こんな授業があったんだ│第42回│「スイミー」を読む〈後編〉│鳥山敏子
「スイミー」を読む 〈後編〉
(小学2年生・1982年)
鳥山敏子
(小学2年生・1982年)
鳥山敏子
親たちが参観するなかで
最後の授業●声を出さない、小さな声のゆみちゃん
「スイミー」の授業は、ついに登校拒否者を出した。おもしろい、楽しいは、子どもたちひとりひとりに、あるきびしさをともなっていた。くり返すことになるが、読みはつねに全員におよんでいくので、のがれることができない。
野口ゆみはそんななかで声が小さいことを気にしていた。気にしているのに、ゆみが読むとかならず、友だちは「きこえない」というのだ。一年からおなじクラスだから、ゆみの声が小さいのは、みんな承知している。承知しているが、どうしてもついいってしまう。それほど、ゆみの声は小さいのだ。
もっと楽に、のびのびとふくらみのある声を出させるいくつかの試みをしてきたが、声にこだわればこだわるほど身をかためるゆみをみて、その声だけにこだわって追いつめてもだめだなと思えてきた。どうも、そういう方法はあまりよくないように思えたのだ。それ以来、ゆみの声について、わたしはほとんどふれなかった。
最近になって、やっと、遊び時間や、自分がリーダーになってとりしきってなにかをやるときは、まったくべつの豊かな声が出はじめていた。人から指示されるのは大嫌いな子なのだ。
そんな変化をみせはじめていたゆみなのだが、人まえで読むときは、いままでとほとんど変わらなかった。席順に読んだり指名されたりすると、ゆみの声だけが特別小さくなるので、一生懸命に聞こうとしている子どもたちは、つい「きこえないよ」といってしまう。子どもたちは、もう少しようすをみて、などと考えない。遊び時間では、とっても声を出すようになったゆみだから、ちょっと努力すれば出ると思えるのだろう。
子どもたちの聞きわける耳が敏感になればなるほど手かげん無用のようだった。ゆみの顔が沈んでいたので、わたしは心のどこかで、これはなにかのきっかけがあると登校拒否をするだろうと思っていた。ほかの多くの子は、こういうことがあっても、友だちと遊んだり、読むこと以外の、ほかの学習をしたりしているうちに気分を変え、またやってみるということがあるのだが、ゆみには、そういう気分転換はなかなかできない。そのことにこだわりはじめたら、ずっとこだわっている子なのだ。
両親の都合で、ねるのが遅くなって、朝起きるのが遅くなった7月13日、ついにゆみは「学校を休む」といいだした。「読むのがつらい」といって。あまり事情のわからない母親はおどろいて、おくれて、ゆみを学校へつれてきた。
母親の見守るなかで、りっぱに読む
ゆみが自分の声を出すチャンスがきたように思えた。追いつめられたゆみに、わたしは、どう向きあおうとしているのだろう。わたしのからだは、まずゆみにではなく、母親にむかった。放課後、話しあい、「あしたから、国語の授業だけでも、教室のうしろで参観してほしい」と要請した。ゆみに対してどうするか、なんの方法もわたしはもっていなかった。ただ、ゆみのようすを注意してみていたいと思った。
14日、みんなといっしょに読むゆみの表情をみていたわたしは、「ゆみはやりたい気持ちでいっぱいなんだ」という確信をもった。わたしの視線がふっとゆみのところでとまり、ゆみもわたしをじっとみた瞬間、わたしのからだが動いた。「ゆみ、やってみる?」。ごく自然にゆみはそれを受けとめた。どうしてそうなったか、いまだにわからない。その日、家に帰って、ゆみは母親にきいてもらって、何度も読んだという。
それから2日たって、いよいよスイミーの一学期最後の授業の日、7月17日。朝、教室にはいってきたわたしをつかまえて、ゆみは張りのある声で、「先生、わたしに、最初から最後まで、ぜーんぶ読ませて」といってきた。17日は、早朝から母親や父親がたくさん参観にくるという日だった。
授業のトップはゆみ。ゆみは立ちあがり、教室のうしろ全面にはってある大きな模造紙のほうにむいて立った。「スイミー」――落ちついた、深みのました第一声だ。りんとして、よけいなものを寄せつけない声で、じつに堂々としている。子どもたちの目も、文章をたどっている。間を十分にとりながら、ゆみが最後の一音を出しきったとき、大きな拍手がおこった。ゆみは、緊張し、紅潮した色白のほおを母親のほうにちらっとみせて、すわった。つぎは、ゆみに指名された知加子が力強く読んでいった。
