雑踏に椅子を置いてみる|第8回|自分の居場所のつくりかた|姫乃たま

第8回
自分の居場所のつくりかた
姫乃たま
居場所と性質
「人に乗っかるだけじゃダメだよ。自分でつくらないと」
居場所について人から言われて印象的だった言葉です。
でも私はこの言葉が最初から腑に落ちたわけではなくて、言われたときは「うるせえな」と思いました。そのときの私は小学生で、前後の会話はまったく覚えていないのですが、ダンスの先生から言われたことだけは覚えています。先生はお酒の入ったグラスを傾けていて、その態度も含めて「そんなの大人にしかできないことじゃん」と不服に思ったのでした。
当時の私は、両親がダンス教室にお金を払って発表会に出演させてもらっている小学生で、先生は自分でプロのダンサーを集めて舞台を主催している振付師でした。だから私は短絡的に、自分がダンスの舞台を主催する方法を想像したのですが、どうすれば実現できるのか、手順がさっぱりわからなかったし、そもそも大人たちがそんなことを許すだろうかという疑問もありました。
もしいま、目の前にイベントを主催したい小学生がいたら、すごく面白いしぜひ力になりたいと思うでしょう。でも、自分が小学生だったころの環境を思い返すと、そんなふうに周囲の大人から思ってもらえそうにはありませんでした。
学校で先生と話していると、子どもの自主性を重んじているわりに、じつはどんなことでも自主的にやってほしいわけではなさそうで、たとえばダンスは歓迎されていないように感じていました。
でも、その理由はわかる気がします。私はダンス教室でジャズダンスとヒップホップダンスを習っていましたが、先生に教わって同じように踊りながらも、どこかで少しずつ個性を出していって、先生よりもかっこよく踊れないかということを一生懸命考えていたからです。そういう「枠からはみ出していく魅力」がダンスにはあると思います。
いまでは学校でダンスの授業が必修になっているそうですが、普段は校則で生徒をまとめている学校が、ダンスのような、生徒が徐々に枠からはみ出していく授業をどのように指導しているのか、私にはまったく想像がつきません。ただ、時代は変わるものなんだなあと思います。
話がやや脇道にそれましたが、先生にそんなことを言われてから数年が経ち、高校生になった私はひょんなことから、ライブハウスでイベントを主催するようになりました。あのとき先生の言葉を「うるせえな」と思ったのは、子どもとしての反抗心がありつつ、なにより的を射ていたからかもしれません。
なぜなら、のちのち私は、既存のコミュニティに参加するのが苦手で、自分でイベントを主催して人に集まってもらうほうが(主催する労力はかかれど)気が楽だという自身の性質に気づいてしまったからです。
友人との関係によって発生する居場所
最近、読書会をはじめました。友人と2、3人で集まる本当にこぢんまりとした会です。
居場所について考えるとき、いま真っ先に思い浮かぶのは、この読書会のことです。
じつは私も友人たちも、本物の読書会に参加したことがなくて、自分たちのやっている内容が合っているのかわからないのですが、隔月で一緒に課題図書を決めて、どこかに集まって感想を話し合います。することはそれだけ。ここからは明確な決まりではないのですが、自分なりに関連書籍を思いつけば、用意しておすすめしたり、本の感想以外にも連想したことを自由に話し合ったりしています。
読書会のいいところは、まず友人と同じ本を読めるところ。同じ本を読んでる人がいるのって、なんかうれしいんですよね。そして普段の会話では発生しないような本をきっかけとした感想や雑談から、友人のことをもっと知れたような、おたがいの関係性がゆるく変わっていく感覚があるのも面白いです。
私はひとりでいると脳の中がうるさくて疲れてしまうことがあるのですが、友人との雑談に集中していると、頭が静かになっていきます。友人との会話がさざなみになって、脳の中のノイズをさらってくれるような感覚になるのです。
私は高校生のころから仕事で忙しくしすぎて、これまで友人との遊びを経験する時間があまりありませんでした。なので、こうした読書会のようなプライベートな遊びは、多くの人にとって普通のことかもしれないけれど、私にとっては地下アイドルを卒業して、コロナ禍を越えて、自分が30代に入ってからようやくできるようになったことなのです。
