科学のバトン│第4回│教え、教えられ│田中幸(理科教員)

科学は人から人へ、どう受け継がれるのか。多彩な執筆陣が、みずからの学びとその継承をふり返る。

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教え、教えられ
「これから」をつくる生徒たちと
田中幸(理科教員)

恩師略歴●武谷三男(たけたに・みつお/1911-2000):
理論物理学者、哲学者。京大理学部卒。湯川秀樹博士らと核力について研究した。また自然認識における「三段階論」を提唱して、各方面に影響をあたえた。著書に『弁証法の諸問題』『科学者の社会的責任』(勁草書房)、『思想を織る』(朝日選書)など多数。


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 私は、中高一貫の女子校で物理を教えています。カトリック校ですので、生徒は「人の役に立つ」ということを強く意識しています。けれども、私は生徒にこう言います。

「人の役に立つ、立たないよりも、まずは自分の好きなことを見つけるほうがさきだと思うよ。好きなことをやって、それが結果的に人の役に立ったら、それはいいことだし、そうでなくても、好きなことをやっている人はまわりの人を励ますことができる。私は自分の人生でいちばんの幸せは、物理に出会えたことだと思っている。だから、私は毎日、物理を教えているとは思っていないの。ただ、大好きな物理を語りたいだけなの。それで、みんなには、いつも聞いてくれてありがとうって感謝しかないの」

 教え諭すというような高い志はもたず、ただ嬉々として物理を語る私に、私よりずっと大人な生徒たちは、温かな眼差しを注いでくれます。

 そんな私が、日々、生徒とどのように向きあっているかをお話ししたいと思います。

物理をとおして、考え方を学ぶ

 通常、中学では、理科という教科をひとりの教師が担当するのですが、本校では中学でも高校と同じように、物理、化学、生物、地学、それぞれ専門の教師が教えます。中学2年のはじめての物理の授業の日、まずは、緊張した面持ちの生徒に対して、いつのどのような集計か覚えていないのですが、大学生に聞いた中学高校で勉強して役に立たなかった教科のランキングを紹介します。物理は2位だったことを告げると、じゃあ1位は何? と盛り上がります。1位じゃなくて残念と言うと、生徒の気持ちはさらにほぐれます。

 そうして、物理を学んだところで、ほとんど役には立たない、物理を知らなくてもりっぱに生きていけると断言すると、先生は何を言っているのだろうと生徒たちは怪訝な顔をします。そこで、「思考とはそれじたいが目的である」というアインシュタインのことばを大きく書くのです。そして、つぎのように語ります。

「いま、あなたたちが考える問題には答えがあります。けれども、社会に出ると、いまのような正解が用意されていない、さまざまな問題に直面するでしょう。いや、何が問題かすらもわからないような事態になることもあるでしょう。そのとき、考えなくてはなりません。けれども、むやみに考えても解決には至りません。考え方、問題を解決するための方法論が必要です。物理を学ぶということは、物理の知識を学ぶということではありません。物理の考え方を学ぶということです。じゃあ、手っとり早くその考え方を教えてくれたらいいじゃないかと思うかもしれませんが、残念ながら、教えられたことは忘れます。けれども、理解したことは忘れません。自然現象の余分な枝葉をそぎ落とし、きわめてシンプルにとらえる物理は、考え方を理解するには格好の題材なのです」

武谷ゼミ、原子力技術部勤務の経験をもとに

 このように、「考える」ことを目的とした物理教育とともに、もうひとつ力を入れているのが「原子力」「放射線」に関する授業や課外活動です。

 大学を出て、武谷三男先生の〝おかげ〟(?)で大手電機メーカーに就職できた私は、重電原子力技術部プラント担当という部署に配属されました。ものものしい名前ですが、ようはタービンまわりの配管設計をするところでした。原子炉から出た水蒸気でタービンを回し、回しおえた水蒸気を復水器で水にしてまた原子炉にもどすという配管の設計を担当するので、原子力発電所全体を見渡せる部署でした。せっかく、原子力発電所をつくる会社に就職できたのですから、武谷先生が批判された原子力発電所について知りたいと思い、原子力関係の部署の配属を希望したところ、聞き入れられたのです。

 とはいえ、国立大学の工学部原子力学科を出た先輩社員ばかりの職場で、物理学科出身のお嬢ちゃんはなんの役にも立ちません。そこは、さすがに大手だけあって、大学の先生に匹敵するような社員がごろごろいるので、新人研修は、お給料をいただきながら大学院レベルの講義を受ける毎日でした。当時はまだ子育てには厳しい職場環境でしたので、出産を機に2年足らずで退職しましたが、新人研修で学んだことは、いまの学校で大いに役立つことになりました。

 学校には、いろいろな生徒がいます。保護者の職業もさまざまです。震災直後、お父さまが東京電力にお勤めのご家庭から、学校生活を心配されるご相談があったりしました。教育現場では、「原子力」「放射線」というようなデリケートな問題を扱うにはじゅうぶんな配慮が必要ですが、だからといって、教科書に記載されていることを教えるだけでなく、私にしか教えられないことを伝えたいという思いがありました。

