雑踏に椅子を置いてみる|第9回|痩せることと愛されることは関係ない|姫乃たま

第9回
痩せることと愛されることは関係ない
姫乃たま
シンデレラ体重より痩せたい私たち
地下アイドルだったころ、シンデレラ体重でした。シンデレラ体重と聞けば、なんだか輝かしい響きですが、実態はBMI18を指す言葉で、健康を損ねる可能性がある低体重のことです。私の場合は身長が152センチなので、だいたい42キロを切るくらいの体重を指します。しかし、悪影響があるとわかっていてもシンデレラ体重になりたい、あるいはそれよりももっと低体重になりたいと願っている方もいるのではないでしょうか。私も当時は、もっと痩せなければと思っていました。
シンデレラ体重でも同業者の女の子たちと並ぶと全然細くなかったし、インターネットに自分の写真や動画が上がれば、知らない人から「肉付きがいい」と書き込まれていたからです。
そのころはダイエットをしている自覚がなくて、自分を「努力ができない人間」だと恥じていたので、周囲の人に相談することはありませんでした。
ある日、プロの人になら相談できるかもと思い、ジムに通いはじめると、担当になってくれた女性トレーナーから「152センチだったら36キロまで絞りましょう!」と提案されて、「私が担当しているコスプレイヤーの子はあなたと同じ身長で、36キロですよ」と教えられたのです。36キロなんて成長過程で過ぎ去った覚えしかない体重ですが、そのときに私は「やっぱり!」と思いました。みんな(というのが具体的に誰なのかは思い浮かばないけれど、私以外の女の子たち全員くらいの感じで)、やっぱりそれくらいの体重なんだ! と思ってしまったのです。
ジムに通う前から、大好きなパン屋の前で「私はもう一生パンが食べられないんだ」と思って泣いたり、暴飲暴食をしているわけではないのに、必要な食事をしているだけでも罪悪感を覚えるような日常を送っていました。あのころは激務で時間がなかったはずなのに、疲れ果てたまま公園を走り、全然やりたくない筋トレをしながら涙がこぼれました。いま思えばあれがダイエットでなくて、なんだと言うのでしょう。
でも、私の体型でダイエットをしてるなんて知られたら恥ずかしいと思って、誰にも言えないまま、ひとりで追いつめられていました。あのころは追いつめられている自覚すらなかったように思います。
初めて痩せたいと思ったのはいつでしょう。
私は発育が早い子どもで、小学生までは同級生のなかでも背が高く、体つきも丸みを帯びていて、子どもらしくありませんでした。しかし大人びた見た目とは反対に運動神経はすこぶる悪く、悪目立ちしてしまっていたのが痩せたい(というより、体積を小さくして存在感を薄くしたい)と思いはじめたきっかけのように思います。
背の高い人が有利なバスケットボールなんかに参加すると、周囲から期待されてチームに入れてもらえたりするのですが、とろいので自分よりぜんぜん小さい子たちにボールを取られっぱなしだったり、せっかく背は高いのにゴール前でボールをカットできなかったりして、われながらかっこ悪いなあと思っていました。参観している父兄も嘲笑っている感じが勝手にしていました。
つまり、私は周囲の目を気にして自分と同級生を比較するようになり、痩せたいと思いはじめたようです。こうして他者と自分を比較してしまうこともつらいですが、他者から勝手に比較されることも、ときに心に大きな傷を残します。
女性モデルの容姿に関するコンプレックスをおもに研究している方にお話を聞いたことがあるのですが、モデルさんでも多くの人がコンプレックスを抱えていて、そのほとんどが、幼いころに親戚などの集まりで親族から容姿に関して言及されたことが原因になっているようです。
なかでも姉妹やほかの親戚の子と比較して「太っている」とか「背が低いね」とか、何気なく言われた言葉が心の棘になっている人が多いといいます。
そういえば私も思春期のころ、父親に、テレビと私を交互に見ながら「やっぱりテレビに出てる人ってスタイルよくてきれいなんだなあ」としみじみ言われたことがあります。悪気は感じられなかったのですが、それからずっと、父親にとって私は芸能人より劣っている存在なんだなと思いつづけてきました。
生まれた瞬間から痩せたいと思っている人はいないけれど、成長する過程で世間から「痩せていることは魅力的」と刷り込まれていくんですね。
心が脂肪で守られている
地下アイドルを卒業してすぐに体重が10キロ増えました。やっぱり地下アイドルとして活動しているあいだは、無意識のうちになんだかんだと体型を気づかっていたのでしょう。あっという間の増量でした。これでちょうど平均体重くらい。