「土曜日、みんなのまえで一人で〝スイミー〟が読めたのでうんとほめてあげたら、『どうしていままで大きな声が出なかったのかなー、こんなだったら、もっと早く大きな声を出していればよかったのになあ!』と思わず本人がいっていました。やっぱり、親の気持ちがどれだけ子どもに傾いているかで、その子の勉強に対する興味が違ってくるんですね。(略)それにしても、ことばの持つ深み、つっこんでいけばいくほど、むずかしいですね。いろいろなことが考えさせられます」
18日にもらった、ゆみのお母さんからの手紙だ。
お母さんには、授業のときに声が小さくなるゆみは意外だったらしい。わたしはお母さんと話して、どうしても下の子の世話でゆみへの関心がうすくなってしまっていることに、気づいた。そこで、教室のうしろからゆみを見守るという形で、ゆみだけのお母さんでしばらくいてもらった。それだけのことで、ゆみが変わったのは、お母さんがほかの子と比べて文句をいうのではなく、心底がっちりとその存在を受けとめたということが、ゆみの力をひき出したようだ。
教科書と原作を比べる
最後の授業は、こうしてのっけからもりあがっていった。墨汁で書いた模造紙の文章を、朱墨でなおしていく。朱墨は、谷川俊太郎原訳の絵本『スイミー』(好学社)の文章による。
「二つの文章を比べて、自分にとってはどういうふうに感じがちがうのか、確かめていってください」
朱墨でなおした文章を読んでもらう。ほかの子が読みおわったなかで、ゆっくり読んでいるのは、柳君。マイペースで読みきっていく柳君の声に、みんな耳を傾けている。
すっかり教科書の表現になれた子どもたちに、一回しか読まずに違いをきくのは少し無理だなと感じて、訂正したところを、一つ一つ説明していった。訂正のいくつかを紹介しよう。
教科書
くらして いた
ある 日
こわかった。さびしかった。
➡
➡
➡
原文
くらしてた
ところが あるひ
こわかった、さびしかった、
教科書
けれど、海には
ゼリーのような くらげ。
見た ことも ない 魚たち。見えない 糸で ひっぱられて いる。
➡
➡
原文
けれど うみには、
ゼリーのような くらげ……
みたこともない さかなたち、みえない いとで ひっぱられてる……
教科書
「出て こいよ。みんなで あそぼう。おもしろい ものが いっぱいだよ。」
小さな赤い 魚たちは、こたえた。
「だめだよ。大きな魚に たべられて しまうよ。」
➡
原文
「でて こいよ、みんなで あそぼう。おもしろい ものが いっぱいだよ!」
「だめだよ。」 ちいさな あかい さかなたちは こたえた。「おおきな さかなに、たべられて しまうよ。」
理栄が、まず比べた感想をいう。
「わたしは、朱のほうがわかりやすかった。とくにここんとこ。『〝でてこいよ、みんなであそぼう。おもしろいものがいっぱいだよ!〟〝だめだよ〟ちいさなあかいさかなたちはこたえた。〝おおきなさかなに、たべられてしまうよ〟』このほうがわかりやすいの。『だめだよ』って、まずはっきりこたえたことがよくわかるの」
「おなじ」「でも、読みづらいよ」
読みづらいといった子は、どうもはじめて読んだせいのようだ。みんなでやってみる。教室を半分にわけて、「こっちからこっちの人がスイミー、こっちの人は、小さい赤い魚たちでやってみよう」。やってみる。
浜地――――『みたこともないさかなたち』のところが点になっているからわかりやすい」
かほり―――「わたしは、〝。〟で息つぎするので、読みやすい」
琴恵――――「息つぎのことじゃなく、〝。〟だと、わからなくなるよ。ひっぱられているのが魚なのかどうか」
かほり―――「わたしにはわかるよ。だって、段落がべつになってるんだもの。わかるよ」
わたし―――「かほりちゃんはマルで、琴恵ちゃんは点で読んでごらん」
二人とも、ほとんどおなじ読み。「あれ、おなじだよ」と子どもたち。わたしも、参観していた父母のかたも思わず笑ってしまうほど。理栄もやってみる。おなじになってしまう。「それはね、きっと、みんなには、見えない糸でひっぱられているということが、もうわかっているからだと思うよ」と解釈して、いちおうこれは終わりにした。
