こんな授業があったんだ│第26回│“土”をつくる〈前編〉│春日辰夫

こんな授業があったんだ 授業って、教科書を学ぶためだけのもの? え、まさか。1980〜90年代の授業を中心に、発見に満ちた実践記録の数々を紹介します。

授業って、教科書を学ぶためだけのもの? え、まさか。1980〜90年代の授業を中心に、発見に満ちた実践記録の数々を紹介します。

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“土”をつくる〈前編〉
くさーい生ゴミが土になるまで(1990年・ 小学3年生)
春日辰夫

1・2年生に教える「人間の生活」って、なんだろう?

 いろいろととりざたされている生活科の教科書づくりに、ひょんなことから参加するようになって3年になる。教科書について、まるっきり使い手の意識しかもっていなかったのだが、作り手の側にまわってみて、自分の能力をはるかに超える仕事であることを編集委員会のたびに痛感、逃げだしたくなる気持ちをやっと押さえながら、なんとかゴールにはいった。はたして検定を通ることができるのか、そしてなお、採用してもらえる学校がどのくらいあるのか、などの心配はこれから大いにあるのだが……。
「低学年の子は、とにかく外に出す」「具体的な活動や体験をする教科に」などなど生活科の集まりがあるたびにくり返し強調されているが、「現実打開のために」掲げるスローガンとしても、教科の目標が、そんなことを目的にしていっていいのだろうかという疑問をわたしは耳にするたびに強くもった。もちろん、それは生活科にかぎってもつ疑問ではないのだが。
 人間とはなにか、どんな人間に育ってほしいか、小学校にはいってすぐの1・2年生に教える「人間の生活」の意味はなんなのか、その場合の教師の役割はなにか、編集委員会のたびのくり返しの話しあいから、いくつかのことをわたしたちは浮かびあがらせていった。
 子どもの一人ひとりが、身のまわりのことに驚き、それはなぜだろうと思ってほしい。生命のしくみを感じ、それについていろんなことを思いやってほしい。他者(人間だけでなく、動植物をふくめて)のことが少しでもわかることができるようになっていくと、ともに生きようとする気持ちがふくらむだけでなく、おのれの心も豊かになり高まっていくはずだから、そのような内容になるものにしたい。生命のしくみ、自然の理を考えるには、循環を大事にしていけばいいのではないか。
 こんなことを考えながら、「他者の理解」「循環」の2つを、わたしたちのつくっていく生活科の教科書の柱にすえて仕事を進めたのだが、大きいテーマ「循環」を考えることの一つとして、「生ごみからの土づくり」の単元を1年生に入れることにした。
 そこで参考にしたのが、『トイレットからの発想』(ヴァン・デァ・リン著 西村肇・小川彰訳 講談社)であった。訳者「はしがき」によれば、この本の主題は下水道政策の不合理をつくことと、どうしたら現状をわたしたちが変えていけるかの2点であり、後者の解決法の一つが、わたしたちが毎日はきだす生ごみをなんとかして土にもどすことで、そのためにコンポスト・ボックスがあるとしている。
 その書に学んで、教科書に土づくりのページをおくことになり、このとき受けもっていた3年生の子らといっしょに生ごみを土にかえす実験観察を試みた。

うぇーっ、くさい ! これがほんとうに土になるの?

 廃材を利用して作ったコンポスト・ボックスを学校の畑のすみに置いた。9月13日から始めたのだが、そのために数日まえから、学級だよりで生ごみをもってくることを子どもたちに伝え、親に協力を求めた。子どもたちが生ごみについてもっているイメージはまったくよくない。

■生ごみで土なんかつくれるのかと思った。しかも生ごみなんかで。なんでこんなことをしなくてはいけないかとも思った。家ではお父さんは生ごみをよういしてくれた。わたしは「きたないな」と思った。つぎの日に「もっていきたくないよ」とも思った。 (生野)

■ぼくは、うちでお母さんに「土をつくるから生ごみをとっといてね」といいました。そしたら、お母さんが「ほんとうに土をつくれるの」といいました。ぼくも、生ごみでほんとうにつくれるのかな。生ごみを手でもっていくなんて、くさくてくさくていやだな。学校にいくとき、トマトののこしたやつとか、魚のほねとかがあって、こんなきたないやつもつのがもっといやだな。どうせ土が作れないのにな。 (有紀)

9月13日。土づくりの木箱に、生ごみと脱水用のわらと新聞紙を、層にして入れた。この日は子どもたちも満足顔だ。

 ビニール袋に入れた生ごみを教室に持ちこんだ子どもたちは、朝から「くさいくさい」と大騒ぎ。
 水分をとるためのものとして、ワラを10センチぐらいずつ切り、新聞紙を小さくちぎらせる。あとは、わら、新聞紙、そして生ごみというふうに、なん段もの層に重ねていった。子どもたちのもってきた生ごみのほかに、この日の給食時のミカンの皮もいっしょに入れる。箱の3分の2ぐらいまで積んだのだが、大きく目立つような魚の骨がはいらないので、魚屋の近くの子が翌日、魚の頭・骨などをもらってきて、つけたす。
 3日に1回きり返すことにし、第一回のきり返しは17日。この日、10人近くがまたごみをもってきたので、きり返しのとき、混ぜて入れる。生ごみの温度は34度に上がっていたのである。

■ぼくは、さいしょはどきどきしました。先生がごみ入れのふたをあけたら、すごくすごくくさかったです。なかを見てみたら、ごみが前よりすくなくなっていました。ごみのなかのおんどは34度でした。なかをかきまわしたら、なかがすこしくさって(?)いました。なかのにおいをかいでみたら、ウエッとなりました。 (有紀)

1週間まえよりくさいし、ウジもうじゃうじゃ !

