こんな授業があったんだ|第60回|製塩の授業〈後編〉|安藤嘉之

こんな授業があったんだ 授業って、教科書を学ぶためだけのもの? え、まさか。1980〜90年代の授業を中心に、発見に満ちた実践記録の数々を紹介します。

授業って、教科書を学ぶためだけのもの? え、まさか。1980〜90年代の授業を中心に、発見に満ちた実践記録の数々を紹介します。

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製塩の授業
海の水から塩をつくる 〈後編〉
(小学3年生・1992年)
安藤嘉之

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塩田をどこに作るか、
学校中を調査する

 塩の作り方がわかったあと、子どもたちは「こんなふうにして塩を作ってみたい!」「ほんとうにこんなやり方で塩ができるのか確かめてみたい」という方向にむかい、とにかく、実際に自分たちで作ってみよう! ということになった。
 そのためには、準備として「塩田を作ること」と「海水をとってくること」が必要だということになった。塩田を作るのがさきか、海水をとりにいくのがさきかを話しあい、結局、塩田がさきという子が23名、海水がさきという子が11名ということで、塩田をさきに作ることに決まった。
 そのつぎの問題として、「では、どこに塩田を作るか」ということになった。日当たり、風通し、みんなが遊ぶときにじゃまにならないところという観点から、学校中をみんなで調査した結果、給食室の横がいいということになった。
 さあ、では作業開始……となったところで、秋次君たちから、「ちょっとまってよ。勝手にここに作っていいの?」という意見がでた。みんなもそういえばそうだということになり、じゃあ、校長先生のところへ許可をもらいにいこうという方向に話は進んだ。そこで、みんなで代表をオーディションで決め、その子たちを先頭に、校長室へ全員でむかった。

ピンチ!
校長先生が許可をくれない

 ほとんどの子どもたちは代表といっしょに校長室へはいったが、「なんかドキドキしちゃって……」という5人は、わたしといっしょにドアの外で待った。校長先生には、この授業にはいるまえに、
「どういう方向に進むかわかりませんが、もしなにかで子どもが相談にきたときには、サービスしたりすることは考えず、ただ校長先生自身の気持ちにしたがって答えてください」
といってあったので、わたし自身もドキドキして待っていた。
 10分ほどたって校長室からでてきた子どもたちは、いままで見たこともないくらいガックリきていた。どの子も話をせず、シ〜ンとなって、ろうかを歩いていく。待っていたわたしたち6人は、“こりゃ、うまくいかなかったな”と顔を見あわせ、それにつづいた。あとで聞いたところでは、ひとつひとつていねいに子どもの話にうなずいていた校長先生は、
「う〜ん、話はだいたいわかったよ。だけど、どのくらいの大きさのものを、どうやって作るかがはっきりしないものは許可するわけにはいかないな」
といったのだそうだ。たしかにそのとおり。こんな対応をしてくれた校長先生に、わたしはとても感謝した。このピンチを、3年1組のみんなは乗りこえることができるだろうか。
 教室へ帰ってみると、みんなは、まえのほうに集まり、静かにすわっていた。泣いている子もいる。なんと話しかけていいかまよったが、とにかく、
「みんな、どうする?」
と聞いてみた。すると、塩づくりの授業が進むにつれて、どんどんエネルギーがでてきた奈緒美が、
「わたし、あきらめない。だって、いままでこんなに話しあって、みんなで決めてきたんだもん」
とはっきり答えた。それにつづいて、こういう謎を解いていく活動が大好きなさとが、
「わたしもやめたくない。だって自分たちで塩を作りたいもん」
と意見をいった。それをきっかけにして、
「そうだよ。校長先生は、だめっていったわけじゃないぞ」
「大きさとか、作り方を決めればいいんだ」
「もう一回、しっかり話しあおう」
「そうだよ。それでもう一度、校長先生のところへ行こうよ」
という意見がでてきて、みんな、また元気になってきた。そして、あした、しっかり計画をたてて、もう一度、校長室へいこうということになった。

