深海ロボット、ふたたび南極へ|出発編(第1回)|後藤慎平

深海ロボット、ふたたび南極へ

気鋭の工学者として、水中探査機で南極の湖底に挑んだのが6年前。2度目の調査ミッションは、なんと「ペンギン観測」だった!

深海ロボット、ふたたび南極へ
……出発編……
後藤慎平


南極湖沼調査で活躍したROV(水中探査ロボット)、AR-ROV01。愛称はKISHIWADA。

⚫二度目の南極、ミッションは「ペンギン観測」

 2023年11月24日、金曜日。これから起こる過去最高レベルでの怒涛の4か月が始まった。

 たった4か月?⋯と思われるかもしれないが、「南極で4か月」と聞くとイメージが変わるのではないだろうか。むしろ、南極での生活をイメージできる人がどれくらいいるのか気になるところである。これから私が過ごす4か月は、巨匠の映画監督でも映像化不可能ではと思うくらい、一般的にはイメージしにくい4か月である。

 第65次南極地域観測隊としてオーストラリアから観測船「しらせ」に乗り込むべく、巨大な荷物を抱えて羽田空港へと向かった。今回のミッションは、ずばり「ペンギン観測」である。「わぁ! いいなぁ!」「ペンギン大好き!」なんて人がひじょうに多いが、じつは私はペンギンが得意じゃない。ヨテヨテ歩く姿や可愛らしい表情が、見る人のハートをわしづかみにして離さないのだろうが、私は断言できる。

 野生は違う──。

 生まれて初めて「野生のペンギン」を見たのは、6年前に第59次隊で南極を訪れたときだった。最初は、観測拠点の周囲にときどき遊びにくる南極のマスコットという印象だったが、あるとき、ペンギンのコロニーを訪れたさいに認識が一変した。過酷な環境で生き残り、子孫を残すための熾烈な命のやりとりをする姿に衝撃を受けた。子を守り育てるペンギンと、その子を餌として狙うオオトウゾクカモメの、文字どおりの死闘。ペンギンに対して愛くるしいなんて言葉を容易に使ってはいけないと感じるほど、彼らが直面する「生」と「死」を目の当たりにし、ニンゲンが介在してはいけない存在のように感じていた。なのに、今回はペンギンを観測することが私の任務だった。それも水中ロボットで⋯⋯。

『深海ロボット、南極へ行く』のエピローグで触れたミッションを遂行するときが、ついにやってきたのである。1年半近くにおよぶ準備や調整を経て、2023年10月には機器をまえもって船に積み込み、いよいよ、自身が南極に向けて出発する日がやってきた。

 前回の経験をふまえて、準備にぬかりはないはず。なんせ、今回も40日以上の野外生活である。昭和基地なんて行く予定はない。「アレがない!」「コレが必要!」なんて言っても、調達しにいける場所もなければ、届けてくれる人もいない。昭和基地のような立派な建物や生活インフラがあるわけではない。拠点となる「きざはし浜」の小さな小屋にあるのは、生活に最低限必要な物資と無線機のみ。風呂もトイレもネットもない。

 ひとたびブリザードがくれば、そこで生活するメンバーだけで乗りきらなければならない。雨漏りしようがテントが飛ばされようが、生きるためのすべてを自分たちでどうにかしないといけない。つまり、ひとりでは絶対に生きていけない過酷な世界である。ひとつでも間違えれば命を落とす危険と隣りあわせの環境で、40日間を過ごすのが、いまから私が向かう場所である。そこで、死闘をくり広げるペンギンたちと向きあうのだ。

⚫シドニーの空港で6時間の足止め

 そんな二度目の南極行きは、羽田空港から始まった。前回は出発が成田空港だったが、今回は航空券の都合で羽田発となった。これは地方から見送りにくる人たちにとってもありがたい。このたびも深夜便のため、18時ごろに集合して空港内の一室で出発前のセレモニーをおこなうということで、当日の午前中までせっせと仕事をしてから羽田に向かった。

 15時過ぎに空港に着くと、観測隊の帽子をかぶった人をチラホラ見かけた。初めて南極に行く人にとって、家族と過ごすこの数時間は、期待と不安が入り乱れる複雑な時間だろう。4か月(越冬隊は14か月)のあいだ、家族と離れて未知の場所で過ごすことになる。下手をすれば命の危険さえある。

「いまならまだ引き返せるかも!?」

 そんな考えがよぎった隊員もいるだろう。なんせ行き先は、想像しても想像が追いつかない場所なのだ。どんな場所で生活するんだろう? 服装は? 食事は? ネットは? 買い物は?⋯⋯どんなに予備知識をつけても、やっぱり自分の目で見て感じるまで不安はぬぐえない。親元を離れて初めてひとり暮らしをする心境に似ているかもしれない。

