お父さんはフェミニストだよ、と言える日のために|第4回|女がいたんじゃ好きなことができない?|張江浩司

第4回
女がいたんじゃ好きなことができない?
張江浩司
息子が手を発見
子どもの成長のペースが早まっているような気がする。先週まで手をしゃぶろうにもうまく口元に持ってくることができず泣いていたのに、いつの間にか百発百中でズバズバ吸っており、しかも手全体を舐めまわしていたはずが、親指に集中している。自分の手、というものを認識すらしていなかったはずなのに、その末端まで意識が向くようになったということだろうか。そして3日前には、目を離したすきに親指をしゃぶりながらひとりで寝てしまった。自分の機嫌を自分で取れるようになった⋯⋯というのは気が早すぎるけれども、今日はついにおもちゃをガシッとつかんだ。すぐにポイッとした。手だけでも、この目まぐるしさ。いちいちがスペクタクルである。
「生後2か月くらいまでの赤ちゃんは自分に手があることを知らないらしい」という情報は、峰なゆかさんの育児漫画『わが子ちゃん』を読んで知ったが、どういうことなのかよくわからなかった。だって手は体から生えてるでしょ。それがわからないってどういうこと? しかし、実際に目の当たりにすると、子どもの手はぶんぶん動いているものの、確かに「自らの意思」ではなさそうなことがわかる。なんというか、持てあましている感じ。『寄生獣』でミギーの扱いに戸惑う泉新一が思い起こされる。
その状態を超えて、自分の手を発見し、だれに教わるわけでもなくトライ・アンド・エラーを積み重ねて自由に操れるようになる。これぞまさに「身体性の獲得」。ちょっとアカデミックな文章にすぐ顔を出すこの言葉が、実感をともなって像を結んだ。私を含めた多くの人がこれを経ているのもすごい。ちなみに、まだ足のことは知らないらしい。今後こんなビビッドな変化が続くなら、私の情緒は大丈夫だろうか。
ライト断酒
私にも変化がある。飲酒に対する執着のようなものがかなり薄れた。「手の発見」と比べるとなんとも鈍色だけれど、酒が生活のひとつの指標だった時間が長かったから、それなりに一大事なのだ。
たとえば、仕事でいままで行ったことのない街を訪れるとき、まず頭によぎるのは「終わったあとに一杯やれるいい店はあるだろうか」だった。いい感じの立ち飲み屋なんかを見つけて、軽く飲んでから帰りたい。その街で長年愛されている老舗であればなおよし。めぼしい店を探しながら、駅前をブラブラ歩く。経験から培われた「居酒屋レーダー」が働き、ピンときた曲がり角の先を見やると、ぼんやり赤提灯が灯っている。渋い外観に若干尻込みしつつもえいやと入店し、まず瓶ビールを注文してメニューを眺めながら何を注文するかを考える。このときのために生きているといっても過言でない多幸感に包まれていた。
しかし先日、神奈川の藤沢に取材に行ったとき。インタビューを終えて編集者と別れたのが16時過ぎ。夕飯の支度までまだ少しあるし、久しぶりにちょっと飲んでから帰ろうと散策したが、まったく居酒屋レーダーが作動しない。居酒屋の前を通っても、食指が動かない。立ち飲み屋は見つけたものの、新しい店構えを擬似的に汚して老舗感を演出しており、なにより生中が500円だったので「その価格帯でなんで立って飲まなきゃならんのだ!」と心の中で憤慨。なんだか馬鹿らしくなって、自分でも意外なほどスンとした気持ちで電車に乗って帰宅した。妻と子どもの顔を見て、早く帰ってきてよかったと思った。
妻も酒を飲むのが好きな人だ。妊娠前のある日、23時過ぎに家に着いた私は、翌日の仕事のためにすでに寝ている妻を起こさないように、静かに玄関を開けた。すると、キッチンのほうからなにやら聞こえてくる。不審に思って近寄ると、妻が赤ワイン(カクヤスで500円で買えるオーガニックワイン)を8割空けながらメアリー・J. ブライジの音楽で踊っていた。「なんて愉快な状況だ」とうれしくなり、私もいっしょにワインをもう1本カラにした。妻は翌日ゲロゲロになりながら仕事に向かった。社会人の鑑だと思う。
そんな妻が、妊娠したことで酒を控えなくてはならなくなった。もちろん、私が飲もうが飲むまいが胎児には影響ないけれど、大好きなものを我慢している人の前で自分だけガバガバ飲むわけにはいかない。今後、夫婦・両親というチームを続けていくにあたって、ここで対応を間違っては禍根を残すことになるだろう。しくじるわけにはいかない。妻の前では基本的に飲まないし、つきあいで飲みにいくこともグーンと減らした。出産後はさらに減っている。
父がよく言っていたこと
だれに言われるでもなく自分で決めたライト断酒だが、はじめたころは漠然とした不安に襲われた。アルコールの離脱症状というわけではなく、20年近く続けてきた習慣、もっと言うとアイデンティティを構成する要素を手放すことが怖かったのだと思う。
