〈公正(フェアネス)〉を乗りこなす│第9回│わたしたちの「残酷さ」と政治│朱喜哲

〈公正(フェアネス)〉を乗りこなす 朱喜哲 ちゅ ひちょる 「公正」とはなにか。「正義」とはなにか。 その言葉の使いこなしかたをプラグマティズム言語哲学からさぐります。

「公正」とはなにか。「正義」とはなにか。
そのことばの使いこなし方をプラグマティズム言語哲学からさぐります。

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第9回
わたしたちの「残酷さ」と政治


何から自由を守るのか?

 前回は、わたしたちが「自由」と言うときに大切に思っていて、かつ守られるべき範囲を「消極的」自由として線引きすることばづかいについて紹介しました。それは、危害を加えられ、干渉され、など否定形で表現されるような「放っておいてもらえる」自由のことでした。

 もちろん、消極的自由だからといって無制限に重視されるわけではありません。むしろ各々の消極的自由が守られるべき領分をおびやかしてはならない、侵さないようにしよう、と個々人や、なによりも強大な力をもつ組織・機関に歯止めをかけるためにこそ、「自由」が大切なのでした。この典型例として「信教の自由」の憲法条文─誤解されがちな「どんな宗教・思想でも信じることができる自由」ではなく、正しくは「何らかの宗教・思想を強要され自由」─を検討しました。

 今回、掘り下げたいのは、こうした「自由」の使い方を重視することが、ほかにどういった「正しいことば」の使い方とつながってくるかという点です。それを見ていくには、この「自由」の用法が大切にしているポイントが何であるかを確認する必要があります。というのも、先ほどのトピック(信仰)について消極的自由が脅かされるべきでないということには異論がないと思いますが、ほかのケースでは意見が分かれることも多いからです。

 たとえば、感染症対策の文脈で「ワクチンを打つことを強要されない自由」が声高に主張された場合─もちろんこの字義通りには認められねばなりませんが─、ばくぜんと反感をいだくひともいるでしょう。これには認めるか認めないかの二択ばかりでなく、接種じたいは自由だが未接種者には一定の行動制限を課すべきだとか、職業上の行動パターンを変えられないのであれば認められるべきではないといった意見もありえます。こうした具体的なトピックについて考え、会話を経てそれぞれの考えを形成するためには、そもそも「自由」と言うときに何を大切にしていて、何を恐れているのかを踏まえる必要があります。

消極的な/否定形のネガティブ」という表現が物語るように、消極的自由とはものです。つまり「自分のことを自分で決める自由がある」というような意味での自由ではなく、守られる自由ということでした。では、だれに(何に)対して身構えているのか。それは、自身にほかなりません。たんに「他者」というだけでなく、自分自身を構成員として含んでいる社会集団、そしてその最たるものである国家という強大な統治機構です。


だれもが弱者であり、強者でありうる

 わたしたちが社会で生きるために形成する集団は大小さまざまあります。そして、それぞれのレベルで当該集団を維持するための運営─がおこなわれています。家族、学校、企業、町内会など、各所に明文化されていたりいなかったりする一連の「ルール」があり、それらがおおむね守られることによって集団の秩序が保たれます。そのため、秩序─あるいは持続可能性─が求められる集団ほど、構成員である個々人にルールをためのをもつことになります。

 この「力」の行使には、ルール違反者の拘束や集団からの排斥といった直接的なものから、名誉の剥奪や屈辱を与えるものまでバリエーションがあります。たとえば学校の場合、明文化された校則等にもとづいた謹慎や退学などの公式処分から、大勢の前で名指しで叱責したり立たせたりして辱めることまで幅はありますが、いずれもルールの制定・裁定者側たる教員と構成員たる学生とのあいだに力の勾配があるのは明らかです。

 また家族という集団においては、ほとんどの場合に明文化されていないでしょうが、親は子に対して行使しうる絶大な力を有します。配偶者どうしのあいだにも─対等なパートナーシップという理想的な秩序の維持がめざされる場合であってさえ─やはり力の勾配が生じるでしょうし、それには経済的な優劣や身体的な力の強弱などがそのまま反映されてしまいがちです。

