科学のバトン│第2回│伝えたいのは、山の天気のおもしろさ│猪熊隆之(山岳気象予報士)

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伝えたいのは、山の天気のおもしろさ
山と生きる人たちへのバトン
猪熊隆之(山岳気象予報士)

気象予報士の活躍の場は増えている

「気象予報士に合格しても仕事がない」という声を聞きます。ほんとうにそうでしょうか。

 気象予報士が活躍できる場や、気象の知識を生かせる場というのは、この数十年で確実に増えています。気象を予想することで効率的に作業ができ、結果としてコストを削減することができたり、在庫を抱える量を減らせたり、事故などのリスクを減らすことができたり、防災に役立ったりなど、さまざまな活用方法があります。気象予報士が増えることで、災害大国ニッポンに暮らすわれわれの防災、減災の意識を高めることや、早めの避難活動につなげていくこと、気候変動への対策などが可能になると思います。

 私が山岳気象をビジネスとしてはじめたとき、ほかにだれもそんなことをやっている人はいませんでした。こんなことがビジネスとして成立するとは思っていなかったからでしょう。しかし、じつは身近なところにビジネスの材料は転がっているのです。

 前職のメテオテック・ラボで気象予報士をめざす受験生の講師を務めていたときは、「これからはぜったいに気象予報士が活躍できる時代になる。なんとしても私の授業を受ける全員に合格してもらいたい」という気持ちで教鞭をとっていました。

 私は小さなころから天気が大好きで、気象台に電話をして各地の観測データを入手して地図をつくったり、自分で天気予報をしたりして遊んでいました。インターネットやAMeDAS(アメダス:地域気象観測システム)がなかった時代です。とくに、地形による気象の違いに興味をもち、山が天気にあたえる影響などについて子どもながらに持論をもっていました。

 しかしながら、高校に入って数学が大の苦手となり、気象庁へ進む道はあきらめました。気象予報士の勉強をしているときも、熱力学や力学など、物理学の分野が苦手でしたが、講師になるときの勉強で、こうした苦手分野を理解することができ、文系出身の生徒さんにもわかりやすく教えることができるようになりました。具体的には、いろいろな法則や原理を人間の気持ちに置きかえたり、難しい数式をわかりやすいことばに変えたりしました。その結果、理系出身の生徒さんから「こんなわかりやすい説明ははじめてだ」と言われたこともありました。苦手だったからこそ、生徒さんの気持ちがわかったのだと思います。

 私が講師をしていたのはわずか4年間でしたが、そのあいだにも多くの生徒さんが気象予報士に合格し、そのうちの何人かの方は気象予報士として社会で活躍しています。

予報後の検証の大切さ

 天気は1日として同じ日がありません。地球温暖化の進行によって気候変動が起き、過去の経験則が通用しないことも増えてきました。予報精度を高めていくためには、私たちも自然からのサインを見逃すことなく真摯に受けとって、経験値を上げていくことが必要になります。

 そこで、私たちの会社、ヤマテン(山の天気予報)では、発表した予報に対して徹底的に検証をします。予報がはずれた場合には、衛星画像やライブカメラによる雲の動きや変化、雨雲レーダーなどからの降水域の形状と動き、そのときの大気の状態を調べることで、予報がはずれた原因を探っていきます。

 人間はどうしても自分の都合のいいように資料を解釈しがちなので、そのとき、かならず反対の側に立って検証することを求めていきます。たとえば、過去には雨になったことが多い気圧配置でも、その気圧配置だから雨と決めつけることをせず、逆に、同じような気圧配置で晴れた日を探してもらいます。そして晴れた日と雨だった日の違いがなんだったのかを考えていくのです。

 社員にとっては、日々の予報作業やほかの業務をしながらの作業なので、たいへんな労力になりますが、予報精度を向上させるためにぜったいに必要な仕事ですので、私は妥協を許しません。それぞれの予報士が検証した結果を読みます。よく検証されていることもあれば、不十分なこともあります。不十分だと感じたときは、さらに深く考えてもらいます。どうしてもわからないときは、すぐに答えを出さず、ヒントを出したり、こういう論文にあたってみてはというアドバイスをします。社員にはなるべく深く考えてもらいたいですし、悩みに悩んだことは後々まで記憶に残るからです。また、これは覚えてもらいたい、という特徴的な天気が出現したときも社員にその原因を考えてもらっています。

