こんな授業があったんだ│第14回│詩の授業 奪われた自由[ぼろぼろな駝鳥 高村光太郎]〈前編〉│無着成恭

こんな授業があったんだ 授業って、教科書を学ぶためだけのもの? え、まさか。1980〜90年代の授業を中心に、発見に満ちた実践記録の数々を紹介します。

授業って、教科書を学ぶためだけのもの? え、まさか。1980〜90年代の授業を中心に、発見に満ちた実践記録の数々を紹介します。

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詩の授業
奪われた自由[ぼろぼろな駝鳥 高村光太郎]〈前編〉
無着成恭
(1979年・中学1年生)

 ぼろぼろな駝鳥    高村光太郎

何が面白くて駝鳥を飼うのだ。
動物園の四坪半のぬかるみの中では、
脚が大股すぎるじゃないか。
頚があんまり長すぎるじゃないか。
雪の降る国にこれでは羽がぼろぼろすぎるじゃないか。
腹がへるから堅パンも食うだろうが、
駝鳥の眼は遠くばかり見ているじゃないか。
身も世もないように燃えているじゃないか。
瑠璃色の風が今にも吹いて来るのを待ちかまえているじゃないか。
あの小さな素朴な頭が無辺大の夢で逆まいているじゃないか。
これはもう駝鳥じゃないじゃないか。
人間よ、
もうよせ、こんな事は。


【たかむら・こうたろう】……1883年生まれ、1956年没。彫刻家としても知られる。
牛・獅子・白熊などをうたった『猛獣編』がある。『道程』のなかの「牛」の詩は有名。
原文は、旧漢字・旧かな遣いであるが、新漢字・新かな、いくらかの漢字をかなに改めた。

駝鳥についてしらべる

いちばんだいじな単語は?

 黒板に書いた高村光太郎の「ぼろぼろなちょう」を、子どもたちは一所懸命写している。教育の方法に書写というのがあるが、わかるような気がする。もちろん、わたしの場合は書写が目的ではないが……。教室には、サラサラ、サラサラとエンピツの走る音だけが聞こえる。書き写し終わった子どもが、 一人、二人と顔をあげる。——まだ、書いている人がいるからネ。静かに黙読して待ってあげなさい。——と、目で合図する。
 書き写しが終わった段階で、子どもたちは、どんな感想をもったのだろうか。たとえば、川崎健君は、
「ぼくは、『ぼろぼろな駝鳥』をノートに書き写しながら、駝鳥がかわいそうでかわいそうでならなかった」
と書いた。川崎君は「ぼくは動物が好きだから、すぐわかった」といっている。
 久保田裕之君は、
「動物園に飼われている駝鳥が、ぼろぼろになったんだな。なぜだろう」
と書いた。酒匂康裕君は、
「『ぼろぼろな駝鳥』を書き終わってから、こんどは考えながら読んでみた。ぼくは、人間が駝鳥をつかまえて人間が勝手にしていることをいってるんだなと思った。駝鳥がかわいそうでたまらなくなった」
と書いた。
 ぎゃくに、何をいいたいのかさっぱりわからないと書いた子どももいた。たとえば、市野尚子さんは、
「初めてこの詩を読んだとき、(なんだー! これー?)と思いました。となりの川崎君が“かわいそうだなあ。なみだがでるよ”と言ったので、私は、なんでかなあと思いました」
と書いている。内田素さんは、
「無着先生が『ぼろぼろな駝鳥』を朗読してくださったとき、私には意味がぜんぜんわかりませんでした。《何が面白くて駝鳥を飼うのだ》というところで、私は、(それはしかたがないじゃないか。そうしなければ動物園はなりたたないじゃないか)などと思いました」
と書いている。白井裕子さんは、
「無着先生に詩をおそわって三つ目。『春の歌』がとってもおもしろくて、楽しい詩だったので、こんども、あんなふうに楽しい詩だったらいいなと思っていました。ところが、無着先生が黒板に書いて紹介してくれた詩は『ぼろぼろな駝鳥』だったのです。楽しいどころか、さびしいような、かなしいような詩です。へんな詩だなあと思いました。
 それは、わからない漢字がとても多くて、意味がわからなかったからです。たとえば、《動物園の四坪半のぬかるみの中では……》というとき、四坪半というのは何なのか、ぬかるみっていうのは泥んこだとわかっても、そんなのあたりまえという感じで、なにも感じなかったのです。この詩がわかるためには、アフリカのサバンナの広さと、乾いている大地を空想して、それを思い浮かべながら、比較して読まないと、なんにもわかんなかったのです!」
と書いていた。
 授業にはいるまえ、といったらいいか、中身にはいるまえ、この詩を書き写させ、わたしが一回範読してやった段階で、「ノートに、この詩を読んで感じたことを書いてごらん」といったのだが、それを調べてみると、7年4組、35人は、

