お父さんはフェミニストだよ、と言える日のために|第16回|はたして私は「はじめてのおつかい」に涙するようになったのか|張江浩司

お父さんはフェミニストだよ、と言える日のために 張江浩司 息子をジェンダーの呪縛から解き放たれた子に育てたい──。悩みながら、手探りで子育てに奮闘する父の試行錯誤の育児記録。

息子をジェンダーの呪縛から解き放たれた子に育てたい──。悩みながら、手探りで子育てに奮闘する父の試行錯誤の育児記録。

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第16回
はたして私は「はじめてのおつかい」に
涙するようになったのか

張江浩司

親子3人、コロナの年の瀬

 新年、明けましておめでとうございます。

 前回は胃腸炎パニックがなんとか治まりつつもインフルエンザの不穏な影を感じさせる、続編を匂わせるホラー映画のような終わり方でしたが、年末さしせまる12月21日にまんまと子どもが発熱。『リング』の主題歌よろしく「♪来る~、きっと来る~」と思っていたら、やっぱり来た!

 翌日、私は仕上げないといけない原稿があったので、妻が仕事を休んで病院へ。しばらくして送られてきたLINEに書かれていたのは「コロナでした」。

 えっ! インフルじゃなくて!? Jホラーだと思ってたらジェイソンが墓場から蘇ってきたような斜め上の衝撃。日本では12月に公開された、2020年のコロナ禍における「マスクをつける/つけない」といった小競り合いから悪意に満ちた風刺が展開されていくアリ・アスター監督の『エディントンへようこそ』をことあるごとに酷評しまくっていた報いだろうか。妻も私も喉が痛くなったと思ったら熱が高くなり、一家そろって罹患。ステイホームを余儀なくされ、忘年会などの年の瀬らしいことはおしなべて中止。大掃除もままならず、家でじっとコロナをやり過ごしているうちに2025年は終わった。40年生きてきてズルッと年を越したことは幾度もあれど、今回はかなりランキング上位に位置するであろうズルッと具合だった。

 家族3人、それほど重篤な症状が出なかったのは不幸中の幸い。熱が下がっても子どもが食事にほとんど手をつけなかったときは味覚障害を疑って肝が冷えたが、その直後アンパンマンせんべいをバリバリ完食したので、選り好みしていただけだった模様。食べてくれるならなんでもいい。流石さすがだよ、アンパンマン。

 それとは別に、焼きうどんを食べていたら私の奥歯が欠けた。感染中では歯医者にも行けず、欠けたままいまに至る。これはアンパンマンもどうすることもできない。

「可愛い」と素直に言える小学生男子

 念のため抗原検査キットで陰性を確かめてから、1月1日には妻の実家の集まりに顔を出した。私の実家は親戚づきあいが希薄なので、20人以上が一同に介する義実家の正月はテレビでしか見たことがない祭りに参加しているようで、軽く興奮する。しかしローカルな慣習の前にまごついているあいだに、ろくに手伝いもできないまま邪魔にならないように突っ立っているだけで時間が過ぎる。もうちょっと気の利いた婿むことして一目置かれたいところだが、なかなか難しい。

 一方で、うちの子どもはおいっ子やめいっ子(子どもからすると「いとこ」や「はとこ」)に遊んでもらってきょうせいをあげている。1年前はまだハイハイもしておらず、寝たり泣いたりしていただけなのに。そしてこの春小学6年生になる甥っ子には濃厚な思春期の気配が漂ってきている。3年前の私たちの結婚式ではぜんぜんじっとしていられなかったのに。

 2014年のTHE MANZAIで優勝した博多華丸・大吉のネタに「よその子とゴーヤは育つのが早い」というフレーズがあったけど、よその子もうちの子も早い。早過ぎる。

 それにしても親戚の子らは、うちの子どもをとても可愛がってくれる。もちろん対等には遊べないわけで、めんどくさがって邪険にしてもおかしくないのに、甥っ子のひとりは小声で「可愛いな。サラリーマンじゃなくてカワイーマンだ」とラブリーなダジャレをつぶやいていた。

