こんな授業があったんだ|第34回|自分たちの住む地域の川を考える〈後編〉|中井三千夫

こんな授業があったんだ 授業って、教科書を学ぶためだけのもの? え、まさか。1980〜90年代の授業を中心に、発見に満ちた実践記録の数々を紹介します。

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自分たちの住む地域の川を考える 〈後編〉
氾濫の原因をさぐる(小学4年生)
中井三千夫

中編からのつづき

勢田川はなぜ、氾濫をくりかえすのか?

 写生大会や休日をあいだにはさんだため、少し間があいたので、前回の学習を思いだすところからはいっていった。
「このまえ出た勢田川の氾濫の原因と考えられるものはなんだったかな?」
 千明がさっと手をあげた。
「家庭排水が流れこんでいるから」
「その家庭排水って、たとえば、なに?」
「洗濯の水」
「トイレ」
「ふろの水」
と、ふだん何も考えずに使っている水のいくつかが、すぐあがった。それを板書し、矢印で下に流れる勢田川につなげた。
「ほかにはないかな?」
「工場排水」
「それはどんなものですか?」
「工場から出るきたない水」
「勢田川の近くに、そんな水を出している工場ありますか?」
 3年生の副読本には伊勢市の主な工場の位置をしめす地図が出ていたはずだが、道路と工場を結びつけて考えることはできても、川と工場を結びつけて考えることはむずかしいらしい。なんでもないことのようだが、わたしたちが、川に背を向けて生活していることのあらわれのような気がする。
「そのほかにはどうかな」
「川の道のりが短い」
「川幅がせまい」
「堤防が低い」
「川が曲がりくねっている」
「どうして曲がりくねっているといけないのかな?」
「流れがゆるやかになるから」
「ゆるいほうがよくはないの? 昔はそうやって川をなだめたんじゃなかったか」
と、少しゆさぶりをかける。そうしたら、なんと、
「水がいっきに海へ行かなくなるから、流れがゆるいのはよくない」
と、現代の堤防の発想がでてきてしまった。
「ゴミやヘドロがたまってて、川底が浅くなってる」
「平地を流れているので、流れがゆるやかやからや」
「それに宮川みたいに川原がない」
「川原がないとなぜいかんの?」
「はい。遊べないから」
などと、ぬけぬけというのは、由久と幸宏。
「おまえらね、まじめにやれよ」
と、由久をせめると、笑いながら、
「川原がないとさ、大水のとき、水をためるところがないやん」

と、答えた。わかってて言っているのだから、しまつがわるい。つづけて言うには、
「お母さんが言うとったけど、昔は宮川の堤防もきれそうになったことがあるんやって。家の近くまで水がきたんやんな」
「その大水のとき、水をためるところをなんというんやった?」
「遊水池」
「先生、町の中心やで、そんな土地はないから遊水池はできんよ」
 いまでは氾濫をおこさない宮川にくらべて、勢田川は、なぜいまも氾濫をくり返しつづけるのだろうか。
「人間が川の近くに住むようになったからやろ」
と、典善は言う。
「そやけど、河崎の川岸は石垣でできとったよ」
「そやで、なに?」
「そやで、川幅は、昔とかわってないんとちがう」
 つまり、勢田川という川の姿そのものは、昔とあまり変わっていない。それなのに、なぜ、現在、氾濫がくり返されるのだろう。

お母さんからきいた勢田川の氾濫の話

「どんなときに勢田川は、氾濫を起こしているだろうか」
「大雨のときや、台風のとき」
「大雨のとき、なぜ氾濫するの?」
「水の量が、いつもより多いから」
「そのふった水が、ぜんぶ勢田川に流れるから」
「勢田川は、川幅がせまいやろ。それで、あふれる」
 このあと、勢田川の容量の小さいことについての意見がつづいた。
「勢田川は、みんなのいうように平地を流れる小さな川だったね。けれど、資料を見ると、ここ20〜30年の被害の大きさがめだつ。昔といまでは、何が変わってきたんだろう」

伊勢市で起こった水害のきろく

「昔は地面が土やったやろ。そやで水がしみこんでいったと思う。いまは、道はアスファルトになっとる」
「それに、家のまわりをコンクリートでかためてあるところも多い」
「千恵子が、ちょっとまえの伊勢のことをお母さんに聞いてきてくれたんで、いまからそれを読んでもらいます」
 

 