大人になると(子どものころもそうだったかもしれませんが)、なんでもなく友人と集まるハードルが上がります。何もない部屋でじっと目を見つめあいながら、でもリラックスして一緒に居られる友人は多くありません。
でも、逆に考えれば、少し何かがあればいいのです。
本を共通の話題とする読書会もいいですし、私は各々が特製のカレーを持ち寄って食べあう「カレー会」もたまに自宅で開いています。料理自慢の友人と食いしん坊の友人が集まって、初対面同士の人もいるのに、みんな気づけばお腹いっぱいになって床に寝転がったりしています。
夏には毎年、友人たちと海へ行きます。海に行きたいけど、ぼうっとしているあいだに海水浴の時期を逃している人って多くて、「海行く?」と声をかけると、意外と人数が集まるのです。海の近くのスーパーマーケットで買い物をして、お酒を飲んだり好きな食べ物を分けあったり、本気で海に潜る人たちもいれば、はなから水着を持ってこない人もいます。めいめい自由に過ごしていると、大人になってからの海もいいなあといつも思います。
予約必須のレストランでわざわざ集まるのも楽しいことだし、当日連絡をとりあって適当に飲食物を見つくろってから自宅で集まるのも楽しいです。適当なお店でなんでもない飲み会をするのも、かなりいいでしょう。飲み物があれば、いくらでも友人と一緒に過ごせるのだから不思議です。
なんにもない集まりは難しいけれど、逆に飲み物が何杯かあれば場がスムーズになるのだから、友人との集まりって、長年想像していたよりも気軽で楽しいことですね。
こみ入った話ができることはもちろんですが、なんでもない話が延々とできると、私は友人とさらに仲良くなれた感じがします。そしていまは友人たちとのそうした結びつきによって、居場所がゆるく形づくられていくことが面白いです。
日常にパーティーを!
非日常的な仕事をしているので、かえってプライベートのハレの日はあまり意識していなかった私ですが、「人生って日常的にもっとパーティーを開いていいんだ」と気づいたのは、自分の結婚パーティーを主催したのがきっかけでした。
入籍してからわりと時間が経ったころ、夫の先輩から「パーティーはいつやるんだよ」と電話がかかってきたのです。結婚パーティー!(まったく考えていなかった)。
「早くやらねえとみんな死ぬぞー」
そう言って、先輩の電話は切れたそうです。
しかし、私たちの結婚パーティーにわざわざ集まってもらっていいのだろうか……。
もやもや悩んでいる私の背中を押したのが、結婚式を挙げることにした友人の言葉でした。
「自分のためにみんなが集まってくれるのって、生まれたときとお葬式しかない。どっちも自分の記憶に残らないから、私は結婚式をしようと思う」
たしかに! と思いました。自分のこととなると悩んでしまいますが、私は友人の結婚式に出席するのは大好き。彼女の結婚式にももちろん参加しました。やっぱり主役が幸せそうにしているのを見るとうれしいし、主役の友人や親族たちが祝福して喜んでいるのを見るのも楽しいからです。
私たちの結婚パーティーは気心の知れたライブハウスを借りて、お友だちの落語家さんに出演してもらったり、プロレスの試合をやってもらったり、終始自由に盛り上がりました。仕事じゃないので赤字を気にせず、好きなだけお金を使えるのも楽しかった……。歓声をあげて楽しんでくれている友人たちを見て、趣味の合う友人たちに恵まれてよかったと、あらためて思いました。
ただ、招待してからずっと楽しみにしてくれていた祖母が、当日までのあいだに急逝してしまったのが心残り。本当に夫の先輩の言うとおりになってしまいました。このことが私に「もっと日常にパーティーを!」と思わせるようになりました。友人が話していたように、好きな人たちに集まってもらう機会が、もっと人生にあってもいいのにと思うようになったのです。
思えば、祖母の生前葬ができたらどんなによかったでしょう(生前葬をパーティーと呼んでいいのかわかりませんが)。お葬式って参列するたびに「ああ、ここに故人が居れば盛り上がるのになあ」と、もったいない気持ちになるのです。