作業計画を綿密に打ちあわせ、
もう一度、校長先生のところへいく

 翌日、1時間めから、子どもたちはビニールのゴミ袋とスチロールで教室にミニ塩田を作り、それをもとに、細かい打ちあわせをした。そして、どのくらいの大きさか(何メートル×何メートル)、作り方、使う材料、使う道具、そして仕事の分担などをしっかり話しあい、それをもとに、ひとりひとりが設計図を書いて、もう一度、校長先生のところへむかった。今度は、全員が校長室へはいった。わたしは、子どもたちに、
「だいじょうぶ。先生はここで待ってて。決まったら、すぐ知らせにくるからね」
といわれて、教室で待った。
 15分後、走ってくる子どもたちの足音が聞こえてきた。そして、教室のドアがあいて、康志を先頭に、子どもたちがすごい勢いで抱きついてきた。
「先生、校長先生がいいって!」
「明日から作れるよ!」
 いまや、塩づくりへむかう子どもたちのエネルギーは最高潮に達した。

[子どもたちの感想]

■とてもうれしい。やっぱりみんなが紙に作り方を書いたのが、校長先生に通じたのだなと思った。これからも自分たちでやりたい。(涼)
■びびった。むねがどきどきした。オーケーになったときうれしかった。かんどうした。(モハメッド)
■校長先生からゆるしがもらえたのでうれしかった。うれしくてたまらない。このうれしさをおとうさん、おかあさん、おにいちゃんに伝えたい。(奈緒美)
■とてもうれしかった。こんなにみんなでがんばって、もう100%うれしい。家でもどんなふうにしたらいいか考えてたんだもん。心がパーッと明るくなった。(恵子)
■塩が作れるぞ。やっとやっと作れるぞ! ろうかを走っちゃいけないとか、さわいじゃいけないとか、そんなものはもう頭になかった。ただはやくアンチャンマンにほうこくしようとしか考えていなかった。(阿紗子)

土を掘る、土を運ぶ、土台を築く……。
塩田を作りはじめる

 10月28日水曜日。朝から快晴だった。いよいよ縦5メートル、横7メートルの塩田を作る。子どもたちは、自分たちで決めた手はずどおりに作業を進めた。まず、ビニールシートを敷き、そのまわりにブロックを置いて、囲いを作る。そこに、校庭の隅にある土の山から土を運んできて、それをかためて土台を作るという手順となる。いちおう分担は、土を掘る人、運ぶ人、土台をかためる人というふうに決めてある。

 土を掘る子どもたちは、はじめ、スコップだけを使っていたが、そのうち土の山が低くなってきて、土がかたくなってきたので、くわをさがしてきて使いはじめた。そして、掘りおこした土をスコップで細かくくだいて、土を運ぶ子にわたしていた。

スコップ、くわを使って土を掘る

 土を運ぶ子どもたちは、植木鉢、プランター、バケツ、一輪車など、それぞれ思い思いの道具で運んでいた。一度にたくさん運ぶために、植木鉢を4つもかかえて運ぶ子、大きなプランターやバケツを2人組で運ぶ子、木の棒をさがしてきて、それをてんびんがわりにして運ぶ子など、知恵をしぼりながら運んでいた。
 土台を築く子は、はじめ手でかためていたが、やがて足を使い、しばらくすると、どこからか持ちだしてきた丸太を使いはじめた。塩田の中央をかためる子は、長い丸太、角をかためる子は短い丸太を使うなど、それぞれ自分たちでためしながら、工夫して土台をかためていった。

手や足、丸太を使って土台をかためる


 いちおう分担は決めていたが、おたがいに役割を交換する子もいた。自然だった。ひとりひとりが塩田を作るために、自分で工夫をし、道具をさがしてきて、ひたすら汗を流していた。終わったあとすぐ給食になったが、好き嫌いがはっきりしている3年1組の子どもたちにはめずらしく、残菜はまったくなかった。

高い防波堤から、
どうやって海水をとる?