①——駝鳥がかわいそう。きのどくになった……13名
②——むずかしくて、わかりません……6名
③——よせといったって、それじゃ、
   動物園がなりたたないじゃないかと思います……5名
④——動物園(文明)と駝鳥(自然)の対立を書いた詩。動物を自然にかえせ……3名
⑤——高村光太郎は動物の味方であることがわかった……2名
⑥——人間は自分のつごうで駝鳥を飼っている。人間は自分勝手である……2名
⑦——駝鳥は人間をにくんでいると思う……1名
⑧——へんな詩だなあと思う。動物園だからしかたがない……3名

というぐあいになった。
 だれ一人として「駝鳥とは、自分自身のことである」とか、「自由を奪われたもののかなしみ」とか、あるいは、「本来、自由であるべき駝鳥を、動物園の狭いおりのなかにとじこめ、自由を奪い、支配している人間の自分勝手さに対する激しい怒り」というふうには、なかなかつかめない。
 もちろん、「駝鳥はかわいそう」とか、「さびしそう」とか「きのどく」とかいうところは、はいりくちなので、ここから出発すればよいのだが。
「よし、わかった。それじゃ、まず、わからない単語を調べよう」
 そういって、わたしは、まず、
「この詩のなかには、この単語がわからなければ、詩全体が、ぜったいにわからない——というのがひとつある。それは、どれだ!」
というところからはいった。
「四坪半?」
と、河野がいった。
「うーん。四坪半というのは広さのことで、たたみ9畳ぶんの広さなんだ。この教室は20坪で40畳だから、この4ぶんの1で、このぐらいなんだ」
 こういって、教室の一角を手でくぎってみせる。それから、もう一度、
「この教室の広さは、20坪なんだ。そうすると、いったい、この四坪半というのは何なんだ」
「駝鳥が飼われている動物園のおりのなかの広さ」
と、川崎が答える。
「そうなんだ。だから、この四坪半という広さは、この詩のなかで大事なことは大事だけど、いちばんではないんだな。この広さを何かとくらべたとき大事になるんだ」
「あ、わかった。駝鳥が住んでいる大自然!」
と、川崎がいった。
「そうなんだよ。とすれば、いちばんわからなくてはいけない単語はどれなんだい」
「……………」
「駝鳥じゃないか?」
と盛国がおずおずといった。
「そうなんだ。駝鳥のことがわからなければ、この詩の意味がわかんないんだよ」
 そういったら、「ああ」とか、「ふうん」とか、「なるほど」とかいう、感嘆とも嘆声ともため息ともとれる声がした。