自立した登山者を増やしたい

 天気予報に100パーセントはありません。気象のことは、まだ人間にわかっていないことがたくさんあります。一方、予報精度が向上すればするほど、その情報に頼ってしまい、みずから考えようとしなくなるという傾向があります。

 じっさい、山の天気予報という登山者向けのサービスを開始してから、それまで天気図を見ていた方が見なくなったり、予報を鵜呑みにする登山者が増えた気がします。予報を信頼していただくことはうれしいのですが、自立した登山者を増やしたい、という私の願いには反することになります。私がこの予報を提供することを決めたときにも、私が情報を出すことで登山者の考える機会を奪うことになりはしないか、あるいは、予報を鵜呑みにしてしまう登山者が増えることで、逆に危険を及ぼすことになりはしないか、ということを危惧していました。

 そこで考えたのが、「気象予報士のコメント」という山域ごとのくわしい解説を発表することでした。ほかの予報のように、たんなる天気のマークや「晴れ」「雨」などの情報を発表するだけでなく、天気予報がはずれる可能性や具体的な気象リスクを記載し、気象リスクが高まる具体的な登山ルートや場所を明示することにしました。しかしながら、利用者によってはコメントをあまり読まず、天気マークだけを見る方もいるでしょう。また、コメントに書かれていない予想外のことが起きることもあります。

 そうしたなかで、天気図の読み方を学び、登山中に雲を観察したり、風を感じることによって、自分自身が天候の急変を早めに察知してリスク回避をおこなっていけるような、自立した登山者を育てたい、と思うようになり、講習会や研修会、山の天気を学ぶ登山ツアーなどを実施することにしました。そのあいだにも、山岳気象に関する書籍を出版したり、山岳雑誌で山の天気を学ぶ連載を担当したりしましたが、やはり、文章で読むのと直接話を聞くのとでは違うのでしょう。講座の参加者からは、「書籍を読むだけではなかなか理解できなかったことがすーっと頭に入ってきた」といった感想をいただきました。

立山連峰・大日岳にて雲の観察方法を学ぶ大学山岳部の学生(右端が筆者)
立山連峰・大日岳にて雲の観察方法を学ぶ大学山岳部の学生(右端が筆者)
富士山で雲の見方について学ぶ高校生(最前列でこちらを向いているのが筆者)

富士山で雲の見方について学ぶ高校生(最前列でこちらを向いているのが筆者)

 また、一般の登山者だけでなく、山岳ガイドや山岳で活動する自衛隊の隊員や、警察、消防の山岳救助隊員向けの講習会も実施しています。机上講習では、雲がどのように発生し、どんなときに〝やる気〟を出していくのかや、山岳気象の特徴などを伝えます。一方、山における実地研修では、雲や風が教えてくれる〝空気の気持ち〟を読み解く方法について解説したり、登山者に危険を及ぼすような危ない雲や風の変化について伝達しています。最近ではオンラインでの講習会やハイブリッド方式での講習会もおこなっています。

 実地研修の参加者の声を一部、ご紹介します。

Aさん:いままでの山行の数々を反省しながらの2日間だったので、あのとき、どうすればよかったのか、ということも聞けて、スッキリしました。

Bさん:これまでは、大局的に風が吹いてくる方向と天気が移り変わっていく方向とを結びつけて考える事があまりなかったが、その大切さを学んだ。

Cさん:標高を上げる過程で、今後風が強まっていくのか否か、風の動向の分析方法も学ぶことができた。今後のガイディングに生かしたい。

Dさん:風はどのように発生し、風向きの変化はなぜ起こるのかなどが気になり、参加しました。山ではあまり意識してこなかった「風」に対して、ひじょうに敏感になりました。

Eさん:とくに、なぜこの山域はこの条件で荒れるのか、地形的と気象の関係などが興味深かった。

Fさん:その場で刻々と変化する雲と背景にある気象現象を細かく解説していただき、とても理解しやすかった。

Gさん:風向の変化も、天気が変化していく(好転・悪転)サインであることを再認識したので、今後はガイディングの際にもこまめな風向チェックを心がけたい。

Hさん:雲のでき方をひとつひとつ丁寧にご説明いただき、山岳の気象には地形、風、水蒸気、気圧、気温など、さまざまな要因が密接にかかわってさまざまな気象現象を起こしていることがよく理解できた。