せっかくなのでこれを機に筋肉もつけようと思って、初めてパーソナルトレーニングのジムに入会したら、男性トレーナーからいきなり「痩せたら可愛くなるよ!」と言われました。平均体重では「可愛くない」とされているわけです。
私はそこで焦って無理なダイエットをしてしまって、生理が止まりました。でも愚かなことに、生理が止まってからがダイエットの本番という思い込みがあって、生理が順調なうちは「がんばれていない」と自分を責めていたのです。他人に対しては絶対にそんなふうに思わないのに、自分自身のことはそうやって平気で追いつめちゃうんですよね。
生理は3か月止まると問題があるという情報を目にして、さすがに婦人科にかかり、投薬してすぐに治ったのですが、これがのちのち不妊治療をはじめたときに、ものすごい後悔となって押し寄せてきました。
幸い、このことが直接不妊に影響したことはなかった(はず)ですが、不妊治療が難航している時期はうまくいかないことがあるたびに、あのときの無理なダイエットで子宮に負担をかけたからでは……と、とり返しのつかない気持ちになりました。
たった一時期のダイエットのために、一生、自分の子どもと会えないかもしれないというのは、とてつもない後悔でした。
いまは平均体重からさらに10キロ増量して標準体重の上限をやや上回り、肥満体重の域に足を突っ込んでいます。人の2倍眠り、人の2倍飲み食いすると、そうなります。
でも、自分が30代に入ったこともあるかもしれないし、いつの間にか時代の流れが変わったのかもしれないけど、かえって肥満体重になってからのほうが、見た目について何か言われることがなくなりました(昔を知ってる人と久しぶりに会ってびっくりされることはある)。
まして「痩せたら可愛くなるよ!」なんてふざけたことを言う人はいません。あのころは他者から何か言われても「そうだよね」と納得していたけれど、「36キロまで絞りましょう!」と低体重を勧めるのもおかしいし、平均体重の人を無理に痩せさせようとするのもおかしいです。
いま10代、20代の子を捕まえてそんなこと言ってる人を見かけたら、倒してやりたいです。私を舐めるな。こっちにはたっぷり脂肪のついた腕があるんだぞ。
肥満体重になると、今度は生活習慣病などのリスクがあるので、これ以上増やしたらいけないとは思っているし、ときどきは少し体重を落とそうかとも考えるのだけど、昔と比べるとまったく風邪をひかなくなったし、胃も壊れないし、肌も荒れないし、精神面も安定しているので、文字どおり腰が重くなっています。なにより穏やかな気持ちになって、心が脂肪で守られている感じがするんですよね。
じつはもともと私は男女問わず恰幅のいい人が好きで、肉厚なプロレスラーやプラスサイズモデルのような見た目の人が好みなのです。
だから、いままでどれだけ体重を落としても、トレーニングをして体を引き締めても、「何かが違う。きっともっと痩せれば……もっと細くなれば自分に納得できるはず……」と自分を責めてきたのですが、太ったら、鏡を見て「これだよ、これ!」としっくりくる瞬間が増えました。
落ち着いて考えてみれば、めちゃくちゃ変な話です。
そんな私ですら、いつどこで誰に刷り込まれたのか、これまでずーっと痩せなければと思いつづけていました。べつに痩せたかったわけじゃないと気づくのに、32年もかかってしまったのです。
痩せることと愛されることは関係ない
どうしてそこまで痩せなければいけないと思い込んでいたのか考えてみると、そこには自分の居場所が関係していました。
「なんで痩せなければいけないの?」
減量や筋トレによるボディメイクはつらいので、当時も何度も自問自答しました。
太ったらどうなるのかと考えるとき、私はいつも「周りから人がいなくなる」と思っていました。誰からも愛されなくなると思っていたのです。地下アイドルのような人気商売で誰からも愛されなくなるというのは、つまり社会的な死を意味します。私は痩せないと死ぬと思っていたんですね。それは生理も止まるわけです。
でも肥満体重になったいま、はっきりと言えるのは、痩せていることと愛されることはまったく関係がないということです。私は太ったけれど、愛されて生きています。
私が出会ってきたジムのトレーナーたちみたいな思想の人もいますから、痩せれば「可愛い!」「かっこいい!」「素敵!」と褒めて近づいてくる人もいるかもしれません。
でも、それって冷静に考えてみたらうれしくないですよね。たしかに褒められた瞬間は自分の努力が認められてうれしいかもしれないけれど、ダイエットをやめて太ったとたんに離れていく友だちなんて、私は欲しくありません。