駝鳥についてわかったこと

〈駝鳥〉と板書して、
「駝鳥は、どこに住んでるの?」
「砂漠」「広い砂漠」「アフリカ」
「アフリカのサバンナ」
「そう、アフリカの広大なサバンナだね」
といって、
〈住んでいるところ——アフリカのサバンナ〉
と板書。
「そこは、しめってるの? それとも乾燥してるの?」
「先生。サバンナだもん、乾いているにきまってるよ」と中村彰二。
「よしよし、乾いてんだね」といいながら板書。
「さて、つぎは、広いサバンナに住んでいる駝鳥が歩く一歩は何メートルぐらいかな?」
「……………」
「3メートルぐらいじゃない?」
なんて石塚がいったけれど、もとより自信あってのわけではない。わからないので、百科事典をひく。
「——ひとまたぎ3.5メートルから4.5メートル、って書いてあるよ。なかをとって、4メートルだね」
 みんな、「へえー!」と感嘆の声。
「さて、つぎ、走るスピードだがね。最高に走るときで一歩の歩幅が7メートルぐらいになり、時速90キロメートルをだすことができるって……」
「すごーい」
〈走るとき、一歩7メートル。時速90キロメートル〉と板書。
「じゃ、背の高さは雌と雄ではちがうらしいが、雄は……」。そういって、
〈身長2.5メートル、体重136キログラム〉
になるのもいるんだってと板書。
〈頭は小さいが、首は長い〉
〈翼は退化して、飛べない〉
「サバンナに住んでいる駝鳥は、それじゃ、何を食べてんの?」
「先生。くちばしは、どうなってんの?」と川崎。
「うん、とんがってなくて、偏平なんだ」
「それじゃ、草だとかさ、虫だとかじゃないの」
「そう、そうなんだよ。草だとか、草の実だとか、昆虫だとか、小さなトカゲなんかも食うらしいね」
 そういいながら、
〈食べ物——草、草木の実、昆虫など〉と板書。
「さあ。駝鳥について、これぐらいわかっていれば、いいかな」
 そういって、もう一度、板書してまとめたのをみてみる。

  駝鳥
  住んでいるところ……アフリカのサバンナ。熱帯地方で乾いてる
  歩幅……歩くとき4メートル 走るとき7メートル
  スピード……時速90キロメートル
  身長……2.5メートル
  体重……136キログラム
  特長……頭は小さいが、目は大きく首は長い。翼は退化して、飛べない
  食べ物……草、草木の実、昆虫など、だいたい生きているもの

 こんなふうにして、わからない単語の意味をしらべて——というよりは、いわば、字引き的な意味をあきらかにする程度で、一時間めの授業は終わってしまった。
 意味をしらべた単語は、「飼う」「動物園」「四坪半」「ぬかるみ」「脚」「頚」「ぼろぼろ」「堅パン」「身も世もない」「燃える」「瑠璃色」「素朴な」「無辺大」など。

駝鳥とは人間のことではないか

せまいオリのなかで

 みんなはノートに書いてあるので、わたしは模造紙に書いてもらって黒板のまえにさげた。
 それから、わたしが朗読し、男女各一名に読んでもらって、
「きょうは、自然のなかでいきいきと生きている駝鳥を頭に浮かべながら、それと比較して勉強をすすめていこう」
と、呼びかけた。

  何が面白くて駝鳥を飼うのだ。

「おこってんだ」
「うん、おこってんだ」
 みんな、口ぐちにいう。
「高村光太郎は、大自然の広いところに住んでいる駝鳥をつかまえて、せまいおりのなかにいれていることを、おこっているんだと思います」と、内田さん。
「うん、佐藤さんは」
「私もそう思います。この最初の一行は、最後のほうの《これはもう駝鳥じゃないじゃないか。/人間よ、/もうよせ、こんな事は》というのと、関係していると思います」
「よおし、よおし。そうだね。それじゃ、つぎにいくよ」

  動物園の四坪半のぬかるみの中では、
  脚が大股すぎるじゃないか。

「四坪半というのは」
「駝鳥を飼っているおりのなかの広さ」
「うん。そうだネ。広さは——」
「たたみ9畳ぶんぐらい」
「これは、なんと比較してんだろ」
「駝鳥が住んでいたサバンナからみたら、まったくせまいということ」
「先生。この広さじゃ、サバンナにいたときの3歩ぶんぐらいしかないんじゃない」
「足もとは、ぐちゃぐちゃだしさ」
「サバンナは乾いてんのに」
「住みにくいよなあ」
「よしよし、つぎにいこう」