■お母さんにきいた勢田川の話   伊東千恵子
 お母さんの育った家は、でら橋のすぐそばです。お母さんが小学校のころは、明倫小学校から猿田彦神社あたりまでは、田畑と山ばかりだったそうだ。総合庁舎とかゆうびんきょくや家は、そこにはたっていなかったそうだ。
 伊勢湾台風の時には、道路は水をかぶったけど、家には水が入らなかった。そのころは、お母さんが、4年生か5年生のときだったそうだ。
 20年くらい前から、家がきゅうにたくさんたったけど、下水道は整備されず、そのまま勢田川にたれ流しになったままになっている。岡本から下流は、前からりょうがわに家がたっていた。上流の方は、家はあまりたっていなかった。
 おじいちゃんの家の前の勢田川を見ると、川の水がすくないときは、川底がみえ、水は下流に流れている。また、川の水が多い時は、下流から上流へ水が流れてくる。宮川の水は、いつも下流へ流れている。私は不思議に思います。
 そこで、お母さんにききました。
「勢田川の水は、潮の満ちひきとかんけいがある。お母さんが6年生の修学旅行の朝、家を出たら勢田川がいつもとちがっていた。においがして、川の両側が満潮の水位までべっとりと藍色のようなへどろがくっついていた。そのときは、どうしてだろうと思いながら旅行へいった。次の日、帰ってきてから家の人にきいたら、南アメリカにあるチリという国で大きなじしんがあって、つなみがおきたときいた。その影響が太平洋をこえて日本の三重県の伊勢市にある勢田川にまであったそうだ。それをきいてお母さんはびっくりした」
 私もびっくりしました。
 15年前のたなばた台風は、バケツのそこがぬけたような雨が長時間ふった。おばあちゃんはさん(世義寺は、日本三大護摩の一つで、7月7日には祭礼があり、屋台も多く出て、伊勢では代表的な夏の風物となっている。)なのでおすしをたくさんつくっていた。おひるまえにばんどうにおすしをとどけようとげんかんをあけたら、もう水がそこまできていた。それから水がどんどんあがって床上60センチまできた。近所の平屋の家の人が、おじいちゃんの家の2階にひなんしてきたそうだ。水が入ってきて、手のうちようがないので、みんなでおすしをたべていたそうだ。
 水は朝方ひいた。川の満潮と、たくさんの雨の流れる時間がかさなったから、そうぞうもできないことがおこったらしい。今では、やっとおじいちゃんの家の前のていぼうがつながった。

 たなばた台風のときにひなんをしてきた平屋のお家は、よそへひっこしてしまった。その家のあったところは、今は川になっている。おばあちゃんのいとこの家は、川のまがり角にあったので、そこもひっこして、そのばしょは、いまは川のなか。

氾濫の原因1 空地造成による自然の喪失

「この作文のはじめのほうに、『お母さんが小学校のころは、明倫小学校から猿田彦神社あたりまでは、田畑や山ばかりだった』と書いてあるね。『わたしたちの伊勢市』(副読本)でちょっと見てみようか」
「家ばっかや」
 副読本の表紙写真には勢田川の上流のほうまで写っているが、そこには、びっしりと家がたちならんでいる。
「なかの地図ではどうかな」

「色がついとる。家が多いところや」
 富山和子さんの『水と緑と土』(中公新書)のなかから、つぎの部分を読んだ。
「いま、簡単に計算するとして、深さ30センチほどの水田が持つ貯水能力とは、水深10センチ以上の夏の灌漑期であっても、なお10センチ以上にもなる。つまり1ヘクタールの水田をつぶすごとに、1000立方メートルの貯水池をべつにつくらねばならない勘定である」
 なぁるほどと思うか、なぁんだと思うか、とにかく簡単なのだ。勢田川だけでなく、全国どこの川でもおなじ事態が起きているのにだれも気づかなかったのが不思議なくらいである。いや、わかっていても知らぬふりをしているのかもしれない。もし、宅地造成が水害の一因であるとしたら、業者やそれを認可した市町村の責任が問われることになるはずであるから。
 つづいて、おなじ本からもう一か所を読んだ。
「森林土壌の整備されたところでは1時間に100〜150ミリもの降水を貯溜するのにひきかえ、落葉下草の採取、放牧、火入れなどで地表面が緊密化した森林では、その貯溜量は0.1〜1ミリにすぎないのだ。ゴルフ場の建設が自然破壊として批判されている大きな理由もそこにある。まして裸地にしたその上を、建物や道路舗装で全面的に覆ってしまうのである。水は逃げ場を失い、コンクリートの斜面を走るしか方法はない」(前掲書)
 地図でみると、勢田川の上流にはまだ色のついていないところが残っている。前任校の宮山小の近くである。
 けれども、前任校在任中に、二つの山がけずられて団地になってしまった。現在では、高速道路を通すためにまえにも増して工事がすすめられている。
 勢田川の氾濫の原因の第一は、この人口の集中化による自然な土壌の喪失であることに、子どもたちは、やっと気づいた。
「田んぼや畑はプールの役目をしとったんや」
というのが、授業の終わりに出た子どものつぶやきだった。しかし、原因はそれだけだろうかという疑問を持つ子もいた。まだほかにも氾濫の原因があるのだろうか。

