いっそ阿賀野でハラペーニョ!|第16回|食品乾燥機を探せ、の巻|高松英昭

第16回
食品乾燥機を探せ、の巻
ソース作りのためには乾燥と燻製が必要だ
6月になると、ハラペーニョの小さな白い花が咲きはじめた。結実すると花の中心部がふくらみ、緑色の突起物がピョコンと飛び出すように実がなる。ただ、一番花は摘花する必要があるらしい。
「らしい」といったのは農業専門誌やインターネットで得た知識だからだ。一番花を摘花して栄養分やエネルギーを植物全体にいきわたらせ、生長をうながすことで実が大きくなり、収穫量が増えるらしい。農業研修を受けたわけでもなく、ハラペーニョ師匠もいないので、私の農業は「らしい」の積み重ねで成り立っている。せっかく咲いて実をつける花を摘むのは気が引けるが、「そうなんだね」と納得して実行するしかない。
タコスソースの原料にするためには、実が赤くなるまで完熟させてから収穫して、それを乾燥させて燻製する必要があった。
完熟したハラペーニョを乾燥させて燻製すると、「チポトレ」と名を変える。かさが開ききらないシイタケを収穫して乾燥させたものを「どんこ」と呼ぶのと同じで、食文化を受け継いだ食材として落語家のように襲名するのである。メキシコでも、「どんこ」のようにチポトレでソースの出汁をとったりしている。乾燥させることで保存性を高め、同時にうま味が凝縮するのだ。
タコスソースにはチポトレを使いたいと思っていた。うま味と香りが抜群にいいことはもちろんだが、乾燥、燻製したチポトレは長期間保存できるので、1年をとおしてタコスソースを作ることができる。
生の果実を原料にすれば、旬の時期に加工するか冷凍保存する必要があり、時期に追われることになる。好きなときに使える加工施設もないし、そもそも大量のハラペーニョを冷凍できる冷凍庫など持っていない。栽培した農産物を加工する6次産業化に初めて挑戦する私にとって、常温で長期保存できる原料を使うことでリスクがかなり軽減できる。
メキシコで500年ほどまえからチポトレの製法は確立されていて、文明の利器を持たない先人たちの「持たざる者の知恵」はいつの時代も「持たざる者の味方」なのだ。
ハラペーニョを燻製しているメキシコの映像を観たことがあるが、やはり本場はスケールが違っていた。コンクリートブロックで囲んで燻製台を作り、そこに収穫したハラペーニョを広げ、下から薪を焚いて燻していた。燻しながら乾燥させているようだったが、どれだけの薪が必要なのか想像もつかない。かなりの量が必要になるはずだ。私の場合は乾燥と燻製を分けたほうが得策に思えた。
映像では小学校のプールくらいの面積がありそうな燻製台が荒野にいくつも並んでいたが、私は家庭用の食品乾燥機とキャンプで使うような小型の燻製器を持っているだけである。家庭用の食品乾燥機は5キロほどのハラペーニョをだいたい3日で乾燥できるが、収穫最盛期になれば、間違いなく追いつかなくなる。
乾燥機の稼働ペースに合わせて収穫量を調整することもできるが、新潟は湿度が高く、長期間、枝に実を付けたままにしておくと細菌性の病害にあうリスクが高まる。できるだけ、熟したタイミングを見計らって、ささっと収穫したかった。
梅雨が明けて、強い日差しを浴び、気温が上昇すれば緑色のハラペーニョは熟して赤くなり、7月中旬ごろから本格的に収穫できるようになるはずだ。
市が食品乾燥機を持っていた!