和子――――「『ところがあるひ』のところは、『ある日』より、わるいことがおきたようなかんじがして、いいなあ。それにわかりやすい」
樫野――――「教科書の文章は、『ある日、おそろしいまぐろが』になっているけど、そっちは、『ところがあるひ』でしょ。そのほうがおそろしい感じでね、急につっこんできた感じがする」
琴恵――――「樫野君につけたして、『ある日』ということだけだと、いいことがおきるかもしれない」
菅野――――「だけどさ、小さい魚からみれば、まぐろは急にきたんだよ。おそろしいことがおこるということがわからないときにやってきたんだから、『ある日』だけでもいいよ。『ある日』でも感じは出せるよ」
理栄――――「それに、『ところがあるひ』としてもさ、読みかたによって、こわくなくなることあるよ。ほら、山口君が『つめたい水』といっても生ぬるい湯みたいで、つめたくならなかったようにさ。ああいうふうに読むと、いくら『ところが』をつけても、突然という感じがなくなるから、読みかたによって、わたしは、ずいぶんちがうと思うよ」と熱っぽく語る。菅野君もそれを強調している。
授業をみにきているお母さんたちも、子どもたちのやりとりを真剣にきき、自分も考えている。
「お母さんたちにも、きいてみようか」「うん、それがいい」「じゃあ、自分のお母さんをさしてみて」「お母さん、いって」とまず、いったのは琴恵。
琴恵のお母さんは、ちょっと文章をみたあと、「『ところが』があると、まず、なにかがおこるんじゃないかという予感がおこるから、あったほうがいいんじゃないかしら」と子どもたちにむかっていう。琴恵は、にこにこして、「わたしとおなじだ」といって満足している。
「お母さん」といったのは、ゆみ。ゆみのお母さんはこたえる。「『ところが』があると、いままでの平和な生活とくらべて、これから大きな変化が起きるという感じがはっきりしてくる」。ゆみも満足している。
「お母さん」と和子ちゃんが指す。「二人とおなじです」とこたえた。すると、和子ちゃんは不満そう。「どうしたの?」「おなじという言い方じゃあね、お母さんが自分でいわないのはいやなの」。お母さんたちは笑いだす。和子ちゃんのお母さん、和子の期待にこたえて自分の考えを述べる。やっと和子ちゃん満足。
わたし―――「じつは、ここは原文の英語では〝One bad day〟になっています。だから、訳すとすれば、badが予感できるようになっているほうがいいと思いますけど」
これで終わりにしようとするところに、しつこく浜地君がはいりこむ。
「さっきもいったんだけど、『ゼリーのようなくらげ……』となっていて、〝。〟になってないでしょ。あれはどういう意味」
菅野――――「あれはね、〝。〟みたいに長くて、テンテンになっているの」
琴恵――――「少しちがう。あのね。少し考えるの、思いうかべるの、どういうクラゲかなあって、それでテンテンになっているんじゃない」
照子――――「あのね、まだ続くという感じ。見ることがまだ続いている感じ」
理栄――――「なんかさあ、マンガっぽいんだよね。マンガにはよくあるよ」(大笑い)。「マンガっぽい」に同意を示す子どもたち。
和子――――「照子ちゃんに質問。『うなぎ。かおを見るころには、しっぽをわすれているほどながい……』とかいてあるでしょ。テンテン、テンテンがあるでしょ。そこで、テンテンはみることがつづいているといったでしょ、照子ちゃんが。……みんなまだまだ見るのがつづいているんでしょ」「うん、そうだよ」「そして、ももいろのやしの木みたいないそぎんちゃくがでてきた。だから、和子は、照子ちゃんのいうこととおなじという意味なんだけど」
「そうか、和子ちゃんがいうのは、『わすれているほどながい……』で終わったと思ったら、つぎにいそぎんちゃくがあったから、やっぱり照子ちゃんのいうとおりだと思ったってことなのね」。わたしが補足する。ちがうと思ったことが、いっているうちにおなじ意見になってしまったということなのだ。
「照子ちゃんのいうとおり、テンテン、テンテンと書いて、まだつづいているようすをよくあらわすことがあるんだよ」
