冒険と探究|第1回|レースのまえに|北田雄夫

第1回 レースのまえに
世界一過酷なマラソン
ぼくはいま、得体の知れない緊張感に包まれている。いや、この緊張感は、得体の知れないものではなく、その理由ははっきりしている。今月の22日にはじまるアドベンチャーマラソン「Iditarod Trail Invitational 1600km」のせいだ。
このレースは、最低気温マイナス40℃のアラスカの地、その距離1600kmを、30日間の制限時間のなか、ノンストップで走る。レースに参加するぼくは、現在、トレーニングと準備の真っ最中で、不安の日々を過ごしているのだ。
アドベンチャーマラソンについて聞いたことのない人も多いと思うので、少しお話をさせてもらう。
はじめにお伝えしておくが、このアドベンチャーマラソンは明確なルールや条件が決まった競技ではなく、統一された団体は日本でも世界でも存在しない。名称もあいまいである。そのため、日本でもっとも多種多様のレースに挑んできたであろう、ぼくなりの解釈で書かせてもらいたい。
はじまりは1986年、モロッコ王国のサハラ砂漠で開催された「Marathon des sables(通称:サハラマラソン)」。気温45~50℃にも迫るなかで、食料、防寒具、寝袋などの衣食住を背負いながら7日間で250kmを走る。「世界一過酷なマラソン」として広まった。
2000年代に入ると、ほかのレースが続々と誕生して、いまでは世界で100以上のレースが開催されており、参加者も年々増加している。距離や自然環境や運営ルールなどがより厳しいレースも生まれ、人間の可能性はどこまで広がるのか、という問いを示しつづけるような軌跡をたどっている。

大自然を舞台に数百kmを走る
アドベンチャーマラソンという競技を表すものとして、3つの特徴があると考えている。
まずひとつめに、舞台が自然であること。
美しい田園地帯の小道。海沿いの砂浜。ツンとした木々や山に囲まれた渓谷。厳しい場所では、凍った海の上、断崖絶壁の山、いつ落ちるかわからない橋や、底の見えない沼。なんていうのも舞台になっていることがある。砂漠や北極圏をはじめとして、道がない場所も多い。地球上のさまざまな場所が舞台となっており、どのレースに行っても、いつも豊かな自然に驚かされる。
めずらしい場所だと、2015年に出場したアイスランド共和国の火山地帯レース「Fire and Ice Ultra Race(6日間250km)」。アイスランドは火山活動によって形成された、火山と氷河が共存するめずらしい国。地平線の先の氷河を見ながら、火山に登って火口縁を走る。ゴール後には天然の温泉につかれるご褒美がある。
さらに「宇宙一おいしいホットドック」と評判の食事も堪能した。大きな声では言えないが、ダシとソースが命!の粉もん文化で育ってきたぼくは、さっぱりおいしさがわからなかったのである。

ふたつめに、数百km以上の距離があること。
期間は短くて5日間、長いと1か月以上ある。フルマラソンのように1日では終わらないので、疲労がある状態で走りつづけることが多い。むしろヘトヘトになってからがこのアドベンチャーマラソンの醍醐味であり、魅惑の世界だと感じている。
コースは大会によって異なるが、主催者がとりつけた目印(フラッグやテープなど)をたどる大会と、各選手がGPS機器(コースデータは主催者提供や選手自作などさまざま)を使用しながらゴールをめざす大会に区分される。共通するのは、設定されたチェックポイントを通過しながら、制限時間内にゴールへとたどり着くこと。制限時間をオーバーすれば、失格である。
また、レースの種類はふたつある。ひとつがノンストップレース。スタートからゴールまで、ノンストップ(ぶっとおし)でレースをおこなう。途中で仮眠をとってもよし、不眠不休で進んでもよし。上位をめざすためには睡眠時間をぎりぎりまで削ることになるので、過酷さは倍増する。思考が回らないなかでも、残存体力、天候、日照時間、補給や休息の場所やタイミングなど、複雑な状況でさまざまな判断を下す必要があるため、よりマネジメントややり抜く力が求められる。
もうひとつはステージレース。複数のステージにわたってレースをおこない、ステージごとにタイムを計測。全ステージの合計タイムで順位を争う。毎ステージいっせいにスタートを切り、各ステージのゴール地点では選手一同が同じ場所で夜を過ごす。睡眠をゆっくりとれることが多く、毎日、心のリセットやトラブル対策をする時間的余裕もあるため、メリハリのリズムをつくりやすい。
ステージレースのように、大自然でキャンプをしながら、世界中の選手やスタッフとコミュニケーションする機会があるのは大きな魅力である。だが、暗闇をひとり走る感覚や幻覚との格闘などの非日常(特殊体験?)をより好む人には、ちょっと物足りないかもしれない。そんなあなたはきっと少数派で社会では肩身がせまいだろうが、だいじょうぶ。ぼくも物足りなさを感じるほうであり、そんなあなたたちを全力で応援する。
どちちらのレースにせよ、コースの下見や試走は困難だ。立ちはだかる壁をぶっつけ本番で越えていく。走って、悩んで、学んで、また進んで。そう、人生といっしょだ。