畑仕事もひと段落つき、半日は畑仕事をして、残りの時間は移住・定住促進のための情報発信業務をするようにしていた。情報発信の参考にしようと、市立図書館に行くこともあった。郷土に関する本を読んだり、地元紙に掲載された阿賀野市に関する記事が年代ごとにファイリングされているので、地域のことを知るには都合がよかった。
廃刊になった地元コミュニティ紙もファイルされていて、ぱらぱらとページをめくっていくと「阿賀野市が食品乾燥施設を導入」という記事が目に留まった。10年ほどまえのその記事は、市が農業振興を目的に廃校になった小学校に食品乾燥施設を開設したというものだった。そのような施設が市内にあることは知らなかった。
私は図書館が好きだ。小学校のクラスでいじめにあったときに逃げ込んだのも図書室だった。そこで幸か不幸か、私の人生に大きな影響を与えた冒険小説に出会った。その小説を読まなかったら、私は勤勉な会社員生活を送り、仕事帰りに同僚と居酒屋で梅酒でも飲みながら会社の将来を憂い、週末に食べ歩いたラーメンの写真をインスタグラムに投稿してフォロワー数が増えていくことに喜びを感じる人生を歩んでいたかもしれない。
図書館は私にとって、さまざまな知識や情報、価値観を提示するパンフレットや地図がたくさん置いてある「人生案内所」みたいな施設である。阿賀野市には大きな書店がないので、とくに図書館を利用する機会が増えている。
「市が食品乾燥施設を導入したという記事を図書館で見たのですが、農林課が所管しているのですか」。市役所に戻って同じ係の同僚にたずねると、「うちの係で管理していますよ」とあっさりと返された。灯台下暗しである。というか、「早く言ってよ~」という言葉が脳裏をかすめるが、係の人たちはチポトレのことなどわからないからしかたがない。なんだか、たまたま足に当たったボールがサッカーゴールに吸い込まれていくみたいだ。
「市が開設した食品乾燥施設でハラペーニョを乾燥させることはできませんかね」
早速、係長に相談すると、「いまはH農園のHさんが年間契約で利用しているから、どうかな」と、係長はデスクの引き出しから契約内容や利用条件が書かれた書類を取り出した。
「Hさんに相談してみて、許可が得られればいいですかね」
「契約内容を見ると、今回は公共性の高い活動でもあるから、Hさんが許可してくれれば問題ないと思うけど」。利用条件の文字を指で追いながら、係長が言う。
「連絡先を教えてもらえれば、私のほうから相談してみます」。私は係長の顔色をうかがいながら言った。
「面倒なことを言ってきたな」と係長が思っているのではないかと気になっていたが、「おたがいで話し合って施設を活用できればいいんじゃないの」という雰囲気だったので安堵した。

先約者のHさんを訪ねる
Hさんは実家の農業を継ぐために、東京からUターンして就農していた。市が導入した食品乾燥機は、色合いや風味を損なうことなく常温で乾燥できるという。Hさんはドライリンゴを開発して販売していた。食品乾燥機の利用について相談するついでに、新規就農して農業経営に取り組んでいる経緯を取材させてもらうことにした。
Hさんが作業している農業用ビニールハウスは、食品乾燥施設のある廃校になった小学校の近くにあった。ビニールハウス内に入ると、シューシュルルシャー、シューシュルルシャーという町工場のようなコンプレッサーの音が響いていた。ネギの出荷作業をしているようで、従業員があわただしくネギの皮むき機を使って外皮をはいでいた。
コンプレッサーで空気を圧縮して、その空気圧で外皮をはぐ仕組みで、圧縮された空気が押し出される音と皮がはがれる音がリズムセッションのように響いている。そのリズムに合わせて土が付着している外皮がはがれて白いネギ肌があらわれる光景は、自分の薄汚れた外面もいっしょにはがれていく感覚を呼びおこして心地よい。
「いまは乾燥ネギの試作をしていて、切り方や乾燥時間などでも食感や風味が変わるから、いろいろ研究しているところです。切り方、乾燥時間、温度などの組み合わせが何通りもあるから、いろいろ試してデータを集めるのが楽しい」と、Hさんがシューシュルルシャーという音に重ねながら言った。