谷川さんの訳を改作した個所が多いので、これについては、二学期にもちこすことにした。
授業を受けたお母さんの感想文
この授業にずっと参加され、記録をとってくれたお母さんのひとり藤原さんは、メモの最後にこう書いている。
スイミーの最後までいった。はじめのころと違っているのは、
*ことばをかみしめて読んでいる。
*人の読みを聞くとき、自分も口を動かして、気持ち(心)のなかで読んでいる。
私も、人のまえだとてれたり、はずかしがったりして、自分ではない自分を出してしまうことがある。子どもたちのまっすぐな、一途なところが好き。思い思いのスイミーができたようだ。スイミーの授業にずっときたけれど、はじめのころの緊張とは違う緊張がいま、心の中にある。これだけことばを大切に、気持ちを大切にしている授業にはじめてふれたことで――。
いままでの授業参観は、「見にきました」という姿勢だったように思う。今回は先生の手伝いということで始まったけれど、いつの間にか、楽しみになって、朝の片づけもそこそこにして、2の3にかけつける。その日その日で、子どもの表情、動作、ことば(声)の出し方のちがうこと、思いこみでとらえていた子が、じつはそうではなかったり、それなりの訳があってしていることなど、意外だと思うことの多いこと。
いま、これだという確信はつかめませんが、なにかが私のなかに湧いてきつつあります。この気持ちをさぐるため手づるを求めて、ここで改めて文集を手にしています。(鳥山注:1年生のときにつくったもの。わら半紙+作文+絵で千枚くらいになったものを製本したもの。)ただ、文章のうわべを読んでいたいままでとちがって、先生の生きている文字が目に飛びこんでくる。押しよせる波のように心が揺れています。
「いままでとはちがうなにかが」
またはいり込みたい2の3組です。
「ひろい海のどこかに、小さな魚のきょうだいたちが、たのしくくらしていた。みんな赤いのに、一ぴきだけは、からすがいよりもまっ黒。およぐのは、だれよりもはやかった。
名まえはスイミー」
スイミーをとおして、多くの子どもたちとふれ合うことができました。
7月17日、土曜の3時限目で、7月8日から始まった授業はいちおう時間ぎれでおしまいにした。改作した文章について、子どもたちはまだまだいっぱい言いたいことがあったが、連続70分におよぶ授業の限界に達した子どもたちもいて、いちおう打ちきった。改作の根拠がまったくつかめぬままで終わったことは残念であるが、9月にはいってわたしは、ほんとうに自分にとってはどっちがいい文なのか、一文一文を相手に子どもたちの感覚をまっすぐ出させてみたいと思っている。ことわっておくが、わたしのねらいは、どっちがいいかに決着をつけることではなく、あくまでも、二つのちがいを材料にして、子どもが自分の感覚をより正確につかみだしていくことにある。
わたしが授業のなかでたいせつにしているのは、子どもたちがそれぞれ主観的にイメージしたことを、徹底的に出しあい、ぶつけあっていく作業である。「ああ、なるほど、そういうことなら、この表現はぴったりだ」「ああ、こういうことだったのか」と腑におちるところまで模索していくことなのだ。
そのことが、ことばのもっている客観的な表現を読みとることを保障するだろう。それを組織し、演出するのが教師の仕事だが、そこまでいけば、ことばは、主観だけに没しないで、コミュニケートする手段として、ふたたびおのれと他者のまえに立ちあらわれてくる。
(おわり)
出典:鳥山敏子『イメージをさぐる』太郎次郎社、1985年
鳥山敏子(とりやま・としこ)
1941年、広島県生まれ。1964年、東京都で小学校教師に。60年代の教育科学運動のなかで実践を深め、先駆的な授業を生みだす。70年代、竹内敏晴らの「『からだ』と『ことば』の会」に参加。80年代をとおして「いのちの授業」を実践。また、教師としての宮沢賢治を研究する。94年に公立学校を退職し、ほどなく「賢治の学校」(現「東京賢治シュタイナー学校」)を立ち上げる。著書多数。『いのちに触れる』『イメージをさぐる』(ともに太郎次郎社)、『親のしごと 教師のしごと』(法蔵館)、『生きる力をからだで学ぶ』(トランスビュー)など。2013年死去。