズムといった解釈でない部分で、ある種の「未成熟」を大多数のオタクが求め、メジャーのアイドルにその傾向が強いとするならば、それは日本の商業音楽全体、ひいては日本の社会全体の問題の縮図であり、批判されなければならない側面は間違いなく存在する。

 しかし同時に、商業的成功とはほど遠い領域で生まれる逸脱した表現が、それをすり抜けていくこともあるのだ。大多数の人にとっては意味のない表現であったとしても。

 

地下アイドルがもつ
強烈なアマチュアリズム

 本来ステージ上に立たない(ショウビズ的な規準では立つことができない)人の身体性が露になるのが地下アイドルのライブであり、それもまたアンダーグランドの音楽のライブと親和性の高いものであり、そういった種類の受容のされ方も存在している。

 また、地下アイドルの活動期間が長くなる傾向があり、30代以降も続けている演者も多くなっており、スキルの上達とはまた違った方向性での表現の成熟に向かうこともあるし、スキルが高まってなお生々しさを保った表現をする人もいる。デビュー年齢自体が20代後半以降という場合も増えていて、そこで見られるのは未成熟といった言葉に回収されるものではない。

 しかし、そういった規準においても、世の中のすべてがそうであるように、9割のものは評価に値しないものであるのも事実だ。

 世界レベルの商業的な成功で考えれば成功しないであろうものであり、いわゆる「歌唱」「ダンス」のスキルでいえばレベルの低いものであると評価するのも間違いではない。いままで、そういった観点がなさすぎたのも事実ではある。それをふまえても、日本のアイドル、オタクに対する言説は主語が大きすぎる場合が多く、たいていは日本のアイドルについて知識がない人、Kポップに関してもさほど知識がないであろう人が発信している場合が多いように感じる。

 また、接触ビジネスの抱える問題、多くの日本の地下アイドルが晒されている劣悪な労働環境やオタクのミソジニーなどの問題(それは日本社会全体の縮図だ)は確かに重要な問題である。その点について考えなければならないのは確かだが、個別の例を検証しながら考えていかねばならない問題であって、「日本のアイドル」という大きな主語で語るのは物事を単純化させすぎだとは思う。

 また、売れているKポップだけがKポップではなく、そこだけで判断すると間違うことになるだろう。一国の音楽嗜好が単一なわけもない。NewJeansなどを見ると、楽曲の音づくりや方向性をのぞけば日本のアイドルと同じような受容がなされている可能性がある。

 韓国で日本の地下アイドルのコピーユニットが存在することやニッチな地下アイドルの欧米でのツアーが成立していることから考えても、なんというか大々的に売れるものではないが世界的にそれを求める人もいる表現なのだろう。それは性的な嗜好によって求められている話(それも確実にある)だけではなく、奇妙な音楽表現だからなのではないかと思う。

 自分は、本来ステージ上に立たないような人がステージ上に立ったときに生まれる表現、一般性のない個性の人物がステージ上に立てる表現の場というものを求めて地下アイドル現場に通っているわけだが、最近は東京ぴ炎というアイドルの現場に通っていた。彼女たちのロック的なカタストロフィーを伴わない崩壊感に溢れたステージは、ある意味で地下アイドルという表現の極北であったと思う。過去形なのは4月4日に現体制が終了し、現メンバーが全員卒業するからである。彼女たちの特色はメンバー個人の個性によって成り立っていたものであり、たとえ新メンバーによって継続しても別ものになるだろう。それが私にとって魅力的なものになるかどうか、いまはわからない以上、私の東京ぴ炎はいったん終わることになる。

 そうかといってアイドルオタクを辞めるかどうかはわからない。続ける気もすれば、続けない気もする。ただわかっているのは、アイドルの領域のなかに、まだ面白いものが存在していて、もうないなと思っても新しい面白さが現れてきたという経験だけである。

 そういった自分の経験のなかから地下アイドルのオタクについて考察した『地下アイドルとのつきあいかた』が3月31日に太郎次郎社エディタスから発売されることになった。地下アイドルのオタクは楽しいといった内容でもなく、オタク批判といった内容というわけでもない。ただ自分のオタ活のなかで感じてきたことが書かれている本だ。興味がある方がいれば、お手にとっていただけると幸いである。

※3月21日(木・祝)、姫乃たまさんをお迎えした『地下アイドルとのつきあいかた』刊行記念プレイベントを高円寺にて開催予定です(配信あり)。くわしくは本記事下部をご覧ください。


■この連載が本になります(2023年3月31日発売、定価1800円+税)

 2021年1月から全12回にわたって、著者がアイドルオタクとして10年以上にわたり地下アイドル現場で体感してきたアイドルとオタクの悲喜こもごもを通して、地下アイドルとオタクの関係を考察してきた本連載が、2023年3月、『地下アイドルとのつきあいかた』とタイトルを変え、書籍として発売されます。大幅に書き下ろしを加えて、ちょっとマニアックな用語集も収録。これまでありそうでなかった当事者研究的「地下アイドルオタク」論にして新時代の「人間関係論」です。


■3月21日(木・祝)刊行記念プレイベント開催!
ロマン優光×姫乃たま「地下アイドル現場の真実」@高円寺・高円寺パンディット

3月31日発売予定の新刊『地下アイドルとのつきあいかた』の刊行記念プレイベントとして、著者・ロマン優光さんと元地下アイドルでライターの姫乃たまさんによるトークイベントを高円寺パンディットで開催します。客席には限りがありますので、早めにお申し込みください(オンライン配信もあります)。また、会場では書籍を先行発売します(配信の場合も書籍つきチケットをお求めいただくと発売前に手にはいります)。
地下アイドル現場のあるある話から、アイドルとオタクの関係が持つ可能性まで、幅広く語ります。ご期待ください!

※参加お申込み、高円寺パンディットさんの本イベント案内ページはこちら

 

ロマン優光(ろまん・ゆうこう)
1972年高知県生まれ。ソロパンクユニット「プンクボイ」で音楽デビューしたのち、友人であった掟ポルシェとともに、ニューウェイヴバンド「ロマンポルシェ。」を結成。ディレイ担当。WEBサイト「ブッチNEWS」でコラム「ロマン優光のさよなら、くまさん」を隔週連載中。
著書に『90年代サブカルの呪い』『SNSは権力に忠実なバカだらけ』『間違ったサブカルで「マウンティング」してくるすべてのクズどもに』『日本人の99.9%はバカ』(いずれもコア新書)、『音楽家残酷物語』(ひよこ書房)。