 1週間後の9月20日、生ごみの温度は41度になり、箱のなかでは小さい甲虫が跳びはねていた。

■きょう、生ごみを見ました。まえとちがって、とってもとってもくさくて、体にまでかんじてきました。なかは、かびみたいのがはえていた。かきまわすたんびにくさくなっていきます。わらが多くなっているように見えます。たまごのからなんかは見えるのに、やさいは魚にまじっているようです。 (和美)

 9月25日、12日目になるが、生ごみの温度は43度になり、前回、跳びまわっていた黒い甲虫の姿は見えなくなり、かわってウジがたくさんわいていた。

9月25日。3回目の切りかえし。羽虫も出るし,うじも出た。まだくさい。

■くさかったですけど、においはまえのにおいとかわってきていました。生ごみはくさってひくくなっていたし、わらはほとんどのこっていました。生ごみは少しだけのこっていました。虫がいっぱいいました。わたしはどこからはいってきたんだろうと思いました。ふたもしっかりとしめていたのに、と思いました。 (絵美)

 9月28日、15日目。白いウジは、さらに量を増し、10センチぐらいの層になって黒くうごめく。箱のなかをのぞきながら、わたしもいい気分がしなくなってくる。

■きょう、生ごみを見たとき、虫がはいのぼってきた。温度は、土が22度なのに、42度でした。まえよりもくさくなっていて、とっても気もちわるいと思った。先生がふたをあけたら虫がうじゃうじゃいた。いろは黒くちゃいろっぽいでした。生ごみのりょうはまえよりへっていました。こんどは、あの虫はまた大きくなっているだろうな。このままさなぎになるのだろうかな。あとなん日でどういう虫ができるのかな、たのしみにしています。でも、ときどきいやだないやだなというときもあるけど、かんさつしたいと思います。 (尚子)

虫がいなくなって、においも消えた !

 10月1日、6回目のきり返しと観察。連休があったので、19日目になる。前2回の観察でひどいにおいとたくさんのウジにまいっている子どもたちは、なんとなくしかたなしに畑についてくるという感じ。畑の地温をはかって、いよいよふたを開けるというところでは、どの子も鼻をつまみ、逃げる用意をしている。内心はわたしもおなじなのだ。しかし、なんと、なかのようすはずいぶん変わっていたのである。

9月29日。温度は50度ちかい。この温度で,虫も死ぬ。

■先生がきておんどをはかりました。気おんは28度、地おんは21度でした。生ごみのふたをあけたら、黒っぽくなっていてとっても小さい虫がいました。わたしは、「なんで小さい虫がいるのかなあ」と思いました。よこのふたをあけると、まえ、いっぱいくっついていたウジがすこししかいないのです。ごみはひくくなっていました。30度でした。気おんとあまりかわりありません。まえよりもくさくありません。かきまわすほど土にそっくりな色になってきます。わたしは「ほんとうに土ができるんじゃないかなあ」と思います。きれいな土ができるといいなあ。なんか虫がふしぎでたまりません。「マジシャンかな」と思いました。 (智恵)

■生ごみのおんどをはかったら、30度しかありませんでした。まえは40度よりもあったのに、なんでこんなにおんどがさがったのかなあと思いました。かきまわしたら、においはあんまりしなくなりました。魚のあたまのぶぶんはかわみたいになっていました。とうもろこしのしんは、ただ黒くなっていました。ぜんぶというほど黒くなっていました。こんどは、ほとんどにおいはしなくなっていると思います。 (誠)

 このころから子どもたちは、ほんとうに生ごみが土になるのかもしれないと思うようになってきた。同時に、箱のなかのいろんな変化も目立っているので、どの子の観察記録にも「不思議だ」「なぜ」というような文がたくさんみられるようになった。

■10月4日、生ごみを見ました。26度でした。まえは30度でした。ずっと下がりました。土ににてきたようでした。わらがべとべとしているようでした。においはそんなにしません。まえよりくさくなかったです。かきまわしたら少しくさかったです。魚のほねがありました。虫がそんなに動きませんでした。ふしぎでした。 (陽子)

■先生がかきまわしました。あまりにおいはしませんでした。わたしは、「においはどうしてきえたのかな」と思っています。ウジ虫のような虫が動いていませんでした。どうして虫が動かなくなったのか。ほとんどしんだのかな。わたしはふしぎです。土もそろそろできるころだから、みなかわっていっているから、虫も動かなくなったんだな。はやく土ができたところを見たいです。 (宏子)

 10月9日、8回目、27日目になる。前日は一日中雨ふり。2日まえも雨だった。そのせいもあるのだろうか、この日は箱のなかがことさらビショビショの感じがした。

■地おんは18度でした。生ごみを見てみたら、まだとうもろこしのしんがありました。おんどは20度しかありませんでした。虫はほとんどしんでいました。虫はあったかいところしか生きられないのかなあ。すこし土になっていました。水もはいっていました。 (真理子)

(後編につづく)

出典:依田彦三郎編『ゴミは、どこへ行く?』1993年、初出:「ひと」1991年6月号、太郎次郎社

春日辰夫 (かすが・たつお)
1936年、宮城県に生まれる。1958年、東北大学教育学部卒業。
宮城県内の小学校に長く勤務する。
元宮城県教職員組合教区文化部長。
元宮城県民間教育研究団体連絡協議会代表。
著書に『ヒロシマの歌 』『子どもが甦る詩と作文』『土・水・森林・海そして人間の授業』(以上、えみーる書房)、『寒風にスキップはずみ』(太郎次郎社)など。