 20時過ぎに、家族と別れて出国ゲートへと向かう。前回の南極以来、コロナ禍を経て約5年ぶりの海外。アッチもコッチも気になるが、そんな時間はない。トイレをすませ、自販機で機内用の水を買い、手荷物の整理をしていると、あっという間に集合時間となった。見覚えのある顔の男性が点呼に回ってくる。前回もお世話になった旅行代理店のスタッフで、会えば「あ!」とわかるほどお変わりない。コロナ禍で勤め先が変わったらしいが、彼は10年以上も観測隊の旅行代理業務を請け負っている大ベテランで、この人に任せておけば安心、安全⋯⋯と、このあとでさらに思い知ることになる。

 そうこうしているうちに搭乗時間となり、ゾロゾロと機内に入っていく。今回もお世話になるのはオーストラリアの翼、カンタス航空である。観測隊はほぼ全員が同じ帽子とジャンパーを身に着け、「南極地域観測隊」と書かれたフリップを持ったスタッフがお世話をしている。海外の人の目には、会社の団体旅行くらいに映っているのだろうか(こんな過酷な社員旅行は御免だが)。

 一行を乗せた飛行機は、約10時間でオーストラリアのシドニーに到着した。「しらせ」への乗船地であるフリーマントル港へ向かうため、ここから国内線に乗り継ぐ。乗り換え時間は2時間ほどなのだが、到着した機体はかれこれ1時間くらい誘導路上で停まっている。どうやら駐機場があかないらしい。船の業界でもコロナ禍で港が混んでいるとニュースになっているので、空も同じかという思いでのんびり待つことに⋯⋯いや、待て。現地時間で考えると、到着予定より2時間近く過ぎていることになる。イミグレーションをして、預け荷物を受けとって、国内線のチェックインをしてとなると⋯⋯ムリじゃね? という空気が機内に漂いはじめる。

 やがて、ようやく機体が動きだし、空港のはしっこで駐機となった。すでにお昼前。バスが空港ビルとのあいだをピストン輸送するが、座席が機体後方だった私は、ご多分に漏れず最終バスだった。それでも一縷の望みに賭けて、大急ぎで国内線のチェックイン・カウンターへと向かう。前回とはイミグレーションのシステムが大きく変更されていて勝手がわからないので、よけいに時間がかかる。そして⋯⋯無情にもカウンターのおやっさんは言い放つ。

「この便にはもう乗れない。つぎの便も満席だ」
「今日中に乗れる便はないの?」
「6時間後だ。どうする?」

 思考が停止する。
 6時間⋯⋯つまり18時半の便。そこからフリーマントル最寄りのパース空港まで約5時間。空港から港までは車で約40分。現地との時差を考えたとしても、そもそも22時過ぎに着いて、港へ行ける方法があるのか? てか、港に着いたとしても真夜中じゃん!?

 絶望が瞬時に頭を駆けめぐる。が、それしかないならしかたない。結局、6時間をシドニーの空港で過ごすことに。しかし、そんな絶望を味わったのは私だけではない。私より後ろに並んでいた約30人の観測隊員が同じ便になった。そのなかには旅行代理店のあのベテランスタッフもいる。彼がいればひとまず安心だ。

 ただ、これはわれわれにとって怪我の功名とも言うべき事態だった。今回、まだコロナウイルスの対策が必要ということで、1年以上にわたって無菌状態の昭和基地や、感染対策を講じている「しらせ」船内にウイルスを持ち込まないために、われわれ観測隊員はフリーマントル停泊中の5日間が隔離期間となっており、前回のように街へ買い出しなどに出られないことになっていた。そのため、予定ではパース空港に到着したらすぐチャーターバスに乗り、船に横付けしてPCR検査をしてから船室に行き、そのまま5日間は船内で過ごすことになっていた。だから、オーストラリアグルメ! コアラ関連のお土産! なんて堪能できるはずもなかったのだが、不可抗力的に発生した6時間のフリータイムで、空港内とはいえオーストラリアを感じることができる。

 そうと決まれば、オーストラリアっぽい店を探して昼食である。さいわい、国内線のビルにもフードコート的な店がいくつかあり、私はオーストラリア発祥のRED ROOSTERでお昼ご飯とした。しかし驚くほど物価が高い。前回は1豪州ドルが80円程度だったが、今回はほぼ100円で、日本では100~150円ほどの500mlのペットボトル飲料が、6.5ドルだったのには驚いた。どこかの山頂で食べるそばより高く感じる⋯⋯。

注文したのはたんなるバーガーとポテトのセットなのに、オーダー票と会計は(つまり出てきたのは)、チキンと謎のスープ(?)付きセットだった。英語って難しい…。ちなみに、ふりまわしたわけではなく、この状態が受けとったままのデフォルト。
空港内のどの店でも見かけた、元ネタのわからないキャラクターに海外感が湧く。日本で言うところの「すみっコぐらし」的な存在なのだろうか?