 私が小学生男児だった30年前は、「可愛い」という感情を素直に表明することは難しかった。なんせ、『セーラームーン』のアニメを見てるというだけで同級生に馬鹿にされたんだから。「妹が見てるからしょうがなくだよ」と、架空の妹まで用意して言い訳した記憶がある。明確に「可愛いは女のもの、かっこいいは男のもの」という線引きがあった。

 それが、赤ちゃんの頭をなでながらカワイーマンである。まさに隔世の感。当然ながらサンプル数が少なすぎて、これを甥っ子姪っ子の世代全般に当てはめることはできない。実際、先日子どもを公園に連れていったら「あいつ、まだパイパンらしい」とか「初潮きたらしい」とか、おそらくクラスの女子の名前を挙げながら小学校高学年くらいの男子が3人でニヤニヤ笑っており、『アドレセンス』だ⋯⋯と頭を抱えたばかり。子どもらしい笑顔ではなく、職場で、酒場で、何度も見かけたあのジトッとしたニヤニヤだ。1歳3か月のうちの子どもがその話の内容を理解しようはずはないけれど、物理的な距離だけでも遠ざけたくて、そそくさと別の公園に移動した。

 カワイーマンもニヤニヤも、どちらも現代小学生のリアルなんだろうと思う。

正月二日、銭湯のロビーで

 そのまま義実家に泊まり、夜は人数が多いから近くのスーパー銭湯に行くことになったが、大浴場はハードルが高そうなので私と子どもは留守番し、妻は親戚たちとゆっくりしてきてもらうことにした。子もなんとなくよそ行きモードで、いつもなら大泣きして嫌がる歯磨きも、同じく留守番組のおばあちゃんやおばさんから「歯磨きできてえらいねぇ」と褒められて、いっさいぐずらずにクリア。おだてられると120%を発揮するタイプなんだな。私と同じです。

 翌日帰宅すると、2025年の残り香が強烈な、つまり散らかりっぱなしのキッチンやリビングにゲンナリしつつ、妻と「いや、これはしょうがない。コロナが悪い。俺たちは精一杯やってる」と励ましあいつつ、1歳児なりの親戚づきあいから解放され心なしかリラックスしながら馴染みのおもちゃで遊ぶ子を見て安心しつつ、2026年の生活がはじまるのを感じた。

「昨日は私がゆっくりしたから、今日は銭湯行ってくれば?」と妻から提案された。おお、まるでお年玉のようなサプライズ。ありがたく行かせてもらう。

 正月2日目の銭湯は混んでますな。しかも、酔っていたのか湯当たりしたじいさんがれつも回らず顔色真っ白になっており、あわてて店員さんを呼びにいったりしてぜんぜんゆっくりできない(その後じいさんはずいぶん回復し、念のため救急車で運ばれていきました)。

 なんだかなと思いながら風呂上がりにロビーで缶ビールを飲んで休憩していると、大きなテレビに『はじめてのおつかい』が流れている。ああ、これって正月特番なんだ。食指が動かないというか、まともに見たことがない番組ではあるが、いまならどうだろうか。

 親になったことで確実にものの見方は変化している。先ほど名前を出した『アドレセンス』も、呉美保監督の『ふつうの子ども』も、まったく他人事ではなかった。子育てに関する描写の解像度がグッと上がったので、それが繊細に描かれている作品にはおおいに揺さぶられる。

 精神科医でラッパーで怪談作家のDr.マキダシさんの著書『トラウマ怪談録』の冒頭には、大学生がYouTube用の動画を撮ろうと廃墟に忍び込むが、そこは幼いわが子を突然亡くした夫婦が住んでいた家で⋯⋯という怪談が収められている。独身のころなら「うおー、こえー!」という感想だったろうが、いまは「いや、これはしょうがない。子どもを亡くしちゃったら私もおかしくなるし、化けて出るよ。大学生が悪い。謝りなさい」と心の中でこんこんと説教した。

そもそもの設定が空虚じゃないか?

