お父さんはフェミニストだよ、と言える日のために|第15回|子育てはプロジェクトXじゃない|張江浩司

第15回
子育てはプロジェクトXじゃない
張江浩司
終わりの見えない登園不可の胃腸炎
きた。いつかくるだろうと思っていたけど、ついにきた。子どもの胃腸炎である。
以前も「子が保育園から風邪をもらってくる」と書いたが、大事には至らず、鼻がズビズビッとする程度。1日お休みすればまた登園できた。「胃腸炎が流行ってきているので、消毒等の対策を徹底しています。ご家庭でもお気をつけください」という旨のお便り(正確にはアプリ上のメッセージ)が園から届いたのは11月18日。下痢や嘔吐などの症状が出た場合は欠席しなければならず、登園の目安としてはそれらが治って発熱もなく食欲も戻り、有形便になること。有形便ってはじめて聞く言葉だけど、それってどれくらいかかるんだ? さっぱり見当がつかない。おいおい、子が罹ったら予定がめちゃくちゃ狂うんじゃないか。恐ろしい。
11月21日金曜の朝に保育園に向かう準備をしていると、子が顔を赤くしていきんでいるので、「お、うんちですか!?」と声をかける。子どもが一生懸命いきんでいる姿って、なぜかうれしい気持ちになりますよね。力を振りしぼってるからキリッと劇画調の表情になるのもいい。今日も朝から幸先いいねとオムツを取り替えたら、便がゆるい。むむむ。いや、しかし、これは⋯⋯有形便でしょう。ただちょっと柔らかいというだけ。軟便ですな。無形便とはいえない。うんうん。あれ? 有形便の対義語は無形便であってる?⋯⋯調べてみたら、無形便という言葉は存在しないようです。でも、なんか面白いから使っていきたい、無形便。仏教でいうところの「空」の概念っぽい。
人生ではじめてするたぐいの自問自答と現実逃避のすえ、念のため保育園に電話して確認。平熱だし、朝食も普通に食べていたのでこの日は預けて問題ないということになった。ほっとひと安心。しかし、いつ体調を崩して迎えにいくことになるかわからないので、外出せず家で作業することにした。仕事に必要な映画を観にいく予定だったけど、まあ今日じゃなくてもいいし。
ソワソワしつつ過ごしていると、仕事終わりの妻が子をピックアップして帰宅。園ではとくに問題なかったようすで、家でもいつもどおり夕食をちょっと食べたと思ったらすぐに集中が切れて、米を手でこねたり味噌汁をこぼしたりし、歯磨きに全力で抵抗し、風呂でご機嫌に遊び、20時前にスルッと就寝。妻が「なんとなくお腹が痛い気がするなあ」と呟くので、「胃腸炎がうつってたりして」と笑いあって、われわれも寝た。
翌日は土曜だが妻は仕事があり、私も諸々の原稿を進めるために保育園に預ける日。妻は顔色悪く、どう見てもバッドコンディション。吐き気もするらしく、昨夜の冗談は予言になってしまった。ほうほうの体で職場に向かう妻。一方、子のオムツを見ると、ズバーンと無形便。あああ⋯⋯。これは考える間もなく一発アウト。欠席の連絡を入れる。でも、熱はなく、なんなら機嫌もいい。ということはめちゃくちゃ動くので、目を離せない。これは原稿どころではない。差し迫った締め切りはないので、未来の自分に託すことにする。よかったよ、私が売れてないライターで。週に何本も締め切りがある売れっ子だったら、もうこの瞬間に「詰み」である。
洗い物をしたり、子といっしょに『ピングー』を見たりしていると、妻から「体調が最悪なので早退します」とLINEが。これはエマージェンシーだ。ここで私の火事場の馬鹿力が覚醒し、一気にテキパキと家事をこなして妻と子どもを万全にケアした、なんということはなく、寝込む妻を前にオロオロし、眠くなってきてグズる子どもに憔悴し、やれたことといえばいつもよりも若干ていねいに出汁をとってうどんを柔らかく煮たくらい。
幸い、妻の体調もそこまで悪いわけではなく、勤労感謝の日とその振替休日だった日曜・月曜にしっかり休んだことで回復。火曜からはスケジュールどおり仕事復帰。子は変わらず元気。だがしかし、無情にも有形便は出てこない。最初に危惧したように、終わりが見えない登園不可期間。いっさいの予定が立てられない。子どもに合わせるしかないので、段取りのつけようがない。
状況をコントロールしようとして疲れ果て
以前、有名な芸能事務所でいろいろなミュージシャンを担当してきたベテランマネージャーに、どんなときに仕事上の達成感を覚えるのか尋ねたことがある。彼が担当していたバンドが大阪でライブをして、翌日東京に戻るために乗っていた車が事故にあって足止め、しかし数時間後に東京で生放送のラジオに出演しなくてはならない。そこでマネージャーはあらゆる手段を講じて、そのミュージシャンを送り届けるために奔走。頭がギュインギュインに回り、アドレナリンがドバドバと噴出。無事ラジオのオンエアに間にあったときには心中で大きくガッツポーズしたという。