氾濫の原因2 海に水を押し流せない小河川

「もう、ほかに氾濫の原因はないのか?」というのは典善の疑問だった。そこからはいっていこうとしていたら、突然、その典善が言いだした。
「まえ、NHKでみたんやけどなぁ。新宿には水をとおす舗装道路があるんやって」
「うっそお!」
 信じられないのも無理はない。透水性舗装は、まだまだ一般には知られていない。よく知っていたものだ。
「道が、みんな水をとおすようになったら、氾濫はへると思う」というのが、典善の言いたいことだ。
「でも、高いんやろ、それ」と友哉は聞く。
 おそらく、問題はそこらあたりにあるだろう。それではどうするか。
「勢田川の堤防は低いやろ、高くしたらどうや」と満が言うと、
「そんなんしたら、日が当たらんようになる」と反論が出る。
 おもしろい反対理由だが、川岸までびっしり家がならんでいる町中の川だけに、出てくる発想だろう。
「天井川になるんやないか」
というのも考えられる。三方を山と宮川の堤防で囲まれた町のなかを流れる川に高い堤防をきずけば、1度、氾濫した水は行き場をなくし、いつまでも水は町からひかないだろう。
 川のまわりにびっしりと色を塗られてしまうと、川幅を広げようなどという意見は出てこない。そこには、人が住んでいるからだ。これがあたりまえの感覚だろう。
「広げられんのやったら、川を掘って深くしたらどう?」
という由久の意見は、勢田川は浅いという持論からきている。
「とった土をおくところがないやろ」
孝宏「それも金がかかるよ」
典善「機械がはいらんのとちがうかなぁ、せまいよって」
由久「トラックで運んだらええやろ」
私「ちょっと待って、絵をかいて考えてみよう」
 由久以外は否定的な意見が多いが、絶対に無理だと言えるほどではない。黒板に図をかきながら、考えてみる。

「こういうふうに川の底を掘るわけだ」
「ああっ、いかんよ」
「ええ、何がさ」
 何人かの子が気がついたらしい。
「ハイ、ハイ」と騒がしい。
「川は海とつながっとるやろ。川を深く掘っても、そのぶん海から水が流れこんできておなじことや」
「その川と海のあいだの線はなに?」
「防潮水門やろ。知っとるよ」
「大潮のとき、海の水がはいってこんように防いどるもんで防潮水門って言うんや」
「まえに見たけど、ふだんは海のほうに水がいっぱいあって、川のほうは、あんまり水がなかったよ」と由久が言うので、
「それじゃ、この門がなかったら?」
と聞くと、
「あっ、海の水が逆流してくる」と孝宏が答える。
「それと、しみこんでいかない水が川にいっきに流れこむと?」
「町に水があふれる!」
 このようにして、勢田川の氾濫の第二の原因を子どもたちは見つけだしてきた。
「でも、なぜ、勢田川は海に水を押し流せえへんのやろ」
由久「勢田川はせまいし、浅い」
孝宏「まだある。短くって曲がりくねっている」
拓也「平地を流れとるから、流れもゆるいやろ」
 平地を流れ、流量も落差も少ない小河川は、水を海に押し流す力がない。水を川にとじこめ、海に流す現在の治水の条件を満たせない川、それが勢田川なのだ。

出典:『ひと』1992年8月号、太郎次郎社

中井三千夫(なかい・みちお)
三重県・元教員。
1975年から離島で中学校教員を4年勤めたのち、出身の伊勢に戻り、2012年まで小学校教員を勤める。