黙って離れていくだけならいいですが、そういう人はきっと体型維持の手を抜いたら、容赦なく指摘してくると思います。ダイエットって不思議で、自分ががんばっていると、人にも強要したくなるんですよね。べつに痩せようと思っているわけでもないときにダイエットなんて勧められたら、気分が悪いです。
印象的だった出来事があります。以前、精神病院の閉鎖病棟に入院していたとき、同時期に摂食障害の女性が入院していました。
骨と皮だけの体でなんとか動いているような感じで、1日3食、規則正しく提供される病院の食事に苦労していました。みんなが食器を片付けおわっても、いつもひとりだけぽつんと残って、ときおりうずくまっていたのを覚えています。
そんな彼女が突然、「おまえなんか可愛くないから! 誰にも愛されないんだからな!!!」と患者のおばあさんを大声で怒鳴りつけて、看護師さんや先生たちが飛んできて、ひと騒動になったのです。
もともとおばあさんと仲が悪かったのか、怒鳴った経緯はわからないのですが、その瞬間に、彼女は愛されたくて可愛くなりたくて、いまの状況まで追い込まれてしまったんだなと知りました。
最初はただのダイエットだったのかもしれません。痩せて褒められたこともあったかもしれません。でもいま、彼女に残ってるのは骨と皮だけで、自由に外にも出られず、周りにいるのは仕事だから関わってくれる看護師と先生だけです。彼女がそんな状況を求めていたわけではないのは明らかでしょう。
ダイエットやボディメイクを否定するつもりはありませんが、自分で好みの自分になりたい人が自己満足でやるのが健全だと思います。他者と自分を比較した結果だったり、世間の目を気にしてやることには反対します。
自己満足とはいえ、つらいこともあるとは思いますが、最終的に前向きになれる人だけがやるべきで、私みたいに泣きながら、死にたくなりながら、自分に失望してまで続けることではありません。
自分への信頼を築く
シンデレラ体重のころの私が肥満体型になったいまの私を見たら、どうしたことかと不思議に思うでしょう。
でも、私は好きなものを好きなだけ飲んで食べて太って、そして恐れていたことは何も起きませんでした。起きなかったどころか、どちらかというと人から好かれるようになりました。それはたぶん、自分で自分に納得しているからだと思います。
普通に食事をしているだけで自分を責め、おそるおそる体重計に乗っては36キロじゃない自分に落胆し、涙が出るほど嫌いな運動を続けて……、そんなことをしていたら、さすがに自分で自分に疲れてしまいます。
もっとここが細くなれば、もっとここがリフトアップすれば……。自分の理想について考える時間は、よりよい未来を想像する時間でもあるので、たしかに一種の高揚感があったけれど、私にとってそれは、現実の自分につねに失望しながら生きていることでもありました。
自分が自分に納得していないと、自分に対しての信頼感が築けません。他者に愛されるかどうかばかり気にして、肝心の自分の中に自分の居場所がなくなっていくのはつらいことです。
そうは言っても、標準体重の範囲内には収まるように体重を減らそうと頭の片隅では思っているし、そんな私でも20代のころに着ていた服が入らなくなってしまって落ち込むことがあるのですが、「私なんかダメだ……太ってるし……」とつい昔の癖で落ち込んでいると、いつも夫が「俺の妻にそんなこと言うな!」と叱ってくれます。
妊娠してお腹が大きくなって、ついでにおしりと顔まで丸く大きくなっても、「神々しいねえ」と体型の変化に敬意を払ってくれる夫です。
彼が私よりもずっと私に優しく接してくれたおかげで、私もだんだん自分のことを大切にできるようになってきた気がします。
自分のことが信じられなくて、つい他人の評価が気になってしまうときも、この人が私を大切にしてくれているのに、それ以上に大切なことがあるだろうかと思えるようになりました。
他者と築き上げる居場所ももちろん大切ですが、そのためには自分の中に自分の居場所があることをつねに忘れてはいけないと思っています。
姫乃たま(ひめの・たま)
1993年、東京都生まれ。10年間の地下アイドル活動を経て、2019年にメジャーデビュー。2015年、現役地下アイドルとして地下アイドルの生態をまとめた『潜行~地下アイドルの人に言えない生活』(サイゾー社)を出版。以降、ライブイベントへの出演を中心に文筆業を営んでいる。
著書に『永遠なるものたち』(晶文社)、『職業としての地下アイドル』(朝日新聞出版)、『周縁漫画界 漫画の世界で生きる14人のインタビュー集』(KADOKAWA)などがある。