 つぎは海水である。どこからとってくるかを、まず話しあった。塩の作り方を考えるときに見せた東京湾の水が、自分たちの予想に反してけっこうきれいだったということもあり、近くの東京湾でとってこようということに決まった。
 その後、東京湾の写真と学校から東京湾までの地図を資料にして、どうやって海水をとってくるかということに話は進んだ。東京湾岸には、子どもの胸ぐらいの高さの防波堤があり、下へは直接おりられない。
T「この写真のように高い防波堤があるんだけど、ここからどうやって海水をとったらいいかな」
C「ビンをひもでしばるでしょ。それをおろしてとればいい」
C「ビンは、このコンクリートのところで割れちゃうかもしれないよ。だから、プラスチックのボトルがいい」
C「でも、ボトルは浮いちゃうから、水がはいってこないよ」
C「じゃあ、バケツをひもでおろしたら? 口が大きいから、いっぱい水がはいるよ」
C「でも、バケツじゃ、持って帰るの重くてたいへんだよ、きっと」
と、いろいろな意見がでてきた。そこで、ひもでしばった入れものをおろしてとるというところは共通しているのを確認し、自分がいいと思う入れものを持ってきて、あした、プールで実験してみようということにして、話しあいを終えた。
 つぎの日、子どもたちはそれぞれ「これがいちばんとれる」という入れものを見つけてきた。いちばん多かったのはビンだったが、割れやすいという欠点を克服するために、ある子はビンのまわりにビニール袋を重ねてきた。「割れても、かけらがとびちらないでしょ」というわけである。またある子は、ビンのまわりに布をまいてクッションにしていた。また、2枚がさねのビニール袋で水をとり、とった水を腰に巻きつけたペットボトルにうつしかえるというユニークな子や、バケツに2本のひもをくくりつけ、ひもをうまく操作して大量の水をとるという高度なしかけを考えた子もいた。
 聞いてみると、ほとんどの子が風呂場で実験したり、マンションのベランダから下へ実際におろしてみたりと、家でためしてきたということだった。
 たっぷり1時間かけて、それぞれが考えてきたことをプールでためし、本番にのぞんだ。

思ったよりも高い防波堤。
子どもたちは、一瞬たじろぐ

 海水をとりにいく日がきた。天気は晴れ。つきそいとして4人のおかあさんにもきていただいた。東京湾の満潮の時間に合わせて、午後1時半、出発。子どもたちは、それぞれ自分の考えた道具を持って学校の門をでた。東京湾までは歩いて15分、子どもたちの足どりは軽い。やがて、湾岸道路の高架をくぐると、むこうに海が見えてきた。
「ほら、海が見えるよ!」
「わあ、きれい!」
と、元気いっぱい。
 ところが、いざ東京湾に着き、防波堤から下の海をのぞくと、これが予想より高かったらしく、みんな急に静かになってしまった。しかも、ひもがおろせるの? というくらい風が強いときている。「こわい……」「だいじょうぶ、これ?」「ほんとにやるの?」というつぶやきが聞こえてくる。
 それでも、ここまできて、そのままは帰れないと思ったらしく、何人かが防波堤からひもをおろしはじめた。それをきっかけに、「こうなったら、命がけだ!」といいながら、あとの子どもたちも意を決して、ひもをおろしはじめた。
 やりはじめると、けっこうおもしろかったらしく、活気もでてきた。風が強くて、プールで実験したようにはうまくいかなかったのだが、それでも子どもたちはあきらめず、チャレンジしつづけた。その甲斐あって、つきそいのおかあさんがたや、たまたまそこに釣りにきていたおじさんたちに助けられたりしながらも、ともかく全員が海水をとり、学校まで持ち帰ることができた。

さあ、塩づくり。塩田の土台に砂をまき、海水をまく。
ざるとおけで、かん水をとる

 さあ、塩田はできたし、海水もとってきた。あとはいよいよ塩づくりである。まず、塩田の土台の上に砂をまく。そして、その砂の上にとってきた海水をまいて、2日間かわかす。

塩田に、海水をまく


 すると、水分だけが蒸発し、砂のつぶのあいだに塩分が付着する。それを砂ごとざるに取り、上から海水を流すと、砂についている塩分と海水がまざりあい、下のおけに濃い塩水(かん水)がたまる。
 そのままでは砂のまじった色をしているのだが、それを1日置くと、砂は下に沈み、透明なかん水だけが上に残る。そのかん水だけをとり、火で熱してやれば、塩ができるというわけである。

ざる、おけを使ってかん水をとる

 海水をとりにいった2日後、空が晴れたのを確かめて、子どもたちは、みんなで塩田の土台の上に砂をまいた。そして、その上から、ひとりひとりがいろいろな方法で、とってきた海水をまいて、2日間、待った。
 もちろん、かわかす2日間は晴れていなければならない。雨でも曇りでも、作業はストップになる。子どもたちは、家で天気予報を聞いて、毎日、空もようを気にしていたが、さいわい、かわかす2日間は晴れであった。そのあと、グループごとに、むかしと同じように、ざるとおけを使ってかん水をとり、1日、置いておいた。

