科学のバトン│第10回│「か・こ・たん」を大切に│結城千代子(理科教科書執筆者)

科学は人から人へ、どう受け継がれるのか。多彩な執筆陣が、みずからの学びとその継承をふり返る。

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「か・こ・たん」を大切に
受け継がれる自然体の学び
結城千代子(理科教科書執筆者)

恩師略歴●笠耐(りゅう・たえ/1934-):
物理教育学者。元上智大学助教授。IUPAP-ICPE(国際純粋応用物理学連合-国際物理教育委員会)メダルを受賞。著書に、『放射線と私たち』『エネルギープロジェクト』(コロナ社)、『ある昭和の家族 「火宅の人」の母と妹たち』(岩波書店)など。


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子どもたちの疑問を書きとめて「ふしぎしんぶん」に

「ママの目のなかにユウマがうつってるよ」

 子どものキラキラしたまなざしが目に浮かぶこのことばを講演でご紹介するたびに、ああ、そうそう、とうなずく方が何人もいらっしゃいます。多くの子どもたちがこの発見をしているのです。「私の目をのぞきこんで子どもがそう言ったら、横で聞いてた父親があいだに割りこんで、『パパの目には?』と一所懸命に聞くんですよ!」と、微笑ましいひとときの団欒の記憶をお知らせくださる方もいらっしゃいました。

 このことばが、みなさまから集めはじめた「子どものふしぎ」報告の第1号でした。ふしぎを書きとめはじめ、やがて蓄積されていくそのことばをもとに、親子で楽しめる「ふしぎしんぶん」を毎月発行するようにもなりました。新聞は今月で255号を数えます。

 日々、子どもに触れる機会のある家族が、教諭や保育者たちが、子どもが口にする科学的な「ふしぎ」を耳にし、素朴ながら深遠な発見に驚かされています。一方で、そのすばらしいことばの多くは書きとめられることもなく、歴史のなかに散逸していきます。

 大学院時代の恩師、柿内賢信先生が「書きとめなさい。親はみんな感動するのに、みんな忘れてしまいます」とおっしゃいました。お子さまのいらっしゃらなかった先生ご夫妻は、私の幼い娘を孫のようにかわいがってくださいましたが、とりわけ、その言動をおもしろく新鮮に感じられて、よく耳を傾けてくださいました。子どもの「ふしぎ」に見いだされる驚くほどに論理的な思考や、科学史に相通じる理解、奇想天外な自由度など、ときに感動し、ときに目を覚まされる思いで、私は子どもたちから、幼児期の科学教育に対する考え方を醸成させてもらいました。

たえちゃんから受け継いだ教育の姿勢

 科学の芽はじつに幼い時期に芽生え、それを伸ばすも枯らすも周囲の大人しだいだと思っています。一時期、幼稚園の園長も兼任していた私は、幼児の科学あそびを長く指導しており、講演会では「幼児の科学の芽を育む」と題してお話しすることが多くあります。そのさいにかならず、「子どもたちの『か・こ・た・ん』を大切にしてください」と申し上げます。ちょっとかわいい響きのあだ名のような「かこたん」ですが、「か」は観察力のか、「こ」は好奇心のこ、「たん」は探求心のたんを意味します。

 これは、私が、前編でご紹介したたえちゃん——笠耐先生から、あたりまえとして受け継いだ教育の姿勢でした。

 多くの子があふれんばかりの「か・こ・たん」をもっています。ところが、かかわる大人の共感や発見に対する肯定がないと、芽生えた科学の芽はたやすくしぼんでしまいます。学校教育で理科離れが叫ばれたころ、幼稚園から大学までの幅広い年代の教育現場にふれていて、ほんとうの理科離れは、理系の科目を選択する学生が減ることではないのだと痛感しました。幼児期から小学校期に「身のまわりの物事や変化に、注意を払わない」「『ふしぎ』を感じることができない」「疑問を追求しない」「経験や知識を活用して、事象を理解しようとしない」。つまりは、好奇心、観察力、探究心、思考力の衰退こそが理科離れの大きな原因のひとつではないでしょうか。

自由自在に「か・こ・た・ん」を楽しめた幼少期

 幼児期というのは、ほんとうに繊細に環境に染まり、とりまくものを自分の世界の土台にする時期です。

 私の幼少期は1960代前半、東京も武蔵野の風景には、いまは消え去った素朴な世界の名残りがありました。戦後20年近くたった落ち着きが見え、一方で高度成長期を目前にして、おそらく古い日本ののどかさが残るほとんど最後の一瞬を満喫して、私は育ちました。まるで宮崎アニメのトトロの世界。井戸が出なければ呼び水が必要で、水は湯冷ましにして飲まなければお腹をこわし、周囲は緑に満ちていて、セリ、土筆、ノビロ(ノビル)、木苺、グミ⋯⋯、食べられる野草や実は見分けて採集、それが食卓にも上がったものです。

 小学校の夏休みになると、父の郷里の秋田に預けられ、せまい東京とはくらべものにならない楽しい体験をして過ごしました。民話に語られる不思議が残り、農業と大自然が混在する東北は、子どもが夏休みを送る最適の場所でした。毎年東京から来る女の子に、当時健在だった祖父はドジョウすくいを教えてくれました。手製の堅固な三日月網をしっかり構えて、畦道脇の用水路のここぞというねらいめをすくい、水面近くで揺すって泥を流すと、おもしろいほどドジョウや小鮒やザリガニが捕れます。この技を受け継いだのは、その家では私が最後です。10歳年下だったはとこが育ったころには用水路がコンクリで整備されてきて、やったことはないと言っておりました。