  頚があんまり長すぎるじゃないか。

「そうだよ。背が高いんだから」
「身長が二・五メートルもあるんだもんな」
「かわいそうだよ」
「よし。つぎにいこう」

  雪の降る国にこれでは羽がぼろぼろすぎるじゃないか。

「雪の降る国って、先生。札幌かなんかの動物園ですか?」
 河野の発言。それに対して、坂田が、
「ちがうだろう。駝鳥は、アフリカの熱帯に住んでいるのが自然なんだということと比較してんだから、雪の降る国っていうのは、北海道とはかぎらないんじゃない。日本という意味じゃない」
 それに対して、郁子や裕子も、「うん、そう」とうなずいた。
「羽がぼろぼろって、どうしてぼろぼろになってしまったの。鉄のおりからにげだそうと思って、ぶっつけてかなあ」
と、久保田がいいだしたものだから、
「おまえ、ちがうだろう」と川崎。「だって、駝鳥は、熱帯地方のサバンナに住んでいて、足が発達して、翼なんかいらなくなった動物だろう。暑いから、すずしくしてるんだよ。それを日本につれてきたんだから、《ぼろぼろすぎるじゃないか》といってんだよ。熱帯地方なら、これでもいいけど……って」
「よおし。よし、川崎のいまの意見でいいか」
「いい」
「でも、久保田の意見だって正しいと思うよ。駝鳥はサバンナへかえりたくて鉄のかなあみに体当たりしたかもしれないしさ」
という意見が石塚からでて、「それもある」ということになった。
「とにかく、雪の降る国に住むには、ぼろぼろすぎるというんだネ」
「うん」
「じゃ、つぎにいこう」

  腹がへるから堅パンも食うだろうが、

「先生。堅パンてどんなのか、やっぱり食べてみないとわかんないよ!」と河野。
「やっぱり、河野は、そういうだろうと思ってた」とわたしがいうと、教室中、どっと大笑い。わたしは、いかにももったいぶって、カバンのなかから非常用のカンパンをとりだす。
「あ、あれ知ってるよ」
「なあんだ、非常食じゃねえか」
「あ、これ、カンパンていうの」
 口ぐちに、そんなことをいっているあいだに、みんなに一コずつわたす。みんな、ボリボリと音をたてて食べる。カンパンを食べる音がひとしきりして、静かになったとき、わたしは、もう一度、《腹がへるから堅パンも食うだろうが》と読む。すると、
「うまいじゃないか!」
「うん、わりとうまい。こうばしいよ!」
「ああ、ダチョウになりたい」
などと、ふざける。わたしは、
「わかった。それじゃ、日に三度。毎日毎日、カンパンだけの生活——というのを考えてみろ。たきたてのご飯になっとうもダメ。サーロイン・ステーキもダメ。カレー・ライスもダメ。ハンバーグもダメ。スパゲッティもダメ……」
「先生。わかったよ」
「わかった。わかった。もういいよ」
「そうだろう。ところが、駝鳥は、堅パンだ。大自然のなかでは、いったい何を食ってたのだ」
「生きている草」
「草や木の実」
「昆虫」
「そうだろう。だったら……」
「一回や二回ならいいけど、それあ、まずいよ」
「そうだ。昆虫だとか、生きのいいトカゲだとか、草木の実だとかを食べている駝鳥にとって、毎日毎日、堅パンではひどいよなあ。そういう気持ちをあらわしてるんだ。じゃ、つぎにいくぞ」

後編へつづく

出典:無着成恭『無着成恭の詩の授業』1982年、太郎次郎社

無着成恭 (むちゃく・せいきょう)
1927(昭和2)年、山形市の沢泉寺に生まれる。1948(昭和23)年に教職についてから1983(昭和58)年に退職するまでの35年のあいだに、『山びこ学校』(1951・青銅社、現・岩波文庫)、『続・山びこ学校』(1970・むぎ書房)、『詩の授業』(1982・太郎次郎社)などの実践を公刊する。それらは戦後民主主義のシンボルとして評価されている。その後、福泉寺住職。第1回斎藤茂吉文化賞受賞(1955年)、第3回正力松太郎賞受賞(1979年)。ほかに著書多数。
この「ぼろぼろな駝鳥」は、明星学園の7年生(中学1年生)とおこなった実践の記録である。