私は参加したことがないのですが、ロリータファッションの人たちが開いている「お茶会」って、いい催しだなあと思っています。
おのおの好きなロリータ服に身を包んでお茶会をするのですが、特別なロケーションと好きな服、共通の話題があって、お茶とケーキが場を和ませて時間を紡いでくれるなんて、とても理想的です。
みんなロリータになれと言いたいわけではありませんが、どんな人もマインドをロリータにして、親しい人と定期的にパーティーが開けたら幸せだと思うのです。
自分でイベントを主催してみる
いつの間にかあまりそんなふうには思わなくなりましたが、10代のころはいまよりも繊細だったので、誰かがつくったコミュニティに参加していると「私なんかがここに居てもいいのだろうか」という漠然とした不安がありました。
それなので、イベントを主催すると、まず「主催者」という役割が自分にあって、私はこの場に居てもいいのだと思えることが心強かったです。
駆け出しの地下アイドルだったころは、いつも誰かが主催しているライブに出演させてもらっていました。しかしあるとき、投票制のライブに出場したら、優勝賞品としてライブハウスの1日利用権をいただいたのです。まさか自分がライブイベントを主催するなんて思ってもみなかったので、最初は「そんなものもらってどうするんだろう」と戸惑っていたのですが、投票制ライブの主催者の方が「できるんじゃない?」と気軽に後押ししてくれたこともあり、初めて自分でライブイベントを主催することになりました。
主催者になってみると、出演させてもらっているだけではわからない心配事があれこれとありました。
いつもは自分のことだけ気にかけていればいいけれど、主催するとなると、出演者の方が全員予定どおり会場にたどり着けるか心配だし、そもそも私なんかのイベントにお客さんが来てくれるのかわからないし、リハーサルも本番も時間どおりに進行できるか不安でした。
なによりも慣れなかったのが、自分が思いっきり主役になることです。
主催ライブとなると、私のファンの方々にも気合いが入ります。普段のライブにはあまり来ない方も駆けつけてくれるし、出演者のファンの方々まで、主催者である私を応援してくれます。そんなときは弱腰にならず、思いっきり主役として振る舞うことが求められているのです。
本当は普段のライブよりも緊張しています。おまけに主催ライブではたいてい主催者がトリを飾るので、自分よりも芸歴の長い出演者さんのあとに歌う緊張もあります。リハーサルから自分の出演時間までは裏方として働いて、舞台に上がるときには出演者として気持ちを切り替えるのも、なかなか難しいことです。
初めての主催ライブは緊張の連続で、翌日は高熱を出すほど疲れはてていました。でも、舞台から見た満員の客席と楽しげな楽屋の様子を思い出すと、私は自分で居場所をつくれたんだと、しみじみ実感できました。
無事に終わってみれば、継続していろんなライブに出演しているあいだに、主催ライブに出演してくれる出演者の方々が周りにいて、親身になって主催までの手順を教えてくれるイベンターの方とも知り合い、なによりも応援に駆けつけてくれるファンの人たちにも恵まれていました。小学生のときには叶わなかったことです。いつの間にか遠くまで来たな、という感じがしました。
あれから10年以上経ったいまでも、イベントの主催は続けています。もう、いちいち高熱を出すこともなくなりました。いまではトークを中心に少しだけライブもするイベントを毎月同じ会場で開催していて、私とファンの人たちにとって重要なコミュニティになっています。毎月、私はここに居ていいのだと感じます。
ひとりの居場所も大切にする
ずっと同じようなことを書いていますが、人との時間を思う存分過ごすためには、ひとりの時間を確保することが重要だと思っています。うれしい楽しい時間を過ごしたら、うれしかったなあ、楽しかったなあ、と心に沁みこませる時間が必要です。
私は紙の日記を10年以上書いているのですが、毎日同じことをするのが苦手なので、「1日の終わりにあたたかいものでも飲みながら、ゆっくり1日を振り返って日記を書く」というのに憧れているのですが、それができずに3日から1週間分くらいを気が向いたときにまとめて書いています。