さあ、塩づくり。塩田の土台に砂をまき、海水をまく。
ざるとおけで、かん水をとる

 つぎの日、学校へきてみると、砂は下に沈んで、かん水は透明になっていた。表面に浮いた細かいほこりをとるために、ろ紙やコーヒーフィルターを持ってきて、かん水をグループもあった。そして、いよいよ、とったかん水を家庭科室で煮つめる。ガスの使い方を確認し、グループごとに火をつけた。

なべで、かん水を煮つめる

 そのうちに、なべの内側に白いつぶができ、それを見つけた子が、
「塩だ! 塩がついている!」
といいはじめ、だんだんみんなその気になってくる。それを聞いた別のグループは、スプーンをどこからか持ってきて、かん水を少しとり、火であぶる。すると、水分がとんで、表面に白い粉が残る。それをなめて、
「やっぱり、塩だ!」
とさわぎだした。そうしているうちに、いちばん最初に煮はじめたグループが、
「あ! 塩ができる。ほら!」
とさけんだ。ワッと集まるみんな。わたしもそのグループにいくと、水分が蒸発したなべの底に、白い塩のかたまりができていた。さっそく味見するグループの子どもたち。そのうち、ほかのグループでも歓声があがりはじめ、4時間めの終わるころには、家庭科室は大さわぎ。全グループのなべの底に、ついに塩ができあがった。

[子どもたちの感想]

■一回目の塩ができてなめたら、なんかあまじょっぱかった。あと、塩ができる時に水が海のなみみたいにひいていったんだよ。(あかね)
■すごくうれしくてドキドキしました。まだかなあまだかなあとかんがえていました。きょうはさいこうな日だと、つくづく思った。(まりえ)
■こんなにうれしかったことはなかったです。心がとてもはずんだよ。そして塩はとてもすっぱかった。(彩子)
■いもうとにもおしえたい。ぜひうちの食べものにも使いたい。(あきら)
■さいしょは、水がきたなかったので、「ほんとにできるのかな。」とおもった。さいご、カベみたいなのが下にできた。ほんとによかった。(俊輔)
■もう塩作りのべんきょうがおわり、ざんねんです。でき上がった時、中をのぞいてみたらいろいろな形になっていました。(ゆみ)

もう一度海にいって、
絵を描く、写真をとる、文を書く、海の歌をうたう……


 塩ができて、何日かたった朝、わたしは塩浜小学校の校章を見せた。

C「あっ、これ、学校のマークだ」
C「ねえ、波でしょ、あれ」
C「海のマークなんだ、これ」
C「塩浜小って、海とつながっているんだね」
C「ねえ、屋上へ行こ。海が見えるよ」
という話になり、屋上へいったのだが、その日はスモッグがかかっており、海がはっきり見えなかった。そこで、みんなで海にいってみようということになった。
 勇気と敬の2人組は、それぞれ塩と貝を持っていくというのでわけをたずねると、勇気は、できた塩を海にまいてあげたいということだった。敬は、塩浜小の校庭から掘りおこした貝を海にかえしてやりたいのだそうだ。
 空がきれいに晴れたつぎの日の午後、子どもたちは、もう一度、海へとむかい、東京湾にでた。海は青く、おだやかだった。しばらくみんなで静かに海を見たあと、それぞれ絵を描いたり、写真をとったり、文を書いたり、双眼鏡でバードウォッチングをしたり、海の歌を歌ったりと、自由にすごした。
 学校にもどり、みんなで“海”をテーマに詩を書いて、塩の授業は終わった。

   海
海を見た
とてもきれいだった
鳥にのって
海の生き物にかこまれてみたい
魚になって
海をおよいでみたい
また海へ行ってみたい   (智美)

 (おわり)

出典:別冊『ひと』3号、1993年7月、太郎次郎社

安藤嘉之(あんどう・よしゆき)
千葉県、小学校教員。
退職後は岐阜県に帰郷し、中山道歴史資料館館長を経て、現在は中津川市ひと・まちテラス所長。