教えているようで、教えられている

 武谷先生といえば、反原発の急先鋒のように思われがちですが、私が先生から受けとったメッセージは、原子力発電所はいまのところ未熟な技術だから実用化は時期尚早だということです。武谷先生はど真ん中、私は超端くれですが、物理学者です。イデオロギーで反対を唱えることはありえません。

 また、発言が物理学に関することだけにとどまらなかった武谷先生がとくに憤っていらしたことは、「札束で頬っぺたを引っぱたく」ような原子力政策の進め方に対してでした。それを、まざまざと実感したのが、在職中、先輩の社員のおともをして建設中の発電所に入り、設計図どおりか確認する作業に立ち会ったときです。「原子力発電所のおかげで、出稼ぎにいかなくてすむようになった」と地元の方がおっしゃっていたことは、いまも忘れられません。

「原子力」を物理では「核エネルギー」といいます。「核エネルギーの発見」は、パンドラの箱を開けたようなものだという見解もありますが、私は、やはり核エネルギーは、人類にとって大きな知的財産だと思います。ここで歩みを止め、ただただ原子力や放射線を怖がっているだけでは、火を怖がる猿と同じではないかとも思います。

 原子力政策は民主主義を映す鏡というようなことばを耳にしたことがあります。原子力は、技術的にも日本の民主主義においても「これから」の生徒たちに託していきたいと、私は考えたのです。

 東日本大震災の1年ほどまえに、文部科学省から「原子力」の理解を深める生徒自身による活動に助成金を出すというお知らせが来ました。そのことを生徒に伝えたところ、何人かの高校生が名乗りをあげました。私は生徒には「原子力」に賛成とも反対とも言いませんでした。ただ、原子力発電所のしくみと、現状、そして、会社時代に聞いた発電所の地元の方のことば、立地に関する交付金の話も加えました。

 原子力発電所を見学する機会を得たさい、発電所のまわりのりっぱな見学施設、真新しい地域の公共施設などを目にした生徒たちは、私の伝えたかったことを実感したようでした。活動成果の発表では、「コンセントの向こう側を想像してみよう」と締めくくりました。このことばを聞いたとき、私は、生徒に教えているようで、じつは教えられているのだなあと感慨深く思いました。

受け継がれていく放射線の研究

 震災直後、生徒たちは、私たちも何かしたいと訴えました。私は、あなたたちのような瓦礫のひとつも持ち上げられないような非力な女子校生が、被災地に行っても足手まといになるだけだから、まずは勉強しなさいと告げました。生徒たちは、いま、自分たちにできることをすべく、活動は「放射線」に軸足が移りました。さっそく、計測器をもちいて学校や近隣の放射線量を測り、地図に記入して、校内に掲示しました。また、福島の高校との交流会に参加したりもしました。

 そして、放射線についてどんなことが知りたいか、学校中の生徒や保護者にアンケートを実施して、それに答える冊子を作成したり、その内容を絵本にして文化祭にきたお子さんに配ったりしました。活動の過程で彼女たちのメインコンセプトになったのが、寺田寅彦先生の「正しく怖がる」ということばでした。

 庭石にも使われる、ごくごく弱い放射能の放射性物質を使って、身近なものの遮蔽効果を調べる実験もおこないました。ある日、いたずら半分でプリンを放射性物質と計測器のあいだに置いたところ、思いがけないほど大きな遮蔽効果があり、その原因を調べる実験は代々受け継がれていきました。いまだ解明には至っていないのですが、リバネス主催のサイエンスキャッスルという科学コンクールで何度か経過を発表したさいには、そのつど、おおいに評価されました。

 これらの活動は、私が顧問のせいか、できる人ができるときにできることだけやる、というひじょうにゆるーいものでした。けれども、もともと所属している正規の部活動と両立させている彼女たちの熱意に応えるべく、私も、文部科学省をはじめいろいろな団体が主催する見学会、セミナーなどの機会を探しました。そうして、震災前は、東海村、もんじゅ、震災後は、高崎量子応用研究所、放射線医学総合研究所、幌別深地層研究センター、六ケ所村再処理工場、などを巡りました。生徒を引率して私もいろいろなことを学びましたが、とくに核廃棄物については、原子力発電所を「トイレのないマンション」と例えた武谷先生の批判は真っ当であったことをひしひしと感じました。

 私の教員生活も残りわずかですが、持てるものをすべて生徒に伝え、それと同時に私自身も、まだまだ生徒とともに成長を続けたいと思っています。

田中幸(たなか・みゆき)

私立女子中高一貫校理科教員。岐阜県生まれ。結城千代子とのコンビで15年にわたり、子どもたちが口にする「ふしぎ」を集め、それに答えていく「ふしぎしんぶん」を毎月発行、運営するHP「ママとサイエンス」でも公開している。結城との共著に、「ワンダー・ラボラトリ」シリーズ(太郎次郎社エディタス)、『みいちゃん、どこまではやくはしれるの?』(フレーベル館)、『新しい科学の話』(東京書籍)、『くっつくふしぎ』(福音館書店)など多数。