1週間以上の出来事をまとめて書くこともできるのですが、自分に起きた出来事と1週間以上向き合えないほど忙しかったり、集中力や気力がない状態で過ごしてしまうと、私はだんだん目の前で起こっていることに感情を動かせなくなってしまいます。溜まっている情報や感情が整理できていないと、新しいことを受け入れる心と頭の余裕がなくなっていくのでしょう。そんな状態で人と過ごしても、あとに何も残りません。
私は日記に書くことで思い出を整理していますが、日記は人によってはハードルが高いと聞くので、ノートに何か思い出したことをぱらぱら書くだけでもいいと思います。紙じゃなくてスマホやパソコンのメモに書くほうが気楽な人もいるかもしれません。
私の友人は仕事でパソコンを立ち上げたときに、昨日会った人と出来事を単語で箇条書きにすると話していました。そのときに湧き上がった感情のことまで書かなくても、なんとなく気持ちが整理されて、数年後に読み返すと、箇条書きだけでも面白いそうです。
あと、私が大事にしているのは、とにかく眠ること。
地下アイドルだったころは、寝るのなんて死んだあとでいいと思っていたのですが、人生そうもいかないようで、あんなに寝ないで働いていたのに、いまは昼も夜も、眠れるときは眠れるだけ寝ています。
私は双極性障害なので、日々の睡眠時間にばらつきがあるとよくないとされています。睡眠に関しては、そもそも昼寝って何十分以上するとよくないとか、寝だめはできないとか、いろんな見解があるのですが、いまのところもう可能なら眠れるだけ眠ったほうが私は調子がいいという結論に達しました。
睡眠時間を整えるために決まった時間に無理やり起きて、眠たいのをぐらぐらしながら耐えたり、「ああ、こんなに長く寝ちゃいけないのに……」と後悔しながら昼寝をするのは無駄。潔く寝ます。
つらくて、つらくて、わらにもすがる思いで精神科の先生に相談して「寝てください」と言われたときは、「いまこんなにもつらいのに即効性のないこと言いやがって私を馬鹿にしているのか」と内心怒っていましたが、すみません、そのとおりでした。寝るのって大切ですよね。死にたくなったら、あれこれ打開策を考えずに、とにかく寝ます。
先日、漫画誌『週刊スピリッツ』の目次コメントを読んでいたのですが、編集部からの「やる気がでない日に実践している対処法を教えてください!」という問いに、数人の漫画家さんが「寝る」と答えていて、週刊連載で忙しい漫画家さんたちも行きづまったら寝てるんだ! とびっくりしました。私もやる気がでるまで寝ようと思います。
あと、ひとりの過ごし方でいいなと思うのが、とっておきのものを食べることです。
「ご褒美に甘いものを食べて〜」みたいなアドバイスを見かけるたびに、これまた「甘いものくらいで私の気持ちがどうにかなると思ってるなんて馬鹿にしてるんじゃないか」と思っていました(いま思うと好戦的すぎる)が、最近素直にこれに従ってみたら、すごくいいなと気づきました。
自宅が落ち着く人は少し特別なクッキーやアイスなんかを用意して、お茶やお酒に合わせるのもいいですし、私はひとりで家にいるよりも、喫茶店で人にまぎれてひとりでいるほうが「ひとりでいるなあ」という気持ちが強くなるので、頻繁に喫茶店に行きます。日記も喫茶店で書くことが多いです。
食べる瞑想が効果的なのも知っていますが、反対にうわの空になって「気づいたら食べ終わってた!」というのもなんだかいいと思います。
ひとりの時間は、また友人たちと過ごしたいと思わせてくれる大切な居場所です。
姫乃たま(ひめの・たま)
1993年、東京都生まれ。10年間の地下アイドル活動を経て、2019年にメジャーデビュー。2015年、現役地下アイドルとして地下アイドルの生態をまとめた『潜行~地下アイドルの人に言えない生活』(サイゾー社)を出版。以降、ライブイベントへの出演を中心に文筆業を営んでいる。
著書に『永遠なるものたち』(晶文社)、『職業としての地下アイドル』(朝日新聞出版)、『周縁漫画界 漫画の世界で生きる14人のインタビュー集』(KADOKAWA)などがある。