 以前、『13歳までにやっておくべき50の冒険』(太郎次郎社エディタス)という本を読んだときに、なんだか自分の子どものころを思い出しました。冒険だなどと意識していたわけではなく、こんなたわいのない挑戦を端からやって遊ぶのがあたりまえのことだったのです。

 私の子ども時代にあたえられていたのは、文字どおり好きなだけ、自由自在に、無作為に「か・こ・たん」を楽しめる環境でした。それをよくも悪くも評価対象にされることもなく、重要だとは意識せず、だからこそさまざまな方向につっぱしり、飽きればやめ、自分の記憶以外には記録にも残さねば、だれかに報告するわけでもありませんでした。ただし、負の記憶がないところ、親はそんな私をまちがいなく肯定してくれていたのでしょう。そうして、いまになれば信じがたいほどに貴重な色とりどりの宝石を、人生の宝箱に山ほどつっこんだ幼少期だったのだと思います。

 やがて、大きくなって学習が進んできたときに、はじめてその宝箱の中身は分類整理されていくことになりました。それは、たとえるならば、赤や緑の宝石だけを組み合わせた花のブローチや、虹色の真珠だけをつづったネックレスをつくるように、無数の要素から必要なものを組み合わせて重要な概念を構築し、世界を理解していくもとになったのです。どうやら、この遊びに満ちた宝箱が私をつくってくれたように思えます。

子どもと歩むなかで、もういちど生きなおす

「か・こ・た・ん」の重要性をあらためて意識したのは、自分の子育てをとおしてでした。

 娘にも、その時代なりにできるかぎり宝箱を満たしてほしいと思っていました。おむすびはお米何粒? 幼稚園まで何歩? いろんなくだもの種のなかはどんな色? つぎつぎに湧きあがる疑問を追いかける幼い彼女とともに歩みながら、宝箱をもういちど満たしたのは、私のほうだったかもしれません。雪の冷たさも、トカゲの虹色の鮮やかさも、指のあいだをこぼれる砂粒の複雑なきらめきも、夏草のにおいも、温度や光や鉱物や植物の知識がいくらあっても、まったく新しい未知の体験に感じられ、こんなにも新鮮な驚きをともなうものだったのかと愕然としました。子育てとは、もういちど生きなおさせてもらえる時間でした。

 おかげさまで、自分のほうが楽しんでいるような大人に囲まれて育った娘は、明確な「か・こ・たん」の意思をもった子になっていきました。とくに、前述の柿内先生やたえちゃんに孫のようにかわいがっていただくなかで、偉大な先人たる専門家にたわいない「ふしぎ」を認めつづけてもらえたことが、大きな肯定感を娘にあたえていたように思います。

 小学校1年のときからかたつむりに夢中になり、卵をかえし、多いときで200匹以上を飼育したのを皮切りに、さまざまな好奇心からつぎつぎに異なるテーマにのめりこんで研究を展開していきました。そのためか、学校で友だちと過ごすのは楽しかったようですが、一方で自由な時間もとても大切だったようです。小2の夏休みに、起床や学習時間の予定を書きこむ、白い時計の形をした円グラフが宿題として配られました。規則正しい生活をということなのでしょう。娘がとった行動は、ぜんぶを色鉛筆で虹色にいっきに塗りあげ、何やら漢字を調べたと思ったら、鉛筆で「臨機応変」と中央に大きく書いておしまい。私が担任だったら、価値を認めながらもちょっと頭を抱えたことでしょう。動じなかった先生、ありがとう!

 後年、高校生になってとある科学コンテストで優勝したご縁で研究仲間ができ、彼女の「か・こ・たん」は、大学在学中にコミュニケーションロボットの会社を立ち上げるまでに至りました。かつてのたえちゃんを囲んだ女子会は、いまは娘たちも混ざった桜の季節のお茶会となり、つきせぬ前進を続けています。

 最後に、現役の保育者として101歳でこの世を去った祖母が残したことばが、私のもうひとつの指針であったことを申し上げて終わりたいと思います。

「ほんとうは、保育に『構え』などいらないと思います。構えたい気持ちをひとつひとつとりのぞき、大人が子どもに謙虚な気持ちで接していると、なんの構えもなくなり、構えていたいときにはうまくゆかなかったこと、失敗に思えたことが、つぎつぎと新しい芽を出し、豊かな結実をもたらします。ありがたいことです」

 子どもの力を信じた、座右の銘とも思っています。

結城千代子(ゆうき・ちよこ)

上智大学理工学部講師、比較文明学会会員。小学校生活科・理科、中学校理科の教科書執筆者。東京都生まれ。田中幸とのコンビで、子どもたちが口にする「ふしぎ」を集め、それに答えていく「ふしぎしんぶん」を毎月発行する活動を続け、運営するHP「ママとサイエンス」でも公開している。田中との共著に、「ワンダー・ラボラトリ」シリーズ(太郎次郎社エディタス)、『人物でよみとく物理』(朝日新聞出版)、『新しい科学の話』(東京書籍)、『くっつくふしぎ』(福音館書店)など多数。