⚫さらなる試練をへて、「しらせ」が待つ港へ

 食事が終われば、やることがない。空港ビル内を端から端まで歩いたところで、残り5時間以上もショッピングをして過ごせるわけもない。おまけに私たちの便は搭乗ゲートすら決まっていない。じゃあ、どうする?⋯⋯仕事するしかない。

 船に入ってしまうと、この先4か月はほぼインターネットが使えない環境なので、ある意味、ここがネットのつながる最後の場所である。空港内はFree Wi-Fiが使えたので、すいているゲートを探して、片隅でパソコンを開く。出国前にしっかり対応して出てきたつもりだったが、やはり何通か、急ぎの確認メールが来ていた。あぶない、あぶない。予定どおりの便に乗っていたら、返事は4か月後になるところだった。これも怪我の功名ということにしておこう。

 さて、いよいよ出発時間である。さいわいにも搭乗ゲートは、いままさにパソコンを開いて仕事をしている場所だった。搭乗開始のアナウンスがあるまでそのまま待つ⋯⋯待つ⋯⋯待つ⋯⋯が、アナウンスがない。すでに出発予定時間を過ぎている。

「まさか!?」と、思ったが、周囲には同じ便に乗る観測隊員約30名が座っている。よかった、乗りそびれたわけじゃなさそうだ。が、しだいに隊員たちにも不安の色が見えだす。すると、ベテラン添乗員がやってきた。

「ご搭乗予定の便が遅れてるそうです。しばらくお待ちください」

 あ~、はいはい。もうウチらはそういう運命なのね。なんでも来いです! といった空気が広がり、ふたたびちりぢりになる。結局、さらに30分ほどしてようやく搭乗となり、19時過ぎにテイクオフ。しかし、それだけでは終わらなかった──。

 離陸して2時間ほどしたころ、機内にいい匂いが漂いはじめた。お待ちかね、機内食の時間です。デミグラスソースの焼けたような食欲を刺激する匂いがしている。6時間以上前に食べたきりなので、お腹もすきはじめていた。どんな食事が出てくるのかと楽しみにしていると⋯⋯。

 Hi!
 え?

 かけ声とともに投げるように渡されたのは、コンビニのサラダのようなパッケージひとつ。いや、さすがにあのニオイがコレなわけがない。コレは前菜か付け合わせなんだ。だが、待てど暮らせど、コレ以上のものが出てこない。空き容器を回収にきたCAは「まだ食べ終わってないの?」といった感じである。

 ちょっと待って。さっき胃袋を刺激したフォルクスのハンバーグのような香りがコレなわけないだろ? と、思っていると、ほかの乗客も似たことを言っていたようで、事態が把握できた。まず、この便で私が座った席は最後列。B-787のような大型機であれば配膳は前方と後方で手分けしておこなうが、この便は左右3列シートの小型機のため、前方から順に配るスタイル。そして漏れ聞こえる話を要約すると、「前から配ったら真ん中席あたりでなくなった」らしい。これぞ前厄。お祓いが足りなかったようだ⋯⋯。

 結局、空腹を満たせぬままパース空港に着いたころには、すっかり真っ暗。現地時間ですでに22時前である。さぁ、ここから港まで、どうする?

 預け荷物を受けとってロビーで集まっていると、「バスがチャーターできましたので、私についてきてください」とのこと。やっぱりベテラン添乗員である。

 案内されて1台のマイクロバスに乗り込む。バス運転手のおやっさんは「夜で道がすいてるから40分くらいで着くだろう」とのこと。外は真っ暗。どこをどう走っているのかわからない。隣の隊員と「ここで降ろされたら100パーセント迷子になるね」なんて話をしながら窓の外を眺める。

 車内のデジタル時計が22時を過ぎたころ、なんとなく見覚えのある景色になってきた。さらに走る。そして──。

「待たせたなぁ!(不可抗力だけど)」

 しらせの巨大な船体が見え、ほどなくバスは港の一角に停車した。

 荷物を降ろして、足早に船体に近づく。

「だれもいねぇなぁ!」

 私たちよりまえの便に乗った50名ほどがすでに到着しているはずだが、舷門には自衛官以外、見当たらない。それもそのはずで、この直後にわかったのだが、隔離措置のため観測隊員は基本的には船内の自室にいなければならなかった。

 そんなこんなで予定時間は大幅に遅れたものの、ギリギリ日付が変わるまえに「しらせ」に到着。ベテラン添乗員やアテンドの極地研スタッフとは、ここでお別れとなる。

 舷門で海上自衛隊のみなさんが敬礼で出迎えてくれる。「お世話になります!」と、こちらも敬礼で応え、ラッタルから甲板に足を降ろす。その瞬間、4か月間の長い旅が始まった。

(つづく)

5年ぶりに再会した「しらせ」




 

後藤慎平(ごとう・しんぺい)
1983年、大阪生まれ。筑波大学大学院博士後期課程修了。博士(工学)。第59次・第65次南極地域観測隊(夏隊)。民間企業、海洋研究開発機構を経て、東京海洋大学助教。専門は深海探査機の開発、運用。2014年から生物研究にまつわる海洋機器開発に取り組み、2018年には南極の湖底に生息するコケボウズを水中ロボットで撮影する、世界初のミッションを成し遂げた(第59次隊)。2023年11月〜2024年3月、第65次観測隊に参加。著書に『深海探査ロボット大解剖&ミニROV製作』(CQ出版)、『深海ロボット、南極へ行く』(小社刊)がある。