 これらに共通するのは、いずれの集団にもこの意味での「力」をめぐって「強者と弱者」がいるということです。だれが強者かは特定の集団内でも入れかわる場合があるでしょうし、わたしたちは同時に複数の集団に所属しますから、ある集団の強者が別の集団で弱者になることはつねです。しかし、特定の社会集団において「強者と弱者」が存在するというじたいは、集団が集団である以上は変わりません。

 わたしたち全員が何らかのかたちでその支配に属しており、かつ実効性のある最強の力を行使することができる集団単位こそが「国家」です。この集団において、わたしたちは程度の差はあれ、ほぼ全員が国家権力に脅かされうる「弱者」ですが、主権在民を掲げる民主主義国家である以上は同時に─各種の政治活動、とりわけ選挙を通じて─集団のルール制定と裁定に間接的にかかわる「強者」たりえます。

 個人ではけっして抵抗できない圧倒的な力をもち、わたしたちの生殺与奪を握るような社会集団をどのように構想し、そのルールと運用方針を考えるのか。それこそが「政治」の課題にほかなりません。「政治思想」というものの重要な役割は、民主主義の理念のすばらしさを称揚することよりも、こうした圧倒的な力を備え、いつでもわたしたちに「恐怖」をもたらしうる統治権力をどうコントロールするのかを現実的に考えることにあります。

 これを本連載にひきつければ、つぎのように言えるでしょう。わたしたちが「正しいことば」を遠ざけるべきではないのは、それをたくみに扱えるとがあるからではなく、まったく扱えないままだと自身やともに生きるひとたちを無防備に脅威にさらしてしまい、破滅的にが起こりうるからなのだと。さらにもうひと声足せば、さまざまな集団において、ときに強者となっている自分が─そのことをじゅうぶんに自覚しないまま─周囲にふるってしまっている力の危うさに気づくためでもあります。

 たとえば前回とりあげた「自由」の消極的用法は、まさにこの強大な国家権力から守られるべき自由の範疇を明確にして線引きをしよう、という政治思想自由主義リベラリズム─にもとづくものでした。そして、とりわけこの観点を「恐怖に対峙するリベラリズム(Liberalism of fear)」と呼んで最重視した政治哲学者が、ジュディス・シュクラー(1928-1992)です。


「善」ではなく「悪」についての一致

 シュクラーは東欧ラトヴィアで生まれ、北米を拠点に活躍しました。前回登場したバーリンとはちょうど同郷で、両者はともにユダヤ系ですが、一世代上のバーリンが戦間期である1919年にイギリスに渡り、第二次大戦期にはすでに政治学者および実務家としてのキャリアを開始していたのに対して、彼女は第二次大戦のただなかである1941年に家族に連れられてカナダに亡命しています。ラトヴィアは1940年にソヴィエト連邦に併合されて独立を失い、翌41年にはナチスドイツの占領下に入っていました。

 前回バーリンについて「現実主義」的と評しましたが、ホロコーストから逃れた亡命者であることを原体験にもつシュクラーの政治および政治思想への姿勢には、それ以上の緊張感がみなぎっています。彼女は自身が奉じる「リベラリズム」の思想的伝統が、の一致ではなく、についての一致から端を発しているのだと述べます。1

リベラリズムのもっとも深い基礎と認められてしかるべき場所は、当初から、もっとも早く寛容を擁護した者たちがいだいた確信のうちにある。すなわち、身の毛もよだつのなかから生まれてきた確信、、神や人類への攻撃であるという確信である。こうした伝統からこそ、政治的な意味でのの主張は生じてきたのであり、わたしたちの時代のテロルのただなかにあって、重要性をもちつづけているのである。

 ここで「残酷さ(cruelty)」に依拠していることは、とても重要です。というのも、残酷さは特定の宗教や哲学に依拠することなく─あえて言えば身体感覚、あるいは感性として─、把握されることだからです。また残酷さは、たんに直接的な危害に限ったものではありません。

 シュクラー自身の定義では、残酷さとは「より強い者・集団が、自らの(有形無形の)目的を達成するために、より弱い者・集団に対して身体的な苦痛、そして二次的には感情的な苦痛を故意に与えること」とされます。つまり残酷さは、たんに身体的な危害を加えることばかりでなく、「屈辱・辱め(humiliation)」を与えることも含みます。相手の自尊心を踏みにじったり、社会集団において恥をかかせることもまた残酷さのひとつだということです。