頼れるのは自分だけのサバイバル
最後、3つめに、原則セルフサポートであること。
レース中に必要となる食料、衣類、寝袋、ナイフ、ライト、包帯などのサバイバル道具は基本的に担いで走る。1週間を超えるレースではドロップバッグという、あらかじめ準備した食料やバッテリーなどを補給できるルールがあることもある。背負う荷物はレース環境や個人差により違いはあるものの、その重さはおおむね5~20kgになる。
背負う重量はレース結果に直結する。軽さは正義である。1gの軽さを求めるために膨大な調査や改良さえもおこなう。だが反面、軽くすればするほど、耐久性や使い勝手が損なわれることも多く、これが難しい。以前は歯ブラシの柄を切って数g軽くしていたが、毎回磨きづらいストレスがともなう。長いレースではこれはダメだ。ぼくにとって歯磨きは、極限のなかでも日常にもどれるとても大切な時間なのである。貴重な精神を削るくらいなら、重さを選ぶこともある。
特殊なアイテムを準備することも多い。ジャングルでは、泥水をろ過して飲むための浄水器。毒虫などに刺されたときに応急処置を施すための毒抜き器。地上の外敵から身を守るハンモック。寒冷地では、雪の上を走るためのスノーシュー。雪をとかして水分をつくるバーナー。凍傷対策でシューズの上に履くオーバーブーツ。大量の荷物を運搬する耐寒性軽量ソリ。これらは情報が乏しくて、選ぶのが難しい。いちばん困るのは、日本で売っていない場合である。それが極寒レースでは多く、日本で同じ悩みをもつ人がいない。だれにも話せる機会がないので、追ってつづるアラスカ編で、ぜひ悩みを聞いてほしい。
加えて、選手へのケアや援助をするスタッフなどの帯同は禁止。けがやトラブルなどはすべて自己責任。賞金もない。それがアドベンチャーマラソンであり、挑む人間がアドベンチャーランナーである。

これから走るIditarod Trail Invitational 1600kmに挑戦するのは2回目だが、今回も、まちがいなく過酷なレースになるはずだ。
このレースの結果については、あらためて、くわしく報告することにする。いまは無事にスタートし、また走破できるよう、みなさんに応援してもらえると、とてもうれしい。
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Iditarod Trail Invitational のウェブサイト(英語)では、レース開始後、選手の位置や順位を知ることができます。日本時間で2月23日(月)朝8時スタート!
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https://itialaska.com/
Iditarod Trail Invitational 1600km(2023年)に出場したときの筆者のレース映像は下記YouTubeにて視聴できます。
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https://www.youtube.com/watch?v=Wy9VbT0PWb0
北田雄夫(きただ・たかお)
アドベンチャーランナー。1984年生まれ、大阪府堺市出身。中学から陸上をはじめ、近畿大学3年時に4×400メートルリレーで日本選手権3位。就職後はいちど競技から離れるも、「自分の可能性に挑戦したい!」とふたたび競技をはじめる。2014年、30歳からアドベンチャーマラソンに参戦。17年、日本人としてはじめて「世界7大陸アドベンチャーマラソン走破」を達成。24年には三大極地1000km超レース(砂漠、山岳、寒冷地)を世界初走破。現在は、最難関レースであるアラスカ1600kmの10回走破をめざし、挑んでいる。23年からは足の神様・服部天神宮の神主としても奉職中。著書に『地球のはしからはしまで走って考えたこと』(集英社)がある。
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