Iさん:雲については、静止画写真で勉強するのと、実物の雲を見ながら教えてもらうのでは理解度と記憶の残り方が大きく違うと感じた。雲のサイズ感、色味、変化の仕方をじっさい見ながら教わることができる機会はたいへん貴重でした。

Jさん:山で雲を見たり、風向きを確認したり、天気の確認のためにまわりの山を見ることはありませんでしたが、今後は違う視点ももって登山ができそうです。

Kさん:登山をしながらじっさいの雲を見て解説していただき、とてもわかりやすかった。登山中にこんなに雲を意識したことがなかったので新鮮だった。

天気をおもしろがってもらうことから

 14年前からおこなっている講習会に参加した方は延べ1万人を超えていますが、遭難件数は増加傾向が続いています。こうした講習会などに参加するのは、おそらく安全に対する意識が高い登山者でしょう。一方、事故を起こしているのは、講習会などに参加していない人のほうが多いはずです。

 そのことに気づき、講習会に参加しない登山者に天気図や雲を見ることの大切さを伝えようと、山小屋で宿泊者向けにおこなう「山小屋出張講習会」を開催しました。その場で、しかも無料で話が聞けるということで、多くの宿泊者に山の気象についてお話しすることができました。しかしながら、マンパワーが限定される以上、講習会を実践できる山小屋はごく一部に限られてしまいます。

 もっと多くの登山者に伝えていく方法がないだろうか。そのときに、自分が天気に興味をもった理由について考えてみました。それは「好きだから。おもしろいから」。そのひと言につきます。つまり、おもしろくなければ、楽しくなければ、天気を学ぼうという意欲は起きない、というあたりまえのことに気づいたのです。

 そこで思いついたのが「空の百名山」プロジェクト1です。空を見るのにふさわしい日本の100の山を選んでいく計画です。いわゆる「日本百名山」のパクリなんですけども(笑)、選んだ100の山を朝日新聞の信越版で連載しています。寄り道しながらの連載で、まだ20座程度しか選んでいませんが、山というものを、これまでになかった雲や空という視点から見ることで、雲や気象に興味をもっていただけたらと思って書いています。また、たんに100の山を選ぶというだけではなく、選定するために、私自身が全国の山を登っていく過程で、それぞれの山頂で観天望気2ミニ講座をおこなう試みもはじめています。

 山は、雲を観察したり、学んだりするのに最高のフィールドです。というのは、平地から雲を見ると、下から見上げてしまうことになるので、平面的にしか見えないのに対し、山では、横から雲を見ることができるので立体的に雲をとらえられるほか、稜線や尾根上では斜面を昇ってくる上昇気流によってできる雲を体感でき、山をはさんだ両側における雲のでき方の違いも観察できるからです。そして、雲海やブロッケン現象、真っ赤に染まる朝焼けや夕焼けなど、時として、想像もしなかったような、神秘的な光景に出会えることがあります。その山頂で雲や風が語ってくれる空気の気持ちを伝えたり、雲の種類や見方について語ることで、雲や空を見ることの楽しさが伝えられたらと思っています。その場にいる人はたとえ10名でも、その10名が友人やSNSなどを通じて、その楽しみ方を伝えてくれたら、どんどん輪は広がっていくことでしょう。

 私は山からさまざまな恩を受けてきました。その恩返しをこうした活動を通じて少しでもできていけたらうれしいですね。

富士山から見た、迫力ある積乱雲

富士山から見た、迫力ある積乱雲

1 「空の百名山」プロジェクト:公式ページはhttp://sora100.net/about

2 観天望気:生物の行動や雲や風などの変化から天気を予想する方法。ここでは、雲や風などの動きや変化から天気の変化を早めに察知することをいいます。

猪熊隆之(いのくま・たかゆき)

気象予報士、株式会社ヤマテン代表、中央大学山岳部前監督、国立登山研修所専門調査委員及び講師。1970年生まれ。チョムカンリ(チベット)、エベレスト西稜(7700m付近まで)、剣岳北方稜線全山縦走などの登攀歴がある。日本テレビ「世界の果てまでイッテQ」の登山隊やNHK「グレートサミッツ」など国内外の撮影をサポートするほか、山岳交通機関、スキー場、旅行会社、山小屋などに気象情報を提供している。著書に、『山の天気にだまされるな』『山岳気象大全』(山と溪谷社)、『山岳気象予報士で恩返し』(三五館)など多数。