『はじめてのおつかい』を楽しむならいましかない。途中からなので確証はないが、どうやら3歳の子がおばあちゃんの誕生日をお祝いするために肉を買いに行くらしい。「一人で行ってきて」とお母さんに頼まれるも、不安になって泣いてしまう。しかし、「やっぱりがんばる」と決意して歩きだす。最中を見送りながら涙ぐむお母さん。じょうぜつに独り言をつぶやきながら、教えられたとおり手を挙げて道路を渡る3歳児。いつも利用している床屋の前を通ると理容師さんが出てきて、挨拶を交わす3歳児。「うんうん、がんばってる」とコメントするスタジオの所さん。

 それなりに前のめりな気持ちで見始めたはずなのに、サーッと興味の波が引いていく。どんどん引いていく。いくらなんでもカメラマンが近すぎで子どもに気づかれてるでしょうよとか、子どもの独り言が芝居がかってるからやらせだろうとか、そんなことを言いたいわけじゃないんです。テレビの常として演出はあるし、そのうえでも子どもの流す涙にはドラマがあると思いますよ。

 しかしね、そもそも、おばあちゃんの誕生日を祝うための肉をこの子が一人で買いにいかないといけない理由がないでしょうに。お母さんといっしょにスーパーに行って、どのパックの肉にするか選んだくらいでも「この子が買った」と言ってしかるべきだし、「一人でお使いに行ってないなら認めない」なんという運動部の新人いびりみたいな難癖をつける祖母がいるだろうか。まあ、世の中は広いのでいないとも限らないが、そのおばあちゃんとは距離をとったほうがいい。義父はうちの子が笑いかけただけで「可愛くて気が狂いそうだ⋯⋯」と言ってましたから、「一人でお使いに行った」なんてことになったら心配やら不安やらで感情が爆発して憤死する可能性がある。危ない危ない。

 私も妻も子どもが一人で買い物にいくとなったらめちゃくちゃ心配だし、無事帰ってきたら「よくがんばったね! えらいね!」と泣きながら褒めたたえるに決まっていますが、まず行かせないもんな。一人で買い物に出かけてもなんの心配もない状態になるまで、むしろ「一人で行きたいからついてこないで」と言われるまでは行かせないよ。幼児を一人で行かせたからって、なんなんだ。そこから得られる経験なんてないでしょ。

「問題を発生させるためだけに用意された問題」から得られるものなんてない。「はじめてのおつかい」という設定自体が空虚。子育ての解像度が低いと言わざるをえない(でもめちゃくちゃ記念にはなるから、これに出演したいという親の気持ちはわかる)。

 どうでもよくなったので缶ビールをグッと一息に飲んで早々と帰宅。ちょうど妻と子もお風呂から上がるところだったので、バスタオルで子を包んで寝室に運ぶ。保湿クリームを塗って、オムツとパジャマを着せる。犬が描いてあるパジャマが大のお気に入りで、これを着ているときは自分を指差しながら「ワンワン、ワンワン」としゃべるようになった。

 わざわざ一人でおつかいに行かずとも、この人の前には数多の冒険があり、それらとの向き合い方によってはカワイーマンにもニヤニヤにも、その二つをあわせ持ったものにも、その他私がまったく想像できないものにもなる。想像できないものになる可能性のほうが高い。そのリアルに痺れる。

私の実家で初めての雪に触れる。冷たくてめちゃくちゃ嫌がってました

 

張江浩司(はりえ・こうじ)
1985年、北海道函館生まれ。ライター、司会、バンドマン、オルタナティブミュージック史研究者など多岐にわたり活動中。レコードレーベル「ハリエンタル」主宰。
ポッドキャスト「映画雑談」、「オルナタティブミュージックヒストリカルパースペクティヴ」、「しんどいエブリデイのためのソングス」。