なによりまず「残酷さ」を低減せよ

 ここでポイントになるのはふたつです。まず、「より強い/弱い」という力の勾配がある点です。ゆえにこそ、最強の力を有する公的機関、国家の統治機構によってふるわれる「残酷さ」こそがとくに焦点となります。これは歴史からの教訓でもあります。

 もうひとつは、ここでは避けるべき「悪」としての残酷さに明確な定式化や理論的な線引きは与えられていない、ということです。ここで訴えているのは身体的な、あるいは共感的な要素に留まります。シュクラーは、読者に対して「おぞましい」「(自分なら)避けたい」というような感覚、あなたにもわかりますよね、と投げかけているのです。ですから、彼女はつぎのように続けます。2

恐怖とは、身体物理的なものであるばかりでなく、でもある、と無条件に述べることができよう。それは身体の反応であると同時に心の反応でもあり、したがって人間ばかりか動物にも共通する。生きていることは恐れることでもある。それはたいていの場合、わたしたちを大いに助けてくれる。なぜなら、警告は、しばしばわたしたちを危険から遠ざけて、身を保たせてくれるからである。さらに政治的に考えるならば、わたしたちは自分自身だけでなく、わたしたちの同胞市民をも恐れている。つまり恐怖をいだくひとびとからなる社会を恐れているのである。

 ここでの「普遍的」という用法を、少なくともわたしは採用しませんが、シュクラーの場合にはつぎのようなことを念頭に置いています。「恐怖」をかき立てる——身体的な比喩でいえば「身の毛もよだつ」——残酷さは、個々人において対象や程度に差異こそあれ、総じてそれがであるかは、生物としてわかるだろう、ということです。言いかえると、何が残酷であるかについての判断は多少なり割れることがありえるかもしれませんが、しかし、それが残酷であると判断されれば、避けるべきだ——「わが身におきてほしくない」「目をそむけたい」——という反応が示される点においては一致するはずだ、ということです。

 これまでたびたび論じてきたように、何をよいものとして位置づけ、どんな理念を共有するかについての考え、すなわち「善」の構想は多様にあり、なかなか一致しません。だからこそ、「正義」ということばをそれとは区別し、多様な善構想を共存させうるものとして大切に使おう、というのが本連載を通じてくり返し提案してきた正しいことばのロールズ流運用テクニックの肝でした。

 シュクラーの提案はこの方向性を補強します。つまり「善」についての一致は見ずとも、避けるべき「悪」についてであれば、あるていどの広範な一致を確認し、その一致を足場としていっしょにやっていくことができるというのです。これまで、では「正義」の内実とは何であるのか、具体的にどういった目標が立てられるのかについて、「公正」というキーワードが与えられたもののあいまいでした。

 いまや、正義をめざす実践である政治の目標を、つぎのように述べることができます。それは、わたしたちが恐る恐る社会を営み、他者とともに生きていく日常に満ち満ちている「残酷さ」を、あたうかぎり最小にしていくことだ、と。


「残酷さ」への着目の系譜

 シュクラーの「なによりまず残酷さを低減せよ(Putting cruelty first)」という原理は、先の引用にあったように歴史的な経緯をもっています。彼女はそこで、この指針こそカトリックとプロテスタントとの血塗られた宗教戦争の末に掲げられた「寛容」の原理に先立つものだと述べていました。その実践的な先駆者といえるのが、渦中のただなかにある16世紀フランスに生きた思想家モンテーニュ(1533-1592)です。

 モンテーニュは、当時の秩序の担い手であるカトリック陣営が、意に沿わぬプロテスタントを弾圧するうえでどれほど残酷であったかをつぶさに見てきました。彼は『随想録』の「残酷について」と題された章において、捕らえられたプロテスタント信者が拷問にかけられ、見せしめとして火刑などの過剰な責め苦じたいを目的とした死刑に処されていることを念頭に、つぎのように書き残しました。3

わたしにとっては、いくら司直の手によって行われるにしても〔余計な責苦をともなう〕単純な死以上のものはすべてとしか思われない。人々の霊魂を良き状態において天に送ろうと務めねばならない我々キリスト教徒にとっては、特にそう思われる。こういうお務めは、堪えがたい責苦によって霊魂をかき乱したりしたら、とうてい果せないのである。