レンズが大きい黒縁メガネをかけて淡々と話すHさんは、予備校の数学講師のような雰囲気だ。もともと実家は稲作農家だったが、経営を安定させるためにネギやニンジンなどの園芸作物も生産することにしたという。出荷できない規格外の農産物を乾燥加工して商品にするために、食品加工施設を利用しているということだった。
「電話でご相談した件ですが、ご迷惑にならない範囲で私も食品乾燥施設を利用させていただきたいと思っているのですが、いかがでしょうか」とお願いして、チポトレを使ったタコスソース製造のことなどを説明した。
タコスソースを作るためにハラペーニョから栽培することに、Hさんは少し驚いているようすだったが、「トウガラシ類は比較的栽培しやすい作物なので、私でもできると思いました」と説明すると、納得したように小さくうなずいた。
「ハラペーニョはいつからいつくらいまで収穫できるのですか」
「7月中旬ごろから収穫が始まって、10月いっぱいくらいまでだと思います」
「そんなに長い期間、収穫できるんだ」
「熟したハラペーニョを収穫するので、収穫期間も長いんですよ。まめに連絡をとりながらHさんの都合に合わせて食品乾燥機を使わせていただければと」
「いいですよ。私が乾燥作業を請け負うことも可能ですが、どうしますか」
Hさんは淡々としていていて話が早い。
「収穫最盛期になると量も増えるし、Hさんも忙しくなると思うので、食品乾燥機の使い方を教えていただいて、自分で作業したいと思うのですが」
「それでもいいですよ」
おたがいのLINEを交換して、後日、食品乾燥施設がある廃校になった小学校で待ち合わせることにした。
廃校舎の一室にクリーンルームが⋯⋯
「Hさんの許可を得ることができました。使用料については後日相談することになりました」と、市役所に戻って係長に報告した。
「使用料については高松さんの利用の仕方にもよるので、またHさんとも相談しながら決めましょう」と係長は微笑みながら言った。すでに係長は施設利用料の請求の仕方などをあらためて確認して、考慮してくれているようだった。
廃校になっている小学校の屋上に設置されている大きな屋外時計は止まっていた。グラウンドや校庭の草は定期的に草刈りがされているようで、校舎内は市が倉庫がわりに利用していた。Hさんといっしょに校舎に入ると、人の体温や気配は消失し、無機質な構造物が物理的に残っているような雰囲気だった。
Hさんのあとについて1階の廊下の突きあたりまで進むと、鍵のかかっている扉があった。「関係者以外立ち入り禁止」という紙が貼られている。音楽教室だったところに食品乾燥施設を設置したということだった。
「少し癖のある扉だから、開けるときにはコツが必要かも」と言いながら、Hさんは慣れた手つきで片方の戸を少し持ち上げて鍵を回した。扉が開くと、教室の一画に透明なビニールカーテンで囲われたクリーンルームが見えた。室内にはステンレス製の流し台が設置されており、食品乾燥機も置かれていた。
Hさんから食品乾燥機の使い方をひととおり教えてもらってから、「夜まで作業していたら、なんか幽霊とか出てきそうで怖いですよね。学校の怪談みたいに」と私は真顔でたずねた。「怖いかもね。あまり気にしたことないけど」とHさんはあっさりと言った。

(つづく)
高松英昭(たかまつ・ひであき)
1970年生まれ。日本農業新聞を経て、2000年からフリーの写真家として活動を始める。食糧援助をテーマに内戦下のアンゴラ、インドでカースト制度に反対する不可触賤民の抗議運動、ホームレスの人々などを取材。2018年に新潟市にUターン。2023年から新潟県阿賀野市で移住者促進のための情報発信を担当する地域おこし協力隊員として活動中。
著書(写真集)に『STREET PEOPLE』(太郎次郎社エディタス)、『Documentary 写真』(共著)などがある。
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