思えば、私と同世代(昭和末期生まれ)までの男性は「変わらないこと」をよしとする価値観を刷り込まれてきたような気がする。部活でもなんでも、ちょこちょこ目移りさせるのではなく、ひとつのことに打ち込んでいるほうがなんとなく褒められる。長渕剛の「友達がいなくなっちゃった」に顕著なように、久しぶりに会った友だちから言われる「おまえも変わったな」は最大の侮蔑だ(この曲の2番で長渕は「変わったのは俺じゃなくてお前の方なんだ」とアンサーしている)。
初志貫徹で成功すれば立派な快男児、失敗したとしても高倉健よろしく「不器用ですから」とはにかんで言い訳せず、生き方を堅持するのが潔い。そりゃ、現実にはいろいろあって若いときのままやっていくのは難しいだろうけど、外的な要因で己を曲げるのは日和ったやつのすることだ、というような。先述の健さんを筆頭に、結果的に社会から爪弾きにされてうらぶれても、自分自身を貫き通す「男」が映画や小説に山ほど出てくる。
私の父親は1950年生まれ、戦後民主主義教育の権化のような人で、アメリカに憧れて大学卒業後に単身渡米、とくに何するわけでもなくフラフラしていた経歴をもち、なによりも自由を重んじていた。その父がよく言っていたのが、「女がいたんじゃ好きなことができない」。家族ぐるみでつきあいのある私の親友が「彼女ができた」と父に報告したら、「女といっしょにいたってろくなことにならない。ちゃんと自分のやりたいことをやれ」と釘を刺していた。友だちは感銘を受けたような顔をしていたが、私はまだ女性とおつきあいをしたことがなかったので、「そんなもんなのかな」とぼんやりしていた。現在は体調を崩してしまって口数じたいがガクッと減った父だが、いま思うと、これはティピカルな昭和の悪意なきミソジニーの発露だったんだろう。
われさきにと変化したい
妻の妊娠出産を間近で目撃して体感したことは、この男性的な「変わらなさ」は女性の「否応ない変化」によって支えられてきたということだ。女性はライフステージに合わせて身体的に変化を余儀なくされる。それに合わせてキャリアを変更せざるをえないことも、まだまだ多い。その不条理ともいえる恐怖をホラー映画に落とし込んでいるのがフランスのジュリア・デュクルノー監督で、「RAW~少女のめざめ〜」では思春期の、「TITANE/チタン」では妊娠・出産の変貌が描かれる。(後者はカンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞しているが、難解かつウルトラバイオレントな描写満載なのでご注意ください。私は映画館で観たさいに偶然知り合いと鉢合わせしたが、感想を言いあうのが難しすぎて、気づかないふりをして逃げた。)
女性に妊娠・出産できるように変化してもらい、身の回りのケアができるように生活環境も変えてもらい、やっと実現する男性の「変わらない生き方」。それを社会システム的にほとんど強制しながら、「女がいたら自由にできない」と覆い隠す。ミソジニーにかぎらずあまねく差別は、ダブルスタンダードでマイノリティーを抑圧する。
酒飲みという人生を変えてみた私はどうなったかというと、最初はいままで飲んでいた時間に何をすればいいかわからなくて、妻ともどもまんじりとしていたけれど、寝ればいいんだなと気づいたので問題解決。出産後はそもそも寝かしつけがあるのでベロベロになっている場合ではない。とはいえ酒を嫌いになったかというと、そんなことはなく、まれに「行ってくれば?」と送りだされるときは楽しく飲んでいる。つまり、何も不都合はない。いったい何があんなに不安だったんだろうと、狐に化かされた気持ちだ。
今後も、子どもにまつわること、家族にまつわることに関して、些細なことから重大なことまで変化しなければいけない局面がたくさん訪れるだろう。そのとき、われさきに変化しようと思う。子どもに遅れをとっている場合ではない。まず手はじめに、妻との会議で「もう少し稼ぎが多いほうが安心だ」という議題が出たので、そこを変えてみようと思う。「嫁さんに尻を叩かれて仕事のやり方を変える男」と、昔の父に笑われるかもしれない。だとしたら、これは悪くない生き方だと思う。
張江浩司に仕事を頼みたいという方はXのDM等でご連絡ください。差別と暴力を肯定する仕事以外なら何でもやります。

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張江浩司(はりえ・こうじ)
1985年、北海道函館生まれ。ライター、司会、バンドマン、オルタナティブミュージック史研究者など多岐にわたり活動中。レコードレーベル「ハリエンタル」主宰。
ポッドキャスト「映画雑談」、「オルナタティブミュージックヒストリカルパースペクティヴ」、「しんどいエブリデイのためのソングス」。