これはたしかに気持ちがいい瞬間だろう。正規のルートを大きく外れた事態を、持てるスキルを総動員してグッと引き戻すことに成功したわけで、その日の夜は自分が主人公の小規模な『プロジェクトX』を脳内で再生しながら酒を飲んだんではあるまいか。いい打ち上げだ。
振り返ると、私も胃腸炎パニックの初期はこのマインドだった。とっ散らかった状況を己の力で整理し、アンダーコントロールに戻すべくがんばった。妻にはしっかり休んでもらい、子どもは下痢しつつ元気ではあるので適度に公園などに連れていき、家事もこなして、仕事も進めようとした。で、早々に疲れ果てた。日曜の昼には疲れきっていた。
「しょうがない」とは思いつつ、まったく何も上手く立ち回れない落胆でこわばった身体でベビーカーを押して買い物に出たさい、「コーヒーいかがですか? 無料でお配りしてます」との声にフラフラと吸い寄せられて紙コップを受けとった。その甘いコーヒーのなんと美味しいことか。全身の力がスッと抜けた。ありがとうカルディ。ずっと「なんでコーヒー配ってんの?」と思ってたけど、めちゃくちゃ助かりました。せめてものお礼に何か買おうかなと店内に入ったら、ベビーカーでは通りづらい道幅だったので、ひとりのときにまた来てドレッシングなんかを買おうと思います。
振り回されることを受け入れられるか
子育てを仕事と同じ感覚で取り組もうとしたのが間違いで、1歳児は絶え間なく具合が悪くなったり、食べたり食べなかったり、寝たり寝なかったり、泣いたり笑ったりしているから、それを矯正して親の生活ペースを堅持しようとするから無理が生じる。よく「寄り添う」というけれど、それは「振り回される」とほとんど同義で、むしろ子どもだけでなく妻を含めた家族の状況に積極的に振り回されていかないといけない。ルートから逸れっぱなし。
正直、それはわかっているし、この連載でもたびたび書いていることなのに、うっかりしていると「男性的」な考え方をベースに行動していることに気がつく。批評家の杉田俊介さんが文化放送『武田砂鉄ラジオマガジン』に出演したさい、「自分はあまり男らしくない人間だと思ってたんですが、能力を他人と競ったり、仕事で自己実現しないとみたいな気持ちが、言葉のうえではそれを否定していても、わりと(自分の)深いところに根深くあったということを、鬱病で倒れたときに実感しました」と語っていた(音声はこちら)。本当にそうなのよ。思った以上に自分の振る舞いには男性性が絡みついていて、一つひとつ引き抜いてもまだまだなくならない。引き抜いて引き抜いて、仮にそれがすべてなくなったとして、私に何が残るのだろうか。それはそれで心許ないような気もする。
休日の公園には、子どもを連れたお母さんがたくさんいた。子どもと父親という組み合わせは、私ともう1組だけで、そのお父さんはなんとなく不安げな顔をしているように見えた。おそらく私も、そうだったように思う。この不安感は、自分のアイデンティティの中核を形成してしまっているものが通用しないことからきているんだろう。それを苦々しく思っていて、できることなら捨て去りたい自分ですらそうなんだから、男性であることに誇りを持っているような人なら耐え難い苦痛なのかもしれない。さぞかし大変だろうなと、自分ごとのような他人ごとのような中途半端な気持ちになると、子が立ち上がってトコトコ歩きだすのであわてて追いかける。
火曜あたりから病院でもらってきた整腸剤が効きはじめて、無形便と有形便のグラデーション状態になってきた。台湾有事をめぐる情勢と同じくらい真剣に、子どもの便の推移を注視した。水曜夕方にやっと形が現れて、思わず「やったー!」と歓喜。無事に翌日から登園できることになった。久しぶりに会った保育士さんは「元気になってよかったですね! うちの園としても、胃腸炎はほとんど終息しました」と声をかけてくれた。いやー、よかったですと返し、子を預けて帰ろうとすると、「つぎはインフルエンザかな」と呟く保育士さんの声が聞こえてくる。エグい。

張江浩司(はりえ・こうじ)
1985年、北海道函館生まれ。ライター、司会、バンドマン、オルタナティブミュージック史研究者など多岐にわたり活動中。レコードレーベル「ハリエンタル」主宰。
ポッドキャスト「映画雑談」、「オルナタティブミュージックヒストリカルパースペクティヴ」、「しんどいエブリデイのためのソングス」。
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