「(宗教的)寛容」という正しいことばが登場する以前から、モンテーニュはプロテスタント信者への責苦を「我々にとって」想像可能なものとして「残酷」だと非難しています。彼にとって残酷さは、裏切りや不信などと並んで「わたしたち人間が日常的に犯している悪」のひとつであり、そのなかでもっとも許されざるものです。4

わたしはもろもろの不徳〔悪〕の中で、最もはげしく残酷を憎む。性分によっても判断によっても、これこそたくさんの不徳のうちの最たるものとしてこれをにくむ。〔…〕わたしは雄鶏をくびるのを見ても不快を感じないではいられないし、兎がわたしの犬の牙の間でうめくのを聞いても我慢ができない。

 モンテーニュがこうした強い調子で、残酷さを——現代日本語の定型表現でいえば——とまで述べるのは、それが彼にとって理解できないものだからではなく、むしろ身近にありふれており、おそらくは自身のうちにさえ見出されうるものだからです。わたしたちがつい残酷になってしまうのは、生来的に備わった「悪」への傾向性なのだと彼は述べます。5

まったく同情の気持を十分にもっていながら、我々は他人の苦悩を見ると、心の底に、何とも言いようのない、甘いような苦いような、を覚えるのである。子供たちまでがそれを感ずるのである。

 残酷さは、とり去ることができない「我々の生命の根本的性質」にかかわるものだとモンテーニュは続けます。しかし、わたしたちはみずからのうちにある残酷さを自覚し、それとうまくつきあい、その悪影響を最小限にするよう努めなければなりません。わたしたち個々人が残酷さへの傾向をもってしまっていることと、じっさいに残酷さが公然と発露されることをなによりと忌避することとはなんら矛盾なく両立しますし、むしろ両立させねばならないのだとモンテーニュとシュクラーは言うでしょう。


過去を顧みて、みずからの「残酷さ」を直視する

 ポイントになるのは、やはり力の勾配です。モンテーニュが非難した「統治側であるカトリックによるプロテスタントの弾圧」が典型ですが、公権力によってシステマチックにふるわれる残酷さは、個々人の残酷さの発露とはまったく一線を画した、あまりに甚大な害悪をもたらします。モンテーニュが目撃したそれは、シュクラーにとってはかろうじて難を逃れたナチスドイツによるホロコーストでした。その後もこうした公権力による計画的で大規模な残虐行為の実行や黙認の事例は、枚挙にいとまがありません。

 こうして歴史を参照するとき、「なによりまず残酷さを低減せよ」という指令はいっそう切実なものとして響きます。それは未来志向で希望に満ちたビジョンを提示し、理念に向かって進んでいこうというような前向きなものではありません。むしろ過去を顧みて、ついぞ絶えることのない残酷さの発露を確認することで、同時代と近未来においてもつねにそれは生じているし、また生じうるという冷徹な認識を新たにさせるものです。

 このとき、わたしたちはたんに「弱者」としての立場から公権力のもたらしうる恐怖と対峙するばかりでなく、さまざまな規模の集団やその時々における権力勾配の「強者」として増幅されてしまいうるをも直視しなければなりません。それは、わたしたちそれぞれに悪徳を備えた人間たちがいやおうなく寄り集まって、命がけの挑戦としての社会を営もうとするさいに、なによりもまず優先すべきなのです。

1 ジュディス・シュクラー(大川正彦訳)「恐怖のリベラリズム」、『現代思想29-7』、青土社、2001年、122頁。邦訳を基本的にもちいつつ、原文を参照して一部の訳を変更しています。また強調の傍点は引用者によるものです。以下も同様です。

2 同書128頁。

3 ミシェル・ド・モンテーニュ(関根秀雄訳)『随想録』、青空文庫、強調の傍点と挿入は引用者によるものです。以下同様。

4 同上。

5  同上。「実利と誠実について」より。


 

朱喜哲(ちゅ・ひちょる)
1985年大阪生まれ。大阪大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。大阪大学社会技術共創研究センター招へい教員ほか。専門はプラグマティズム言語哲学とその思想史。前者ではヘイトスピーチや統計的因果推論を研究対象として扱っている。共著に『信頼を考える――リヴァイアサンから人工知能まで』(勁草書房、2018年)、共訳にブランダム著『プラグマティズムはどこから来て、どこへ行くのか』(勁草書房、2020年)などがある。